貪る
灯耶が香澄の自宅近くに足を運んだ時、感じたのは随分とひどい死の気配だった。悪食が人を食うと発生する気配だ。それが奇妙に濃い。一人や二人を捕食させた程度ではこれほどの濃さにはならない。それこそ、短時間に十人近くを捕食しない限り。
発生源は逢坂家かと思ったが、香澄の自宅に目をやるとちょうど人が動いているのが見えた。殺伐とした様子ではないから、弌藤の仲間が踏み込んだわけではなさそうだ。
初日から香澄の家族を人質に取るような強硬策には出なかったようで安心したが、そうなると周囲の死の気配に理由がつかない。気配の出所を探りながら、慎重に相手を探す。
「だ、大丈夫なんですか、鴻田さん。あの男が協力者だという根拠は」
「根拠? ないよそんなの」
耳を疑うような言葉が聞こえてきたのは、灯耶の視界に映っていた黒い服の男性が地面に沈むように消えた直後のことだった。
声の方向に目をやれば、不用心にもそれなりの声で騒いでいる一組の男女。それなりに知っている者が聞けば、すぐに分かる内容を話している。馬鹿なのだろうか。いや、無頓着に悪食を運用しているから馬鹿なのだ。
灯耶は気付かれないように二人の背後に回る。反吐が出そうな会話を続けているその背中は、自分たちが狙われる側になるかもしれないという警戒感はまったくない。
「まあ、無関係なら済まなかったとは思うよ。でもさ、悪食に食われるのは悪で、俺たちは正しいんだ。こんな時間帯にあんな怪しい格好で歩いている方が悪い」
「そ、そうですよね! そっか、悪食が食うものは悪。その通りですよ!」
「だろ? それに、食われた後のことを覚えているやつなんてほとんどいないんだ。間違っていたとしても、俺は反省して次はそうならないように気をつける。だから大丈夫」
「そんなわけあるか」
言葉を差し込むと、弾かれたように二人が振り返った。それぞれの顔面を掴むと、当然だが剥がそうと手を掴んでくる。自分でも思った以上に頭に来ていたのだろう、悪食が両腕をしっかりと覆っていた。
「食い殺せ、悪食ッ!」
「寝ぼけてんのかてめえ」
灯耶と比べて、目の前の男は悪食使いとしての格が明らかに下だ。弌藤と同じ程度だと把握する。組織に所属している悪食使いというやつは、どうしてか悪食使いとしての格が低い。
理由は分からないでもないが、説明してやる義理もない。
「加倉! 大丈夫か!? まずった、逃げろ!」
「こ、鴻田さんっ!」
別に知ろうとも思わなかったが、言い合ってくれたお陰で名前だけは分かった。男がコウダで女がカクラ。
そんな仲間意識を発揮できるなら、何故あのように人を安易に悪食に食わせることができるというのか。
「くそっ、お前が逢坂香澄の協力者か!?」
「そうだ。路行香澄の協力者で、悪食使いだ」
「や、やっぱり!」
「食い殺せ、食い殺せ悪食っ! 何してる!」
じたばたと見苦しく暴れるコウダが、自身の悪食に命令する。
じろりとコウダの服を見ると、怯えた様子でコウダの悪食が離れる。この辺りも弌藤と同じだ。相棒との信頼関係などかけらもない。お互いに道具扱いしているようなものだから当たり前か。
「悪食が悪食使いに襲いかかるわけないだろう? ルールを知らないわけじゃないだろうに」
弌藤が大事に信じていた言葉を投げかけてみると、コウダとカクラが目に見えて焦った様子を見せた。自分たちの切り札が通じない相手だと理解したらしい。
特に力を込めるでもなく、灯耶はコウダに問いかける。
「お前は、自分の悪食の名前を知っているか?」
「名前ぇ!? 悪食は悪食だろ、何を言ってるんだ!」
「ま、そうだろうな」
ここまでの様子を見るだけで分かる。この男は馬鹿だ。自分に与えられた特権を当然のものと思うのは勝手だが、考えることの程度が低い。上司にとっては使いやすい人材だろうが、間違っても重要な情報を与えて良いタイプではない。
悪食は種族の名称であり、それぞれの個体に固有の名前がある。互いの名前を与え合うことが悪食との本来の契約であり、悪食を本当に使役する方法なのだと灯耶は自身の悪食から聞いた。灯耶の前の宿主である
