目無しの王子

かえさん小説堂

目無しの王子

 その国には一人の国王と、齢十二になる王子が存在した。


 王子は傲慢な性格だった。父の権威を我が物顔で行使し、金遣いは荒く、癇癪持ちで、自らに逆らう者をことごとく処分した。王子が優しさを見せることはなく、召使いたちは常に王子の機嫌を窺い、気分を損ねることがないように努めていた。誰もが王子を畏怖していたし、そのことに誰も疑問を抱かなかった。


 王子は召使いたちが自分のことを恐れていることを知っていた。知ったうえで、黙って優越に浸っていた。今は借り物の権力であるが、それがいつの日か自分の物になるのだと、不純な希望をもって、自信を掻き立てていたのである。王子にとってそれは盾のようなものであり、様々な大人の目線から王子の心を守るための道具であった。父は、王子のその様子を見ても何も言うことはなかった。


 ある日の昼頃のこと。王子が下町に下りて遊んでいたとき、王子に向かって一匹の飼い犬が吠えた。そのときは珍しく機嫌がよかった王子は、その吠えた犬に歩み寄って、お手、と命じ、白くて小さなその右手を差し出した。しかしその犬は王子のことが心底気に入らないらしい。二、三度低く唸り、差し出された右手に向かって白い歯を突き立てた。王子は痛みに顔を歪め、右手から滴り落ちる鮮やかな血を睨みながら、


「この駄犬の飼い主を俺の前に出せ!」


 と、怒鳴った。召使いたちは、王子の高い怒鳴り声に縮み上がって、急いで犬の飼い主を探し出すのだった。


 大勢の召使いたちに取り押さえられて出てきた飼い主は、妻と子を持つ男だった。下っ腹が少し出て、頭頂部の薄くなった、いかにも健康で多幸そうな男である。男は、何が何だか分からない、といった様子で大人しく連れられ、王子の目の前に跪かせられる。王子は苛立ちが収まらないようで、何度も舌打ちをしながら、綺麗に包帯が巻かれた右手をさすっていた。


「おい、こいつか。俺の手を噛みやがった駄犬の飼い主は」


 召使いは短く答える。飼い主の男は、王子の言葉にハッとして、まるで恐ろしい怪物を目の前にしたかのように震えだした。その男を軽蔑するかのように睨み、王子は声を落として言う。


「お前の犬の躾がなっていないせいで、俺はこんな怪我をした。貴重な王族の血が流れたのだ。その罪がどれだけ大きいことか、お前に分かるか」


 どこか威厳を感じさせる王子の言葉に、男は震えあがって言った。


「申し訳ございません、し、しかし、私めの犬は首輪で繋いであったはずで御座います。とても王子様のお手を噛むことなんてできるはずが…」

「黙れ、人民風情が!」


 怒鳴り声が響き、男どころか、傍にいる召使いすらも肩を震わせる。


「実際に俺の右手は傷を負っている。俺が嘘をついているとでも言いたいのか」

「そんなことは…」


 王子は男の弁解をしようとする口を遮り、民衆が最も恐れる言葉を吐き捨てた。王子は、男の恐怖でひきつった顔を一瞥し、大股で歩き去る。男は何か叫んだが、その言葉は苛立ちに震える王子の背中には到底響かないものであった。男は胴と首を切り離され、その妻と子供も、男と同じ運命をたどることになってしまう。この事件が、王子が初めて人を殺した出来事だった。


 目無しの王子、と、例の事件を皮切りに陰でそう呼ばれていた。誰が最初に言ったのかは分からないが、その由来は、犬に噛まれた時にも、男の転がった首を見たときにも、王子が一滴の涙もこぼさなかったことから来るらしい。王子はその噂を聞いて、さらに優越を感じた。人々が自分を恐れていることに、一種の安心と得意とを得たのである。王子の行動は日ごとに残虐性を増していった。死刑を宣告するのにも慣れてくると、その頻度が段々と多くなっていき、機嫌の悪い日では一日で何人かに宣告することも珍しくなくなっていた。


 しかし、そんなことを続けていても、それによって王子の気持ちが満たされることはなかった。父はまたしても、王子に何も言うことがなかったのである。


 王子は孤独であった。どれだけ多大なる畏怖が彼の周りを取り囲んでも、それは王子の励ましになるだけであって、その虚栄心を満たすことはしないのだった。王子をのことを畏敬する者はたくさんいたが、その内心を理解し、彼に正面から向かう者がなかったのである。その寂しさを、ぼんやりながら、孤独だと感じていた。だが、それでも王子は、自分を不幸せだとは思わなかった。


