婚約破棄&追放された悪役令嬢、辺境村でまったり錬金術生活(元勇者家政夫+その娘の女児付き)

シルク

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「アンジュ・バーネット嬢!

 今を持って正式に、サンドル国第一王子、クリストファー・サンドルとの婚約の破棄を申し渡す!編入生ミミ嬢の世話係であることを利用して、彼女に陰湿ないじめを行っていたそうだな。数々の証拠は揃っている!

 サンドル国第一王子として命じる。君はサンドル国王室、サンドル国社交界にふさわしくない。今日を持って、婚約破棄、そして王都追放だ!」


 王立錬金術学園の卒業パーティーにて。私の婚約者かつ第一王子クリストファー御本人から『婚約破棄』そして『王都追放』を言い渡された。

 

 鬼のような形相のクリストファーの背後には、一年前に編入してきた異国の令嬢ミミが影のように寄り添い、ひたすらオロオロ……。


 ――かくして、サンドル国バーネット侯爵家の一人娘……私、アンジュ・バーネットは『断罪』された。


 その後、公衆の面前でまくしたてるクリストファーの口から、出てくる出てくる、クリストファーが想いを寄せているミミ嬢への、私からの嫌がらせ行為の罪状の数々。

 その全てが誤解でだったり、身に覚えのないものだったり、ミミの思い込みらしきものもあった。だが、私は表情一つ変えず、何も反論せず、大人しく引き下がった。

 

「婚約破棄。王都追放。謹んでお受けいたします」


「な、なんだと――何も言い分はないのか」


「はい。何を言っても、聞いて頂ける雰囲気ではないので」


 驚いた様子のクリストファー。

 私はスカートの裾をつまみ礼をすると、くるりと踵を返す。そのまま卒業パーティーに集まった国中の貴族の子息子女、その両親が集まっている学園の中央ホールを去った。その背中に聞こえてきたのは、クリストファーとミミの婚約宣言。唐突な騒ぎと、驚愕の連続でざわめくホール。

 

 ――これでいい。

 

 『悪役令嬢』はただ黙って去るのみ。

 だって、私はそもそも、王妃になんてなりたくないんだもの。



 ここは乙女ゲーム『悠久の恋~王立錬金術学園★恋のから騒ぎ~』の世界。

 

 前世の記憶がよみがえったのは、卒業パーティーの一夜前。

 私は前世、地味な人生を送る引きこもりがちなオタクOLだった。趣味は乙女ゲーム。夜中にフラリとコンビニに出かけ、信号無視をしたトラックに跳ねられた。あっけなく、私の二十数年の人生は終わりを迎えた。

 

 そして、気がつくと大好きな乙女ゲームの世界に転生していた。私は、主人公ヒロインにバチバチライバル心を燃やしつつも、プレイヤーの選択次第で良き友人ともなる悪役令嬢、アンジュ・バーネットとして生を受けていたのだ。

 アンジュ・バーネットは、由緒正しき侯爵家の一人娘。学園一のモテ男、公式が最推ししている攻略対象、第一王子クリストファー・サンドルの婚約者だ。

 

 錯綜する二つの記憶に少々混乱はしたけれど、段々と記憶が整理出来てきた。そもそも私って、この世界に生まれてから、そんな性格の悪い女だった?

 ――違う。

 ミミへの意地悪行為は、大半が他の女生徒が陰で行ったものだ。私は罪をなすりつけられていた。私は学園トップの優等生として、異国から来た漆黒の髪をしたミミ嬢の世話係に任命され、少々不器用なコミュニケーションではあったものの、ミミを妹のように可愛がっていたのに……愚かなクリストファーは事実無根の私の醜聞、ミミの誤解を全て鵜呑みにしてしまって、この始末だ。


 今生での私は、侯爵家の生まれに甘えず、ひたすら錬金術の勉強を重ねてきた。

 錬金王国と呼ばれるサンドル国の王立錬金術学園で、成績は常にトップ。高度な錬金術にも挑んで、次々と成功させていた。クリストファーの婚約者として学園に君臨することもできたけど、権威をひけらかすことはそもそも好まなかった。そしてクリストファーに媚びる事もなかった。幼少期に親同士が決めた婚約。私は王子であることにあぐらをかいたクリストファーに恋愛感情を抱くこともなく、ただ礼儀正しく淡々と彼に接し、ひたすら堅実に学問に打ち込み、地味な学園生活、社交生活を送っていた。一人娘が王家へ嫁ぎ、一族から王妃を排出するという、親の夢に敷かれたレールの上を、ひたすら思考停止で走り続けていた。

 

 それが、プライドの高いクリストファーを苛つかせた。

 

 サンドル国の王子かつ学園一の美男子であるクリストファーは、とにかく女性にモテる。

 私はそれをひけらかす彼に嫉妬の感情を抱くこともなく、淡々と定期面会や、社交行事への同伴を行っており、苛立ったクリストファーが、そんな私を「ガリ勉でつまらない女」「俺に媚びないお高い女」と陰口を叩いていたことも知っていた。全て知らん顔をしていた。

 クリストファーの取り巻き令嬢達は、クリストファーの不満を煽り、ひたすら私の悪い噂を広め、編入生のミミへの虐めも行っていたようだ。もちろん、アンジュ・バーネットが首謀者だという噂を伴って。

