第3話

 終業時間の5分後には、涼々はもう駐車場に向かって歩き出していた。室内に熱がこもる昼間は半袖の制服で過ごしていたが、9月も後半ともなれば、夕方以降の風は肌寒い。すれ違う人たちはみな一様に足早だった。

 エンジンをかけ、もう一度スマホをチェックしてから、通い慣れたスーパーへと車を走らせる。場所代代わりに夕飯を買っていくのが、2人のルールだった。そこに特定の情念はなく、いつしかそれが暗黙の了解となっていたに過ぎなかった。

 割引のシールが貼られた鮭弁当とオムライスを買う。100円を切っていたおからの和え物もつい手に取ってしまった。おそらくアミは食べないだろう。総菜以外の棚には目もくれずに、セルフレジで素早く会計を済ませた。

 アパートの駐車場に、さも住人であるかのように車を入れる。入居者の動きには一応気を配っているが、一昨年の年度末からはずっと同じところが空いている。最近来た住人など、本当にこの駐車場の使用者がいると思っているかもしれなかった。

 チャイムを押すと、ややあって、ピンクのトレーナー姿のアミが出迎えた。洗顔用のヘアバンドで髪を上げ、顔に水滴が残っている。

「お疲れ~、入って~」

 愛想も何もない事務的な言葉に、涼々もおじゃましますとも返さずに靴を脱ぐ。洗面所に消えたアミには構わずリビングに入り、手近にあった猫の顔型のクッションを引き寄せてその上に座った。いつもは衣類やアクセサリー、それに化粧品のたぐいがテーブルにも床にも散らばっているが、今日はそれらを避けなくても十分にゆったりと座れる。他の女性でも呼んでいたのだろうか。テーブルの上に買ってきたものを置き、鮭弁当をあたためもせずに食べ始める。

「あ、おからじゃん。それちょうだい」

 化粧品で肌を光らせたアミが涼々の斜め向かいに座り、和え物のパックに手を伸ばした。

「オムライスとおからって」

「いいの。大豆は肌にいいんだから」

 それ以上の会話は続かず、涼々は黙々と鮭の骨を外しては口に運ぶ。オムライスを一口食べたアミは、無言でそれを電子レンジに持って行った。

 テレビのリモコンを探し当て、適当にチャンネルを変える。当たり障りのないクイズバラエティを見つけて、そこで止めた。涼々も、戻ってきたアミも、答えを言ってみたり、知恵を出し合ったりするわけではない。ただぼんやりと画面を視界に入れながら、夕飯を腹に収めた。

 アミが缶チューハイを取りに立ったとき、涼々もシャワー借りる、と一言だけ告げて立ち上がった。車に積みっぱなしの洗面道具一式を持って、使い慣れた浴室へ向かう。その背中に、アミが言葉をぶつけた。

「またいらない服あるんだけど、要る?」

「ああ、あるならもらう」

 じゃあまとめておいとく、と言葉だけが飛んでくる。顔を合わせて会話したことはほとんどなかった。

 服をもらうと言っても、涼々が着るわけではない。アクセサリーショップ勤務で小柄なアミとは、体型も服の系統も違いすぎる。服を裁断して、裁縫の材料にするのだ。涼々の唯一の趣味が縫いものだった。洗面台にもいくつか、涼々が作りすぎてアミにあげたポーチが置いてある。細々とした化粧品類を入れるくらいの役には立っているようだった。

 ぬるめの湯を出して、これからすることのためだけに、手早く全身を清める。2人のベッドはいつも淡泊だった。ほとんど無言のまま、他に行き場のない欲を満たしあう。互いをいたわることなどなく、ただぶつけるだけの関係を、惰性だけで続けていた。

 例えば、アミを壊さなければ自分が生きて帰れない、と言われたなら、涼々は迷いなくそうする自信があった。自分と同じ、見慣れたかたちの身体ならば、生かすことにも壊すことにも、躊躇や不安は一切ない。それが涼々の結論だった。

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