敵と味方と

「あれ、社さん。今日から復帰ですか」

「ええ。心配かけたわね、弌藤くん。休んでばかりもいられないから」


 辻崎から悪食の残骸を受け取ったあと、弐貴は結局翌朝までほとんど眠ることが出来なかった。始業よりかなり前に出勤したにも関わらず、抹消課には先に出ている人物がいた。有休を取っていた社だ。驚きに目を見開く弐貴だったが、社は先日の不調などどこ吹く風といった様子で朗らかな顔を見せている。

 秘密を知ってしまった、と怯えていたはずだが、どういった心境の変化だろうか。


「本当に鴻田さんと加倉ちゃん、いなくなっちゃったんだね」

「……はい」


 並ぶ机を見回して、少しだけ悲しそうにつぶやく社。

 少し前であれば、何も疑うことなく一緒に悲しむことが出来たはずだ。しかし、今の弐貴は社のその姿がどうにも嘘くさく見えて仕方がない。

 視線を伏せて、感情を読まれないように返事をひとつ。

 鴻田と加倉が死んだことはもちろん悲しい。だが弐貴の中には、何故だかそれだけではないもやもやとした感情がある。

 弐貴は社とそれ以上目を合わさずに、業務の準備を始める。

 理由もなく早く出勤したわけではない。目当ての人物の出勤が早いことを理解しているからだ。


「課長。おはようございます」

「おはよう、弌藤くん」


 何も知らない同僚たちが出勤してくる前に、大嶽に会いたかったからだ。


「ちょっとお話が」

「……分かりました。伺いましょう」


 こちらの表情に何を察したか、荷物を自分の席に置いた大嶽は会議室へと弐貴を伴うのだった。


 ***


「これは……確かに鴻田くんの悪食。しかも、死んでいますね」

「そのようです」


 鞄から取り出した残骸を見た大嶽が、頭を抱える。

 その様子を見るかぎり、死んだ悪食を蘇らせることは出来ないのだろう。あるいは方法を知らないか。


「弌藤くん。これをどこで?」

「昨晩、辻崎と名乗る男が僕に。逢坂香澄から手を引けと。それを受け入れるならば自分はこちらと敵対しない、と」

「知り合いですか?」

「親しいわけではありません」


 探りを入れられている、と感じる。辻崎が気にしていたのはこれか。知らない悪食使いと外で会っていたと知れば、勘繰るのも無理はない。

 弐貴としては、隠していたことについては自分なりの理由がある。だが、嘘をつき続けるというのも無理筋だろう。この際だから大嶽にある程度は事情を伝えることにする。


「何度か行った喫茶店で偶然出会いました。喫茶店の店員が僕のことを覚えていたので、抹消課にスカウトするか処置するか悩んでいるところに声をかけられまして」


 店の名前もマスターとも言わなかったのは、漠然とした不安があったからだ。

 辻崎はやると言ったらやる、そんな凄みがある。事実として鴻田は悪とされて食い殺された。算段がつかないのにマスターを狙わせれば、抹消課そのものが標的にされる。


「声、ですか。それはどのような?」

「僕を悪食使いだと分かっていたようでした。その人物を悪食に食わせるならば僕を削り殺す、と」

「ほう?」

「言葉に嘘はない、と思いました。方法は分かりませんでしたが、勝ち目はないと」

「それで」

「敵対するつもりなら、部署の全員を削り殺しても構わないと言われましたので、報告を上げませんでした」


 大嶽はふむ、と言うだけで黙り込んでしまった。弐貴の言い分を疑っているのだろう。正直なところ、気分は良くない。

 そもそも、社の言葉が正しいのであれば、大嶽は悪食を宿していることを秘匿している。また、悪食使いが悪食に食われないというルールが嘘であると知っていたことにもなる。どんな理由があれど、弐貴を騙していたのは大嶽の方が先なのだ。

