裏切りと嘘と
弌藤弐貴が辻崎灯耶と会っていた頃。
大嶽は社に呼び出されて彼女の自室近くにあるファミリーレストランに足を運んでいた。有休を取っていた彼女から話があると連絡を受け、この場所を指定したのは大嶽だ。
朗らかな表情が魅力だった社は、随分と不健康な顔立ちで店に入ってきた。服装が整っている分、その顔色の悪さを際立たせている。
「待たせました?」
「いや、それほどでもない。随分と、調子を崩しているようだね」
「ええ、まあ」
注文を取りにきた店員にステーキセットを注文する大嶽。社にも好きなものを食べるように指示すると、軽めのリゾットを頼んだ。
料理が届くまで、社は無言だった。緊張を感じさせる浅い呼吸を繰り返しながら、時機が来るのを待っている。
リゾットとステーキが、トレイに乗せられてやってくる。置かれた料理と、ごゆっくりという言葉。店員が歩き去っていく気配を感じたか、社は静かに目を開けた。
「鴻田さんと加倉ちゃんが被害にあったと聞きました」
「ええ。社さんも気をつけてくださいね」
周囲をはばかる話題だ、声も自然と抑えられる。店の隅を選んで良かった。ほとんど客がいない時間帯だが、用心に越したことはない。
だが、大嶽には社が自分を呼び出した理由に心当たりがなかった。深刻そうな顔をしているから、何か大きな問題があったと思うのだが。
ステーキにナイフを入れながら、社が話を切り出すのを待つ。
「……山県さんは、課長の悪食に食われたんですよね」
疑問ではなく、確信を持った問い。大嶽は内心でかなり動揺したが、ステーキを切る動きに動揺を表さなかった自分を褒めた。
社の視線は、顔色の悪さも重なって随分と重々しい。大嶽は過去一ヶ月の課内での会話を思い返しながら、社の言葉の核心を待つ。
「何故そんなことを?」
「鴻田さんと話していたのを聞いてしまって。最初は何かの冗談だと思ったんです。でも、どこか引っかかって……」
いつの話だったかに思い当たる。同期で悪食を手にしたのも同時期だった鴻田は、大嶽に随分とライバル心を持っていた。最悪だったのは、山県を捕食させたところを見られてしまったことだ。
悪食使いを食らう悪食。鴻田がそれを求めていたことを大嶽も知っていたが、彼は悪食の運用思想に少々問題があったため候補から外された人間だ。教えるわけにはいかなかった。
社にその会話を聞かれたことは痛恨だった。彼女の顔色の悪さにも納得がいく。知られれば殺されるという不安だ。
「言っておきますが、鴻田さんを殺したのは私ではありませんよ」
「そうでしょうね。私もそれを疑ったわけじゃないんです」
「と言うと?」
社が不意に、媚びるような笑みを浮かべた。
そこで大嶽は気付いた。彼女は今、自分を売り込もうとしている。大嶽と鴻田が組んでいると認識していて、彼が死んだ今こそ自分が仲間になる余地があると。
大嶽は切り分けたステーキを口に運びながら、社の様子を窺う。
鴻田のように、悪食使いを殺せる方法を知りたいと言ったらアウト。それ以外なら話を聞くのもやぶさかではない。
「課長。私はね、死にたくないんです」
「ええ」
「生き延びるためだったら、何だってします。知るべきことは知るし、知るべきではないことには触れない。あなたの便利な道具として、一生を無事に全うしたいだけなんですよ」
満点の合格だ、と大嶽は思った。
社は自分の立つべき位置を十分以上に分かっている。このタイミングで自分を呼び出したのも、今ならば大嶽が社を殺すことはないと踏んだからだ。
鴻田を殺したのが大嶽であっても第三者であっても、どちらでも良かったのだ。
大嶽は合格の通知を、遠回しに告げる。
「山県さんは、確かに私です。これは単純に、課内の内規によります」
「内規、ですか」
「はい。抹消課が保有している悪食は三体ではなく、五体。課長だけが退任後も悪食の保有を認められます」