 私とクリストファーの仲を引き裂いて、あわよくばこの国の第一王子に取り入り婚約者の立場を奪おうとしていたのだろうけれど……最後は、編入生のミミが全てをさらっていった。なんせ、この世界の主人公ヒロインだからね。

 遥か遠くの異国から来た黒髪の神秘的な令嬢ミミは、編入後すぐに学園の男子生徒達の憧れの的になり、クリストファーもミミに惹かれていく。

 

 そして。

 今夜、クリストファーはミミを選んだ。

 錬金術が珍重されるこの国で、格式ある家柄の出かつ、トップ成績の学生である私ではなく、学園生活の一年を様々な男子学生との交友につぎ込んでいた軽薄なミミ嬢を。

 なにせクリストファーはプライドの塊で、妬み深い性格だ。己より成績が良くない上、常にふわふわとしていて頼りないミミは、言いなりに出来る都合のいい女として丁度いいのだろう。

 

 もともと幼い頃に親同士が決めた婚約。

 ひたすら錬金術と学問に打ち込み、他の生徒の世話係をやることで学園に、ひいては国に貢献しようとしていた私。その努力を全く理解しようとしなかったクリストファー王子に興味はない。

 

 断罪イベント前夜に記憶を取り戻して、私が想ったことはただ一つ。


 『自分のための人生を生きたい』

 

 もう、侯爵家の娘として政略結婚を強いられ政治の道具にされるのも、成績トップの維持に必死となるのも、男性関係への好奇心が旺盛な転入生の世話を焼くのも、ボンクラ第一王子クリストファーのお飾り妻になることを求められることも、全てごめんです。

 

 私は自由に生きたい。

 

 こうして、私はすんなりと(無実の罪ではあるけれど)断罪を受け入れ、追放されることを選んだ。

 クリストファー。ミミ。お幸せに。何も考えていないプライドの高いボンクラ王子と男好きなふわふわ天然令嬢。お似合いなんじゃないでしょうか。

 

 卒業パーティーから自宅邸宅に戻ると、パーティー会場のどこかにいたらしき両親も私を追いかけてきて大激怒。

 両親は大げさに泣き崩れ、大パニックだった。王家との婚約破棄は名門バーネット家の汚名となると散々に私を詰り責め立て、かと思えば突如私を抱きしめてきて泣いてすがり、可哀想な我が娘よ愛してると告げたり、情緒が全く安定しない様子。


 翌日。両親から、この件のほとぼりが冷めるまで、数年は王都に戻るなと指示された。私はトランクを一つだけ持たされ、用意された馬車に乗せられた。

 さらば王都。

 実家と学園の往復、錬金術の勉強、社交界への義務的出席。王妃候補としての猛勉強。侯爵家の娘として、責務ばかりの人生だった。

 正直、いい思い出は一つもないんだけれどね。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 何度か宿場町の宿に泊まりつつ、馬車は三日程走り続けた。

 辿り着いたのは、サンドル国と、隣接する他国との境界となる自由国境地帯にほど近い辺境の田舎村。

 ほとぼりが冷めるまで、そこにあるバーネット家所有のおんぼろカントリーハウスで隠居せよ、と云うわけだ。

 両親から生活資金だけは潤沢に持たされた。

 これは、『錬金術師としての仕事すらするな、目立たず隠居生活しろ』ということだ。

 

 なんの問題もない。

 

 ――隠居して人生初の田舎暮らしを満喫しよう。

 

 目立たず、普通の村娘のように暮らそう。村の小さな商店で買い物をして、一人夕飯を作って、質素に生きよう。もう、沢山の人の欲望が渦巻く貴族生活、学園生活は沢山です。

 

 村についてすぐ、バーネット家所有の屋敷の管理を任されているという村長の家へと挨拶に向かった。村長は実家からの早馬で書簡を受け取っていたとかで、王都で起きた件の詳細を聞いていたのだろう。散々な目に遭ったねと私に同情して、優しい言葉を沢山かけてくれた。

 私はてっきり、とんでもない悪女扱いをされるのではと警戒していたから、正直とても安心した。沢山かけられた優しい言葉に、少し涙が滲んでしまった。

 

 それからもう一つ。予想外の話が告げられた。


「実は言いにくいんだけど。今ね、あの屋敷に冒険者の親子さんを泊めていてね」


 長く使われていなかった、バーネット家の持つ邸宅。

 村長の独断で、半年程前に住み込み管理人として男性冒険者を招き入れ、家の管理をさせていたというのだ。

 その冒険者は幼い子連れ。半年前フラリと村に立ち寄り、住むところも行くあてもない様子で、宿をとった後は幼い子供と二人、途方に暮れていたそうだ。その様子をみかねた村長。村長は高齢になってきて、バーネット家から預かった屋敷の管理が行き届かなくなってきており、子連れ冒険者と利害が一致。村長は安い賃金しかだせないが住むところは提供出来ると、バーネット家に無断でその冒険者を雇い、屋敷の客間に住まわせ、屋敷の清掃や管理の仕事を任せていたそうなのだ。

 貴族の地方邸宅となると、それなりの広さがある。庭に蔓延はびこる雑草を抜いたり、定期的にマットレスを干したり、布類の洗濯、自然とつもるホコリの清掃。経年劣化する家の壁や屋根の修繕。それなりの家事量がある。老齢の村長の手には終えなかったのだろう。

 私は住む予定の屋敷に先住者がいると聞いて驚いてしまって、しばらく言葉を失ってしまった。

 

