独善

救い

「バイクはいいんですか?」

「ま、後で取りにくるよ」


 さすがに三人乗りはまずい。灯耶は香澄に少女を任せるかバイクを押してもらうか考えた結果、とりあえずバイクはここに置いて行くことにした。

 少女を背負っている間に滑り込むようにして、悪食がジャケットに擬態する。ゆっくりと歩きながら、灯耶は香澄と歩調を合わせる。


「聞きたいこと、あるんだろ?」

「……辻崎さんは、あの三人を殺したんですよね」

「ああ」


 悪食に食わせて、この世界から削り取った。彼らの存在はなかったことになり、彼らを知っている者はその記憶を別のものに作り変えられてしまう。

 悪食に捕食された人間の行く先は、灯耶も知らない。興味もなかった。


「それって、悪いことですよね」

「多分ね」


 最初から存在していないことになるから、悪食に食わせることを罪に問われることはないだろう。だが、罪に問われることがないから悪ではない、と割り切れるほど灯耶は自分の行いを正当化してはいない。灯耶も灯耶の悪食も、自分たちがこの社会において悪の側に存在していると明確に自覚している。

 香澄が聞いてくることについても、それなりに見当がつく。だから答えもスラスラ出てくる。


「あの三人には生きる価値がない、って思ったんですか?」

「いや。そういうの考えてない」

「え」

「あの三人は、この子を殴るのを笑っていたよね。身代金を手に入れる算段がついたら、多分この子は殺されていた」

「そう、ですね」

「正しいこと、ってのは随分前からよく分からない。生きる価値とか、殺していい理由とか、そういう理由づけは結局のところ余分なことなんだと思ってる」


 脳裏に浮かぶのは、灯耶の前に悪食を宿していたひと。

 儚くて、責任感が強くて、脆くて、秘密を共有した灯耶に縋って。そしてそんな自分自身を最期に悪だと決めつけてしまった。

 灯耶は、最期の願いを叶えなかった。悪食を焼き捨てて、自分を忘れて欲しいというその願いを。

 宿主を心から愛しながらも命令ゆえに食わねばならなかった悪食を身に宿し、そのひとを覚えているたったふたりとして生きていくと決めたから。


「俺は、自分がそれを悪だと思うものを悪食に食わせる。自分の目と耳とで確かめてから、ね」

「辻崎さんが、悪だと思うもの」

「ああ。独善的だろ?」


 軽く笑う。少女ひとりを救うために、三人を殺したことを後悔してはいない。それは価値とか法とか、そういうものとは別のところから発生したものなのだ。

 香澄は笑わなかった。足を止めた気配がしたので振り返ると、強い意志を宿した目をこちらに向けている。目の端がほんのりと赤い。


「父を殺したのは、辻崎さんじゃないんですよね?」

「ああ。信じられないかもしれないが」

「信じます。……父を食い殺したやつを悪食に食わせたら、父は」

「残念だけど、悪食が食っても死んだ命は戻らない。この子の件で急いだのもそれが理由だよ」


 一縷の望みに対する、残酷な解答。辛いことを突きつけているなと、灯耶は内心で溜息をつく。

 しかし、香澄はそこでにっこりと笑った。笑ったのだ。


「辻崎さんは優しいね」

「んあ?」

「嘘、つかない」

「そんなこと言われたのは二度目だよ」

「一度目は誰?」

「こいつの前の持ち主」


 どんな人だったの、と香澄は聞かなかった。灯耶の口調から何かを察したらしい。

 少しの、沈黙。何となく、香澄が言いたいことは分かる。自分から言い出す前に、先回りする。


「仇、討ちたいかい」

「!」

「分かるよ。俺がそうだったからね」

「……止めないんだ?」

「止めないさ。俺は討ったもの、仇」

「そっか。私は……まだちょっと分かんない」

「おう。どうしたいか決まったら、最初に俺に教えてくれるかい」

「うん」


 仇を討ってしまった自分は、香澄の決断を止めることも後押しすることもしない。出来ない。

 それにしても、最近は答えを後で聞くことばかりだ。

 弌藤はどうしているだろうか。それを考えると何だか憂鬱になる。今、彼らが動いているとしたら香澄の関係だろうと思い出してしまったからだ。

 そんなことを思いつきもしない当の本人は、灯耶のすぐ隣まで小走りで駆けてくると上目遣いでじっと顔を見てくる。


「辻崎さんって、下の名前は?」