 それは父からかけられる、唯一の言葉によるものだった。それは王の威厳だとか、地位だとか、責任だとか、そんな大それたことではない。ただ一言、おやすみ、という陳腐な挨拶であった。日頃から王子のことに対して何も言わない王であるが、一日の終わりを締めくくるのに、必ず王子にかける言葉がこれであった。


 王子はそのときを何よりも好んでいた。王子はその言葉にのみ、心からの満面の笑みで返すことができるのである。その日まであったすべての不快な出来事が泡のように消え去って、自分が世界で一番の幸せ者であると、錯覚することができるのである。その時の王子は、王子ではなく、ただの一人の、無垢な少年に戻れるのであった。



 ある日王子は、珍しく王から夜以外の時間で声をかけられた。王子が嬉々として父の言葉に耳を傾けると、どうやら王子に縁談の話があるらしい。それは王子の国の隣に位置する大国の王女との話であり、もしもこれがうまくまとまれば、国家がより良く安定するとのことである。是が非でも婚約を決めてくることと、王子はきつく言われた。王子は恋愛をしたこともなければ、まだ女性という存在と深く関わったこともない。しかし王子は、父の決めた話であるならと、緊張感もなく喜んで承諾した。


 見合いの日はすぐに訪れた。着慣れない正装をきちんと身に着け、靴擦れしそうな真っ黒で固い靴を履く。どぎまぎと緊張している父の側近が、目の前の重たい扉を開けた。父は用事があるからと、一緒にいてはくれなかった。


 その場にいたのは、手本のように綺麗に執事服を着た初老の男性と、恐らく王子と同じくらいの歳であろう少女であった。少女は貴族らしく髪の毛を高く盛り、目を細めてしまいそうなほどに輝いた装飾品を身に着けている。キラキラとした、というより、ギラギラとした、というような表現が似合うであろう。赤や黄色や橙といった色とりどりの光を反射させて笑う少女が、王子に近寄ってくる。


「お初にお目にかかりますわ! わたくし、ラシュヴァルク家の長女、ラミリアと申します。よろしくお願いしますわ!」


 耳に障るような高い声でそう言った後、フリルのたくさんついたドレスの端をつまんで軽いお辞儀をした。王子は微妙な表情をしながらも、それに返すようにして、簡単な挨拶をして見せる。


 ラミリアと名乗ったその少女は、いかにも貴族であるといったお嬢様気質であり、少女特有の高い声と無邪気さをもって、初対面の王子に対しても気遣いのない話し方をするのであった。王子はそんなラミリアの態度に困惑し、少しばかり呆れた。


 同じ年齢とは思えないほどの態度や我儘な様子は到底尊敬できるものではないし、身なりを飾りすぎていて見苦しい。王子は今までに畏怖の念をもって話されることに慣れていたので、ラミリアの馴れ馴れしい態度を不快に思っていたのである。極めつけは、彼女の頭の悪さだった。


 彼女は生まれつき健忘症を患っている。記憶を保持しておくのが存外苦手であり、そのためにいつも専属の執事がラミリアの傍で生活を支えているし、忘れてしまいそうなことはすべて召使いに記憶させていた。


 しかし、王子はそのことを知らなかった。隣国の王が、あえてそれを教えなかったのである。そのため、短時間の間に話したことを忘れてしまう彼女のことを腹立たしく思い、何度も傍で控えている執事に向かって聞くその行為が、とてつもない間抜けに見えた。


 もしかしたら、王子は彼女の病について知っていたとしても、同じような見方をしたのかもしれない。だが、ともかくも、王子は内心ラミリアのことを軽蔑し、彼女のことを嫌っていた。王子にとって彼女と婚約を交わすことは、多大なる拒絶をもって断らなくてはならないことであった。たとえ父が何を言ったとしても、おそらく王子は許容することができないであろう。


 その日、王子は苛立たしい気持ちをどうにか抑えて、適当な理由をつけて早々に帰路に就くことにした。そうでもしなければ、初日にして我慢の限界がきてしまいそうだったのである。



 王子は彼女のことを、真っ先に父に報告した。彼女が頭のおかしい女であったこと、我儘で自立心がなく、いつも専属の執事がついていたこと。王子は健忘症のことを知らなかったので、自分が感じ取ったことをそのままに王に伝えた。


