誘導

「あ、弌藤さん」


 辻崎との不快な会話を終えたあと。結局食事という気分でもなくなってしまった弐貴は仕方なく職場に戻ってきた。

 ぱたぱたと慌てた様子で奥から走ってきた同僚が、目ざとく声をかけてくる。


「どうしたんです、加倉さん。急いでいますね」

「受付から連絡があって。変な女の子が来たって連絡が」

「変な女の子?」


 嫌な予感がしたが、加倉の言葉は実に無情だった。


「路行浩二に会わせろって騒いだらしくて。今、特別応接室に」


 辻崎という男は未来予知でも出来るのだろうか。片頭痛に近い何かを感じつつも、知っていることがばれないように考え込むそぶりをする。

 受付にとっては、まったくあずかり知らない名前をまくしたてる人間が現れたということになる。ずいぶん困ったことだろう。

 ともあれ、分からないと追い返す前に抹消課に話が行ったらしい。何かしら適当な理由をつけて抹消課専用の応接室に通すようにと指示したのだという。


「路行……たしかやしろさんが処置したんじゃありませんでしたか」

「そうです。有休ということなので、取り敢えず私が」

「そうでしたね。では僕も同行します」

「いいんですか?」

「念の為、悪食使いが一緒にいた方が良いでしょう。鴻田さんは?」

「入れ違いでお食事に」


 時計を見る。弐貴が食事に出てから一時間ほど。わざわざ時間をずらしてくれた、鴻田の気遣いに感謝しつつ。


「ではやはり僕が同席した方が良い。戻っても同じことを言われると思います」

「それは確かに。では甘えさせてもらいます」


 加倉も納得したようで、弐貴の同行を受け入れてくれた。

 念のために携帯から課に電話を入れると、やはり同席してくれという指示が来た。彼らを騙しているようで気が引けるが、辻崎の言葉がどこか心に引っかかっているのも事実だ。


「課長に報告したら、やっぱり同席しろって言ってました」

「さすが弌藤さん」


 内心を隠しつつ、加倉に笑いかける。

 笑い返してくる加倉の表情に、どこか作り物めいたものを感じてしまうのは辻崎の影響なのかもしれない。あの男と会うたびに、どうも感性がおかしくなるような気がする。


***


「加倉です」

「弌藤です」

「はい。あの、今は逢坂香澄です」


 先程聞いたのと同じ名前。そして『今は』。嫌な予感が確信に変わる。

 平然を装いながら、加倉と逢坂の会話を聞く。


「何日か前まで、私の名前は路行香澄でした。路行浩二の娘です」


 ガタン、と加倉の足元で音がした。平静を装っているが、驚きは隠しきれなかったようだ。

 弐貴は加倉に怪しまれないよう、彼女をフォローするかのように大き目の咳払いをしてから続ける。


「ん、ンンッ! すみませんが、私たちにはよくわかりません。路行さんという方がここに連れて来られたという記録も、記憶も。ないものですから」


 まずは白を切る。おかしいのはあなたですよという姿勢で、平然と答える。

 悪食に食わせた犯罪者の関係者が、ちょうど記憶がなくならない人間だった。などという偶然はそもそも想定されていない。弐貴の対応は、決して不思議なことではないはずだ。

 加倉も察したようだ。すまし顔で頷く。


「そうですね。記憶の混乱でもあるのかしら? もしよろしければ、カウンセラーを紹介いたしますが」

「あなたたちも、私をおかしくなったって言うのね。父の代わりに父親の居場所に現れた男や、何もかもを忘れてしまった母のように!」


 何かの地雷を踏んだようだ。

 感情を爆発させた少女が、はあはあと胸を喘がせながら弐貴と加倉を交互に見た。気圧されるような強い何かが、その瞳には灯っている。


「私も父さんと同じ目に遭うのかしら? 化け物に食われて、いなかったことにされてしまうのかしら!」

「!?」

「どこでそれを!?」

「! やっぱり本当なの!? あの人が言っていたことが!」


 失言だ。加倉の言葉は、悪食の存在を暗に認めてしまったようなものだ。本人も察したのだろう。焦ったような顔で弐貴を見てくる。

 あの人とは辻崎のことだろう、十中八九。まさか当人に悪食の話をしていたとは思わなかった。信じるわけがないと思ったのか、本人の暴発でも望んだのか。

 加倉の視線の意味は分かっていた。この場で少女を食わせろということだろう。だが、弐貴にはそのつもりはなかった。これからの方針を頭の中で必死に考えながら、あくまで平静を装って口を開く。