「灯耶」

「じゃあ、これからは灯耶さんって呼んでもいい?」

「……別に構わないけど?」


 何だか妙に懐かれてしまったような。

 香澄の考えていることが、どうにもよく分からない。


***


 野際の家にたどり着いたのは、ぎりぎりまだ空が赤らんでいる時間だった。

 廃工場から思ったより近くに駅があったお陰で、夜になる前に訪問することが出来たのは幸運だと思う。誘拐犯に間違えられなくて済むからだ。

 ドアを勢いよく開いて飛び出してきたのは、野際と見知らぬ女性だ。状況を考えれば少女の母だろう。


「咲!」


 廃工場からずっと寝ている少女を、そっと母親に預ける。

 涙目でぎゅっと愛娘を抱きしめる妻を安堵の顔で見てから、野際が少し堅い表情でこちらに向き直った。


「ありがとうございます。ええと、済みませんが」

「辻崎と申します。迷子になって泣いているお嬢さんを見かけて。ちょっと説明が分からなかったんで、時間がかかってしまいました。申し訳ない」

「っ」

「そうでしたか。いや、本当に助かりました。どこかで事故にあったんじゃないか、誘拐でもされたんじゃないかと気が気じゃなくて」

「え?」


 横で聞いていた香澄が、驚いたような声を上げた。

 野際と初対面のような会話をしたことや、発言がよく分からなかったのだろう。野際は特に違和感を感じなかったようだが、念のため会話を誘導する。


「ああ、こちらは香澄さん。泣いているお嬢さんを落ち着かせてくれたのはこちらなんです。そんな大ごとになっているとは思わなかったんですよね?」

「え? え、ええ! そうです。びっくりしました」

「そうでしたか。そうですよね、ちょっとした迷子だったようですし」


 どうやら香澄に演技の才能はないらしい。だが、喜びの方が強いからだろう、野際は疑う様子もなく頷く。

 ぜひお礼を、という申し出を丁重に断って、野際家を後にする。

 三人が家に入って、念のために路地を曲がってから。灯耶はボロを出しかけた香澄に少しばかり非難の目を向けた。


「香澄ちゃんさあ」

「だ、だって驚きますよ! 何なんですかあれ」

「俺たちと会った記憶が消えたのさ。何しろ誘拐って事実自体が消えたからね。彼の中では俺たちとは家の前が初対面」

「あっ……」

「考えてみれば、俺の説明も足りてなかったか。悪かったね」


 記憶が整理される、という現象がどの程度の影響を与えているのか、香澄に説明していなかった自分も悪い。灯耶が謝ると、香澄は慌てた様子で首を振った。


「と、灯耶さんのせいじゃないですよ。……でも、良かったですね」

「そうだね、良かった。でもお仕事的にはいいことばかりでもなくてさ」

「?」


 疑問を顔に浮かべる香澄。灯耶は香澄の鞄を指差すと、神様ではない何かに祈りながら告げる。


「さっき預けた封筒、ちょっと出してみて」

「? はい。……あれ」


 ごそりと鞄を探った香澄が、慌てた表情を浮かべた。足を止めて、ごそごそと鞄をまさぐる。その表情が段々と焦りの色に変わる。


「と、灯耶さん。ごめんなさい、落としたかも」

「ああ、違う違う」


 駄目だったか。灯耶は額に手を当てて天を仰いだ。

 今回は残念ながら残らなかった。多少の打算も込めて香澄に預けてみたが、そんな小細工はお見通しとばかりに。あるいは、そういう小細工が何かの不興でも買ったのか。


「誘拐事件がなかったことになったろ?」

「はい」

「会った事実もなくなったって言ったよな?」

「ええ。それが?」

「つまり俺に料金を支払ったって事実もなくなっちゃった、ってワケ」

「はぁ……はぁー!?」


 今度こそ悲鳴じみた声を上げる香澄。それなりの住宅街なので、さすがにあまり大声はご迷惑になる。人差し指を立てて首を軽く振ると、察したようで強く頷く。

 おそらく誘拐の連絡があって、慌ててかき集めたお金の一部だったのだろう。良いお父さんだなと、灯耶は野際への評価を内心でちょっと上げた。

 タダ働き? というぼやきを漏らす香澄に、苦笑交じりのご説明。


「ま、俺のお仕事がちょっと割高なのは、こういうことがちょくちょく起こるから、ってわけなんですよ」

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