悪食
誰も知らない
抹消課の押さえている資産のひとつ。
つまりは、後ろ暗い何かをするための場所として、この廃ビルはあった。
香澄を連れた灯耶が到着した時、そこには弌藤と佐脇だけがいた。抹消課の同僚たちは到着していないという。
「香澄ちゃん……!」
「佐脇さん」
事情は弌藤から灯耶へ、そして香澄へと伝えられている。飲み屋での愚痴が原因で香澄の父は死んだ。佐脇という男が関与した責任の程度は、灯耶でも悩む程度には判断しにくい。
灯耶は香澄を、弌藤は佐脇を背に庇うようにして周囲を警戒する。
最初に狙われるのは、悪食をその身に宿していない香澄と佐脇だ。自然と四人は合流する形になる。香澄と佐脇を間に挟み、灯耶と弌藤は互いの死角を補う。
「弌藤くん。知っている情報を教えて欲しい」
「はい。上司が大嶽、部下が社。どちらも悪食使いですが、大嶽は悪食使いを殺せると聞いています。社は路行浩二氏を捕食させた悪食使いですが、その時点からの大嶽の協力者かどうかは分かりません」
「分かりやすい説明だ。助かるよ」
「いえ」
悪食が反応する。近くに悪食使いの気配を感じたようだ。
それなりに熟達した悪食使いであれば、悪食をある程度の距離、飛ばすことも出来る。その間の宿主は無防備だが、相手が悪食使いでさえなければ問題なく食い殺せてしまう。
「それ以上近づくな」
灯耶の言葉には答えず、物陰から男女が一組姿を現した。状況から見て、大嶽と社に違いはないはずだが。
「弌藤くん?」
「間違いありません。大嶽と社です」
どことなく軽薄な笑みを浮かべて、男の方が両手を広げた。
灯耶の胸元が軽く蠢いた。この様子だと不快感だ。
「いやあ、初めまして辻崎さん。お会いできて光栄です」
「あんたが大嶽さんかい」
「ええ。抹消課課長の大嶽と申します。このたびは色々と不手際で申し訳ない」
紳士然とした見た目に、どこか薄っぺらい雰囲気を帯びた言葉。なるほど、これは好きにはなれない。
こういうのが課長になれたということは、そもそも抹消課があまり良い経緯で作られていないだろうなと思う。続けられた大嶽の言葉は、そんな灯耶の懸念を裏付けるものだった。
「いかがでしょう。ここで手打ちにしませんか。我々は路行浩二氏を、あなたは鴻田大地を処分した。お互いに一人ずつ、尊い命が失われたのです。全て水に流し、今回のことは不幸な事故として忘れることにしては」
よくもまあ、心にもないことをぺらぺらと。
口調は丁寧だが、大嶽は明らかにこちらを舐めている。
「そりゃいい考えだ。で、あんた達がこちらを忘れてくれるという証はどう立てる」
「それについては信じてもらうしか。どうでしょう、抹消課に入っていただいて、直に我々を監視するというのは」
「あ?」
「そうすれば我々に二心がないということを証明できると思うのですが」
もしかしてスカウトのつもりだろうか。唖然としていると、大嶽は灯耶が抹消課に入った場合の待遇などについてぺらぺらと話し始める。まるで断られることなど考えていないといった態度。
後ろで弌藤が殺意を高めているのが分かる。嘘を嫌っているようだから、大嶽の虚言に怒りが募っているとみえる。
「悪いが断る。誰かの下につくつもりはないんだ」
「たしかに体裁としては私の部下ということになりますが、別に私に敬意を払えなんて言いませんとも。それに――」
「あんた、別にコウダの命を尊いなんて思ってないだろう。それに、香澄ちゃんの親父さん、本当に不正をしたってわけじゃなさそうだな?」
佐脇が体をこわばらせる気配。同時に香澄の体から剣呑な空気が漂ってきている。大嶽の言葉は、重ねれば重ねるだけ明らかに状況を悪くしている。だが、当の本人だけがそれに気づいていない。
大嶽は表情を変えもせず、これ見よがしに首を振った。