 王は黙って聞いている。王子の言いたいことだけ言わせると、ふっと軽いため息をつき、


「それでも多少の我慢をすることは必要だ。かの家との婚約は必ず果たさなくてはならない。それが我が王家の安泰につながるのだからな。分かったか」


 と、いつもの無表情な顔で言った。


 王子は渋い顔をしつつも頷いた。いざ父を目の前にして断ろうとすると、存外うまく言えないものである。王子は、これからも彼女と会うことになった憂鬱を抱えながら眠りについた。その日に王は、王子におやすみと声をかけることがなかった。


 

 ラミリアと会うことになっている日は、どうしても王子の目覚めが悪かった。ベッドの上で、何かしらの理由をつけて会うのをやめようかとも考えるのだが、それではいつまで経っても彼女との婚約の問題を解決することができない。いつもより不機嫌そうな顔をして起きてくる王子に、召使いたちはびくびくとおびえながら朝食の準備をそそくさと行うのである。


 この日にラミリアと会うのは三回目であった。二度目の謁見の時には、最初のときよりも彼女の態度が落ち着いていたが、それでも、彼女の頭の悪さが改善されることはない。何せ、二度目に会う日は初対面の日からそう遠くない日時であったにも関わらず、彼女は王子に向かってまたも自己紹介をしようとしたのである。その後、彼女は平静を装っていたが、それが余計に王子の腹を立てた。王子は憂鬱な気持ちを引きずりながら、半ばやけになったように、彼女が待つ場所へと足を向けるのであった。



 ラミリアと談笑をしながら、もう何杯目かの紅茶をすする。その紅茶は、彼女が淹れたものだ。せっかく遠路はるばる足を運んでくれたのだから、自分が淹れたお茶を楽しんでもらいたいという、彼女なりの心遣いである。


 しかし、その紅茶は王子の苦手なミルクティーであった。王子はレモンが入ったものでなければ、本来ならば口にしない。だが、ラミリアがお茶を淹れる際に言っても、傍らで執事が注意しているのにも関わらず、結局いつもミルクティーを持ってくるのである。王子は甘ったるい紅茶を、しぶしぶ我慢して飲んでいた。


 談笑と言っても、王子の場合はただの作り笑いである。しかし、ラミリアの方は本当に楽しそうに話をしていた。彼女が話すことは中身のない、ただの世間話である。やれ庭に植えた花が咲いたやら、やれ飼っていた馬の子供が生まれたやら、王子にとって聞いているだけで眠くなってしまいそうな話なのだが、王子がだんだん飽きてきて適当な返事をしたとしても、彼女は話を聞いてくれるだけで嬉しいようで、年相応の無邪気な顔でよく笑うのであった。


 王子は我慢がならない程の苦心を覚えた。彼女がニコニコと話す内容は、つまらない内容である上に、前にも聞いたことのあるようなものばかりなのだ。つい数分前に話したことでも、初めて話すかのように語るのである。王子は同じ話を何度も聞かされるはめになり、何度も机の下で握り拳を作った。


 そしてある時に、とうとう、王子の中の何かがプツンと音を立てて切れた。それは彼女が、先日咲いたという花の話をした途端に起きたのである。王子は突然黙って立ち上がって、ラミリアの右頬を叩いた。


 急な出来事に、思わず召使いたちも固まってしまう。ラミリア自身も、何をされたのか分からないといった様子で、王子の軽蔑に満ち溢れた視線を窺った。


「もう、うんざりだ!」


 王子は叫ぶようにして言った。


「お前の話は聞き飽きた! 何度同じ話をダラダラと喋れば気が済むんだ。お前が貴族でなかったら、口を縫ってしまっていたところだ!」


 それらの言葉が全て自分に向けられているということを理解し、ラミリアは青くなった顔で王子を見る。


「お前が紅茶を出すとき、俺は何度もミルクティーはやめてくれと言っただろう。執事の方もそれに気が付いて、何度も注意していたじゃないか。それなのに、お前はいつもミルクティーを持ってくる。何の悪びれもなくな。どうしてお前はいつも俺をイライラさせるんだ!」

「だって、わたくしの領地で取れる紅茶は、ミルクで飲むのが一番美味しく飲めますから…。この茶葉であれば、たとえミルクでも王子様もお気に召すでしょうと…」

「馬鹿が!」


 王子は、溢れそうなまでに両目に涙を溜めたラミリアに向かって怒鳴った。


「お前のような痴呆娘が、俺と結婚などできると思うな!」


 王子は吐き捨てるようにそう言うと、困ったような顔をする召使いたちを従えて、足早に帰路に就くのだった。


 ラミリアのすすり泣く声が背中から聞こえるが、王子が振り返ることはなかった。



 王子が自分の城に帰ると、すぐさま父の元へ飛んでいき、婚約することがなくなったことを報告した。ラミリアをぶったこと、そして侮辱の言葉を浴びせて婚約を拒否したことを、ときどきに悪口織り交ぜながら、悪びれもなく言ったのだ。


