1マイルの風

Tsuyoshi

第1話Re:START

 福岡県福岡市早良区(さわらく)百道浜(ももちはま)。砂浜を軽快な足運びでランニングをしている眼鏡の美少女、千早(ちはや)歩美(あゆみ)。百道学園高等部二年の陸上部女子キャプテンだ。黒い長髪を後ろに束ねて走る姿は凛として美しい。


「千早さーん、ま、待って・・・・・・うわっ」

 

 歩美の後を砂に足を取られて躓きながら、必死に追いかけるのは陸上部マネージャーで、同じく二年の大野(おおの)佑(たすく)。見た目は童顔で、草食系男子だ。


「ほら、こんなんじゃ、今度のスポーツ大会でしっかり走れないよ。大野君、選手として出るんでしょ?」


 前を走る歩美が、佑の方に振り返り声を掛ける。


「陸上部だからって、僕はマネージャーなのに・・・・・・学校行事とは言え、しかも男女混合リレーに選ばれるなんて」


 パワーベストやパワーリスト等の負荷を全身に付けながら走っていた佑が、自信無さげな顔と声色で泣き言を零す。


「文句があるなら、アイツに言ったら? 新しく赴任して来たと思ったら、スポーツ大会の種目に新しく男女混合リレーを入れるんだもの。いつものサッカーとバスケとビーチバレーで良かったじゃない。何考えてんだか・・・・・・」

「そ、そうだね・・・・・・」


 歩美が親指で後ろの海を指差す。そこには、小柄で小麦色に焼けた肌の男性が水上バイクで水飛沫(みずしぶき)を上げながら、涼しそうに疾走していた。スキンヘッドにサングラスと白い歯が良く映える。


「ハッハー! セイ! フゥ~!」



 一週間前。朝の全校集会で壇上に立つ、スキンヘッドの男性教諭。


「皆さん、初めまして。今日から体育の担当として赴任してきたジョンソン直人(なおひと)です。陸上部の顧問も兼任致しますので、これから、宜しくお願いします」

 ジョンソンが壇上から、全校生徒に向かって一礼する。生徒や教師達からの拍手の中、ジョンソンが再びマイクを握る。


「あと、言い忘れていましたが、私(わたくし)、今年のスポーツ大会の種目に男女混合マイルリレーを追加させて頂きました。そして、そのメンバーはこちらで選出するので、あしからず」


 一週間後、再び現在に戻る。



「千早キャプテ~ン! 大野先輩~!」


 浜沿いの道路で巨乳の一年陸上部マネージャー、香住(かすみ)ひなが自転車に乗って、二人に呼び掛けながら追いつく。


「ひなちゃん、リク・・・・・・陸(りく)久(ひさ)と七(なな)隈(くま)君は? スカウトは上手くいった?」


 歩美は走りながら、ひなの方を向いて彼女に尋ねる。


「ごめ、んなさ・・・・・・い、連れて、来れません・・・・・・でしたっ」


 ひなが息を切らせながら歩美に答える。


「七隈君はトレーニングルームに居たんですけど・・・・・・」


 数十分前、学園内のトレーニングルーム。室内で筋トレをしているショートアフロの男子生徒がいた。彼はウエイトリフティング部の一年、七隈晴(はる)翔(と)。ウエイトリフティング部に所属しているだけあって、筋肉量が同じ高校生のそれとは比じゃない。


「陸上部だと? 走るだけか。フン、俺はウエイトリフティング部で忙しいから、帰った帰った。フン! フン!」


 晴翔はひなから陸上部の勧誘を受けていたが、練習の邪魔だとダンベルで高速のアームカールをしながら彼女を追い返そうとする。


「七隈君が陸上部も助っ人で来てくれたら・・・・・・千早キャプテンが・・・・・・ひっ!」

「千早キャプテン・・・・・・?」


 それから少しして、晴翔の勧誘は今日は無理だと判断したひなは、歩美の弟の陸久を探す事にした。陸久は陸上部所属なのだが、ある出来事がきっかけで部活の練習に顔を出さなくなったのだ。ひなは陸久を探し回るが・・・・・・。