「誤解ですよ。路行氏はたしかに不正を行っていました。彼の処分と同時にその証拠も消えてしまいましたので、立証は不可能ですけど」
「巧いやりかた、と言えばいいんだろうな。でっち上げた罪状もなにもかも、悪食に食わせればなかったことになる。佐脇さんよ。香澄ちゃんの親父さんがいなくなってから、いくら支払った?」
「く、国や企業から出ている補助金から、取り敢えず二千万ほど。今回は誤魔化せると思いますが、次はもう」
「今度は文字通りの不正になったわけだ。で、気づかれそうになったら、今度は佐脇さんを悪食に食わせればいいんだもんな」
灯耶の言葉に、大嶽の笑顔がわずかに強張った。図星らしい。
手慣れているな、と思う。おそらくこれが最初ではない。あるいは大嶽の発案でもないのかもしれない。
大嶽がほう、と溜息をついた。
「抹消課はね、上の顧客も多いんだけど、悪食のせいか資金繰りが大変でしてね。私も先輩から教えてもらった小遣い稼ぎなんですわ」
少しばかり砕けた口調になる。かすかに苛立ちが感じられる。
「資金繰りが大変? 遊び金欲しさの間違いだろ? 公僕なんだから給料で満足しとけよ。その言い方だと、相当殺しているようだが」
何しろ悪食に食わせてしまえば記録も残らない。家族や近しい人間もその人物を覚えていない。不正に一度でも手を染めてしまえば、その容易さに止められなくなる。
今回のターゲットは佐脇だった。近しい人間に不満を持っていて、そして死んだあとも覚えている人間として狙われた。大嶽にとってはいつも通りの小遣い稼ぎだったはずだが、近しい人間の中にもう一人覚えている人間がいた。香澄だ。大嶽も把握していなかった相手のせいで、事態が明るみに出てしまっている。
「あー……面倒くせえ」
がっくりと頭を下げて。吐き出された言葉は、ここまでの大嶽の口調からは考えられないほど醜く濁っていた。
「あのさあ、辻崎さん。その辺りの探偵ごっこはもういいよ。俺が黒幕、実行犯は社さん。それが正解。それでいいだろ?」
「良くはねえよ」
「俺はさ、あんたを誘ってんの。弌藤は融通きかねえけど、あんたについてはよく知らねえからさ。こっちに一枚噛んで、面白おかしくやっていかねえか? って話」
砕けた口調からは、先程の丁寧な言葉よりもはるかに感情が感じ取れた。だが、言っていることは遥かにあくどい。
「まあ、逢坂香澄から何か請け負ってるっていうんならさ、その二人が居なくなりさえすれば考え直してもらえるってわけだろ」
「させると思うか?」
灯耶と大嶽、社の距離は悪食の射程としては遠い。放たれた悪食を自身の悪食で掴めれば宿主ごと無力化出来るが、一瞬でも相手の悪食が速ければ餌食だ。
香澄を連れてきたくはなかった。だが、目を離すと何をしでかすか分からない。置いてきたら、灯耶の忠告も無視してうろちょろするだろうという困った確信がある。
そして大嶽たちも、香澄と佐脇のどちらかがいなければ姿を見せなかったに違いない。灯耶と弌藤が待っている間に、探し出して処分するか人質にするか。どちらにしてもロクな結果が見えない。多少の危険があっても、連れて来た方が状況をコントロール出来ると思っていたのだ。
「じゃあ、社さん。手筈どおりにいきましょう」
「はい、課長」
「その二人がいなくなればー、抹消課と辻崎さんの対立点がなくなりますからー。お互い冷静にお話できると思うんですよねー」
結局、どこまでも誠意など感じられないのは一緒だった。
「ああ、だけど弌藤。てめーは駄目だ。お目々キラキラセエギノミカタは、見ているだけなら面白えけどこうなってくると邪魔なだけだわ」
「大嶽ェ!」
「まあ、ちょっと早まるだけだ。山県のジジイと一緒で、退職まで勤めあげても最期は社さんの悪食の腹ン中だわ。安心して死ねよ」
激昂する弌藤。社が体を低くして、横に走り出した。一瞬だけ、視線がそちらに引っ張られる。
