第一章 普通を捨てた、虚ろな少女⑤

 食堂での昼食を終え私は津雲上姉弟とその場で別れた。手荷物を全て食堂に持って来ていたのでその足で美並山にある自分の住処に帰宅する。私の身長よりも大きな門扉を開くと、玄関扉の前で取香が深くお辞儀し私を出迎えた。一体いつからいたんだか。


「いつもベストタイミングね」

「お嬢様の匂いはこの山に入った時点で嗅ぎつけていたので」

「え、私ってそんなに臭い?」


 すぐさま自分の身体を嗅ぐ。だが朝夜とシャワーは浴びているから臭いが気になる訳がなかった。

 取香が話しているのは私、夕草瞳という生物が発する存在の香りだった。


「言葉では伝えにくいのですが魔術士特有の香り、とでもいうのでしょうか。魔術士は特にそうですがそれぞれが持つ魂、波長、術に至るまで同じものが存在しません。それが子であれ複製体(クローン)であれ」

「指紋、みたいなもの?」

「わかりやすく言えばそうですね。私はそう言った変わった魂の色や香りを嗅ぎ分ける力もあるのです。ちなみにお嬢様の体臭に関して言えば」

「それ以上はセクハラよ?」

「……お嬢様のお年頃というのは本当に面倒ですね」


 セクハラ発言をする従者を諫めながら私と取香は館に入って行く。館の中の明かりは壁や床に設置されている間接照明のみが点灯しており、主体となる光源は窓から漏れ出す陽の光のみとなっている。それでも日々快適に過ごせているのはこの館の至るところに張り巡らせている特別な術式にある。

 生前父親は現代科学にも傾倒しており、魔術士だというのに当時の最先端科学の一つでもあった『日光を電力に還元するシステム』に注目していた。どうやってそのシステムを知ったのかは知らないが、父は日光を電力に還元する技術を手に入れ、それを魔術に転用。特殊な魔術式を家の至るところに張り巡らせたという訳だ。

 さらに当時でも日光から得られる電力量は微々たるものだったが、魔術を絡めることで少ないエネルギーをさらに増幅させることに成功させた。それでも日中は間接照明だけになるが、夜は煌々と明かりをつけても停電で悩まされることはない。

 発想元は美並山にも生息していたどこにでもある植物だったらしく、植物が行う光合成をそのまま前述のシステムにも使えるよう改造した。時間はかかったが数年の歳月を経て、館の周囲一キロは父の魔術式を組み込んだ植物が繁殖するに至る。

 電力に関しては自給自足が出来ているが、良いことばかりでもない。現状家の外壁にまで植物の蔓や蔦が伸びてきているのだ。光合成で得られるエネルギーを電力に転用している過程で、それでも発生する余剰エネルギーもそのまま植物の成長を手助けしているようなのだ。よって私が高校生に上がった時点で美並山の植物が異常成長を遂げ、今年だと一月ほど早い桜を開花させている。テレビでも取り上げられた時は肝を冷やしたものだ。


「いかがでしたか学校は?」

「面倒事を吹っかけて来たトマスの件以外はそこそこ。面倒な授業も受けなくて良かったし」

「そういえば本日は何かの式典だと伺っておりましたね。その辺りの話もお茶を挟みながらお聞かせ願えますか?」

「別に良いけど、取香さんって本当に私たちの生活に興味があるのね」

「元主は生粋の魔術士でしたから、お嬢様の生活というのは私の好奇心をくすぐるのです」


 日中とはいえ間接照明だけでは薄暗がりで足元も見えにくい中、私も取香も何の躊躇いもなく歩を進める。一度焼けて崩壊した館ではあるがその内装は少しも変わっていないからだ。館の復元にはトマスの力を借りつつ両親が残した財産を元手に一から復活させた。山を下りて都会に住む選択もあったが、両親のことをそして私自身の復讐を忘れないように館の復活を選んだ。

 ただし移動しなかった理由はもう一つあり、先の日光を電力に変換する魔術式は美並山の植物に適した術式でもあったので、都会に住処を移すとその恩恵を得られないからというのもある。

 私たちは他愛ない話をしながら館の二階にある談話室に移動した。取香はお茶を用意するため一人一階の厨房に向かう。談話室には二人分が座れる黒いソファが向かい合わせに設置され、その間にテーブルが一つ、そしてその周りの壁を埋めるように本棚も置かれていた。部屋の角にはブラウン管テレビも備え付けられている。