「昨晩、早馬が来て、アンジュお嬢様がいらっしゃると聞いてね。ほんと、昨日の今日で。もちろん、主様が現れたんだから、管理人の彼には出ていって貰う予定だけど、なんせ小さなお子さんを連れていて、すぐは動けないかもしれない。様子を見て、出る時期を決めてもらったほうがいいかもしれない……。もちろんね、急いで追い出したいと言うなら、私が伝えるけれど」

 

 とても困った様子の村長。優しい人なんだろう。


「いいえ。子連れの方を急いで追い出すほど私は冷酷ではありません。

 その方は、これまで屋敷の管理をしていたのでしょう?きちんと挨拶をしてお礼を言って、話を聞いてから考えましょう」


 私の言葉に安堵する村長。そしてその後、また不安そうに口を開き、モゴモゴと言いよどみながら言葉を紡ぐ。

 

「あと、私がね、バーネット家の方に無断で住み込み管理人を入れていた事については……」


「大丈夫。何も問題なければ、両親には黙っていましょう。屋敷の管理のためだったでしょう?老齢のあなたに、自宅と、我が屋敷の管理は大変だったことでしょう。改めて、バーネット家のものとしてお礼を言いますよ。これまでよくやってくれました」

 

「ああ、もったいないお言葉。ありがとうございます。ありがとうございます。寛大なアンジュお嬢様。噂に聞いた話はやはり大嘘だ。あなたは尊敬されるべき偉大な淑女ですよ。アンジュ・バーネットお嬢様。ようこそ、我が村へ」

 

 おっと。やはり書簡で、王都での私の悪行(濡れ衣)もしっかり伝わっていたのね……。この狭い村。私が王都で第一王子に婚約破棄され、追放された令嬢であることはすぐ噂として伝わることでしょう。まあいいわ。気にしない、気にしない。私は、与えられた屋敷で一人のんびり暮らすだけ。マイペースにいきましょう。

 私は冷静に会話を終わらせ、感謝の言葉を重ねる村長に別れを告げた。

 

 そして、トランクの持ち手をつかみ、一人、村の外れにぽつんと立つ屋敷へと向かった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 バーネット家所有の地方邸宅。

 通称『雲雀館ひばりやかた』。

 

 ――長年放置されていると聞いていた雲雀館ひばりやかたは、想像以上に綺麗だった。正直、もっとオンボロだと思っていたけれど……。家の造りは古めかしいけれど、細部までしっかり手入れされている様子だ。

 剪定され形の整った、果樹の実る庭木。可愛らしい花の咲く小さな花壇。奥の方に見えるのは家庭菜園……?玄関の呼び鈴はしっかりと磨かれ、玄関の段差ステップのレンガには、老朽化した部分が修復された跡もある。気のせいでなければ、丁寧な暮らしをしている人が、まめまめしく手入れをして住んでいる屋敷のように見える。

 

 呼び鈴を鳴らして現れたのは、がっしりとした筋肉質な長身の男性。二十代後半位だろうか?

 とても丁寧な態度で現れたのに、その体躯と油断のない気配に一瞬怯んでしまった。短く刈り込んだブルネットヘア。濃い翡翠エメラルドの瞳。端正な面立ちと穏やかな視線の奥に潜むナイフのような眼光。

 この辺りの村人と変わらぬ服装をしていて、剣すら帯びていないけれど、隙のない立ち姿は剣士のそれだ。王都ですれ違う兵士や冒険者の気配と似ている。しかも、そういった人々の上を行く、いい知れぬ鋭い気配も感じる……。


 男はゆっくりと、優しく低い声で名乗った。

 

「俺はユースティス・ダズル。半年ほど前から、この屋敷を間借りさせてもらっている」


 そう告げ、軽く頭を垂れた。

 そして、その後ろから駆けてくる、黄色く染められた麻のワンピース姿の可愛らしい女児。背中まで伸ばしたふわふわした蜂蜜色の髪の毛が光を反射して、まるで後光が差しているかのよう。


「パパぁ?おきゃくさんー?」

 

 たどたどしい言葉遣い。四歳くらいだろうか。


「こんちわー!きれいなおねえさん!」

 

 屈託のない笑顔。キラキラ光る南国の海のような瞳。数本抜けた前歯。なんて可愛らしい。地上に降りてきて天使のようだ。私はふふっと微笑み、しゃがんでその子に挨拶をする。


「こんにちは。私はアンジュ・バーネット。この家の持ち主の娘……。今日からこの屋敷の主となります」

 

「よろしく。アンジュ嬢。

 今朝、貴女の到着を知らされた。半年間この屋敷の管理人として世話になったが……主がお住まいになるということだったら、俺はお役御免だな。荷物をまとめたら、ココを連れて出ていく。少し準備の時間をくれないか」

「ええ。間借り人のあなたには悪いわね……。でも、急がなくていいわ。こんな可愛い子をあくせく追い出すなんて、良心がとがめるもの」


 ユースティスは私の言葉に少し驚いたようだったけれど、お礼を告げて私を部屋に案内してくれた。


 この屋敷の主寝室。二階にある南向きの大きな部屋。手入れが行き届いた部屋だった。磨かれた窓。古びては居るけれど、手入れされた黒樫の家具。きちんと洗濯されたカーテンやシーツなどの布類。ホコリ一つ立たないカーペット。ちらりとのぞくと、隣接するバスルームのタイルはしっかりと一枚一枚が磨き上げられていた。