「状況開始っ!」
「ぐふ!?」
同時に、大嶽がこちらに向かって走り出した。かなりの速度だ。ほんの一瞬、初動が遅れる。やむなく香澄をかばった灯耶の胸に、肩口からぶつかってくる。
思った以上の衝撃に、息が詰まった。ぐん、とかち上げられてそのまま壁に叩きつけられる。後頭部にかなりの衝撃。
息を吐き出す余裕はなかった。そのまま大嶽は壁を突き破ったからだ。悪食を身に着けていなければ、内臓破裂で死んでいてもおかしくない。
灯耶さん、と香澄の悲鳴じみた声が遠く聞こえた。
***
壁を三つ突き破ったところで、大嶽は足を止めた。乱暴に灯耶を引き剥がして、地面に叩きつけてくる。すぐに起き上がった灯耶だが、特に体に痛みはない。黒陽が前後の衝撃を引き受けてくれたからだ。寄生型の怪異である悪食は、宿主が外傷などで死なないように力を尽くす。
こうなることが分かっていたのか、大嶽も灯耶が立ち上がることを当然のように受け入れていた。そのまま笑顔で提案してくる。
「油断しましたね。君さえ押さえておけば、社くんが弌藤くんを殺し、あの二人は食われる。そうすれば我々と君が争う理由はない。違いますか?」
「獣臭えぞ、大嶽さんよ。あんたはあれだ、よほど業が深いんだな」
口調が丁寧なものに戻っているのは、目論見通りに事が進んだからだろうか。それにしても、露わになった悪食の獣臭がひどい。
悪食を使う者には、業と呼ばれる淀みが生まれる。業そのものには匂いもなく、色もなく、体にも特に影響を与えたりはしない。
だが、悪食の名を知り、悪食との同調が上がってきた宿主にはその違いが明確に現れるようになってくる。
「はあ? 何を言っているんです?」
「話なんぞ聞く気もない。俺の判断基準であんたは大悪だ。とっとと駆除した方が世の中の為ってな」
「私は法のもとで悪食を行使しているんですよ。悪というなら君の方です。それに、俺にそんな口を利いてて良いのか?」
「あ?」
「顔を知った以上、我々はお前だけではなくお前に関わるすべての縁者を割り出すことが出来る。すべての縁者が死んだ後も、そんな風に余裕ぶっていられるかよ」
途中から口調が荒れる。やはりこちらが本性か。
自身の悪食を解き放ち、身を守るように全身に覆わせる。大嶽の体に蓄積された業が獣性となって、まるで二足歩行の獣のように見える。
顔のかたちは猪か、豚か。なるほど、突進が巧いわけだ。
紫じみた毛皮は変に照りついて、人の姿だった時の涼やかな印象は残っていない。
悪食で全身を覆った姿は、自分では見えないから大嶽も気にした様子はなかった。だが、どれほど私欲に塗れたらこれほど醜悪な見た目に変わるものか。
「お互い悪食使いを食えるレベル。俺はお前に勝てないが、お前も俺に勝てないわけだ。さあ、あの三人が死ぬまででも、気が済むまで付き合ってやろう!」
「まあ、好きに言ってろ」
灯耶もまた、大嶽と問答をするつもりはなかった。社という女が弌藤を殺せるとは思えなかったが、それもまた勝手に勘違いしていれば良い。
それに。たかが名前を知って悪食を全身にまとわりつかせられる程度で、勝つの負けるのと言われても。
ふと気になることがあった。組織の枠を超えて、好き勝手やってきた男だ。もしかすると悪食に声をかけられたことがあるかもしれない。
「ところで大嶽さんよ。あんた、自分の悪食の声を聞いたことはあるか?」
「今度は悪食の声かよ。わけの分からないことばかり言ってるが、もしかしてお前、悪食に頭でもヤられてんのか?」
「そうか。もういい」
つくづく期待外れな男である。悪食も声をかけない程度に小悪党だったか。
灯耶は特に構えることなく、ただ告げた。
「来なよ。跡形もなくなるまで削り殺してやる」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます