謀る

 社は黙り込んでしまった。

 待っていても口を開く様子がないので、仕方なくここに来た目的を果たすことにした。路行浩二の家族が面会にやってきたこと、加倉が口を滑らせたこと、大嶽が裏に悪食使いがいると推測したこと。弐貴だけが知る辻崎の情報を伏せる関係上、社がその悪食使いに狙われる可能性があるとも伝えた。

 と、社が笑みをこぼす。嘲るような、弐貴に同情するかのような笑みだ。


「弌藤くん。君、私が襲われるって言われた時におかしいって言った?」

「え?」

「これでも私は悪食使いだよ。悪食使いは悪食に襲われない。そうでしょう?」

「あっ!」


 先程の、課での会話を思い出す。辻崎のことをどう隠すかということにばかり意識が向いていて、悪食使いは悪食に襲われないという前提を忘れていた。

 社の、あまり好ましくない視線が刺さる。じっとりとした、値踏みするような。


「君も、何かを隠してる?」

「……さあ?」


 弐貴はとぼけることにした。この程度なら、逢坂の協力者に社が襲われるという話だと思った、と言い張ることも不可能ではない。少なくとも、社に事情を説明して協力を求めようとは思わなかった。

 彼女は自分が危うくなれば、こちらが伝えたことを大嶽に売ってでも自分が生き残る方を優先する。そんな予感があった。少なくとも、向こうが握っている情報を聞かない限り、こちらから情報を出す必要はないと判断する。

 社の視線が強まり、しばらく沈黙が続く。

 先に沈黙を破ったのは、余裕のない社だった。


「仕方ないなあ。君にも無関係な話じゃないし、伝えておくね。後で自分で調べたりしないほうがいいよ」


 微妙に恩着せがましい口調で言うと、社はすっと視線を逸らした。


「君の悪食、山県さんが使っていた悪食だ、って話だよね」

「ええ」

「悪食ってさ、宿主が死なないと剥がれないんだって」

「へえ、そうなんですか。……えっ?」


 何を言い出すかと用心していたために、反応が遅れた。社はどう思っただろうか。わざとらしいと感じたかもしれないが、弐貴はそんな話は知らない。案の定、社の視線がねばついたものになるが、知らないものは知らないのだ。

 お互いの不信感が目に見えて高まっている中、社は話を続ける。


「山県さんは地元に戻って農家をやるって言ってた。覚えている?」

「もちろん」

「気になって、調べてみたんだ。山県さんの地元」

「そ、それで……」

「山県さんの経歴は消されてた。抹消課は表沙汰に出来る存在じゃないから、それは正しい。でもね、似てない?」

「悪食に、食われた?」

「その可能性はある。……ね、知らない方が良い情報でしょ?」


 背中を嫌な汗が流れている。頷きそうになって、だが弐貴は大事なことを思い出した。社も知っているはずだ。


「でも、社さん。あなたの悪食は、課長から引き継いだはずでは?」

「そうなっているわよね」

「そう、なっている?」


 社の顔が、いっそうひどいものになった。禍々しい。弐貴はこの場から立ち去りたくなるのをこらえて、話の続きを待つ。


「課長は安全な形で悪食を剥がし、私に譲った。山県さんも経歴が消されただけで、元気に地元で農家をやってる。それが一番平和だし、安心よね」

「当たり前です。そうじゃなければ……」

「でもね。悪食がもう一匹手元にあれば、出来るのよ。私に悪食を宿らせ、山県さんを悪食に食わせて、君に手渡す。悪食使いは悪食で食えない。そのルールもどこまで正しいんだか」


 弐貴はその言葉を否定できなかった。社の妄想としてしまえば簡単だ。しかし、弐貴はすでに辻崎を知ってしまっている。自分の悪食をものともしない、強い悪食使いを。あの男は自分を削り殺すと言った。悪食使いを殺すことは、出来るのだ。