「……これは一体誰が?」

 

「俺だ」

「ココもやったんだよー」

「そうだったな。俺と娘のココで、だな。すまないな、ココ。

 半年間、俺とココで少しずつ屋敷の手入れをしていた。せっかくの立派な屋敷だ。どうせなら良い状態で暮らしたいと、改装や掃除、各部屋の手入れ、壁や雨漏りをしていた屋根の改修、庭の整備まで手を出していた。もちろん、生活に使用していたのは一番隅の客間一つと台所、最低限の共用部だけだ。リビングやこの寝室は、掃除はしていたが、使ってはいないから安心してくれ。

 ……おっと、出過ぎた行動だったかな」

 

「そんなことありません!正直、放置されていると聞いていたので、もっとボロボロの屋敷と部屋で寝泊まりするのかと思っていたの。とてもありがたいわ。ところで……ユースティス。あなた、家事は、お得意?」


 「あ、ああ。この通り、この屋敷を改装して、掃除して、三食食事を自炊する程度には家事に心得が……」


「あの!今後は私がお賃金を出すので、もうしばらく家政夫として住み込みで働きません?もちろん、出ていく先がもう決まっていたり、家政夫として雇われるのが嫌だというなら無理はいわないけれど」


 私の提案に目を見開き驚くユースティス。

 少しの沈黙の後、顎に手をやり、少し考えてから口を開いた。

 

「出て行く先は決まっていない。しかし、俺が家政夫……か。今までの仕事に加え、家事をやり、主人に仕える仕事だな。もし俺で良ければ、やってはみるが、いいのか?貴女は年頃の貴族令嬢だろう。使用人とはいえ、見知らぬ旅人の男を雇い、同居となると……」


「使用人を雇うだけなら問題ないわ。あなたには小さなお子様もいるし。住む所も行く宛もない子連れの冒険者って事は、何かわけありなんでしょう?あ、無理に私的な事を話す必要はないわ!私、王都で色々あって疲れているの。この村では、少しのんびりしたいのよ。この屋敷で、家事をやってくれる人がいると助かるわ」

 

 そんなわけで。

 

 無口で物静かな子連れ冒険者のユースティスと、その娘ココとの同居が決まった。彼らが使っていた客間は、そのまま使ってもらって、給金は週五銀貨。屋敷の維持費や改装費が必要ならば、申請してくれれば随時経費を追加すると告げ、とりあえず一週間分の銀貨を前払いで渡す。

 ユースティスから、「こんなに貰っていいのか?」と何度も確認されたけど、私が実家から持たされた額からすれば正直たいした額ではありません。彼は、村長から雇われていた時期は、家賃不要という事を加味して、週にその1/5しか貰っていなかったそうだ。そして、その額でも彼にとっては十分満足な給金だったそうだ。

 銀貨一枚あれば、地方村なら一週間優雅な暮らしが出来ると聞いたことはあるけれど本当だったのね……。辺境は、何もかも物価が高い王都とは違うらしい。

  

「ユースティス、遠慮しなくていいわ。でも、その分、家事と料理、家の管理はお願いね。私はしばらく休暇を楽しみたいから、あなたに頼ることが多くなりそう」


「――わかった。アンジュ嬢。俺は約束は守る。しっかりとこの雲雀館ひばりやかたを管理して、家政夫として力を尽くそう」

 

 こうして。


 私の三食昼寝&家政夫付きの、優雅な田舎暮しがはじまった――。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「おはよう。アンジュ」


 太陽がてっぺんに差し掛かる正午前。私はのんびりと寝室から起き出して、一階の台所兼食堂へ。

 エプロン姿のユースティスに迎えられ、テーブルにつく。

 堅苦しい呼び方は好みではない、ということで、私は呼び捨てにしてもらうことにした。日当たりの良いダイニングテーブルに、ユースティスの手によって湯気の立つ出来立ての料理が次々と並べられていく。


「遅めの朝食ブランチなので、少しボリュームをつけた。俺とココの朝の食事は終わっている。庭の手入れをしてくるから、アンジュはゆっくりと食事をしてくれ」

 

「アンジュ、アンジュ!ゆっくりしょくじをしてくれー」

 

 そう言って食堂の裏口から庭に出ていくユースティスとココ親子。

 ココに手を振り、出ていく姿を見送ると、私は改めて食卓に並べられた料理を眺める。

 

 カリカリに焼けたベーコン。私好みの半熟目玉焼き。シロップたっぷりのフレンチトースト。裏の森でとれたというキノコと葉野菜の炒めもの。裏ごしした紫ポテトのスープ。オーブンで温められたふわふわのパンに朝採れのミルク。

 デザートは、この村名産のヨーグルト。そして、そのヨーグルトの入った木のボウルの隅に添えられた薔薇ベリーの実。これは、ココが毎朝村の裏手の森の入口あたりで摘んでくるものらしい。

 

 最高。あつあつの美味しい料理に舌鼓をうち、一口ずつ噛み締め私は滋養が体に染み渡る幸せに浸っていた。

 

 屋敷に来てから一週間。

 

