虚実
佐脇英介の情報は、拍子抜けするほど簡単に手に入った。新型エネルギー研究所の所長。経歴についてはおそらく路行浩二のものと交じり合っているのだろう、誇張が入っているようにすら見える。
もしも記憶を操作される側だったとしたら、彼はどうなっていたのだろうか。自分に生まれつきの才能があったと信じ、書かれた経歴を歩いて来たと自負し、しかしその本来の能力が評価や結果に追いついていない。
世間はきっと、それを才能の終わりと知ったような顔で言うのだろう。当人も自分の才能が枯れたと信じるのかもしれない。それはそれで、とても
辻褄合わせは残酷だ。
さすがに、佐脇と抹消課の誰かとのつながりは分からなかった。十中八九大嶽だと思うが、証拠はない。パソコンを落としたところで、視線を感じたような気がして振り返る。
「おや、弌藤くん」
「課長」
現れたのは大嶽だった。
柔らかい笑みこそ浮かべているが、目の奥は笑っていない。
弐貴も笑みを浮かべて、大嶽に対する。
「辻崎氏と話をつけてきました。向こうはこちらの要望を受け入れましたよ」
「そうですか、ご苦労様」
大嶽は笑みを浮かべたまま、弐貴の隣の席に腰を下ろす。
肩に置かれる手。嫌な予感がしたが、エイゲツを信じてされるがままにしておく。
「そういえば、辻崎氏とは連絡先の交換を?」
「ええ。先程」
「そうですか」
「何か?」
弐貴の問いに、大嶽はしばらく答えなかった。にこにこと笑みを浮かべたままだ。
何かを待っているのだろうかと待っていると、大嶽は何事もないかのように口を開いた。
「いや、大したことではないんですがね。逢坂香澄を参考人として呼び出さなくてはならなくなりました」
「参考人、ですか?」
「ええ。殺人事件のね」
「殺人事件」
何かをやってくるだろうと思っていたが、こうまであからさまにやるか。
弐貴が辻崎の側についたのはついさっきのことだ。大嶽は疑ってはいるだろうが、確証はないはず。こちらの反応を探っているのがその証拠だろう。
「鴻田さんたちの殺人の嫌疑で、ということですか?」
「いいえ。鴻田くんたちは公式に存在していないことになってしまっていますから、そういう形には出来ません。一昨日発生した、普通の殺人事件ですよ」
「一昨日の殺人事件ですか。ちょっと無理筋では」
「家に帰っていなかったそうじゃありませんか。何か目撃していないかと思いましてね」
「なるほど」
辻崎のことだから、家に送ってそのままにはしていないはずだ。最初から彼は抹消課を信用していない。おそらく弐貴のことさえ、まだどこかで疑っている。
一方で大嶽は自分の頭を過信しているのか、どうも詰めが甘い。いや、弐貴がそう思えるのも、辻崎という人物を知っているからだ。
大嶽がこちらに手を乗せているのも、怪しい動きをしたら悪食で削り殺そうという腹だろう。
「辻崎氏と連絡を取られては困るから、朝まで私とここで待っていてくれますか」
「僕を疑っているわけですね」
「念の為ですよ」
わざとらしく溜息をつくと、弐貴はスマートフォンを目の前に置いた。
大嶽は笑みを深める。確かに弐貴が伝えなければ、辻崎は抹消課の動きを直接知ることは出来ない。
「すみませんね」
「いえ、事情は分かりますから」
だが、今の弐貴は抹消課の同僚たちよりも辻崎の方が信じられる。
弐貴はとりとめもない話を大嶽と続けながら、朝が来るのを待つのだった。
***
午前九時。
最初に出勤してきたのは社だった。参考人として呼び出すには無理筋だからか、出勤がてらで依頼を出してきたという。悪食に関わっているせいで、課外の人間から忘れられやすい悪食使いの弊害だ。この時点で弐貴は、社と大嶽が共犯だと確信した。
社は社で弐貴と大嶽の様子を見て目を細める。彼女もこちらを疑っているか。
二人と内心で敵対しているのだから、疑われても腹は立たない。こちらを騙し続けていることが不愉快なだけだ。
「ま、直接接触したのは弌藤くんだものね。疑われるのは嫌かもしれないけど、我慢ガマン」
