揺らぎ、固めて 4

 リンヤが後々うるさいので、一応周囲への警戒はしつつ、のんびり歩いて家までたどり着いた。部屋の明かりはついている。

「ただいま」

「はい、おそーい」

 リビングに通じるドアが開け放たれており、その向こうからリンヤの声が聞こえた。

「自分から指定しておいて、帰ってくるの遅いんはどうなのよ」

 文句を聞きながらリビングに入ると、我が物顔でソファを占拠しているリンヤがいた。

「すまない」

 そのちっとも怒っていなさそうな顔に苦笑しつつ謝ってみる。自宅に帰って、リンヤがいる。同居しているわけではないが、二人で集まるとしたらソウの家になりがちなので、もはやこの光景こそ温かな家という感じだ。

 キッチンの方から、料理の香りがする。おそらくあと温めるだけ、というところまで作ってくれたのだろう。それでもソウの体は料理ではなく、リンヤの隣に引き寄せられた。

鞄を床に落とし、両手両足を広げて座るリンヤの隣に座る。リンヤの腕ごと背もたれとして扱う。背中を預けて深く息を吐く。

「……旅に出ようか」

 ぽつりと漏れた。何も考えていなかったのだが、自然と漏れていた。

 リンヤは何も言わない。

 おもむろにジャケットの内側に手を入れ、文を取り出す。リンヤの方を見ずに渡すと、彼は素直に受け取った。

 かさ、かさ。

 丁寧に紙を開く音。

 几帳面で、丁寧な、折り方をされていた文だった。

 視界の隅で文を見つめるリンヤが見える。数秒間、リンヤは息をつめ、

「エリー……だね」

 吐息と共に、そう言った。

 やはり。ソウの口元に笑みが浮かぶ。

 宛名も署名も何もない。ただ花一輪が描かれただけの紙だ。それでもソウやリンヤには伝わる。わかってしまうのだ。

「鳥が運んできたんだ。不思議だろう」

「モエギ族だからなのかな。すごいじゃん」

「ああ。普通だったら届かないかもしれないな」

「さすが、モエギの子、ソウくん」

「もう力はないよ」

「それでもモエギはモエギでしょー」

 とりとめのない会話。おそらくお互い何も考えずに言葉を口にしている。

「そうだな、俺はモエギだ」

 ソウの静かな声が落ちる。それきり会話がやむ。

 窓を閉めきった部屋では、ソウとリンヤの静かな息遣いがやけに響いた。ここでは、息を殺す必要もない。穏やかな場所だ。

「……だから」

 しばらくして、リンヤが口を開く。

「だから、エリーに会いに行くって? 旅に出るって?」

 リンヤに問われる。ソウは黙ったままでいた。

 口を開いて放つ言葉は、きっとどれも嘘のように聞こえてしまう。そんな気がした。

 リンヤはそれを肯定と取ったのか。

「ふざけんなよ。そんなの俺の信じたソウじゃない」

 胸ぐらをつかまれる。無理やりリンヤの方を向かされる。声音は静かだったが、怒りに満ちていた。怒鳴りたいのをこらえるような、そんな声。瞳もソウを睨んでいて、その光は怒りと、それから――

「……って言えば、満足?」

 リンヤの怒りが急に消える。あっさり離された胸ぐら。

 ソウの口元に自然と笑みが浮かぶ。

「そんなこと言わなくたって、自分の中で答え出てるでしょ?」

 リンヤには甘えてばかりだ。こうやって欲しい言葉を欲しい時にくれる。そうわかっているからこそ、ソウはリンヤとの時間を求めてしまう。

「全てが思い通りにいくわけじゃない。だから、悩み、迷う」

 自分に言い聞かせるように口に出し、前を向く。

「そう、そんだけのこと」

 リンヤから短い返事が返ってきた。

 グローリーシティを誰も苦しまない都市にする。ソウたち新世代の苦しみは、もう繰り返さない。その思いはずっとある。だが、思いだけではうまくいかないことだってある。きっとうまくいかないことの方が多い。だからこそ、投げ出して楽になりたいと、会いたい人に会いに行ける立場になりたいと、思う。それでも、投げ出さずにやり遂げたい、シティに住まう人々のためにも。

 進み、壁にぶつかり、悩み、また進む。結局はただそれだけのことなのだ。

「歳をとっても、見えないものは見えないな」

「見えないふりしてただけじゃないのー?」

「はは」

 痛いところつかれた。笑ってごまかしてみる。人間一年生も、こういうところは成長したのだ。おそらくリンヤには全て見抜かれているだろうけれど。

「ま、でも」

 リンヤがタブレットを取り出しながら言う。

「長年ほとんど休みなく動いてきたし、少し長めの休暇取る? さすがにエリーに会うのは無理でも、好きなとこ行って、好きなことしたらいいよ」

 リンヤはタブレットでソウの予定を見ながら、空けられそうな場所を探っている。ソウはリンヤの指の動きを見る。

「休暇はリンヤも一緒か?」

 リンヤの指が止まる。わざとらしく眉間にしわを寄せ、ソウを見る。

「俺ら二人とも不在にしてどうすんのさ」

「じゃあ、いい。長い休暇はいらない」

 リンヤが長いため息を吐く。

「ソウくんはほーんと俺のこと好きだよね」

「ああ」

 リンヤを見たまま答える。リンヤの碧眼が美しい光を放っている。

「これが俺の信じたソウ、かな」

 リンヤが言った。柔らかな声だった。

「これからも人間一年生をよろしく」

 リンヤは小さくうなずいた。二人同時の微笑みは、二人だけのものだった。

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グローリーシティ外伝集 燦々東里 @iriacvc64

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