 想像以上に優雅な生活が始まった。


 陰謀渦巻く学園生活もない。プライドが高く妬み深い婚約者もない。社交辞令しか交わされない社交界もない。堅苦しいコルセットもない。もっとゆるやかな簡易コルセットで優しく腰を絞り、村娘が着る綿を重ねた生地で出来たシンプルなワンピースをまとうと、着付けは完了。両親やメイド長から、礼儀についてうるさく指導されることもない。重々しい派手なドレスをまとう必要もない。当然、錬金術学園でトップ成績を維持しようと日々机にかじりつく必要もない。

 

 ただまったりと食事をして、持参した好きな本を読んで、たまに縫い物。

 幼女のココに絵本を読んであげて、庭で一緒に花を詰んで遊んだり。

 たまに村をぶらぶらして、小さな商店を周り、かわいい小物や古本を買い、話しかけてきてくれる村人とおしゃべり。皆、村長から私の良い話を聞いているらしく、温かく歓迎してくれた。とはいえ、濃密な人付き合いはちょっと疲れるので、長話にならないよう程々で切り上げて、雲雀館ひばりやかたに戻る。そして夕方には、庭のテラスに並ぶテーブルで、午後のお茶とクッキー。クッキーはユースティスのお手製。めちゃくちゃ美味しい。本当になんでも出来るんだな……と感心しきり。

 夜は早めにお風呂に入って、お肌のお手入れをしてベッドに潜る。


 自由そのもの。家事はユースティスがテキパキとこなしてくれるし、彼の作る料理の美味しいこと!


 王都の実家の堅苦しさがない分、この辺境村暮らしの方が確実に快適です。


 食事ブランチが終わって一息ついていると、庭で家庭菜園をいじっていたユースティスが戻ってきた。彼はさっと石鹸で手を洗い、ヤカンに水を入れてをかまどの上に置く。


「食後の紅茶を入れよう」


 そう言って丁寧な手付きで美味しい紅茶を入れてくれた。

 

 ほんとにほんとに最高。


 ユースティスは無口で必要な事しか話さないけれど、逆に言うと必要な事は黙って全てやってくれるし、そして、余計なことはしない。詮索もしてこない。もしかしたら村の噂で、何か私の事を聞いているのかもしれないけれど、私が王都の醜聞の的になった事など全く知らないような顔をしてくれる。

 彼の娘のココは可愛らしくて話し相手として楽しい相手だ。もともと世話好きで子供好きな私。一緒に遊ぶのも、絵本を読んであげるのも楽しい時間だ。そこも、ユースティスが気を遣ってくれている様子で、私にココの育児を押し付け過ぎないようにしてくれているのか、昼はココを伴って散歩や買物に出てくれる。

 ココはかわいいだけじゃなくて、とても利発。妙に興奮して騒いだり、泣いたりすることもなく、村の子供と遊ぶこともあるし、一人遊びも上手で、絵本を真剣に読んだり、絵を書いたり、押し花を作ったり、夜も寝るまで静かに落ち着いている。

 ユースティスはココに沢山の愛情を注ぎ、そしてしつけもとても上手いというのがよくわかる。

 

 彼らは最高の同居人達だった。


 雲雀館ひばりやかたでの生活に慣れてきていた私。だんだんと彼ら親子の素性が気になりはじめていた。少し悩んだけれど、勇気を出して、せっかくなら紅茶を一緒にどうかと同席を勧めた。彼は一瞬ためらったけれど、誘いに礼をいい、私の向かい側に座った。

 ココもその隣にちょこんと座り、いそいそとユースティスが剥いたリンゴをかじりはじめる。

 

 ここに来てから一週間。

 一応私は館の主人で、彼らは使用人とその子供という立場。館に食堂は一つしか無いので、ユースティスは食事の時間をずらしてくれて、これまで同じ食卓を囲うことはなかった。

 私たちは初めて同じ食卓に同席し、向かい合った。


「ねえ、ユースティス。あなたは一体何者なの?そろそろ、尋ねてもいい?」


「俺は――」


 ユースティスの表情は陰り、視線が虚ろにテーブルを彷徨う。


「元剣聖と呼ばれた勇者ユースティスだ……。今は現勇者パーティーを追い出され、ご覧の通り、ここで家政夫をしている」


 剣聖……!?

 ――六年程前だろうか。隣国の最高神官のお告げによって勇者とその仲間が選ばれた。剣聖たる勇者と、数名の仲間の冒険者で構成された勇者パーティーが誕生した。彼らの登場は我がサンドル国でも大きな話題になっていた。勇者パーティーは、隣国で竜退治に魔物退治と大活躍。一躍国家の英雄となったと伝え聞く。しかし、その数年後。剣聖たる勇者と、パーティーの仲間の間に子供が生まれ、勇者が子育てに集中しはじめると、剣聖としての力は失われていき、国から賜った聖剣の力が発揮できなくなったそうだ。剣聖勇者はパーティー代表の地位を保てなくなり、新たなる勇者が新剣聖としてパーティー入りを果たし、新たな聖剣が国から与えらたという。かくして、勇者の代替わりがあったと聞いている……。


「あ、あなた、隣国の勇者パーティーの、初代の剣聖なの?もしかして、あの『勇者ユースティス』?」


「そうだ。だが昔の話だ。ココが生まれ、俺は国の安寧より、娘のココを平和な場所で穏やかに育てたいと祈るようになった。それにより国より賜った聖剣の力を失ってな……。最後はパーティーから追い出された。そして、放浪の果に、この村へと辿り着いた。途方に暮れていた所を村長に拾われ、ココが育つまでの間、この屋敷の管理人の仕事で食いつないだらどうかと提案されてな。ありがたく、管理人の仕事をしていたというわけだ。