悪食が契約を交わすには悪食なりのルールがあるようで、狗藤はその対象ではなかった。灯耶の悪食は狗藤の心のあり方をとても美しいものと愛していたが、それでも彼女を契約者としては不足と判断していて語りかけることはなかったという。
それほどに悪食にとって名前とは重いものだ。このような馬鹿に、悪食が名前を教えることも語りかけることもなかっただろう。
「名前……名前! そうか、名前を知れば悪食に悪食使いを食わせられるようになるんだな!? 名前でぇ!」
驚いた。馬鹿ではあるが、本質を掴む能力はそれなりに高いようだ。そして、もうひとつ重要な情報が手に入った。どうやら弌藤の仲間には、悪食の名前を知っている人物がいる。
尋問してみようか。この馬鹿なら、気付かずにぽろりと情報を吐き出してくれそうな気がする。
「なんだ、知っていたのか。悪食使いを悪食で殺す方法があると」
「当たり前だろ! そうしないと次の悪食使いに悪食を渡せないじゃないか!」
「えっ?」
コウダの言葉に、カクラが動揺したような声を漏らす。この情報は末端には伝わっていなかったのだろう。弌藤が知らなくてコウダが知っているということは、年季の問題か利用しやすさの問題か。
カクラは動揺している。小さな声でぶつぶつと呟いているから、こちらも聞かされていなかった側だ。
「こ、鴻田さん!? じゃ、じゃあ社さんと弌藤さんの悪食って」
「しっ! 今はそれどころじゃないだろ!?」
それはそうなんだが。いまいちこの二人の秘密に対する温度差がつかめない。
そもそも灯耶に掴まれている時点で、自分たちの内情につながることは何一つ言ってはいけないはずだが。いや、コウダという男は自分が何かを言うのは全て許されていると思っていて、他が秘密を漏らしそうになるのは駄目だと分かっているタイプの馬鹿なのかもしれないと推察する。
要するに、独善の塊なのだ。
カクラの言葉で、おおよその状況は掴めた。もう二人の不愉快な言葉に付き合う必要もない。
「貪れ、悪食」
「ちょっ!? 待って、私は何もしてないっ」
「何を言ってるんだ。悪食に食われるやつは悪なんだろ? 自分の言葉には責任を持たないとな」
「嫌、イヤあああ――」
カクラの断末魔は、すぐに途絶えた。顔からずるんと悪食に飲み込まれたからだ。
時間をかけてごりごりとすり潰す気配が、久々にダイレクトに感じられる。悪食を身につけたまま相手を食わせることなど、ほとんどない。
しかし、まったく同情も湧いてこない。次はコウダだ。
こちらは悪食が憑いているから、悪食が食うことは出来ない。それは本人の体から離れていても同じこと。ならば、どうするか。
「次はお前だ。削り殺されるのは痛いらしいぞ、覚悟するんだな」
「け、削り? 何を……ぎゃあ――」
「貪れ、悪食」
コウダの悲鳴もまた、すぐに消えた。悪食がコウダの頭を包んだからだ。そのまま灯耶の体から離れ、コウダの全身を覆う。悪食にくまなく纏わりつかれた状態で、生きたまま世界から削り取られていくのだ。悪食に食われない分、生きたまま最後まで苦しみ続けることになる。
じたばたともがきながら、少しずつ削り取られていくコウダ。動きが止まると後は一気だった。従来のサイズにまで縮んだ悪食が、灯耶の体に戻ってくる。
『いやあ、見事だった』
と、これまで黙っていたコウダの悪食がなれなれしく声をかけてきた。
『やはり本物は違うな。久しぶりにちゃんとした悪食使いを見たよ』
古びた毛皮。悪食の本体が地面に広がっている。
宿主がいない悪食は、無防備だ。契約の有無はともかく、宿主がいなければ無力なだけのただの毛皮というのが、悪食にとって最大の弱点だ。
毛皮は自分の先行きに何の不安も感じていないようだった。灯耶が静かに持ち上げると、何やら偉そうに自分を売り込んでくる。
『やはり悪食は本物の悪食使いが運用すべきだと思うんだ。君であれば、我を十分に使いこなせる使い手に託せることだろう』
それには答えず、灯耶はゆっくりと歩き出した。
宿主が悪食に似るのか、逆なのか。少なくとも、その口調に感じる不快感だけはよく似ていた。
***
数時間後。
灯耶は郊外の広場で焚き火に興じていた。
火と声が消えるまで、冷たい瞳で眺めながら。
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