 そして、もうひとつ大事なことがある。社の言葉が事実ならば、今も大嶽課長は悪食使いであるということだ。


「ねえ、弌藤くん。私と組まない?」

「組む?」

「ええ。お互いが無事に生き延びるために。どう?」

「即答は出来ないですね。そもそも、社さんはその情報をどこで?」

「慎重なのはいいことよ。でもね、私が誰からその話を聞いたらこんなに不安になると思うか、分からない?」

「まさか」


 社は濁った表情で弌藤に手を伸ばしてきた。ここまで聞いて断るのは許さないと。聞いたからには一蓮托生だと言わんばかりに。

 胸倉を握り締める手を、弌藤は振り払うことが出来なかった。


「鴻田さんと課長が話しているのを聞いちゃったのよ。そうじゃなきゃ、こんなに怯えるものですか」


 おぞましい笑顔が、目の前いっぱいに広がって。


***


 鴻田大地は、悪食の運用に悩んだことや迷ったことがない。

 悪食を任されたことが自身への評価の高さからだと信じて疑わなかったし、悪食を使って犯罪者を処分することが正しいことだと頭から信じている。

 そして、悪食使いとなった自分が判断することは全て正しいと、理由もなく確信してさえいた。自分の判断は常に正しいのだから、自分が悪食に誰を食わせても良いのだと。


「あ、あいつ怪しいな」

「鴻田さん?」

「食い殺せ、悪食っ」


 今も、逢坂家に近づいた男を平然と悪食に食わせている。

 夜なのに黒づくめで逢坂家に近づいている、悪食使いかその仲間に違いないと。悪食は言われるままに男を飲み込み、ごりごりと削り始めている。

 同行していた加倉が、困惑した様子で聞いてくる。


「だ、大丈夫なんですか、鴻田さん。あの男が協力者だという根拠は」

「根拠? ないよそんなの」

「ええっ!?」

「大丈夫だって。逢坂香澄を食わせる分の余裕は残しておくから」

「そうじゃなくて」


 悪食に食わせられる人数には限りがある。逢坂香澄を食わせるだけの余裕があれば良し。悪食をけしかけても悪食が食わなければ、相手は悪食使いだ。そんな根拠で鴻田は動いている。もしかしたらあの男は悪食使いとは関係ないかもしれないが、こんな日にあんな怪しい格好で逢坂家に近づいたのが悪いのだ。

 ツイていなかったと諦めて、天国だか地獄だかで不運を嘆くと良い。鴻田は本心からそう思っている。

 加倉は心配性だなと笑うと、加倉もぎこちない笑みを返してくる。


「まあ、無関係なら済まなかったとは思うよ。でもさ、悪食に食われるのは悪で、俺たちは正しいんだ。こんな時間帯にあんな怪しい格好で歩いている方が悪い」

「そ、そうですよね! そっか、悪食が食うものは悪。その通りですよ!」

「だろ? それに、食われた後のことを覚えているやつなんてほとんどいないんだ。間違っていたとしても、俺は反省して次はそうならないように気をつける。だから大丈夫」

「そんなわけあるか」


 二人の会話を遮った声は、後ろから聞こえてきた。

 鴻田は反射的に背後に向かって悪食を放つ。いや、放とうとした。


「食い殺せ、悪食ッ!」

「寝ぼけてんのかてめえ」


 悪食は動かなかった。振り返った視界を、何かがふさぐ。思わず両手でそれを掴むが、人間ではないような強さで顔面を掴むそれを、どうやっても引き剥がすことが出来ない。


「加倉! 大丈夫か!? まずった、逃げろ!」

「こ、鴻田さんっ!」


 声はすぐ隣から聞こえた。逃げていない。あるいは自分と同様に掴まれているのかもしれない。


「くそっ、お前が逢坂香澄の協力者か!?」

「そうだ。路行香澄の協力者で、悪食使いだ」

「や、やっぱり!」

「食い殺せ、食い殺せ悪食っ! 何してる!」


 悪食は動かない。いや、自分の服に擬態していた悪食が自分から離れた。ようやく相手に襲いかかるかと安心したところで、逢坂の協力者が冷たく笑う。


「悪食が悪食使いに襲いかかるわけないだろう? ルールを知らないわけじゃないだろうに」


 いや、上司の大嶽は山県を食わせた。方法については教えてくれなかったが、悪食が悪食使いを食うことも可能なはずだ。鴻田は悪食に大量に食事をさせれば悪食が強くなるという説を信じていた。大嶽が抹消した人数に近づけば、自分の悪食もそれが出来ると。

 そんな鴻田の内心を知ってか知らずか、逢坂の協力者は静かに言った。


「お前は、自分の悪食の名前を知っているか?」

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