備え

 日が沈むと、悪食使いの時間である。

 悪食が好む『悪』も、夜間にこそ動きを活発にするからだ。昼間から目立つような悪は、どちらかというと悪食の狙う悪とは異なる。

 そのはずだった。


「さて、これからのことだけど」


 ファミレスで夕食に興じながら、灯耶は香澄に切り出した。

 オムライスを食べながらではどうにも迫力に欠けるが、灯耶の表情は真剣だ。

 香澄はダイエット中とのことで、雑穀ごはんのカレーを頼んだ。が、隣にそびえ立つパフェが存在感を強烈に主張している。ダイエットとは。

 真剣な話をしたいのだが、どうにも締まらない。灯耶の視線を感じたのか、香澄はほんのり頬を染めた。


「や、ほら。甘いものは別腹だし」

「ああ、いや。うーん……まあ、君のカロリーの問題は今のところそこまで重要じゃないからいいか」

「重要でしょ!?」


 ああ、若い女性には失言だったか。

 だとしてもこのままでは話が進まないので、カロリーの塊の件は頭と視線から追い出す。


「話を戻すよ。香澄ちゃん、君は今日は家に帰らない方がいい」

「え、なんで?」

「悪食の件、真正面から聞きに行ったんでしょ? 今頃、君の家は監視されてるよ」


 迂闊なことをしたね、と言うと香澄はよく分からないようで首を傾げる。

 権力が悪食を所有すること、その危険性を理解できていないのだ。

 その辺りの説明は後にするとして、まずはこの後あり得る流れを教えておかなくてはならない。


「ま、まずは穏当に説得するだろうね。自分たちの側につけ、と」

「嫌です」

「それなら悪食に食われる。連中にとって、自分たちの方針に従わない者は『悪』だから」


 灯耶がそうだった。悪食を引き継いだあと、『先輩』を悪食使いとして運用していた者たちに協力を強いられたのだ。それを断って返り討ちにしたから、今の悪食と灯耶がいる。

 香澄にしてみれば、父親の命を奪った者たちだ。自分の命が脅かされたとしても、その意向に従うつもりがないというのは分かる。だが、連中にしてみればそういう存在は秩序に従わない悪なのだ。あるいは、断られることを見越して最初から悪食をけしかけてくることも考えられる。悪食に食われたら、それで終わりだ。

 弌藤であれば、そこまで短絡的に動くことはないだろうが、他の悪食使いについて灯耶は何も知らない。そして、香澄は当時の灯耶と違って悪食を宿していないのだ。

 しょんぼりと俯く香澄に、提案する。


「俺の家、来るかい」

「えっ!?」

「俺はまだ連中にバレていないからな。しばらくは安心だろ」


 灯耶の提案に、香澄が顔を真っ赤にしている。何を想像しているのかは何となく見当がつくが、何だかあまり危機感を持っていないような。

 何かあったら灯耶に守ってもらえると思っているのかもしれないが、悪食をけしかけられたら防ぐのは難しい。悪食は悪食使いを襲うことはないが、その資質があるだけで悪食を宿していない人間は普通に食う。

 悪食を宿せば狙われなくなるという考え方もあるが、悪食を宿す行為にはデメリットも多い。何より手元に他の悪食などないし、香澄自身も悪食を手に入れたいとは思っていないようだ。

 どうにか落としどころを見つけたいところだが、香澄は彼らを許さないだろうし、仮に香澄が許したとして、彼らがそれを信じるかどうか。


「望み薄、だろうなあ」


 権力の側が、個人に歩み寄ることを期待してはいけない。

 香澄は迂闊なことをした。行動に移らせたのは灯耶の一言であったかもしれないから、灯耶は自分にも責任はあると考えている。だが、香澄がそもそもこういう事態に巻き込まれたのは、元々は彼らが悪食を使ったことが始まりだ。

 路行浩二は、本当に悪食に食われるほどの悪人だったのかどうか。

 それ次第で、灯耶自身もこの件にどの程度まで関わるかを決めなくてはならない。もしも悪食による捕食が妥当なほど香澄の父が悪辣な人物であったのならば、香澄を彼らの影響のない場所へ逃がす形で決着をつけるしかない。香澄には全て忘れるように言い含めて。それで諦めがつかないのであれば、そこはもう灯耶にも面倒は見切れない領域だ。

 だが逆に、路行浩二が悪食に食われるほどの悪を為していないのに悪食に食われたのであれば。それは悪食を自分たちの欲望のために利用していることになる。その時は弌藤も含め、彼らを全滅させることも考慮しなくてはならないだろう。