 王はまたしても黙っていた。王子が好きなように散々なことを話し終えるのを待つ。すると王は口をつぐんだまま、何も言わずに自室へと戻っていってしまった。


 その王の異質な態度に、王子は困惑する。王子が歩き去る王の背中に何か話しかけても、とうとう王は何も言うことがなかった。王子に対して寛容な態度を取るのは今までもたくさんあったのだが、何も言うこともなく王子の前を去るということは初めてであった。王子は悶々とした気持ちを抱えながら、数人の召使いに紅茶を入れるように命じ、自身も自室へと帰った。



 気が付くと、もう翌朝になっていたらしい。どこかで小鳥がさえずる声が聞こえ、どことなく空気がさわやかで涼しげである。昨日はいつの間にか眠ってしまったらしく、王子はパジャマにも着替えずにベッドの上に横になっているようだ。


 このようなことは初めてだった。普段の王子は比較的眠りが浅く、また、眠りにつくのにも時間がかかる方であり、いつもならばベッドに入ってから一時間はしないと眠れないのである。王子は不審に感じていた。そして、焦っていた。


 目を開けているはずである。しかし、その視界の中に色や形が映ることがない。身体が横になっている感覚やシーツの質感が感じられるのに、視線を向けた先には何もない。もはやここが自分の自室なのかすらも怪しく思えてきてしまった。背中がピリピリと熱くなっている。


 真っ暗闇だ。日の光さえも感じられない。何もない、いや、あるのだろうか。俺の目の前に何があるのかも分からない。暗い、どうして、どうしてこんなことになってしまったんだ。


 自らの目があるであろうところに手を近づけてみる。瞬きの度にまつ毛が指に触れ、瞼に触れると、王子が目線を変えるのに伴って眼球が動いているのが感じられた。目はここにある。しかし、その機能が果たされていなかった。


 王子は扉の外にまで聞こえるように大声を出した。


「誰か! 誰か来ないか!」


 普段ならばすぐさまどこかから返事が聞こえるはずである。しかし、その時だけは誰一人の声として聞こえることはなかった。


 王子は、まるで世界に自分一人だけが残されてしまったかのような錯覚を覚えた。本当に一人になってしまったようだった。王子は突然に訪れた違和感を前に何もすることができず、光が見えない苦しさともどかしさに悶えていた。どうにかしてこの状況を打破しなければ、と、考えうる原因を必死に探す。



 部屋の扉が開かれる音で、王子はその思考を止めることになった。誰かが入ってきた。人の気配を感じて、王子は急いで言い放った。


「遅い! 何をしていたんだ、一体。いや、そんなことはどうでもいい。聞け。俺の目がどうもおかしいのだ。何をしても真っ暗で、何も映らない。お前の顔も、お前が誰なのかも分からない。ここが何処で、もはや俺が誰なのかすらも怪しいところだ。早急に腕のいい医者を呼べ」


 しかし、王子が医者という言葉を出す前に、その男は声を落として言った。


「そんなことは、今更じゃないですか」


 王子は小首をかしげた。


「何を言っている。昨日までは正常だった。それが突然、起きてみれば、この通りだ。ふざけたことを言っている暇があるならば、さっさと医者を呼べ」


 王子が苛立ったように言うも、男は平然としたような態度を保っていた。


「そういったことは、私の仕事ではありませんので」


 男は機械的に言った。


 王子は、その声に聞き覚えがあった。こんな声を持つ召使いはいない。ただ、王子はその声を聞き慣れすぎてしまっていた。その声を聞くとき、きまって周囲には血の匂いと首が落ちる音がするのである。


「どうして奴隷がこの部屋に来ているのだ」


 この男は、たしか処刑した人間の遺体を処理する係としてこき使われていたはずだ。


 唸るように言う王子に、奴隷と呼ばれたその男はため息を吐いて言った。


「この部屋に奴隷が入ることは許可していないはず。そう言いたいのですね」

「当然だ。王族である俺に気安く話すことも許されていないはずだが」


 責めるように王子が言うと、男は苦笑しながらこう言った。


「そりゃ、アンタが貴族だったときの話だろうがよ」


 何を言っている、と怒鳴ろうとした王子の口を遮り、男は、だいたいこのようなことを言った。


 王子は隣国の王女である、ラミリア・ラシュヴァルクとの婚約を拒否したばかりか、健忘症を患う彼女に対して多大なる侮辱を与え、隣国の尊厳を傷つけてしまった。これは重大なことである。王はこのことに対して示しをつけなければならなくなった。王は、王子を罪人として罰し、隣国に対して謝礼金を支払うことにした。


