だから誰も許さない

 ぱちぱちと火の粉を上げる焚き火を囲む四人。

 事情を聞いて、灯耶は思わず頭を抱えた。

 コウダの悪食を焼いた灰で、社の悪食を防いだのは想定内だった。想定外だったのは香澄がそれを掴んでいる間に社が削り殺されたこと、その結果、主を失った悪食が自動的に香澄を宿主に選んでしまったことだ。

 悪食からの攻撃は防げても、悪食の寄生は避けられなかったということか。この辺りは灯耶も黒陽も予想外のことだった。


「取り敢えず、香澄ちゃんの身の振り方を考えないとなあ」

「私の研究所で雇用するというのは……」


 悪食まわりの話を聞いた佐脇は、思ったより柔軟に話を受け入れた。疑うには奇妙な経験をし過ぎたというのもあるだろう。これからは出来る範囲で協力するという言質も取れた。

 そんな佐脇の発案に、しかし灯耶は首を横に振る。


「そりゃ無理だ。あんたは覚えていられるが、あんたのところの職員がすぐに忘れちまう。毎朝新しく紹介するのは非効率ってもんだ」

「しかしですね」


 吾妻と知り合った時に、灯耶はそういった試行錯誤は一通り済ませている。その失敗の経験があるからこそ、香澄の身の振り方に悩んでいるわけで。

 結局のところ、悪食使いが人間社会で人がましく生活するには、残念ながら抹消課のような形を取るしか方法はないのだ。

 香澄が口許をむぐむぐと動かしながら、おずおずと聞いてくる。


「灯耶さんの助手じゃ、駄目ですか……?」

「それしかないかなあ、やっぱり……」


 非常に不本意ではあるが。灯耶は腕組みして空を見上げる。香澄はどうにも軽く考えている様子だが、灯耶の生活は決して良い生き方ではない。吾妻と知り合っていなかった頃はもっと殺伐としていた。

 だからこそ、灯耶の助手にするのが最も良い方法ではあるのだ。住む場所と生活、そして理解者に困ることはないのだから。


「おめでとう。辻崎さんの助手になるなら安心ですね」

「ああ、そうだ。君はどうするんだ、弌藤くん」


 弌藤の呟くような祝福。そういえばと、灯耶は視線を弌藤の方に向けた。身の振り方という意味では、彼はある意味香澄以上に厄介な状態に置かれている。

 何しろ、大嶽と社までいなくなったのだ。悪食使いこそ弌藤以外にいなくなったとはいえ、それ以外の職員はまだいるわけで。


「ええ、大丈夫です。考えていることもありますので」

「そうかい? もし困ったら、いつでも声をかけてくれ。居候が二人になっても大して変わりはしないから」

「ありがとうございます。辻崎さん」


 にこりと、曇りのない笑顔を浮かべる弌藤。

 そのあまりに透明な笑みに、何故だか言い知れぬ不安を感じる灯耶だった。


***


 抹消課は思った通り、大混乱の中にあった。

 社の席だけでなく、課長である大嶽の席も消失したからだ。誰が連絡したのか、退職した前課長の志波が呼び出されている。

 そんな状況下で、弐貴は二日ほど休みを取った。連絡してきた相模に、社と大嶽の件も事情を全て知っていると告げ、出勤した時に説明するので、全員を集めておいて欲しいと伝えて。


「来たか、弌藤!」

「ええ、ご心配をおかけしました」


 心労だろうか。顔色の悪い志波に、弐貴は軽く頭を下げた。

 無理もない。立て続けに三体の悪食と悪食使いを失ったのだ。業務の停滞もだが、これまで自分たちがしてきたことが返ってきていることに対する恐怖と不安がある。

 そんなことを気にする意味も、最早ないのに。


「志波さん。来てくださって助かりました」

「なに、緊急事態なのだから気にしなくて良い。とにかく事情を説明してくれ。一体何が起きているんだ」


 志波の問いには答えず、弐貴は周囲をゆっくりと見回した。

 抹消課の全員が集まっているか確認するためだ。十六人。間違いなく全員いる。

 多聞をはばかる話なので、と前置きしてから話し始める。


「始まりは路行浩二の事件がでっち上げられたことです」

「でっち上げ?」

「はい。大嶽課長が無実の罪をでっち上げて、路行氏を悪食で処分させたことが原因です。偶然、彼の娘が悪食使いの資質を持っていたため、ここに乗り込んで来たのは志波さん以外の皆さんは覚えておられると思いますが」