 まさか、半年で屋敷に主が現れるとは思っていなかったが」


「そ、そうだったの……」


 あの伝説の剣聖と呼ばれた勇者、いや、元勇者と同じテーブルを囲うことになるとは。

 

 しくも、本来居るべき場所から追い出された者同士が、こうして辺境の田舎村の同じ食卓を囲み、共に紅茶を飲んでいる。

 

 それはとても奇妙だけれど、私には、不思議な良縁に感じられた。

 

 しばしの沈黙の後、私はふと思いついた疑問を口にした。

 

「そうだ。あと、知りたかったのよね。ユースティス。あなたは元冒険者で剣の達人なんでしょう?それなのに、なんでこんなに家事や料理が達者なの?」

 

「俺は孤児院で育ったからな。ある程度大きくなったら、孤児院の家事もしていた。下の子の世話もしていた。とても子供好きだ。そして、今は家事の能力のおかげで、こうしてアンジュに雇われている。住む所も与えられ、ココが安心できる環境で、満足出来る給金も貰っている。アンジュ。君には本当に感謝している」


 ユースティスはそう言って、いつも真面目で真剣な表情をほころばせ、微笑みを浮かべた。


「あ、ユースティスが笑ったとこ、はじめて見た」

 

「そうか?仏頂面だったらすまん。いや、俺はどうも、愛想が悪いらしいな。昔から散々仲間に言われたものだ……気をつけているのだが、性分でな」


 ユースティスは顎のあたりを触って気まずそう。

 私は戸惑った様子のユースティスが面白くて思わず吹き出し、つられたユースティスも声を出して笑った。初めて二人で笑いあい、ココの笑い声もそこに混じった。


「パパ、ぶっちょうづらー」

 

「ココったら。お父さんにそんなこと言うものじゃないわよ」


「はぁい。ねえー、アンジュってママみたい!」


 マ、ママ?


 私は驚いて、思わずユースティスの顔を見る。

 彼も面食らった様子で、慌ててフォローしてくれた。

 ココは幼い頃にパーティーを共に追放され、そのパーティーのメンバーだった母親の顔を覚えていないそうだ。


「馴れ馴れしかったかな。すまない」


「いえ、いいのよ。子供の言う事だもの。さて……。のんびり田舎暮らしもいいけど、私もそろそろ、動き出さないとね」


「動き出す?」


「錬金術。せっかくの田舎暮らしだもの。この辺には天然の材料が沢山あるみたいだしね。ねえ、この雲雀館ひばりやかたの地下室に錬金釜があったわよね。私、錬金術を行うわ。少しなまった腕を鍛え直さなくちゃ」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 雲雀館ひばりやかたの地下室は、高位の錬金術師を多く排出するバーネット家の保有する他の数々の邸宅と同様、錬金術の工房アトリエとなっていた。こぢんまりした工房だけど、錬金術を行うには十分。並ぶ本棚には錬金術の書物が収められ、基本の錬金釜や、錬金術に使う用具もしっかりと揃っている。

 

 工房アトリエは、天井近くの明り取りの小窓から差し込む光と、壁に掛けられた魔道具のランプの光で、ほのかに明るい。ユースティスが工房アトリエも定期的に清掃してくれていたらしい。埃っぽさもない。錬金釜もしっかり拭き上げられ、清潔だ。

 

 早速、錬金術にとりかかろう。

 ユースティスに運んでもらった桶の井戸水を錬金釜に入れ、王都から持参した魔道具、お気に入りの『錬金棒』で釜の中をかき回し魔力を注ぐ。初歩の初歩の錬金術。こうして『蒸留水』の出来上がり。地下室の棚にあったガラスの小瓶に入れて小分けする。これが錬金術の基本アイテムだからね。

 

 そして、ココが裏手の森の入り口で採ってきた薔薇ベリーと、村の茶葉農家から譲って貰った新鮮な茶の葉を錬金釜へ。蒸留水と、あらゆる錬金術触媒となる蛍光石フローライトの粉を入れ、『錬金棒』でぐるぐる。錬金釜は青白い光を放ち……。


「出来た!」


 『薔薇ベリーの紅茶』の出来上がり!

 錬金術を使えば、フレーバーティーは通常の製法より格段に早く完成するのだ。しかも私の能力スキル魔力付帯エンチャントが可能。今回付けたのは[体力増強+]の魔力。うん。いい仕上がりです。


 私が一週間ぐうたらしてなまった体に喝を入れるため、そして、日々家事を頑張ってくれるユースティスのために作った。もちろん、一生懸命薔薇ベリーを集めてくれて、今お昼寝をしているココの体力も回復してくれるだろう。ココが紅茶を飲むには、たっぷりのミルクと砂糖が必要だけれど、この『薔薇ベリーの紅茶』は甘いミルクティーに最適だ。きっと喜んでくれるだろうな。


 私は手のひらサイズの丸く平たい缶に『薔薇ベリーの紅茶』の茶葉を詰め、それを持ってうきうきと階段を上がる。

 一階の台所で夕食の仕込みを始めていたユースティスに、いそいそと茶葉の缶を渡す。彼は錬金術の成功と、体力を増強してくれるフレーバーティーにとても喜んでくれて、早速飲もうとお湯を沸かしてくれた。


