第24話
静かな部屋に、ジャキン、と裁ち鋏の剣呑な音が響く。涼々がふと眩しさを感じて目を上げると、落ちるのが早くなった西陽が、十年以上使っているカーテンの隙間から自室に差し込んできていた。涼々の座るデスクには、机上だけでなく足元にまで、裁断された服や切れ端がこんもりと小山を作っている。
何か通知は来ていないかと、ベッドに投げ出されていたスマホを手に取る。通知音をオンにしていること自体、涼々にとってはめったにないことだった。念のためにラインを起動してみても、佑輔からのメッセージは届いていない。
彼が話していた予定では、おそらく今頃、帰省した姉を迎えに行っているはずだった。どうなったかお知らせしますね、と言ってはいたものの、連絡もできないほどの最悪の結果に終わっているのでは、という不安は拭いきれない。
母はまだ妹の家に行ったままで、向こうで年を越すという。一人きりでゆっくり家にいられる機会もそうないからと、朝から大掃除のようなことを始めてはみたものの、さっぱり手につかなかったのだった。
切り刻まれた、かつて服だったものたちを、使う生地とゴミとに分ける。ゴミを捨て、混ざってしまった生地を柄別によりわけようとしたとき、スマホが遠慮がちな通知音を立てた。
手に持った生地を、また混ざってしまうのも構わずに混沌の山に落とし、俊敏にスマホに飛びついて通知を意味もなく連打する。いつも通り、手書きの手紙のように丁重な、彼からのメッセージだった。
『今、姉と話し終わりました。思ったよりもあっさり、そうなの、って言われて、拍子抜けするくらいでした。これから姉と食事に行ってきます』
『涼々さんにはほんとうにお世話になりました。ありがとうございました。また今度、ちゃんとお礼と報告をしたいので、年明けで都合の良い日を教えてください』
はああ、と涼々の口から深いため息がこぼれる。全身が脱力して初めて、緊張状態にあったことに気づいた。ひとまず安心すると同時に、やはりどこまでも、彼とは住んでいる世界が違うのだと思い知る。彼の言葉通り、あっさりと受け入れる姉という人を、地続きの同じ世界にいる人間として想像することが難しい。
仕事じゃないんだから、と思う文面にもすっかり慣れて、いつでも大丈夫、と簡単な返事を打ち込む。普段の涼々には似合わぬ素早さで送った返信には、しかし、数十秒の間見つめていても、既読がつくことはなかった。
ぱさ、と乾いた音がしてデスクの方を振り向くと、布の山が少し崩れていた。だらしなく机上に広がってしまった生地と、既読のつかない画面を交互に見ていると、どこか胸がざわつくのを感じる。
もう、彼には、会えないのではないだろうか。姉へのカミングアウトが成功したということは、相談相手としての涼々の役割も終わったということを意味していた。もちろん彼のことだから、誘えば会えるのだろう。しかし涼々は、理由なく人を誘えるような人間関係のやりかたなど知らなかった。
そんな思いがよぎった次の瞬間、それで何を困ることがあるのだ、ともう一人の自分が反論する。好きでもなんでもないのだろう、と、感傷に浸ろうとする自分をきつく戒めた。
遠ざかっていく、彼の後ろ姿がよみがえる。以前、頼まれて一緒に出かけたときに、一人でレジに並びに行った彼の背中。それを見守っていた自分は、おつかいを見守る母親のようだったことも思い出し、それだ、と一人で膝を打つ。
面倒を見てきた子供が、自分の手を離れてゆく寂しさ。それでこの胸騒ぎは説明できる。母になる予定などない自分が、母のような、などと理屈をつけている滑稽さには、強引に目をつぶった。
机上に置いたままの裁ち鋏が、不穏にぎらりと夕陽を反射した。その光の眩しさに、涼々ははっと我に返る。自分の胸中を解きほぐそうなどと青臭い試みをしていたことが、誰が見ているわけでもないのに気まずくなってくる。服が入った紙袋から、かつて妹が着ていたブラウスを引っ張り出し、前後の身頃の縫い合わせを、勢いよく裁断した。
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