 志波への説明のために話したのだが、でっち上げについては同僚たちも初耳のはずだ。驚いた様子で互いに顔を見合わせている。

 一方で志波が大きく驚いた様子はない。どうやら前からこういった不正行為が行われていた、という辻崎の推論も信じてよさそうだ。


「路行氏の娘は、我々とは異なる悪食使いに助力を求めました。鴻田さんと加倉さんが食われ、交渉に向かった大嶽課長も、社さんも敗れました。抹消課に残っている悪食使いは僕だけです」

「社くんまで……!」


 あちこちから悲鳴が上がる。人当たりの良い美人だから、課内に社のファンは多かった。そんな中、志波が眉間を揉みながら聞いてくる。


「悪食は、どうなった?」

「焼かれました。鴻田さんの悪食の残骸は、僕が預かって大嶽課長に渡しています」

「そうか……。弌藤くんはその悪食使いに勝てるかね?」


 志波はどうやら復讐を企てているようだ。気持ちは分かる。弐貴だって何も知らないままであれば、きっと同じように考えていた。

 だが、抹消課に幻滅した今は違う。同僚たちは次々に志波の言葉に同調していく。険しい顔で気勢を上げる十六人を冷えた目で眺める。


「無理ですし、反対です。今回の件は、大嶽課長による不正が発端ですよ。路行氏の娘の行動にも道理がある。反省し、彼らのことは見逃すべきでは?」

「何を言うんだ、弌藤くん!?」


 怒声を上げる志波。

 志波に扇動されて気勢を上げていた同僚の安居が、こちらに詰め寄ってくる。


「仲間が殺されたんだぞ? 仇を討ちたいとは思わないのか弌藤!」

「路行氏の娘もそう思ったわけですよね。路行氏が実際に処分を受けるほどの不正や犯罪に手を染めていたなら逆恨みですから僕も止めない。しかし、大嶽課長の不正となれば我々の悪事です。それでも仇討ちをすると仰るので?」

「当たり前だ! 向こうとこっちでは正しさが違う」

「そうだ! 我々は正しい、向こうが間違っている!」


 正しさ。こんな時も辻崎の言葉が脳裏に浮かぶ。

 同僚が口にする正しさという言葉を、これほど醜く感じる時が来るなんて。

 志波がゆっくりと口を開いた。


「弌藤くん。君は少し疲れているようだ。悪食は私が預かることにしよう。知り合いから悪食を融通してもらうことにするから、君はしばらく休養を取るといいだろう」


 志波は悪食を持っていて、それを隠している。その現状を取り繕うためのストーリーを開示しているのだ。そし悪食の融通、弐貴の休養とは弐貴を殺して悪食を奪うという意味だと理解する。

 冷たい、敵意に満ちた視線があちこちから弐貴を刺してくる。あれだけ仲の良かった相模でさえ。

 誰もが弐貴を心の中で切り捨てた。これでもう、心残りはない。


「悪食の返却には少々煩雑な手続きが必要だ。来たまえ」

「仕方ありませんね」


 手招きをする志波に応じるように、弐貴は一歩踏み出した。

 何とも清々しい気分だ。迷いがなくなっただけで、これほど心が晴れやかになるとは。

 笑顔を浮かべて、志波に近づく。


「本当に、志波さんが来てくれて助かりました」

「……何を?」

「終わった後、探すのを覚悟していたんですよ。何しろ大嶽さんに確認するのを忘れてしまっていたので」


 志波が怪訝な顔をする。現場を離れて長いからか、どうにも鈍い。

 弐貴が事情を知っているのに無事である理由も、二日休みを取った意味も、まだ理解していないのだから。


「神代さんは亡くなっているんですよね。つまり、抹消課の悪食使いはあと貴方ひとりなので」

「貴様――」

「食い散らせ、影月」

『はいはぁい』


 野太い声で弐貴に応じた影月が、ぶわりと上半身から離れた。白い毛皮のやまいぬが、一切の躊躇なく十六人の同僚を薙ぎ払う。

 悲鳴はない。断末魔もない。ただ前脚の一振りで上半身が削り取られて口の中へ放り込まれ、残りの下半身はひょいひょいと駆けまわりながら飲み込まれていく。

 血液がまき散らされる暇もなかった。一瞬の早業。

 志波の反応は遅れた。致命的なほどに。


「まあ、仕方ないと思ってください。抹消課なんてもの、世の中に存在しない方が良い」

「いち……弌藤ィ! お前、なんてことを!」

「悪いことをしてしまったんだから、仕方ありませんよ。不正を許容し、自分たちが正しいと驕り、間違いを隠蔽しようとする。残念ですが僕の基準ではこれは悪です」

「馬鹿なことを。法と言う秩序が」

「悪食による処分なんて、法と秩序の外側でしょうが。偉そうに言うもんじゃないですって」


 影月が体に戻り、弐貴の全身を覆ってゆく。白い装甲。後ずさる志波と、歩み寄る弐貴。間合いに入った弐貴の手が志波の頬を包むように触れた時、その全身は完全に装甲に覆われていた。


