第21話
今日の夢は、紅葉だった。彼が微笑む口の端から、素朴だが力強い紅い色が、紅葉の形になってこぼれ落ちていく。例によって、その落葉を手に取ることはできない。涼々は、なんとか今日こそその色に触れようと、覚醒しようとする身体を無理に夢の中へ押しとどめた。
「あんた、まだ寝てんのかい」
二度寝でも飽き足らず、三度寝を試みようとして浅い眠りに浸っていた矢先、母のだみ声が邪魔をした。一瞬で頭が冷えて、夢などに拘泥している自分が急に恥ずかしくなる。
「これから、友梨ちゃんのところに行くからね。車出しな」
有無を言わさぬ口調で言い捨て、どすどすと重い足音を立てながら、母はゆっくりと階段を下りていった。わざわざ二階に上がってきたのは、自分ではなく友梨のためなのだと、失望よりもむしろほっとする。今の自分を、母に見られたくなかった。
不機嫌な表情を隠すこともなく、着替えて階下に下りる。泊まりの用意をすっかり済ませた母が、最近はあまり使っていなかったキャリーカートとともに待ち構えていた。
「つわりがひどいっていうから、しばらく向こうにいるよ。あんたは一人でいな」
却って願ったりだ、と皮肉な笑いに歪む顔を伏せて、涼々はカートを持ち上げ、黙って車へ運ぶ。後部座席に放り込み、隣に母が乗り込んだのを確認して、駅までのいつもの通勤ルートへと車を出した。
友梨が夫の転勤についていった先は、ここから特急と新幹線を乗り継いで半日はかかる。母の体力が少し心配になったが、バックミラーに映る母は、鼻息も荒く、先日買った妊婦向け雑誌を握りしめている。
前方に意識を戻すと、いつの間にか前車に近づきすぎていて、慌ててブレーキを踏む。その拍子に、母の身体が前に揺られた。
「ちょっとあんた、気をつけな」
娘にというより、運転手にクレームを入れるかのような母の声を聞き流しつつ、内心では涼々も胸をなでおろしていた。普段ならば、後方確認くらいどうということはないし、まして嫌というほど走り慣れた道だ。信号の長さまで把握している。
寝起きですぐ、朝食もろくに食べずに来たせいか。それともやはり、あの夢のせいなのか。もうかれこれ二週間ほど、似たような夢を毎晩見続けている。睡眠時間は変わっていないのに、睡眠の質が悪いことから来る寝不足がずっと続いていた。
異変はもう一つあった。やたらと赤い色が目につくのだ。今だって、赤信号、赤い車、果ては前車のブレーキランプまで、その一つ一つが、妙に心をざわつかせる。自分の中で何かが起きている、いよいよそう認めざるをえなかった。
いつもの駐車場を通り過ぎて、駅の降車用ロータリーまで車を進める。先日、佑輔と一緒に来たときにはまだ少なかったクリスマスの装飾が、駅ビルや広場の至るところにほどこされていた。若者やカップルがはしゃぎながら連れ立って歩いていくのが、遠目からでもわかる。車からキャリーカートを下ろし、それを支えにして歩いていく母を見送った。改札まで付き添えと言われるかと思ったが、すでに母の頭は妹のことでいっぱいのようだった。
すぐに車を出そうと、さっさと運転席に戻る。レバーをドライブに入れた瞬間、休日には珍しくスーツ姿で歩く人影が、ふと目に入った。瞬間、胸を殴られたような衝撃が走る。背格好、髪型、持っている鞄の形、すべてが彼にそっくりだった。発進しようとしていたことも忘れ、その人影が近くに歩いてくるまで見つめてしまう。数秒後、視界に入ったのは、彼とは似ても似つかない、浅黒く太眉のいかめしい顔だった。
深呼吸を繰り返しながら、慎重に駅のロータリーを出る。わかっているのは、思ったより自分が重症だ、ということだけだった。あの外出以降、彼から連絡はない。そのことが今になって気にかかる。
ぼんやりと車を走らせていると、普段は見向きもしないファストフード店の赤い看板に視線が吸い寄せられた。しばらく忘れていた空腹感が一気に戻ってくる。空になった胃袋、そして何かを欲しているような胸のあたりの違和感をとりあえず埋めようと、涼々は看板が指す矢印の方へハンドルを切った。
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