第一章 普通を捨てた、虚ろな少女③

 光聖高校は干菓子市の都会側にある高校で、他の高校よりも国外からの生徒が多い。イギリスに姉妹校を持つその高校は学校間交流の一環として、国外からの生徒受け入れがある。そのほとんどは英米人だが、様々な人種の生徒が校内を闊歩する状況が作り出される。卒業後は進学が主となっており、有名大学に進学出来るほどの学力も有している。特に英語に関しては国内で一番と言っても過言ではない。

 時刻は七時。早朝にも関わらず生徒がまばらなのは今日が始業式だからだ。全国的に見ても今日はどの学校でも始業式を行うことが多く、光聖高校もその一つだ。

 始業式絡みで学内を走り回る生徒も少なくなかった。そんな中、私は学生服に身を包み、学生鞄を持って生徒会室を目指した。ただ私は生徒会役員という訳でも、式の準備を手伝う要員として来た訳でもない。


「おはよう夕草瞳君。定刻通りだ」


 生徒会室で待っていたのは一人の神父。キャソックと呼ばれる黒の立襟の祭服に身を包み、首からは金色に輝く十字架が目立つ。彼の見た目の年齢は三十代くらいだが、服の上からでも分かるほどの筋骨隆々とした肉体を持っていた。百九十はあろう高身長と岩のような肉体も相まって、嫌煙されていそうだが実際は違っている。彼の主な仕事は校内に設置されている教会の運営と英語教師としての二つ。多国籍な校風は様々な国の習慣を取り入れる必要も出てくる。その一つが宗教の自由である。教会で礼拝する習慣がある生徒のために、構内には教会が置かれており、神父もそこには在籍している。教会に来る人間には分け隔てなく優しさと慈愛に満ちた言葉を投げかける。その性格は英語教師の面にも表れている。海外からの生徒たちは特に日本慣れしていないので、同じ海外出身者である彼の教えは生徒たちの学びにより良い風を運んでいる。

 その神父が彼、トマス・ナサニエルである。母国語である英語はもちろんのこと、日本語、中国語、その他数十種々の言語をマスターしている彼は生徒だけでなく、教師たちの間でもその信頼を高いものにしていた。


「おはようございますトマス先生。それともトマス神父の方が良いですか?」

「どちらでも結構。だがここは教会ではない。教師としての私が適切かな」


 爽やかな笑顔で返し、トマスは私を生徒会室に招き入れる。私が席に着いたタイミングでトマスも対面に着席する。


「今日はまたどうしてこんな早朝に呼び出したんですか。用があるなら事前に家を尋ねて来られても良かったのに」

「私もそこまで時間がある訳ではない。教師としての仕事、聖職者としての聖務、色々やることはある」

「私の後見人になった直後はずっと来ていたじゃない」

「それは聖務でもあったし、あの時の君はとてもではないがまともな状態ではなかった。何せあの頃の君はあまりに幼過ぎた」


 私の両親が亡くなった直後、私の身元引受に立ち会ったのは目の前のトマスであった。当時のことをあまり覚えていないが、トマスと両親には切っても切れない関係にあった。


「こうして一般の学校に行くことが出来るのはあなたのおかげです。そのことには感謝していますし母もきっと喜んでいます」


 母はトマスの実の妹に当たり教会に所属する聖職者でもあった。


「止めてくれ。どんな形であれ我々は反目し合ってこそだ。この状態だって通常ではありえないことなのだから」


 丁寧に頭を下げようとする私にトマスはすぐに制止させる。


「私が魔術士の子だから、ですか?」


 トマスは目を見開いた。私の口から出た魔術士という言葉に驚いたからではなく、お互いの立場を改めて私によって明確化されたからだ。

「あなたが魔術士を憎み、滅ぼそうとしている教会の人間だからですか」


 聖十字中央教会。それはトマスが所属する組織の名であり、世界で最も多くの信者を持つ最大宗派である。

 略称としては聖央教会、そのまま『教会』とも呼ばれるその組織は世界に最も広く浸透し、その起源は一世紀にまで遡る。聖央教会はその始まりから世界に安寧と平和を訴え、神への信仰を何よりも重んじることを旨としている。しかしこれは彼らの表向きの顔に過ぎない。何故なら彼らが重んじるのはこれだけではないからだ。

 奇蹟の保管。それは神のみが扱える御業が神の被造物である全ての手で扱われないように固く禁じることを意味する。人の手に余る奇蹟を神以外の存在が扱えば、神と人間との境界は亡くなり、神の唯一性も消えて亡くなってしまう。そうならないように教会は漏れなくその全てを管理している。

 それは例えば不老不死。神のみが扱える御業を人またはそれ以外の人外の輩が手にした時点で、それは聖央教会の教義に反する。そして教義に反した者は教会の意志によって排除される。よって教会は神の領域を、人の安寧を犯す全ての存在の天敵として君臨し続けている。