「お別れです。志波さん」

「弌藤、貴様は」

「削り殺せ、影月」

『今日はご馳走ねぇ』


 志波が最期に何を言おうとしていたのか。影月が真っ先に顎と喉を食い千切ってしまったので、うっかり聞き忘れてしまった。


***


 灯耶が呼び出されたのは、先日の廃ビルではなかった。

 これから開発が始まる予定の空き地。大型ショッピングモールが出来るとのことでかなりの範囲で土と草しかない。空地の向こうには建築途中のマンション。これらが出来れば間違いなく賑わうだろうが、現時点では人が寄り付くような場所ではない。

 ぼんやり待っていると、風に乗って聞き慣れた声が聞こえてくる。


『ねえ、ご主人。本当にやるわけ?』

「ああ。覚悟を決めろよ」

『勝てる気しないのよねえ』


 来た。

 弌藤弐貴。自分を呼び出した相手だ。

 白いスーツに身を包み、こちらに歩いてくる。黒いジャケットの灯耶とは鏡映しのような男だ。


「やあ、来たね」

「すみませんね、辻崎さん。呼び出したりして」

「構わないよ。……終わらせたんだね」

「分かりますか」


 灯耶は答えなかった。言うまでもない。

 嘘をあれだけ嫌う弌藤が、抹消課を許すことが出来るはずがない。呼び出しまで数日空いたのが意外だったくらいだ。職場の同僚たちを見極めるのに必要な時間と考えれば短くもないか。

 ある程度の距離まで近づいたところで、弌藤が足を止めた。

 険のある表情。思いつめた様子の弌藤に、灯耶はいつも通りの態度で聞く。


「それで、呼び出した理由を聞こうか」

「僕と戦ってください、辻崎さん」

「何故?」

「けじめ、です。殺すつもりで来てほしい。僕も殺すつもりで行きますから」

「同僚を殺された復讐、ということかな? それとも、自分が殺したかった相手を先に殺されたから?」

「どちらでも。辻崎さんが納得できる方で」


 けじめとか言う割には、ずいぶんと動機づけが適当だ。

 殺すつもりでというのも半分本気、半分嘘といったところか。嘘を嫌いなくせに、変に嘘をつこうとするから違和感が先に立つ。

 殺すつもりで来てほしいのが本音、殺すつもりで行くというのが嘘。


「やめとく」

「な、何で……!」

「君の遠回しな自殺に付き合うつもりはないんだ。やりたければ自分を悪食に食わせればいいんじゃない」


 俺の前任はそうしたよ、と伝えると弌藤は強く唇を噛んだ。それが出来ないから、灯耶に声をかけたのだろうが。

 だからこそ、灯耶は弌藤に本当の理由を突き付ける。


「自分が彼らの不正に加担したかもしれないことが、重いかい」

「!」

「知らなかったから無罪、とは思えないよな」

「そう……。そうです。僕は、僕が影月に食わせた中に、何人いたのか分からない! 本当に悪食に食わせなくてはならない悪と、そうでなかった人と!」


 自分の基準ではなく、誰かの定めた基準で悪食を運用するとこうなる。信じられている時は良い。だが、一度疑ってしまえば、自分のしてきたことに押しつぶされてしまう。


「教えてください、辻崎さん! 僕はどうやって償えばいいんですか……!?」

「分からないな。俺には答えを出してやれない」


 今の弌藤は、かつての狗藤と同じだ。

 狗藤は自分の疑いに答えを出せなかった。当時の灯耶も彼女の悩みに寄り添うことが出来なかった。

 だが、今は違う。同じ悪食使いとして、同じ目線で向き合ってやることが出来る。


「しょうがないな。体を動かせば少しすっきりするかもしれない」

「えっ」

「まずは立ち上がれなくなるくらいまで、相手してやるよ。それでも答えが出ないなら、仕方ない。答えが出るまで相手してやるさ」


 結局のところ、弌藤は死にたくないのだ。それと同じくらい、かつての自分を許せない。これまでの自分を悪と定めて裁くのか、これからの自分の行動で償っていくのか。どんな結論を出すのだとしても、まずは感情の全てを吐き出す必要がある。内に貯め込んでいても、何の役にも立たないのは業と一緒だ。


「本気で来い。纏鎧!」

「ありがとう……辻崎さん。纏鎧!」


 二人の体を、それぞれの悪食が覆っていく。

 狼の黒陽と、犲の影月。纏鎧の法で作られた装甲は、色合い以外は兄弟と言えるほどによく似ている。


「さあ来い、弐貴ぁ!」

「行きます、灯耶さん!」


 二人の拳が鋭く重く、交錯した――

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