化生
戻ってきた鴻田は、事情を聞くと大嶽に軽く言い切った。
「いや、ここの仲間じゃないですよ課長」
「何か確証が?」
「そんなのありませんけどね。俺は信じないってだけで」
にへ、と笑う鴻田の顔には課の仲間達に対する無上の信頼があった。理由も単純ではあるが、だからこそ力強い。
今の弐貴はそこまでの信頼を課の仲間達に寄せられない。ただ、知っているから違うと言えるだけで。
鴻田はそこで、ふと思い出したように大嶽に聞く。
「そういえば課長。何年か前に、警察の方でも悪食を運用してはどうかって話が出たんじゃありませんでした?」
「ああ、そういう話が上の方で出たと聞いているね。確か、敷島さんという方が先導して動いていたはず。抹消課から悪食か悪食使いを一人寄越してくれないかと打診があったから覚えているんだ」
「そうなんです? 断ったんですよね」
「そもそも上の許可が下りなかったよ。それ以降は話も出なかったし接触もなかったから、諦めたものとばかり思っていたけど。……もしかすると、自分たちで調達したのかもしれないね」
調べてみようと請け負う大嶽に、何となく課内の空気が和らぐ。誰も仲間を疑いたくなどないのだ。鴻田のファインプレーだと、掛け値なしに思う。
辻崎から依頼された仕事は完遂した。課内からの疑いも持たれずに済んだ。何でこんなスパイじみたことをしなくてはならないのか。
それもこれも、課内の仲間達を辻崎の魔の手から守るためなのだ。辻崎から情報を引き出して、辻崎を打ち倒せるだけの力を手に入れる。そうすれば万事解決だ。
大嶽もかつて悪食使いだったと聞いているが、課長になるのと同時に後進に自らの悪食を譲っている。
課内の誰かに聞ければ、こんなふうにもやもやした気持ちを抱えなくても良いのだろうに。
弐貴は軽く溜息をつきながら、逢坂香澄の自宅を監視するローテーションの会議に自分も参加するのだった。
***
香澄の件を弌藤に放り投げ、取り敢えず事態が落ち着くまで静観かなと灯耶は高をくくっていた。
その足で『すぷりんぐ』に顔を出すと、ほどなく香澄がやってきた。背負っている空気が重い。何やら思いつめた表情で、灯耶を見つけて顔を歪ませる。
マスターがいらっしゃいと言いながら胡乱な目でこちらを見てくるが、誤解だ。
まさかとは思うが、父がいないかともう確認に行ったのか。
「やあ」
「……行ってきた」
やはりか。
弌藤への依頼はギリギリのところで間に合ったのだろう。あるいは、絶妙なタイミングだったか。
この辺りは不思議なことで、悪食使いよりも悪食を使わない周囲の方が悪食の運用に躊躇がない。むしろ悪食使いの方が慎重なのだが、これは悪食による捕食の実感が薄いのが原因ではないかと灯耶は思っている。
ともあれ、弌藤とて灯耶の関係だと知らなければ周囲が言った通りに悪食に香澄を食わせていただろうから、彼はしっかりと仕事を果たしてくれたのだろう。
歯を食いしばって何かに耐えている様子の香澄。紅ヒーを持ってきたマスターが、湿度の高い目でこちらを見てくるのだが、誤解だってば。
マスターが離れたところで、灯耶はぽつりと香澄に言った。
「ま、命があっただけ良かったんじゃないかな」
そして問題はここからだ。弌藤以外にも、香澄が悪食使いの素養があるとバレた。ここのマスターの事例と一緒だが、問題なのは弌藤と違って話が通じないだろうということ。
弌藤は悪食使いとして格下だったので威圧すれば済んだが、他はそうはいかない。そもそも、人数からしてどれだけいるかも分からないのだ。敵対するのは良い手ではない。一網打尽にするなら、全員いるところでなければ。
灯耶も灯耶の悪食も、別に自分から際限なく人を食ったり食わせたりしたいわけではないのだ。平和に済むならその方が良い。
「路行さん、でいいかい」
「は、はい」
「俺のところに来たってことは、何か話があるのかな」
「見せて、欲しくて」
「ん?」
