第一章 普通を捨てた、虚ろな少女④

 始業式を終え、私たち生徒はそれぞれのクラスで今後の連絡受けた。一年生からすれば初めての高校生活に緊張と期待でいっぱいになっていることだろうが、私のような2年生は昨年にその経験は済んでいるので、明日以降の連絡事項に興味などあろうはずがない。むしろ式直後のスケジュールについて友人同士で話し合う始末だ。

 十二時半の時点でホームルームが終わり次第、部活動や友人たちと出かけるために早々と教室を抜け出す生徒が多くいる中、私もホームルームが終わった直後に教室を出て、その足で校内に設置されている学食に向かった。

 食堂の広さは約五百平方メートルで黒と紺の装飾を基本とした色合いになっていた。テーブルや椅子も全て木製で古都を肌で感じられる様式となっている。校長曰く生徒や利用者に心落ち着ける場での食事を楽しむための工夫だそうだ。その中で唯一違和感があるのは食堂に一台しか置かれていないテレビ。六十五型の液晶テレビは大きさもさることながら、音量、解像度その全てが最新式で私はテレビ周辺の席に陣取って流れる番組を見ながらご飯を食べることを日課にしている。流れているのは専らニュース番組で、正直あまり見たいものではない。もっとお笑い系の番組が見たいのに。


「美味しいこの鯖。味噌も甘いだけじゃないし、何より鯖がほろほろ」


 始業式という特別な日ではあったが、通常通り食堂は開いている。すでに多くの生徒たちが学食で提供されている定食を注文し、グループを形成していた。ご飯と味噌汁はおかわり自由なので、私は一人鯖定食に舌鼓を打っていた。

 映し出されたニュースを見ながら食事をしていると、とある殺人事件の速報が流れて来た。その事件はこの一週間で都市部を騒がせている連続猟奇殺人事件だ。

 最初の犯行は市内の住宅街に隣接する公園で起きた。早朝のジョギングをしていた中年男性が身元不明の女学生の死体を発見したのだ。死因は出血性のショック死で、遺体の手足はバラバラにされ頭部はなくなっていた。少女は市内に住む女子高生で、以降の犯行は繁華街に移っていった。全ての被害者が女子学生で夜に出歩く彼女たちを刃物のような物で心臓を一突きにし、五体をバラバラにして首だけを回収するといった猟奇的なもの。事件発生から五日で都内の警官を総動員して事態の収拾に当たっていたが、また新たな犠牲者が出てしまっている。


「物騒ね……」


 重い溜め息を吐きながら私は椅子から立ち上がり、ご飯のおかわりに向かい元の席に戻ろうとする。すると前方から車椅子でやってくる女子生徒に目を奪われた。理由は単純で同性でも綺麗だと思わせるほどの端正な顔立ちと、背中まで伸びた艶やかな黒髪が印象的で、なおかつ車椅子に座っている状態でも分かるほどの美しいプロポーションを持っていたからだ。直立すれば瞳よりも高身長で、肌は白魚のようにきめ細かい。男性からも女性からも羨望を受けること間違いないと断定出来る美人であった。


「そないに見つめられたら、恥ずかしいわ瞳ちゃん」


 長時間見つめてしまったことを指摘され、私は狼狽えた。


「すみません。その、今日も琉花さん綺麗だったから」


 正直な感想に車椅子の女性は微笑みを湛え話しかける。


「ええんよ。面と向かって綺麗言うてくれるんは嬉しいし、そんなこと言うてくれるんは瞳ちゃんくらいやから」

「嘘ですよね? それ京都風の冗談ですよね?」

「姉さん。あんま瞳さんをからかうのは止めとき。嫌われるで」


 姉さんと呼ばれた車椅子の女性の後ろには車椅子を操作する少年がいた。身長は百七十センチ後半で全体的に細い体型をしており、抜け切れていない幼顔はどこか好感を持てる。中性的な顔立ちをしていることもあって、見るものが見れば女性と勘違いしてしまうほどだ。


「こ、こんにちは波留君」

「こんにちは瞳さん」


 車椅子の女性に引けを取らないほどの美少年であるのに数秒の間、この少年を認知出来なかった。私は慌てて少年にも挨拶すると彼は丁寧に挨拶を返す。


「早速で申し訳ないんですが、少し失礼」


 波留は学生ズボンのポケットから、金色の鈴を取り出す。音色を響かせると、私、琉花、波留のいる空間だけが静まりかえるのを感じた。鈴の音色が完全に消えた後は、周りの生徒や教師たちが私たち三人を避けるように、別の席を利用したり、遠回りして食器を片付けていたりしている。


「こら波留。こんな往来で鈴鳴らしたらばれてまうかもしれんやろ」

「大丈夫や姉さん。すでに人除けの護符も使ってる」


 車椅子の彼女の名前は津雲上琉花。そしてその弟である少年は津雲上波留。両名は光聖高校の生徒にして古き神道の術を継承した魔術士である。


「毎回思うんですけど、本当に見事な術式ですね。こんな人通りの多い場所でも認識回避が出来るなんて」


 感心すると波留は照れ臭そうに返す。


「多くは言えないんですけど、自然と一体となるって感じですわ。今の場合ですとこの場の雰囲気、流れに溶け込むいう感じですか」


 彼ら姉弟が使う神道の術は日本人の暮らしから生まれた信仰が基になっている。太古の人々は清浄な山や岩、木や滝などの自然物を神宿るものとして祭っていたので、場に溶け込む技に長けていた。


