怪異

 暗い道を歩いて戻る。心の中にあるのは、騙されたことへの不満か怒りか、あるいはかつての仲間を裏切ることへの罪悪感か。

 ここの所、まったく安定しないメンタルを抱えながら、自分が信じる正しいことを行うべく職場への道を歩く。普段使わない道を使っているのは、出来るだけ抹消課の誰かと顔を合わせたくなかったからだ。

 前にも後ろにも、誰もいない薄暗い路地。

 声は、本当に唐突に聞こえてきた。


『ま、少しはデキるようになってきたみたいじゃないの』

「!?」


 立ち止まった弐貴の耳に、囁くような男の声。


『あたいを使うこと、認めてあげるわ』

「君は……僕の悪食か」

『ええ。知っているわよね。あたい達がしゃべれるってこ・と』

「辻崎さんとあの悪食が話しているのを、聞いていたのか?」

『まあね。人の言葉を話さなかっただけだもの』


 どうやら、これが辻崎の言っていた『悪食に認められる』状態だということのようだ。喋り方のせいか緊張感が削がれてしまうが、これが自身の悪食の持つ個性だというのなら、認めなくては。

 心強い限りだ。佐脇という人物の情報を調べるということは、抹消課の後ろ暗い部分を探る作業になるからだ。社であれ大嶽であれ、弐貴が敵対していると理解すれば間違いなく排除しようとするはず。


「君の声を聞けるようになれば、悪食使いを食い殺す悪食にも対抗できるということか?」

『ちょっと違うわね。普通の人間のように普通に食い殺すことは出来ないの。悪食使いの命と情報を少しずつ削り取っていくだけ。悪食と悪食使いが同調していればいるほど、相手の命を削りやすくなるし、削られにくくなるワケ』


 つまり、悪食使いの悪食との同調率か。自分より同調率の低い悪食使いならば削り殺すことが出来る、と考えれば良いのかと聞くと、そうだという答えが返ってきた。


『まあ、あんたのいた……マッショウカ? の連中であれば問題ないでしょ。問題はあのツジサキよ。絶対に敵対するんじゃないわよ』


 ふてぶてしくも気の抜けた喋り方が、辻崎への警告の時だけ鋭くなる。どうやら辻崎と彼の悪食に関してだけは最大限の警戒をしているようだ。


「君と僕が力を合わせても無理かい」

『無茶言うんじゃねえわよ。今しがたちょっと使えるようになった程度で、あんな怪物に対抗しようなんて考えるのが間違ってるんだからね』


 最初に辻崎と邂逅した時に、本気で怯えていたのを思い出す。元々が臆病な性格なのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。こちらと話す時のふてぶてしさからすると、単純に辻崎が特別なのか。


『あっちの悪食はあたいとほぼ同格ね。問題はツジサキってやつの方。どうやったらあんなに同調出来るのか分からねえわ、あれ。悪食とほぼ同化していると言って良いくらいよ。あれを削り殺すなんて出来るわけがねえから、何があっても味方になっておきなさい』

「そ、それほどなのか。分かったよ」


 自分は思った以上に悪食まわりの事情に明るくない。確かなのは悪食と自分は一蓮托生であるということだ。悪食だって自分の無事のために言っているのだろうから、忠告については素直に聞いておく。

 職場が見えてきた。ただ情報を検索するだけであれば、それほど時間は必要ない。だが、辻崎が欲しがっているのはおそらく、佐脇と繋がっている誰かの情報。いざとなれば佐脇と接触して、繋がっているのが誰なのかを知らなくてはならない。


「社さんの同調率は上がっているかな」

『さあね。あのオオガケが、自分に牙を剥く可能性のあるやつに名前を教えるとは思えないケド』

「名前?」

『あたい達それぞれの名前よ。知っていればそれなりに同調率も上がるからね』

「なるほど、それで」


 悪食が喋ることについては、大嶽からも社からも鴻田からも、一言だって聞いたことがない。悪食に認められなければ声を聞けないというのであれば、つまり抹消課の悪食使いはこれまで誰も悪食から話しかけられなかったということだ。