「剥がせないから、ですか」
「そうです。悪食使いに勝てる悪食使いですから、単純に無理なんです」
「ああ、なるほど」
社は何故山県を、とは言わなかった。聞いても本人には意味がないからだろう。
年齢を理由に辞めたいと言った彼を食わせなければならなかったことには、忸怩たる思いがある。今でも大嶽の心に重くのしかかっている。当たり前だが、課の仲間に仲間意識がないわけがないのだ。
逆に言えば、その葛藤を飲み込んで実行できる者だけが課長になれる。
「課長になったのは、二代前の課長が亡くなった時です。遺族の方から悪食が返還されたことで、形式上『悪食を返上した』と言えますから」
課内で四体、退任者が一体。五体の悪食を運用することで抹消課は社会の秩序を守ってきた。
最初に鴻田と加倉が死んだ時に大嶽が疑ったのは、前任の課長だ。だが、課長は離れた土地に引っ越しており、どう考えても実行は不可能だった。念のために確認も取ったが、自分ではないと証言している。
課長クラスしか知り得ない情報を開示したことで、社も理解したようだ。満面に喜色を浮かべて、喉を鳴らす。
「課長、それはつまり」
「私の次の課長は社さんだということですよ。弌藤くんには申し訳ないですが……」
社は安心したように息を吐き出すと、両拳をぐっと握った。勝負に勝ったと思ったのだろう。大嶽としても、次は人格的にどちらでも構わない。
ぐぐぅ、と大きな音がした。がば、と社が腹を隠す。安心した途端、腹が正常な仕事を始めたのだろう。
「安心したなら食べなさい。冷めますよ」
「は、はい」
顔を赤らめて、スプーンを手に取る社。一口ほおばり、美味しいと感動したような面持ち。
暫く無言で食事に没頭していた社だが、唐突に何かを思い出したかのように顔を上げた。
「そうだ。鴻田さんが課長じゃないってことは、まったく別の人がやったってことですよね」
「ええ、そうですが」
もぐもぐとリゾットを咀嚼しながら、何やら考え込む。
しばらく考えた後で、納得したように頷いた。
「弌藤くん、知っていたかもしれません」
「何を?」
「彼、悪食使いを悪食でやれること、知っている様子だったんですよね」
大嶽は思わずナイフを取り落とした。社が知っているのは納得できる。だが、弌藤が知っている理由にはまったく思い当たらない。
社がどうしてそう思ったかの説明を始める。社の部屋に弌藤を向かわせたのは他ならぬ大嶽だが、その時の会話で違和感を感じ取った社の説明には理がある。
注意喚起を口にした理由は、見知らぬ人間からの奇襲を警戒してのことだ。いかに悪食使いと言っても、物理的な暴力にはリスクがある。背後から喉を刺されるなどすれば、悪食で相手を食わせることも出来ないからだ。
社が弌藤にそんな話題を振ったのは、彼が大嶽の協力者かどうかを確認するためだったという。彼も事情を知っているのであれば、自分が知っていても生き延びられる可能性が上がる。
だが、弌藤は狼狽したものの自分が大嶽の協力者だとは言わなかった。当然だ、そんな事実はない。
「弌藤くんは方法があることを知っている。だが私を経由していない。つまり」
「やった奴のこと、元々知っているんじゃないですかね」
社が目を細めた。歪んだ笑みだ。顔色の悪さも重なって醜いとさえ思う。
だが、なるほど実に役に立つ。
「実に有益な情報ですね、社さん。よく休んで、ちゃんとした顔で戻ってきてください」
「もちろんです。今日はよく眠れそう」
社の顔には、安堵だけがあった。
同僚を売り渡した後ろ暗さも、躊躇もない。少々性格に問題があると大嶽は思ったが、特にそれを感情に乗せることはなかった。
弌藤の様子次第では、どうせ消去法で彼女が課長になるのだから。
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