嚇す

「僕が、マスターを食わせると?」

「そのつもりだろ? ま、ここじゃなんだ。ついて来な」


 弌藤が暗い目でこちらを見てくるのを、灯耶は不敵に見返した。

 組織に所属している悪食使いとは何度か遭遇したことがあるが、誰もが似たような警戒感を見せてくる。あまり気分の良い視線ではない。

 灯耶が歩き出すと、弌藤はゆっくりとついて来た。どちらにしろ、店の前で続ける話でもない。

 日中は人通りも車通りも少ない公園。錆の走った鉄棒に背中を預けて、距離を取って立つ弌藤に視線をやる。


「どうした、聞きたいことがあるんだろ?」

「あなたの所属は」

「フリーだよ。そんなのが聞きたいことかい?」

「フリー!? そんな、悪食使いが野放しになっている!?」


 弌藤が顔色を変える。国に管理されていない悪食使いが、どうにも許せないのが公僕というやつらしい。

 悪食は別に国と契約しているわけでもないのだが。


「俺の悪食は、元々は警察で管理されていた悪食だよ。前の持ち主から譲り受けた」

「譲り受けた……って、じゃあ前任の方は」

「……もういない」


 胸の奥が疼くような感覚。灯耶も、灯耶の悪食も、前の持ち主については同じような思いを胸の奥にしまい込んでいる。ジャケットに擬態している悪食が、ぶるりと軽く震えた。


「悪食を継いだ後に、警察に協力するつもりはなかったんですか」

「ないね。前の持ち主は警察に使い潰された。俺も俺の悪食も、誰かの下につくつもりはない」

「では、自分の勝手で悪食を使っていると言うんですか!?」


 怒りを露わにする弌藤だが、近づいてはこない。近づけないと言った方が正しいだろう。灯耶と灯耶の悪食に怯えているのだ。弌藤と、その悪食が。


「あんたらだって同じようなもんじゃないか。マスターが何をした? ただ、お前らが食い散らかした誰かを覚えていただけだろう」

「直ちにそうするわけじゃない。それに、あの記憶を周囲に話されるのは危険だと、あなたも分かっているでしょう」


 視線を外して、小さな声で。本人にも良心の呵責があるのだろう。

 弌藤のスーツがぞわぞわとうごめいた。擬態を解いて、弌藤の後ろに隠れる。


「あんたの相棒は賢いな。このままでは殺されると分かっている」

「何を言っているんだ? 悪食使いは、他の悪食には食われない、はず」

『そりゃ、弱い悪食同士の話だ』


 灯耶の悪食が、ジャケットから首だけ出して声を上げた。牙を剥いてみせると、弌藤の悪食が一層小さくなる。

 だが、弌藤はそれどころではなかったようだ。


「しゃ、喋った!? 悪食が!?」

『そりゃおめえ、口ぐらい利くさ。ま、お前らは俺たちを便利な道具くらいにしか思ってねえものな。知らなくて当然か』


 弌藤が後ろに隠れて震える、自身の相棒を見る。

 灯耶の悪食から庇うように隠したのは、悪食使いとしての矜持か。


『ま、別に俺もご同輩を食いたいわけじゃない。だが、俺と灯耶の邪魔をするなら、この世から削り殺す。出来ないとは思わないだろう?』

「……ええ。この子がこんなに怯えているのは初めて見ました。で、僕をどうするつもりですか」

「別にどうもしやしないよ。脅かしすぎだ、馬鹿」


 ぺちんと軽く頭を叩くと、灯耶の悪食はすごすごとジャケットの中に隠れた。

 灯耶としてはしっかり話をつけておければ良いだけのことで、特に脅かすつもりもなかった。自分の役割に変にプライドを持っているタイプだとすると、変節させるのも難しい。悪食が告げたのは、あくまで最後の手段だ。

 真っ当な組織に所属している悪食使いを削り殺すと、後が面倒になるだけなのだ。


「あのマスターが食われた誰かの記憶を残していることは、あんたが忘れてくれりゃいい」

「上に報告しなければいい、と?」

「そ。よほど関わりのある人が食われなきゃ、事を荒立てるようなことはない」


 精々が記憶違いを疑う程度だ。変に隠そうとするから、疑念が強まる。暴きたくもなる。放っておけば日々の記憶の底に埋没して、いつかは思い出せなくなるものだ。

 悪意でそれを利用するのでなければ、放っておけば良いのだ。味方に引き入れようとか、断られたら食ってしまおうとか、権力と結びついた悪食使いというのはいちいち方法が乱暴だ。