 三人で庭のテラスに並んで座り、夕暮れの空を見ながら、お砂糖をたっぷりの甘酸っぱい香りのするミルクティーを飲んだ。日が暮れていく。山間に沈んでいく夕陽は、どこか都会のそれと違う。太陽はもっと大きく見えるし、微睡まどろみを誘う緋色の光はより優しく見える……。

 

「アンジュ。そういえば、今日の朝、買い物へ出た折に聞いたのだが、村長が腰を痛めて寝込んでいるそうだ。この『薔薇ベリーの紅茶』、村長に持っていってやったらいいんじゃないか?体力を回復してくれるなら、痛みも早く治るんじゃないか」


「腰を痛めた?それは大変!ねえ、体力増強よりもっと良い回復アイテムも作れるわよ。干し草と、桃スミレがあれば、すぐ作れるんだけれど」


「ももすみれ?ももすみれ?ねえねえー。ココ、ももすみれしってるよぅ」

 

 紅茶をふーふーしながら啜っていたココが、元気よく手を挙げた。


「もりのね、ちょっといったところの、おはなばたけにさいてるんだよー」


 森のちょっと行った所のお花畑……?そこに桃スミレが咲いている?そして、なんだか、錬金術に使うアイテムが他にもある予感!


「採取に行ってみたいわ。ココ、明日、私をそこに連れて行ってくれる?」


「いいよー!アンジュ、いっしょにいこ!」


「森か。以前ココとハイキングしたコースの途中の何処かだったかな。村の近場の森ならば魔物は出ないだろうが、二人だけで行くのは危険だ。俺も同行しよう」


 そんな流れで。翌日、私たちは早起きして村の裏手にある森へ。このあたりは辺境だけど、治安は良い。魔物はほとんど出ないし、よほど森の奥地に分け入らない限りは、熊や狼も出ないそうだ。念のためと護衛に付いたユースティスは見事な装飾が施された長剣を帯び、いつもより少しピリッとした空気。

 あれが聖剣なんだろうか……?

 そんな疑問がよぎったけれど、私は深く突っ込むのはやめた。

 ユースティスにとっても、勇者パーティーから追放された件に関わる話題に触れられるのは、つらいだろうから。

 

 森の小道を進む。ユースティスが先頭を歩き、周囲を警戒して小さな音にも反応して油断なく視線を動かしている。さすが元勇者。今でも彼は凄腕の剣士なんだろうな……。

 

 森の小道を30分程歩くと、道から少し外れた場所に、木々が避けたように円形に開けた広場があって、そこには色とりどりの可憐な花が咲いていた――。

 木漏れ日の中で美しい花が風に揺れている。

 幻想的な空間に、私は思わず息を呑んだ。


「すごい、きれいな場所……。しかも、この花も、この花も……あ、この植物も錬金術の材料だわ。すごい!村の近くの森に、こんなに沢山錬金術の材料が自生しているのね」

 

 王都では、錬金術に使う植物は学園の購買部や街の商店で購入していた。どれも乾燥しており、生産地である地方から運ばれてきたもので、鮮度は低い。しかも安くはない値段で買っていた。一方、この森では、桃スミレ、青スミレ、よりレア度の高い紫スミレ、その他錬金術に使われる植物が大地の上で活き活きと根付いて風に揺れている。これを採取し放題?いやいや、もちろん最低限しか頂かないつもりだけれど!


「錬金術師はこういったものでも喜ぶのか。俺も冒険者だった頃は、魔物の牙や皮を、錬金術師に卸すという行商人に売っていたものだが……。必要なのは、そういったものだけではないんだな。この森の中には、錬金術の材料がまだまだ沢山眠っていそうだな」


 ユースティスは意外そうに呟いた。

 ユースティスの出自である隣国は、サンドル国ほど錬金術が盛んじゃないからね。彼が錬金術の事を知らなくて当然かも……。レアな鉱石や魔物由来の素材だけでなく、様々な植物が錬金術の材料となる。都会であるサンドル王都育ちの私。辺境を舐めていました。ここは錬金術の材料の宝庫かもしれない……。

 

「ねえねえ、ももすみれ、あったでしょ!」


 嬉しそうに飛びついてくるココ。私はココの頭を撫で、頬にキスをして沢山の感謝を伝えた。


「ねえココ、アンジュからのお願い。一緒に桃スミレを詰んでくれる?あと、この青いスミレと、紫のスミレも。このカゴいっぱいになるくらいにね」


「いいよー!ねえ、アンジュ。おはなつむのおわったら、いっしょにはなかんむりつくろ!」


「それ、いいわね。かわいい冠を作りましょうね。じゃあ、冠はこの白い野菊で作る?」


「うん!それとね、このきいろいのもまぜるの!」


 私はココと一緒に沢山花を詰んで集め、小さなカゴいっぱいの採取が終わると、白と黄色の野菊を編み、花冠を作ってココの頭に乗せてあげた。

 白と黄色の花冠は、ココの蜂蜜色のふわふわした髪によく映える。


「かわいい?ねー、かわいい?おひめさまみたい?」


「よく似合うぞ、ココ。お前は本物のお姫様だな」


 ユースティスはココと話しているととても満足そうで、幸せそう。本当に娘が大好きなのね。


「ココ、似合っているわよ。ココ姫様。アンジュの編んだ花冠、大切にしてね」


「うん、するー!」

 