「分かってますよ。仲間に疑われるのは嫌ですから、大人しくしてます」
大嶽も弐貴の肩から手を外している。さすがに長時間過ぎて疑われると思ったからだろう。
と、社の鞄から着信音。勝ち誇った顔で電話に出た社の表情が、凍る。
「課長。逢坂香澄の確保に失敗しました」
「何ですって? 帰宅したのではないのですか」
「帰宅したのは確かです。朝食までは自宅にいたと保護者も」
やはり自宅に監視をつけていたか。課内にも二人の協力者はいるらしい。つくづく腐っている。これで公の機関だとか。
二人の視線が向くが、弐貴は軽く首を傾げるに留めた。辻崎がどうやって監視の目をかいくぐったかは分からないし、そもそも連絡も取っていない。他でもない大嶽が証人だ。何か? と聞けば何でもありませんと首を振る。
「弌藤くん、辻崎氏と逢坂香澄は合流したと思いますか?」
「さあ、どうでしょうね。聞いてみましょうか?」
「ええ……いや、やめておきましょう。合流していたとしたら、余計な情報を与えることになります」
「分かりました」
社は他にも何人かと連絡を取っている。友人宅、学校。どこにも出没はしていないらしい。辻崎と合流したのであれば、弐貴も含めて誰も所在を掴めないだろう。佐脇と出くわしたマンションはいくらなんでも使わないだろうし。
「では、僕も逢坂香澄を探します」
「弌藤くん、君はこの件から」
「どこまでも僕は疑われているわけですね。分かりました、端末はここに置いていきます」
「助かります」
「疑いが晴れるまで、有休でもいただいておいた方が?」
「そうしていただけますか」
大嶽も社も、逢坂香澄と辻崎を脅威と見なしている。
弐貴はそ知らぬ顔で鞄を手に取ると、スマートフォンを置いたまま出口へ向かう。
疑惑の視線を背中に浴びながら、笑顔で二人に頭を下げる。
「それでは失礼します」
***
弌藤が立ち去った後、大嶽は厳しい顔で目の前のスマートフォンを見た。
これで良かったのだろうかという不安がある。社がちらりと外を確認し、弌藤が立ち去ったのを確認してから口を開いた。
「殺してしまえば良かったのでは?」
「それも考えましたよ。ですが、良いのですか? もし彼がいない場合、矢面に立つのは君です。我々は辻崎という男の顔も知らない」
「あ、それは……」
社はそこで口ごもる。大嶽が悪食を今でも宿しているというのは、課内には秘密なのだ。顔も知らない辻崎という男に狙われるのは社だけ。
弌藤が向こうにどの程度の情報を流したかによっては、一方的に狙われる形になってしまう。殺してしまえば彼の持っていた情報も消えてしまうから、辻崎の正体は分からないままになる。
大嶽は弌藤のパソコンを起動して、スマートフォンを手に取った。弌藤は確かにここで何かを調べていた。何を調べていたのか。
「ち、さすがに履歴は消していますか」
「手がかりなしですね」
「社さん。弌藤くんを尾行してください。まだそれほど遠くには行っていないはず」
「尾行ですか?」
社を見ると、彼女は乗り気ではなさそうだった。
辻崎と弌藤がもしも合流したらと考えたのだろう。彼女の行動指針は常に保身だ。こういう役割を好まないのは分かっているが。
「彼がまっすぐ自宅に戻るのかを確認するだけでも良いです。最悪、彼が敵ではないことを確認出来ればそれで」
「……分かりましたぁ」
がっくりと項垂れる社。ここでごねても意味はないのはお互い分かっている。
「急いでください。彼は電車通勤ですから、この近くで合流するのでなければ、少なくとも駅には向かっているはず」
「了解です」
頭の中を切り替えたのだろう。社はすっと立ち上がると、部屋から出て行った。
大嶽は大きく溜息をつくと、すっと目を細める。何もかもが裏目に出ている。全て放り出して姿を消してしまおうか。
「面倒くせえな」
ぼそりとそんな言葉を吐き出すその表情は、普段の紳士然とした大嶽の姿とは大きくかけ離れていた。
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