 かつて自分がそうしたように。

 カレーを平らげ、幸せそうにパフェを頬張る香澄を眺めつつ、灯耶は覚悟を決めていたのだった。


***


 灯耶のねぐらは、三ヶ所用意されている。そのすべてが、吾妻の手配した物件だ。吾妻の自宅を含めれば四ヶ所になるのだが、灯耶は吾妻の家を自分のねぐらとはみなしていない。

 ねぐらの中でも最も質の良いマンション。

 そこに向かう道すがら、香澄の家に連絡させる。


「うん。今日からしばらく友達の家に泊まるから。心配しないで。じゃ!」


 母親からの反論も聞かずに、一方的に電話を切った香澄。そのままスマホの電源を落として、位置情報が確認されないようにする配慮も忘れない。

 忘れてはならないが、香澄を狙っているのは公権力の一部なのだ。

 そのまま電車を乗り継ぎ、目的地近くの駅へ向かう。

 香澄も灯耶の真剣な様子にようやく気持ちを切り替えたのか、先程までの浮かれぶりはなくなっていた。


「そういや香澄ちゃん、君の親父さんはどういう理由で捕まったか知ってる?」

「知らない。母さんは父さんから『何かの間違いだ、すぐ戻って来る』って聞いたらしいけど」


 灯耶はある程度弌藤から事情を聞いているが、それは一面的な事情でしかない。新型エネルギーに関する不正だと聞いているが、鵜呑みにして良い話だとは思っていなかった。


「親父さんは研究者か何か?」

「新しいエネルギー? の研究をしてたとかなんとか。貧乏とは言わないけど、逮捕されるような悪いことをするような人じゃなかったと思う」

「そっか」


 逮捕されたということは、研究所の責任者でもしていたのだろうか。エネルギー関連の技術は社会の流れも大きく変えかねないから、権力側が絡むことも多いだろう。

 議員などが絡んでの不正が発覚して詰め腹を切らされたのか、乗っ取りの画策か、あるいは別の理由か。内容次第で実質的な敵が変わる案件か。


「服とか食べ物の質が突然変わったりとかは?」

「そういうのはないかな。父さんが生きていた頃から、昨日まで。なーんにも変わってない」


 香澄の格好は特に高級というわけでも、安物に見えるわけでもない。それなりの稼ぎは今も維持しているようだ。生活レベルに差がないことが逆に父の事件を際立たせているのであれば、逢坂香澄としての生活が苦痛なのはよく分かる。


「逢坂さんって言ったっけ? その人の仕事は?」

「知らない。聞いてないから。ただ、帰って来るのはそんなに遅くないよ」

「ふうむ……」


 強引な辻褄合わせが発生した以上、逢坂という人間は香澄の父母のどちらかと何かしら縁があった可能性がある。香澄が知らなかっただけで、母の昔の交際相手だったとか、父の仕事仲間ということもあり得る。

 一方で、逢坂が悪食使いの素養を持っているという可能性は低い。あったとしたら香澄の言動に同調しているはずだ。

 そんな話をしながら歩いている間に、目的のマンションに到着した。

 大して新しくないマンションのエレベータに乗る。五階の通路を右に向かい、奥から二番目の部屋。

 鍵を開けて中に入り、電気をつける。


「んじゃ、入ってくれ」

「お、お邪魔しまぁす。……意外とキレイにしてる」


 きょろきょろと部屋を見回しながら、部屋の品定めに入る香澄。

 特に珍しいものがあるわけでもない。冷蔵庫の中もお察しだ。


「今夜はここから出ないように。買い物もダメだぜ」

「はーい。テレビはいい?」

「構わないけど、スマホは電源入れないでくれよ」

「あ」


 電源を切っていたことを思い出したらしく、渋い顔で頷く。放っておいたら電源を入れていたに違いない。すぐさま居場所を探されるとは思わないが、あまり長期間家を空けていると捜索願も出るだろう。

 ソファにくつろいでテレビの電源を入れた香澄をよそに、灯耶は再び靴を履いた。


「え、灯耶さんどこ行くの」

「君の家のまわり。監視の連中とか、確認してくる」

「じゃあ私も行くよ! その方が分かるんじゃない?」

「俺、君に向けて悪食を放たれたら防げないよ」

「うー」


 助手しぐさは微笑ましいが、自分が標的だということは自覚して欲しい。

 怒るでもなくじっと見つめると、香澄は諦めたように頷いた。


「……灯耶さんの迷惑にならないよう、ちゃんと留守番してる」

「ありがとう。じゃ、行ってくるよ」

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