「食堂の喧騒に溶け込めば、周りでどんな話がされていても気にならない。あくまで気にならないやから、私らに興味を抱く人間にはこの術式は利かんのやけど」

「じゃあまずいんじゃ」

「そこで人除けの護符ですわ」


 生徒手帳を取り出した波留は、その裏に隠されている護符を瞳に見せる。


「これは人の意識を僕らやのうて、外に向けさせる護符です。意識を逸らすだけやから、意識を持ってすれば僕らを認知出来るんですけど」

「自然と一体になっている今の状態なら問題ない、ってこと?」


 正解、という言葉とともに琉花は私の頭をなでる。


「余程私らを意識する、もしくは視てる人間でもない限り私らを意識することは叶わんよ。この学校の中なら瞳ちゃんかあの忌々しい神父くらいか」


 琉花の言う忌々しい神父とはトマスのことで、姉弟は私と同じ保護は受けていないが、黙認という形で見逃されている。


「トマスとは滅多に話さないって言ってましたけど、顔も合わせないんですか?」

「お互いに会いたくないやろ。ましてや相手は魔術士殺すことに特化した粛聖者やからね」


 粛聖者。それは聖十字中央教会が持つ唯一絶対の戦力。力持つ全ての異端に対する武闘派集団の総称である。

 神の持つ奇蹟を神の被造物である生物が持つことは許されない。この教義に沿って教会は行動しているのだが、奇蹟を持った生物が素直にその力を神に返すことはほとんどありえない。私利私欲のために使うことが常だからだ。その存在がこの世界に災厄を振りまくことも考えられるので、教会は奇蹟を持ち、悪逆の限りを尽くす全ての存在に打倒しうる戦力を備えている。それが粛聖者と呼ばれる者たちだ。


「しかもあのトマスとかいう神父、かなりの腕っこきみたいや。世界中で魔術士や異端共と殺り合ってここまで生き延びてる」

「やっぱり強いんですね、あいつ」

「少なくとも今の私らじゃ束になっても勝てへんやろね」


 たまに鍛錬のためと称してトマスから手合わせしてもらってるけど、相当手加減してもらってることは知っている。私が叶わないのは分かるけど目の前の姉弟でもはっきりと勝てないと言わせるのだから本当に強いのだろう。母親との縁がなければ私なんか一瞬だ。


「護符やら認識回避の鈴を使って人払いしたのって、もしかして教会に関する重要な話を今からするために? 何か問題でもありました?」


 重々しい空気を纏った琉花を見て、緊張した面持ちで次の言葉を待つ私に、波留はどこか呆れ顔になる。


「え、そんな話、せえへんけど」

「……しないんですか?」

「話はするで。瞳ちゃんまた今日壇上に上がって目立ってたやろ! ほんまに可愛かったわ! なんでもっと早うに壇上に上がるって言ってくれんかったん?」


 両手を力強く握られるも、理解が追い付かない私に波留が答えた。


「ええと、瞳さん今日始業式の生徒代表の挨拶で壇上に上がられたでしょう? あのことを姉さんが褒めたいって言うて」


 生徒会室でトマスの要望を突っぱねた後、私は生徒会室を出てすぐに部屋の前で待機していた副会長以下役員全員と遭遇した。そして案の定、副会長は緊張のあまり顔面蒼白になっており、他役員たちも困窮極まっていた。本来なら捨て置くところだが、私と生徒会は縁も所縁もあった。無慈悲に捨て去るのは寝覚めが悪い、そう思ってしまったのが運の尽きだった。盛大に溜め息を吐いて、生徒会室に戻りトマスの要望聞いたという訳だ。


「まさかそのためだけに、護符まで使って?」

「恥ずかしい言うんですよ、なんでか知りませんけど」

「だって瞳ちゃん褒めとったら、だんだんスキンシップ激しいなるから、それを他人に見られるのは恥ずかしいんやもん」


 いつの間にか、両手を握っていた手は抱きつきに変わっていたので、このことかと納得する。


「こんなことのために護符やら術とか使って良いんですか?」

「本当なら問題ありますけど、瞳さんは知らん仲とちゃいますから。それに形は違えど魔術士ならみんな持ってますし」

「もう、そんなことどうでもええから、波留も瞳ちゃんのこと労ったり! いつも一人でなんでも頑張ろうとしてる瞳ちゃんを盛大に労うんや!」


 こうして私は食堂で津雲上姉弟にあらん限りの誉め言葉をいただいた。最後には琉花から胴上げの提案も挙がったのだがさすがにそれは周りに気付かれると、私と波留が必死に引き留めた。それでも実の親から受けるはずだった心のこもった言葉を、今の家族に近い人たちからもらったのは言葉に出来ないほど嬉しく、痛いほど胸に響いた。

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