溺れるフィクションインプロパー

ハビィ(ハンネ変えた。)

まだ「紫檀くん」呼びじゃない頃の話。

目を覚ますと、見知らぬベッドの上にいた。

わたしの腕にはそれなりの重さがある銀色の手錠を嵌められている。

上半身を起こしてベッドに腰かけた状態で、両腕を掲げながらわたしは言う。

「灰田(はいだ)さん、わたしの手錠を外しなさい」

「イヤです」

彼は即答する。

ただ平然とした風に、その身体を収めたデスクチェアを回転させて、わたしの方を向いた。

わたしはため息を吐き、腹の底から叫んだ。

「……やっぱり君が犯人かよ!」

灰田さんは自らの顎に人差し指を当てて何の悪びれた風もなく応じる。

「……あぁ、俺としたことが。さっすがー、葵(あおい)ちゃんは勘が鋭いな。おそよう」


締め切られたカーテンの隙間から微かな光が差し込む部屋で、デスクトップパソコンの液晶の光を背に長い足を組む彼はさながらデスゲームの黒幕役のようだ。

「おそよう!というか、ここどこ!」

「ラブホテル」

「はァ!?う、嘘でしょ?」

「嘘だよ。正解は俺の実家の自室」

「なんで嘘を吐くの!悪い子!めっ!どのみち良くないし!わたしは叫べばいいの!?どんな顔をするのが正解!?」

「笑えばいいと思うよ」

「そんな急にヱヴァネタをぶっ込まれても反応に困る!」

「ちなみに、この家には両親も妹もいないからいくら騒いでくれても構わないし、助けを求めても無駄だよ。あと、葵ちゃんに掛けてる手錠の鍵は捨てちゃったからもう二度と外せない。あなたは一生このお部屋から出られません」

「マジですか!?」


驚愕に声を荒げるわたしに、灰田さんは酷く冷めきった目つきで追撃をする。

「ついでに解毒薬も捨てたよ」

「わたし、寝てる間に毒まで盛られたの!?」

「ははっ、全部冗談だよ」

「よ、良かった……色々と聞きたいことはあるのだけれど。どうしてわたしは手錠を嵌められたのかな」

灰田さんは少女漫画のヒーローのような甘い笑みを浮かべた。

彼はニコニコしながら、わたしの言葉をほとんど耳に入れていない様子だ。

灰田さんはデスクチェアから立ち上がると、わたしの方に近寄ってくる。

のっしのっしと床を軋ませて歩く姿は、その長身も相まってクマさんのようだ。

必然的に見上げる形になり、わたしは首を真っ直ぐに伸ばす。


灰田さんはわたしの前髪を横へかき上げ、こちらの心の中を探るようにブルーの双眸を細めた。

そしてわたしのうなじを、筋張った大きな手で皮膚の厚さを確認するようにすりすりと撫でる。

「葵ちゃんが……葵ちゃんがモテモテなのは知ってるんだけどね。俺だって……あぁ、心配しないでね。俺はこう見えて浮気には寛容だからさ、葵ちゃんがどこの誰と遊ぼうとそれは全然葵ちゃんの自由なんだけど、その遊びが少しでも本気になったら俺ってば何するかわかんないなーっていう、予行練習」

「そ、そんなもの練習しないでよ……」

彼の恫喝するような視線にそれほど長く耐えられる人間がいるはずはない。

反射的に目を逸らすと、うなじから首筋を思いっきり掴まれて、思わず肩が揺れた。


灰田さんの顔から一切の笑みが消えている。

眉間に皺を寄せて、見下ろすようなその顔の真ん中で、への字に曲げた口が言葉を放った。

決定的な言葉を。

「でも俺は葵ちゃんに捨てられたら葵ちゃんを殺すと思います」

「いやいやいや!そこは君が死ねば!?」

「勿論ね、葵ちゃんだけを死なせたりはしないよ。一人目に葵ちゃんを殺してから、ちゃんと二人目には浮気相手を冥土に送ってあげるからさ」

灰田さんは相変わらずわたしのうなじを押さえたまま、空いてる方の手でパーから親指、人差し指、中指の順番で折り曲げる。

「そして、三人目は葵ちゃんが寂しくないように大サービスで俺の妹を送り込みます」


「君は実妹をなんだと思ってるのかな!?」

「都合が良い血縁者」

「さらっと人でなし発言を!」

「嘘だよ。葵ちゃんが一番大事だけど、自分とあおにゃの配信の次くらいに家族は大事だよ。妹だって可愛くない訳では無いし」

灰田さんはわたしのうなじから手を離した。

ベッドを軋ませて、無言でわたしの隣に腰を下ろす。

暗くて狭い場所で、二人肩を寄せ合っているのは妙な気分だ。

「あ、あのぅ、下世話な話。これ、手錠を外していただけない場合、トイレとかお風呂とかってどうしたら良いのかな……」

「俺は葵ちゃんのオムツなら取り替えられるよ」

「えっ!?」


「知らなかったんですか?俺は葵ちゃんを愛してるんだよ。例えば、葵ちゃんが吐瀉物に塗れていようと躊躇なくべろちゅー出来るし。葵ちゃんの四肢が役に立たなくなっても、俺が食事から排泄まで全身抜かりなくお世話してあげますからね」

「お、重い!」

「俺が、葵ちゃんを愛してるだけだよ」

灰田さんは身を屈めて、わたしを上目遣いで窺うように見つめる。

わたしに嵌められた手錠の鎖部分に男性にしては色白な指を引っかけて、チャリチャリと金属が擦れる音を立てながら弄ぶ。

静けさの中で、わたしはわたしの中から響く大きな心音を聞いていた。

灰田さんはわたしの髪を撫でて、くすりと笑う。

わたしの額に口付けて、耳元に唇を寄せる。


吐息が、熱い。

「赤くなっちゃって、かあいいね」

「ぐぬ……」

「葵ちゃん、だーいすき。死んでもずっと一緒に居ようね。今世も来世も俺の人生を消費してよ。愛してるからね」

「わ、わたし達は何日こうしてるのぉ……?」

「一生……って言いたいけど、無理かな。さっき、慈雨(じう)くんから電話が来ちゃってさ。俺なりに誠心誠意説明とかしたんだけど、避妊しなかったら殺すって怒られちゃった。てへっ」

「えっ!?待って、何をどう説明をしたの!?」

わたしはギョッとしないではいられない。

灰田さんの発言には、わたしの顔を青ざめさせるだけの衝撃が込められている。

わたしの頭を撫でながら、灰田さんはきょとんとした目で見つめてきた。


「何かまずかった?」

「わたしはどんな顔していたら良いの……というか、するんですか……わ、わたしはついに灰田さんにえっちいことされてしまうんですか……こ、心の準備がまだ」

いきなりやってきた貞操の危機だ。

わたしの身体は、落ち着きなくカタカタと震えている。

「あっ、今の可愛い!もっかい言って!録音するから!」

「し、質問に答えてくださいぃ……」

わたしの問いに、灰田さんはひどく優しい、それでいて寂しい笑い方をしていた。

「んー、まだしない。してもいいけど、葵ちゃんが俺のこと怖いなら待つよ。だって、俺はあなたを愛してるからね」


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溺れるフィクションインプロパー ハビィ(ハンネ変えた。) @okitasan

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