「悪食が喋れるなんて、辻崎さんに会うまで知らなかったけど。君たちは抹消課の人たちには何で話しかけなかったんだ?」

『そりゃ、認めてなかったからよ』

「認めてない? 辻崎さんも言っていたな」

『あたい達は元々、自分たちの判断で悪い人間を食っていたの。けど、あんたらが言う悪って、なんかいろいろ増えてよく分からないからさ。じゃあ人間が悪を決めて、決められた悪をあたい達が食えばいいってことにしたのよ』

「よく分からないな。ならなんで辻崎さんは認められて、抹消課の僕たちは認められていなかったんだ?」

『だってあんたら、あたい達と一緒じゃない』


 そう言って含み笑いを漏らす悪食に、弐貴はますます困惑する。一緒?


「一緒って、どういうことさ」

『一緒でしょうよ。あたい達は人間の道具になることを選んだ。あんたらもシャカイとかホウってやつの道具じゃないのさ』

「それは……!」


 否定しようとして出来なかった。辻崎の言葉がふと頭をよぎったからだ。言い方は多少異なるが、そんなふうに言われて初めて、弐貴は辻崎と自分の違いに気付いた。


『自分で悪と決めるんじゃなくて、誰かが決めた悪を殺す。あんたらがしてることはあたい達と一緒なのよ。道具が道具に話しかけることはないでしょ? だから話しかけなかった。お分かり?』


 誰かに定められた悪じゃなくて、と彼は言った。法や社会規範さえも、悪食からすれば誰かの決めた誰かの悪なのだ。

 辻崎は自分で判断し、自分で悪と決めた者を悪食に食わせているということか。ここまで聞いてようやく、彼が悪食をただの怪異と言ったわけを理解した。悪食は人間社会に迎合しているわけではない。人間社会を利用しているだけだ。


『あたいがあんたを認めたのは、あんたが自分で悪を決めたからさ。あんたは誰が悪かを決める、あたいはそれを食う。これからよろしく頼むわよ、相棒?』


 ぎちぎちと、喜色悪い笑いを漏らす悪食。

 弐貴は悪食を身に宿してから初めて、自分の悪食を心からおぞましいと思った。不思議とこれまで気にも留めていなかった悪食の着心地がとても嫌になる。

 ともすれば嘔吐してしまいそうな感触に身を包まれている。そんな錯覚に耐えながら、それでも弐貴は笑みを浮かべた。このおぞましさを受け入れる。それが悪食使いとしての成長だと思ったから。


「ああ、よろしく相棒。ところで……君の名前を教えてもらってもいいかな? 同調率を上げておくに越したことはないだろう?」

『あたいの名前は『エイゲツ』さ。あんまり名前で呼ぶんじゃないよ、名前を知られたらそれだけ相手の抵抗が上がるからね』

「そういうものなのかい?」

『そういうもんさ。だからあのツジサキだって、普段は名前で呼ばないじゃないか』


 勉強になることばかりだ。

 辻崎の悪食運用には無駄がひとつもない。彼のやり方と言葉が、すべて答え合わせになっていると実感しつつ、弐貴はエイゲツ――影月だろうか――に最後の質問を行った。


「最後の質問だ。君たちは、なぜその人間の記憶や記録まで削り取るんだ?」

『さあ? 考えたこともないね。あたい達は腹いっぱい食えればいいのさ。食える数には限りがあるから、出来るだけしっかり食っただけじゃないかね』


 なるほど。

 弐貴は心の底から理解した。

 悪食とは怪異だ。辻崎の言うように、ずる賢いだけの邪悪な怪異。食った相手がどんな悪であるかさえ、どうでも良いのだから。

 反吐の出そうな現実を受け止めながら、弐貴は笑った。

 笑わずにはいられなかった。


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