てっきり助けてくれだとか、仇を取ってくれとか言われると思っていたが、香澄の言葉はそのどちらでもなかった。
香澄の目に宿っていたのは、困惑だった。
「まだ私、完全には信じられないんです。父さんのことも、辻崎さんの言っていたことも。だから、見せてほしいんです」
「ふうむ」
ここですぐ、ということでなければ、悪食を見せるのは別に問題ない。
灯耶としてはこちらの界隈に踏み込んでほしくないという思いもあるのだが、よく考えればもう手遅れだ。
少し前に依頼も来ている。灯耶の事情を説明するのにもちょうど良い。
「んじゃ、ちょいと場所を変えようか」
「い、いいんですか」
「本当はよくないんだけどさ。君、ちょっと迂闊なことしたよ」
「え」
「その辺りも説明しないといけないからさ。取り敢えずついてきて」
「わ、分かりました」
会計を済ませようとカウンターに向かうと、マスターがものすごく顔をしかめていた。誤解だと言おうかとも思ったが、すぐ後ろにぴったりと立っている香澄のことを考えると、多分信じてもらえない。
溜息交じりに千円札を一枚。
しばらくは店に顔を出さない方が良いかもしれない。
***
「ちょうどよく依頼が来てたんでね。君も同席するといい」
「依頼?」
「そ。君が俺のことを知ったのと同じようなルートで、さ」
自分のねぐらに連れていくかどうかはちょっと悩みつつ、約束していた雑居ビルのひとつに入る。
階段を上り、三階にある一室へ。
来客はすでに居た。ぽつんと部屋の真ん中に置いてある椅子に座り、扉が開いたことでこちらに顔を向けてくる。中年の男性だ。年と風体は依頼にあった通り。ここを訪れる者は大体が憔悴した顔をしているが、彼も例外ではなかった。
「連絡をくれた野際さん?」
「え、ええ。そうです。あなたが?」
「はい。辻崎です」
「よ、よろしくお願いします。そちらの方は……?」
「あなたと同じような境遇の方でして」
「ああ……」
ついて来た香澄に、野際はとても同情的な視線を向けた。部屋の奥に乱雑に置いてあるパイプ椅子をひとつ手に取り、香澄に差し出す。並べてある椅子は灯耶と客のものだけだったからだ。
ぬるい視線を向けられる理由が分からなかったのだろう、あたふたしていた香澄だったが、椅子を受け取ると灯耶の後ろに椅子を置いて座った。野際からの視線を避けたいのだろう。
「ご用件の向きは」
「む、娘が誘拐されて。身代金の要求があるんですが」
「それは大変だ。お嬢さんはまだご無事で?」
「そうだと思います。で、ですが身代金は法外な額で揃えられそうになくて」
「分かりました。……どうだ?」
灯耶が唐突に問いかけると、灯耶のジャケットに擬態していた悪食が唐突に頭をもたげる。
『ああ、嘘はない。受けてもいいんじゃないか』
「ヒッ!?」
「っ!」
野際が肝を潰したような顔で悲鳴を上げる。灯耶の体に人の言葉を操る化け物がまとわりついていた形だ。それは驚くだろう。逆に香澄は覚悟が出来ていたのか、息を呑んだ程度だった。分かっていたことだが随分と心が強い。
灯耶は野際の方に注意を戻すと、野際の娘の私物であるゲーム機を預かる。悪食の前に差し出すと悪食は狼のような見た目なのに、じっと見るだけで嗅いだりはしなかった。
「追えるか?」
『十分だ。覚えた』
「よし。……では、野際さん。すみませんがウチは先払いで」
「ひぃ!? あ、わ、分かりましたぁっ」
震える手で差し出された封筒を受け取り、中身を確認する。十分だ。
頷いて家でお待ちをと告げると、野際は椅子から転げ落ちるようにして部屋から出て行った。
「では急ごう。路行さん、君も来るかい」
「え? あ、はい。ええと」
聞きたいことは山ほどあるが、何から聞いたものか混乱している様子の香澄。
灯耶は小さく笑いながら、道すがら教えるよと告げた。
かつて、自分がそうしてもらったように。
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