第19話

 アミのアパートの駐車場に車を入れ、車外に出ると、容赦のない冷気が涼々を殴りつけてくる。最近のアミはクリスマス商戦のために忙しく、ここに来るのは久しぶりだった。冬至が近づいてきた夕方、すでに空は真っ暗だが、足元に積もっている雪が、かすかな夜空の光をあたりに薄く広げていた。

 無骨なブーツでざくざくと雪を踏んで、階段を上り、部屋の玄関前に着く。チャイムを押すと、まだメイクも落とさず、出勤用のジャケットとフレアスカートに身を包んだアミが出迎えた。

「ちょっと待ってて」

 そう言ってアミは、涼々の顔も見ずに洗面所に戻ろうとする。その背中を呼び止めて、狭い廊下で真正面に向かい合う形になった。

「メイクしてる顔、久しぶりに見た」

「さっき帰ったばっかなの。落とすから待って」

「このままでいい」

 涼々の視線の先にあるのは、均質に整えられた肌の中に、くっきりと浮かび上がっているアミの唇だった。素直な赤ではなく、少し紫がかったような、あかぬけた色をしている。怪訝そうな顔をしているアミを差し置いて、穴のあくほどその色を見つめた。

「ちょっと、何」

 アミが戸惑いながらも動かないでいるのをいいことに、無遠慮にその色に触れ、輪郭をなぞる。口紅のしっとりした感触があり、指先が吸いつくようだった。口の端から一周して、自分の指先を見ると、唇そのものよりもさらに紫の強い色が移っていた。

「久しぶりだからって、そんながっつかないでよ」

 壁と涼々の間からするりと抜け出し、今度こそアミは洗面所へ入っていく。

 仕事柄、メイクには慣れているアミでも、唇に乗せるのはこんなに不自然な色なのだ、ということが涼々には驚きだった。それとも、技術があるからこそ、こんな色でも使いこなせるのだろうか。そういうことに疎い涼々にはわからなかった。

 ものを避ける努力すら無意味なほどに散らかったリビングで、涼々はずっと、歩くたび何かを踏んでしまう足元ではなく、指先に移った色を見つめていた。アミが戻ってくるまでそうしていて、また不審がられたけれど、それでも、自分が本当に見たいと思っていた色は、思い出せないままだった。

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