 私はソファに腰かけ、取香の準備が出来るのを待つ間、テレビでも見ようと電源を入れる。すると映し出されたニュースから、昼食の時に見た殺人事件の速報が流れて来た。


「これで、五件目」


 干菓子市は関東でも犯罪率の低い街で、十年前は殺人事件と無縁と言って良いほど大きな事件に見舞われることはなかった。街が大きく変わり、人の流れが出来て来た今でも連続殺人なんて単語が流れるような物騒な地になった印象はない。


「何が楽しくてこんなことするのか」


 呆れから来る溜め息を吐くと「失礼します」と取香の声が談話質の外から聞こえる。私が入室の許可を出すと取香がティーセットを持って部屋に入って来た。ティーポットに入っていた茶葉は市販のものであったが、心を落ち着かせる良い匂いを漂わせる。


「取香さんはこの事件知ってる?」


 ティーカップに紅茶を流し入れる取香に私は問いかけると、彼女は無表情で頷く。


「お嬢様が朝食の際にご覧になるにゅーすでの情報しかありませんが。それにしても、この事件の犯人というのはおかしな人物ですね」

「おかしいというか滅茶苦茶よ。こんなことする奴の気が知れない」

「いえ、私が申し上げたのはこの犯人とやらの行動なのです。お嬢様は何か気付かれませんか?」


 事件について質問され、私は自身の考察を述べる。


「この殺人鬼はわざわざ五体をばらして、遺体の一部を盗む手間を取っているとこ?」


 取香は私の回答に深く頷く。


「この人間社会の殺人者にとって、殺した後は一秒でも早くその場から立ち去りたいはずです。何らかの理由がなければこんな回りくどい方法を取りません」


 取香から差し出されたティーカップを受け取り、私は紅茶で喉を潤す。


「どんな理由よ。殺した相手の頭を持っていくなんて」

「コストしかない行いも、本人にしてみればコストにならない可能性もあります」

「つまり?」

「この殺人鬼の趣味、とか」


 もし取香の予想が真実なら吐き気を催す理由だ。自身の興味関心のために、五人もの少女たちの首を切り落としたというならそいつは人ではない。まさしく『人を殺す鬼』だ。


「悪趣味」

「例えばの話です。にゅーすの情報だけでは推論しか立てられませんので」


 全てを見ている訳ではないので、取香にもそれ以上のことは分かるはずもない。ただこの事件が解決しても、すでに救われない人たちは大勢いることは事実だ。


「あるいは別の目的があるのかもしれません」

「別の目的、ね」


 もしそんな目的があったとしても、ここまでの行いが許される理由なはずがない。これ以上の不幸を重ねないように、やはり早くに事件を解決させる必要がある。


「取香さん、今日ってこの後時間ある?」

「私はお嬢様の従者でございます。ゆえに私個人の時間などございません」

「なら命令よ。私の修業の間、街に出て周辺を探って来てもらえる?」


 私のティータイムをより豪華にするため、茶菓子を準備している取香の手が止まる。


「それは、どこまででございましょう?」

「徹底的に。隅から隅までよ。いつものことじゃない?」


 純白の皿に並べられているのはこれも市販品ではあるが、小袋に詰められていたマドレーヌ。私はその内の一つをかすめ取り口の中に放り込む。


「……となりますと、時間をいただかなくてはなりませんね」

「あなたの索敵なら簡単でしょ。それと」

「お召し物の準備も、ですね。かしこまりました」

「さすがね、宜しく頼むわ」


 私はカップに残った紅茶を流し込みソファから立ち上がる。


「じゃ、私はこのまま修業に入るから」

「お嬢様」


 部屋を出ようとすると取香は表情を崩さず私に告げる。


「先ほどのやり取りで、あなたの飲食のマナーについて一通り教え直さなくてはならないと判断しました。明日以降しっかりと叩き込むのでそのつもりで」


 取香の話を聞いている間に連続殺人に関するニュースは終わり、芸能情報に切り替わっていた。テレビに映る芸能人が高らかに笑う中、私は従者からの重い一言に苦笑いを浮かべ頭を下げる他なかった。

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