「確かに、君の身柄を引き取ること自体は教会の意志に背くものだ。妹のことを差し引いてもね」


 魔術士と聖央教会の確執は彼らが生まれた時から存在していた。その原因は魔術士のあり方にある。魔術士の本質は神秘の隠匿であり、己だけに神秘を留め次代に残すことを優先している。だがそれは教会の教義とは相容れないものでもある。神のみ扱える御業を人間が扱い、管理するなどあってはならない。その思想は苛烈で魔術士と教会はそういった思想の違いから、幾度となく殺し合った。もちろん公に殺し合いをする訳ではないが、歴史の影では血で血を洗う闘争を繰り広げている。そしてそれは今もなお続いている。


「だから君を引き取ったのは私個人の判断だ。君のお父上との繋がりもあったが、それは二の次。私としては君に真っ当な人間としての生を謳歌してほしかった。妹もそう願っていたはずだがそうならなかった。ゆえにこうして事態が急変する度に君に連絡している訳だ。これが私に出来る最大限の譲歩なのだよ」

「つまり、何かあったんですか?」


 トマスは右手の人差し指と中指を立てる。


「二つある。一つは今日の始業式、生徒代表の挨拶をお願いしたい」


 トマスの要求した依頼は、私の緊張感を一気に崩すには最高のものだった。


「それ、生徒会長がすることじゃないですか」

「その通りだ。だがその生徒会長が病欠でね」

「なら副会長がするべきです」

「彼があがり症なのは、君が一番よく知っているだろう?」


 トマスは神父と教師以外にも生徒会顧問としての顔も持っている。だが生徒会の仕事で問題が起こった際には時折私に助力を請うてきた。最初は朝礼などで話すスピーチの原稿作成の手伝いくらいだったが、今では壇上に立ってスピーチの代行までさせるほどだ。


「今回の原稿もほとんど君が作ってくれたものだから内容も頭に入っているだろう。副会長はあがるとスピーチどころじゃなくなるからな」


 知ったことではない、そう突っぱねても良かったのだがトマスには恩がある。そのことを思うと最後には首を縦にする私がいる。


「困ってる時はお互い様、ということね」


 返答を了承と受け取って、トマスは頭を深く下げて感謝したが続けて次の頼みを話し出す。


「それともう一つなんだが」

「学校行事や学校関係の雑務ならお断りします」

「市内に我々が観測していない魔術士の存在を確認した」


 神父の発言に、今度こそ一人の魔術士として聞き入る。


「数週間前、教会の諜報班から得た情報だ。間違いはない。ちょうど君に干菓子市全体を見回ってくれと頼んだ時だ」

「それは津雲上姉弟以外の魔術士、ということよね」


 神父は目を閉じゆっくりと首肯する。


「つまりアンタは素性の知れない侵入者がこの街に入り込んだことを、今の今まで私に連絡一つ寄越さず、三月の中頃に干菓子市を歩かせ、私を餌にその魔術士を釣り上げようとした、と」


 再び神父は首肯する。言いたいことは山ほどあったが、今はトマスに悪態を吐いている場合でもない。何せ今の今まで言わなかったことを、今言うということはそれだけ何かしらの問題が起こったからだ。


「自分が囮にされたことを、怒らないのだね」

「怒ってもしょうがないでしょう。魔術士同士のいざこざなんて、日常茶飯事なんだから。それよりも気になるのは今の今まで言わなかったことをなんで今言ったのかってこと。何かあったんでしょ?」

「済まないが、此処から先の説明責任はない」


 ここで手を放すとは思っていなかったので「は?」と答えてしまった。


「我々が侵入者を見定めるまで、君が何もしなければそれでいい。いつも通り見て見ぬ振りをしてくれということだ」


 トマスの要求は私の静観だった。


「君の魔術を信用していない訳ではないが、熟練した魔術士は君の暗示を上回る力で返してしまえる。そうなれば後はぐっすり眠りこけた君が出来上がる。無茶をしてこの街を管理していたお父上の看板に泥を塗ることもあるまい」


 悔しいがトマスの言い分も正しかった。私が扱う夢の魔術は対象を眠らせるか、意識を混濁させてから発動する類いの術が多い。だが眠らせる術、つまり催眠や暗示は魔術士ならば必須の術である。理由は自身の魔術が外に漏れた時、記憶を操作し忘却させる必要があるからだ。そして催眠をかけることが出来る術師は、催眠を解く術も有していることが大半だ。およそ荒事に向いていない私の魔術は好戦的な術師との相性が圧倒的に悪い。

 私が魔術を習得し始めたのが五歳頃だったので、それから数えて約十年。その間私自身の大きな成長は認められていない。私自身がそう感じているのだ。トマスなら尚のこと私の停滞を理解している。夢魔術以外の自衛手段もあるが、自分から攻撃に転じることの出来る術は持っていないので、その都度痛感するのだ。自分は弱いと。


「いつものように静観、ですか」

「そうだ。よろしく頼む」


 話は終わったと言わんばかりに瞳は席から立ち上がる。


「これでお終いなら私はこれで失礼します。それでは」

「待ちたまえ。生徒代表の挨拶は」

「気が変わりました。原稿は役員全員が持っているので役員の誰かにお任せ下さい」


 トマスに頭を下げず生徒会室を出た。残ったのは苦笑いを浮かべた哀れな神父だけだった。

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