 少なくとも辻崎は、自分に対して嘘はつかなかった。誠実に敵意を向けてきたし、質問にも偽りなく答えてくれていた。


「敵対はできませんね。方法は分かりませんが、鴻田くんを悪食で、その……削り殺す? ことが出来るというのであれば」


 ろくでもないな、と弐貴は内心で毒を吐いた。

 これで社か大嶽のどちらかが、弐貴に嘘をついたことになる。問題は、嘘をついているのはどちらか、という点だ。

 大嶽が嘘をついていると仮定する。社が嘘をついていたのであれば警戒する必要はないが、大嶽が嘘をついているなら、弐貴は今、自分を跡形もなく殺せる人間と一対一で話していることになるからだ。


「方法について、何か聞いていませんか? どんな些細なことでも構いません」

「さあ……? それらしいことを聞いたような気もしますが、正しいかどうか確認するわけにもいきませんし」


 実際には、その方法を聞き出す途中だったのだが、弐貴もそれをわざわざ説明する必要もない。疑われている以上、馬鹿正直に『まだ知らない』などと言えば、大嶽が手を出してくる可能性だってあるのだ。

 案の定、大嶽は軽く引きつった顔で頷いた。確かに試すわけにはいかないよね、と笑いかけてくるので、へらりと笑って返す。一瞬『試してみますか』と軽口を叩いてみようとして、思いとどまった。こんな危険な場所で、地雷を踏んでどうする。


「では、逢坂香澄の件は忘れると伝えてください」


 大嶽は、さも苦渋の決断であるといった口調で条件を飲んだ。だがもちろん、辻崎の都合を受け入れるばかりではない。


「ただし、逢坂香澄本人が今回の件を混ぜ返さないことを条件として、です。それが守られないのであれば、我々も提案を受け入れることはできません」

「当然のことと思います」


 抹消課からの条件は、弐貴にとっても正しいと思えるものだった。その約束が出来なければ、こちらが不利になるばかりだからだ。辻崎は代わりに自分を狙うのは良いと言っていた。逢坂香澄の生活を守りたいという言葉に嘘はないと思う。

 必ず伝えると言うと、大嶽は仕事に戻ろうと弐貴を促しながら、ぼやくように言った。


「しかし、それほどの悪食使い……。鴻田くんの件で遺恨こそありますが、出来れば抹消課にスカウトしたいところですね。そうでなくても悪食使いが野放しというのは良くない」


 大嶽の言葉にはおおむね同意の弐貴だったが、辻崎が抹消課に繋がれるとはどうしても思えなかった。何よりまず、そんな姿が想像できない。

 辻崎は自由で孤高だからこそ、彼の悪食と対等に話すことが出来るに違いない。そんな風に思えた。


***


 とはいえ、辻崎と会うのは夕方にならないと難しい。弐貴はそのまま本日の業務へと向かう。

 弐貴が自分の不調を自覚したのは、この日の抹消業務を消化しようと処置室で相手と向かい合った時だった。

 説明は受けていた。世に知られると世間に悪い影響を与える人物を、秘密裡に抹消するのが抹消課の業務だ。罪状の説明も受けたし、確かに悪食の行使が至当だと弐貴も納得している。

 だが、本人を目の前にして。それが本当に正しいのか、自信が持てなくなってしまったのだ。

 悪食に命じようとしたところで声が詰まるが、つっかえながらも指示を出す。


「かっ。彼は、悪だ、悪食」


 相手が暴れ出す前で良かった。弐貴の上着に擬態していた悪食が、あっという間に飲み込んで平らげてしまう。


「悪、悪か」


 削り取られる気配を身近に感じながら、弐貴は昨晩の辻崎の言葉を何度目か思い返していた。

 ああ、そういえば。

 大嶽は話を始めてから終わるまで一度も、鴻田が辻崎の悪食に削り殺された理由を知っているかと弐貴に聞こうとはしなかった。

 あるいは、鴻田がたびたびやらかしていた不祥事について、聞くまでもなく知っていたのかもしれない。

 嘘か本当か、確認しなくてはならないことがまたひとつ増えた。

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