「で、どうする」

「……少し、考えさせてください」

「構わないが、変なことは考えるなよ?」


 笑みを浮かべて、弌藤を威嚇する。

 緊張で口の中が渇くのか、弌藤の返事は拙い。


「へ、んな、こととは」

「さて、それは自分で考えればいい」


 例えばこちらに返事をしないままに上司に報告をする。例えばマスターのことではなく、灯耶のことを報告する。どちらも悪食と悪食使いを差し向けてくるのは自明の理だ。


「ま、そうなれば。あんたの所属している部署ごと残らず食い尽くして削り取るだけのことだ。出来ないとは思うなよ」

「っぐ!」


 とうとう弌藤の膝が折れた。隠れていた弌藤の相棒も、怯えながらもこっちを見返してくる。ここで主の為に踏ん張れる辺り、思ったより良いコンビらしい。

 これ以上脅かす必要もない。灯耶は弌藤に背を向けると、ぷらぷらと右手を振る。


「俺は大体あの店にいる。答えが決まったら話しに来な」

「それ、が……。マスターを食わせることだとしても、ですか」

「あんた、自分のことを覚えていてくれるマスターに、多少なりとも安らいでいたんじゃねえのかい」

「!」


 返答はなかった。図星だろう。

 灯耶に悪食を託してくれた人がそうだった。日々人から急速に忘れられていく悪食使いは、自分を覚えていてくれることが嬉しくて、縋りたくなる。

 そして、そんな自分の脆い心に気付かない。


「もしそういう結論で変わらねえなら、俺を削り殺せる算段がついてからにするんだね。さもねえと――」


 灯耶の悪食がずるりと背中から頭を出した。それはもう楽しそうに、脅しつける。


『食っちまうぞ?』


***


 辻崎がいなくなっても、弐貴は中々立ち上がることが出来なかった。

 明らかに格が違う。人語を話す悪食というのもそうだが、辻崎という男も相当な修羅場を潜っている。

 視線を落とすと、ふるふると震えていた相棒と目が合う。


「君も相当古い悪食だって聞いていたんだけどね」


 怯えている様は、なんだか幼子のようだ。

 そっと手を差し伸べると、するすると体に巻き付いてスーツの上着に擬態する。

 悪食使いを、背負った悪食ごと削り殺す。そんな方法は、今まで一度も聞いたことがない。だが、あれが嘘だとはまったく思えなかった。ひとつ返答を間違えていれば今頃弐貴はここにいないはずだ。


「古いだけじゃ、駄目なんだろうな」


 何事も隠し立てしない。それが抹消課の不文律だ。

 弐貴もそれを信じていたし、ずっと隠し事をせず過ごしてきた。だが、もしも報告を上げてしまえば、自分だけではない。課の仲間達もあの男の餌食になってしまうかもしれない。

 この日、弌藤弐貴は初めて仲間達への隠し事を持ってしまった。


***


『なあ、灯耶』

「どうした?」

『ありゃ、中々気合が入ったコンビだな』

「そうだな」


 ねぐらに向かってふらふらと歩く道中、灯耶と悪食の話題は弌藤のことだった。


『こっちには脅しすぎだって言ってたくせに、結局自分もそれ以上に脅しているんだからよう』

「うっせ。マスターに迷惑がかかるのは良くないだろうが」

『そうだな。あそこの角煮は美味いからよう』


 と、相棒はふとその前のことを思い出したらしい。

 少しばかり悪戯な口調で、灯耶のことをからかう。


『そういや、今日は珍しく銭を受け取らなかったな。驚いたぞ』

「あそこからはもう受け取っただろ。忘れたからって二度も受け取るのは駄目だ」

『そうか、駄目か』

「ああ、良くない」

『そうか、それじゃ仕方ないな』


 どうも相棒は灯耶のことを守銭奴だと思い込んでいる。生活のためには大事なことなのだが、怪異である悪食にはその辺りがどうにも伝わりにくくて困る。

 今日の晩酌は酒をちょっと減らすことにしよう。

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