「どこでそんな馬鹿な話を? 加倉さん、興奮しないでください。言い方がおかしくなっていましたよ」

「え? あ、はい。すみません」

「逢坂さん。あなたの話は荒唐無稽すぎますね。化け物? 食われた? そのような作り話を大真面目にされても、我々には対応できませんよ」

「作り話!?」

「ええ。ここをどこだと思っているんです? ここは公の機関で、私たちはそこに勤める大人です。空想はお友達としてくださいね。やっぱりカウンセラー、紹介しますか?」


 軽く馬鹿にするような口調で言うと、真っ赤になった逢坂香澄が立ち上がる。

 その目に涙を浮かべて弐貴を睨んだあと、大股に部屋を出ていく。

 乱暴な音を立てて扉が閉められる。走り去る足音を聞いて、ひとまず最初の難関は脱したかなと弐貴は内心で息をついた。


「弌藤さん!? どうして!」

「落ち着いてください、加倉さん。課長に相談しないと」

「ええ、そうですよね! このことは課長に報告しますよ!」


 加倉も冷静ではなくなっている。悪食の存在が外部に漏れたことで焦っているのは分かる。だが、それだけを理由に悪食に食わせるのはやはり間違っていると思う。

 弐貴は辻崎に会う前の自分だったら、この場所でどんな決断をしていただろうと思って、軽く吐き気を覚えた。


***


「なるほど。加倉くん、失態ですね」

「な!? 何でですか、大嶽おおがけ課長!」


 加倉が報告を上げると、数人が弐貴を責めるような目で見た。が、課長の大嶽が加倉の失態に言及するとその視線が揺らぐ。


「弌藤くん、よくやってくれました。すぐに逢坂香澄の自宅周辺に人を送ります」

「お願いします」


 事態が理解できないようで、加倉が大嶽と弐貴を交互に見る。逢坂がしていたようのと同じような仕草だ。表情はまったく違うが。


「加倉くん。弌藤くんは明確に悪食の存在を隠そうとしました。誘導尋問のような発言に引っかかって、悪食の存在を暗に認めてしまうのは良くないですね」

「そ、それは分かっています! でも」

「弌藤くん。説明してあげて」


 試されている。怜悧な大嶽の表情は読めないが、弐貴に説明を振ることで、何かを探っているようにも見えた。

 弐貴は弐貴で、隠し事がばれないように細心の注意を払って逢坂を食わせなかった理由を説明する。


「逢坂香澄が悪食を知っているということは、誰かがそれを教えたということです。その人物もまた、悪食で記憶を操作されていない可能性があります。そうなると、あの場で逢坂香澄を食わせると、ここに悪食がいると確信させてしまう可能性がありました」

「ええ、正しい判断です。あるいは、この課の誰かが情報を外に漏らしている可能性もありますが、ね」


 大嶽の言葉に、緊張感が走る。そうか、大嶽が探りをかけていたのはこのことか。

 加倉が怯えたような顔で周囲を見た。弐貴への疑念は払拭されたようだが、今度はほかの同僚に疑いが向いたらしい。


「課長。ここの誰かが情報を漏らしていたとしたら、わざわざここに逢坂香澄が来ることはなかったのではないでしょうか」

「うん、一理ありますね。私も仲間を疑いたくはありませんが、残念ながら可能性はゼロではありません」


 情報を漏らしたのが辻崎であると知っているのは弐貴だけだ。ただし、辻崎の存在を皆に伝えるわけにはいかなかった。彼らは仲間なのだ。仲間を死地に追いやるようなことは出来ない。

 仲間を疑い合うような状況にはしたくないが、良い解決策が思い浮かばない。

 課長と同僚たちの会話に入れず悩む弐貴。

 と。


「ただいま戻りましたぁ。……あれ、空気重いですね。何事です?」


 そんな淀んだ空気を一刀両断するように、鴻田が食事から戻ってきたのだった。

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