 王子は絶句した。見えない目を見開いて、これが悪い夢であることを願った。


「俺に何をした」


 王子はたどたどしく、消えかかった声でつぶやく。そんな様子だが、男は平然としていた。


「紅茶のなかに薬を盛り、アンタが眠っている間に視力を潰すよう、命じられた。それを実行したまでだ」


 真っ暗な視界が、その言葉が真実だと語っていた。王子が自分の目の前に手をかざす。しかし、その手がどんな形をしているのかすらも、分からなかった。


 王子がどんなことをしようが、男が悪夢として消えることはない。足音を立てて王子に近づき、王子の右手を強く握った。


「痛い、何をする!」


 じたばたと暴れる王子だが、目の見えない状態で何をしようとも、それは無意味に終わるのであった。王子は引きずられるようにしてどこかに連れて行かれる。


 部屋を出た。長い廊下を歩いて、向かっているのは、どうやら外であると察する。不意に、男が呟くように言った。


「王が、良くも悪くも寛容な方で良かったな」


 王子は身の毛がよだつ感覚を知った。それと同時に、今の王子の状況を作り出したのが父である王なのだと意識した。奴隷に捕まれて連れられているのも、目が見えなくなったのも、それは全て父が仕組んだことなのである。王子は絶望した。一番認められたかった人に、見捨てられた。裏切られた。



 王子は馬車に乗せられた。ガタガタとうるさく揺れる狭い箱の中は、到底居心地の良い場所とは言えない。しかし、珍しくも王子は何も言わなかった。その心の虚ろさに、何も言えなかったのである。


 しばらく揺られていると、馬車がいななきと共に停止し、王子は箱の外へと連れ出された。


 とてつもなく暑い。地面に足をつけた途端、少し沈むような感覚があった。おそらく砂であろう。耳を澄ませるかぎり、動物はいないようであるし、どうやら、植物もあまりないらしい。


「さて、ここがアンタの新しい居場所だ」


 背後から男の声が聞こえる。


「アンタはエイキュウツイホウ……ナントカを下されたらしい。もう故郷に帰ることはできない。王にも、二度と会うことはないだろうよ」


 王子は何も言わずに、握り拳を作ってうつむいている。


「最後に、と言っては何だが…。何か言っておきたいことがあるなら、聞いてやるよ」


 男は、少し声を和らげて言った。男は、この王子がまだ少年であるということをようやく思い出したのだ。


 王子は震えているのを悟られないように、声を抑えて言う。


「王のことを恨んではいない。だが、どうしても疑ってしまうのだ」


 男は、王子の背中を見据えている。


「王は、俺のことをただの道具として見ていたのではないかと。隣国の姫と婚約させ、国の安泰を図るための。だって、そうじゃないか。王は俺に何もしなかった。俺に何も言わなかった。王はいつだって、どこか虚ろだったじゃないか。俺のことなんて最初から見ていなかったのだと、そう、疑ってしまって、たまらない」


 王子の言葉が途切れ途切れになるのと同時に、男は王子に気づかれないようにため息を吐いた。その息は、どこか哀れみと呆れを含んでいる。王子の言葉が続いた。


「俺はあのままで良かったのに、満たされていなかったとしても、俺は幸せだったのに。どうせなら、もっと上手くやってほしいものだよなあ。俺は最後まで騙されていたかった。王が俺のことをどう思っててもいいんだよ、俺が、騙されてさえいれば」


 そのあまりに小さすぎる背中から、男は目を背けたくなった。その少年の不幸に同情すると同時に、運命の非道さを思い出した。


「俺はあの国を、俺の故郷を忘れない。しかし、あの綺麗な記憶が汚されたくないから、思い出したくはない。」


 少年は顔を上げ、握り拳を緩めた。


「できるだけ遠くに行くことにする。故郷を離れ、どこか遠い、ふるさとを探すのだ」


 砂の黄色が広がるその片隅で、馬車と一人の奴隷を見送りに、少年は足を進める。


 奴隷の男はこう思った。


 あの少年の目が見えない限り、彼の言う、ふるさととやらを見つけることなんてできやしないだろうと。


 男は以前、一度だけ王と王妃を見たことがある。王妃は民衆の方に目を向けて手を振っていた。その横顔を、王は食い入るように見つめていた。


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