第11話

 一度冬に向かい始めた気候はその足を緩めることなく、日に日に空気は冷たく乾いていく。山間部ではとっくに初雪が観測され、このあたりでももういつ降ってもおかしくなかった。

 先週トレンチから切り替えたウールの黒いコートの前を合わせながら、涼々はコンビニの駐車場で車を降りた。仕事を終えてすぐの時間なのに、あたりは夜中とほとんど同じ暗さに覆われている。行き交う人影がなければ時間の感覚をなくしてしまいそうだった。

 この時期になると、スーパーの生鮮食品コーナーの冷気さえも寒くて、アミと食べる夕飯の調達には、近場のコンビニに足が向く。入口から真っすぐ食品エリアに向かおうとして、視界の端に現れた紅い色に引き寄せられた。

 普段あまり立ち止まることのない、化粧品などの並ぶ棚。そこにあった色付きのリップクリームは、紛れもなく、彼と同じものだった。

 食事をした夜から一週間、連絡はない。それでよかった。リップを拾ってからの自分は、どこか地に足がついていないような、自分でないような感じだった。今もまた、仮にもアミに会いに行くというのに、アミではなく佑輔の唇の色を思い返している。涼々の背後から化粧品類を物色する女性の気配を感じて、足早にコンビニの奥へ移動した。

 割引シールの貼られたパスタを二つと、なんだか物足りない気がしてプリンも二つひっつかんでカゴに入れ、レジに向かう。部活帰りらしい学生の後ろに並んだが、会計に手間取っているようだった。後ろから眺めてみたところで早く済むはずもなく、涼々はふらりと列を離れた。

 気づいたときには、パスタとプリンがタワーのように重ねられたビニール袋の最上段に、名刺大の台紙に収められたリップが載っていた。コンビニから出た瞬間に吹きつける寒気が、涼々の頭を冷やしていく。自分には絶対に似合わないとわかっているのに、なぜ買ってしまったのだろう。しかしたかだか数百円のリップを返品したいとも言い出せず、そのまま車に乗り込む。

 ポケットがさみしいから。他人のコートと間違わないように。アミの家までのわずかな距離を運転する間に、言い訳が次々に浮かんでくる。対向車のヘッドライトが目に入るたびに、運転に集中、と自分に言い聞かせるのに苦労した。

 車から降りる前に封を切り、包装を車内のゴミ箱に捨てて、ポケットにリップをしのばせる。アミにはどうしてか気づかれたくなかった。ポケットに手を入れて握り込むと、温度のないころんとしたスティックが手の中に心地よく収まった。

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