 ニッコニコのココと手をつなぎ、森の小道を抜けて雲雀ひばり館に戻った。

 屋敷に戻る頃、太陽は天の中央に昇っていた。

 

 帰宅してすぐ、ユースティスは台所へ。朝、屋敷を出る前に仕込んだという鶏肉と根菜の煮込みを温めはじめた。鍋から立ち上る良い香りにお腹が鳴りはじめた。

 

 昼ごはんは、鶏肉とジャガイモ、その他根菜の具だくさんスープ。大きな鶏肉がごろごろ。カットされた数種類のチーズと塩漬けの冷製肉。そして温められたふわふわのパンとたっぷりのバター。庭の木に生っていた黄色蜜柑イエローオレンジの搾りたてジュース。

 美味しい……。どれも絶品。

 私はこれからは一緒に食卓を囲みたいと希望して、ユースティスとココと同じ卓で食事を頂いた。

 最初は全員少し緊張していたけれど、すぐに打ち解けて、ココが村の子供達とやる遊びや、ユースティスが庭の家庭菜園で育てている野菜の話、そして私が王都の学園で錬金術を学んでいた話を少し、――色々な話をした。

 ユースティスは黙って落ち着いた様子で私やココの話を聞いてくれて、丁寧に相槌を打ち、そして、私がこの村へ来る事になった経緯などについては一切触れなかった。やっぱり、ちょっと気を遣われているのかもしれない……。

 私も自ら進んで話したい事でもないので、詳細は語らなかった。

 

 昼食後、地下工房アトリエにて。

 まずは『錬金紙』の錬成を開始。これも錬金術の基本材料。よく使うから多めに作っておこう。藁と蒸留水と蛍光石フローライトから出来た触媒を錬金釜へ。そしてお次は、仕上がった『錬金紙』と桃スミレ、触媒を混ぜて錬成を行う……。

 成功!魔力付帯エンチャント[痛みを治す]+[回復力++]の二つが付いた『桃色湿布』が完成!

 最高の仕上がりです。新鮮な材料が良かったのか、私の腕が鈍っていなかったのか、学園の講義で作ったものより、ずっと強い魔力が付帯している。

 

 出来上がった湿布は、ユースティスが早々に村長に届けてくれた。そして、ユースティスが屋敷を出てから三十分後。ユースティスは、油紙に包まれた大きな骨付き肉の塊を抱えて雲雀館ひばりやかたに戻ってきた。

 

「なにそれ、お肉?すごい大きさね」


「わーい、おにく、おにくだあ!」


 台所の作業台にどっしりと置かれた肉は大きくて新鮮、見事な骨付きの牛肉の塊だった。私とココは興味しんしんで前のめりになって肉を眺めた。

 

「湿布を届けた村長の家で、大角牛おおつのうしを一頭ほふったそうだ。

 腰を痛めた村長は、食事で滋養をつけようとしていたらしいが、届けたアンジュの湿布を貼った途端、即痛みがとれて前より元気になったと泣いて喜んでいたよ。

 大喜びで、捌いた大角牛おおつのうしの肉を分けてくれたよ。

 アンジュ。お前の錬金術はすごいな。村長が後日、直接アンジュに礼を言いに来ると言っていたぞ。さて今夜は、この肉の塊でローストビーフかステーキでも焼くか。余った肉は氷室で保冷して、それでも余る分は干し肉にでもするか」


 ステーキ?ローストビーフ?最高!この村に来てから鶏肉とハムやソーセージといった塩漬け肉ばかりだったから(それも、とても美味しいんだけれどね)、新鮮な牛肉の料理が食べられるのは感動もの。

 私とお肉大好きなココは歓声をあげて喜んだ。


「あ、氷室があるなら、氷は錬成するから任せて!干し肉も、錬金術ですぐ完成出来るから。何か必要な魔力があれば付帯するように作れるわよ。」


「本当か。それは助かる。氷も村の氷室蔵から買うと高いからな」


 ユースティスも嬉しそう。


 私の錬金術が人の役に立っている。

 王立錬金術学園では、試験合格、良い成績をとるためだけの錬金術だったけど、ここにはもっと日常に密接した錬金術がある。

 自分の役に立つ錬金術。誰かが喜んでくれる錬金術。

 

 こうして――。

 婚約破棄で王都を追放された悪役令嬢の私の辺境スローライフは、本当にのんびりまったりとはじまった。

 自由を謳歌して、楽しい錬金術生活を満喫。

 元勇者、そしてその娘と一緒に同じテーブルを囲んで、笑顔で美味しい料理を食べ、村の人達を元気にして、なおかつ三食昼寝&家政夫付きの追放生活。

 

 後日、私を追放した元婚約者のクリストファーが、ミミの天然を通り越した非常識さやワガママさに嫌気がさして、復縁を迫ってきたけどお断りした件や、ユースティスを追放した新勇者パーティーが魔物に勝てず負けが続け、ユースティスの元にやってきて土下座せんばかりの勢いでパーティー復帰を懇願したけれど、当然のごとくお断りしたのは、また別のお話。

 

 だって、まったり自由な辺境村生活は最高ですから。

 ここが私の居るべき場所――私はこれからも楽しい人生を謳歌します。


【完】

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婚約破棄&追放された悪役令嬢、辺境村でまったり錬金術生活(元勇者家政夫+その娘の女児付き) シルク @silk

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