「学校を探し回ったんですけど、千早君は見つけられませんでした」


 ひなが申し訳なさそうに歩美に結果の報告をした。


「そう、ありがとう、ひなちゃん。リクの奴・・・・・・帰ったらとっちめてやる!」


 歩美が残念そうな顔でひなに礼を言った後、鬼の形相で陸久への罰を口にする。

 そんな彼女達の会話を後ろで聞きながら、佑は今の陸上部の現状を振り返った。



『僕達陸上部は、今年五月のインターハイ予選大会に出る事が出来なかった。男子キャプテンだった三年の平尾(ひらお)流星(りゅうせい)先輩が同じ陸上部三年の元女子キャプテン和(わ)白(じろ)詩(うた)先輩を教室でビンタをしたという。

 彼が起こした暴力事件がもとで陸上部は学園側から大会の棄権を言い渡され、棄権を余儀なくされた。男気があって、僕も憧れていた平尾先輩が何故そんな事件を起こしたのか、後輩の僕達にも分からなかった。

 そして、結局、三年の先輩達は引退試合に出る事叶わず、そのまま引退してしまった。その出来事がきっかけで、陸上部内の男子部員と女子部員の間には亀裂が入り、すれ違いが多くなっていった。残された二年と一年は新コーチ、ジョンソン先生も含めてまとまりの無いチームになっていた・・・・・・。』



 その日の夜、千早宅にて。風呂から上がった歩美がラフな部屋着で、肩に掛けたタオルで汗を拭きながら部屋に戻ろうと玄関前の階段に向かった。

 ちょうどそこに、陸久が帰宅して、歩美と陸久の目が合う。陸久は天然パーマのウルフヘアーで、左側だけドレッドになっており、クールそうな表情も相まって、ヤンチャそうな見た目をしている。彼は200m走と400m走の選手をしており、体格も180㎝で、しなやかな筋肉を持っている。


「リク、アンタどこ行ってたのよ」


 歩美がムッとした表情で陸久に問い詰める。


「・・・・・・自主練」


 靴を脱ぎながら不愛想な顔と声で、ボソッと答える陸久。そんな陸久に歩美が近寄り、彼の首に腕を掛ける。


「ちゃんと部活の練習に出なさい!」


 そう言いながら、歩美は陸久にコブラツイストを掛ける。


「いだだだだだ‼ ね、姉ちゃん! ギブギブ! ・・・・・・ハァ。なんだよ、いきなり!」


 これには堪らず陸久もクールな表情を歪ませ、歩美の肩にギブアップの意思表示をする。歩美は陸久の体を締め上げる力を緩める。


「・・・・・・アンタが一番インターハイ予選に出れなくて悔しがってるのは私がよく分かってるわよ。だけど、そうやってチームの輪を乱すのはやめなさい」


 歩美は真剣な眼差しで、真横にある陸久の顔をじっと見つめる。


「俺は入部して間もない時にいきなり三年の先輩が暴力事件起こして試合すら出してもらえなかったんだ。理由を訊いても、先輩はだんまり。そんなんでこっちも納得出来るかよ!」


 不貞腐れた表情でそっぽを向く陸久。そんな弟の言葉に歩美は、


「それは私だって・・・・・・でも、気持ちを切り替えなくっちゃ!」


 と、力強く答える。ついでに力が入り、陸久を再び締め上げた。


「いだだだだ‼ 姉ちゃん、いてぇって‼」



 翌日、学園にて。水泳部一年の福津(ふくつ)澪(みお)が25mプールで一人、水飛沫を上げてバタフライで泳いでいた。彼女は小学校、中学校から水泳を続けており、将来有望な生徒として期待されていたが、高校に入ってから、次第に勝てなくなり戦績が伸び悩んでいる。真面目な性格だ。

 第一グラウンド内にあるテニスコートで、テニス部元キャプテン三年、大橋美(み)月(づき)が後輩と練習をしている。美月は引退後も後輩の練習相手になるなど、後輩思いな性格である。見た目もおしとやかで、練習中は特に男子達の注目を集めていた。

 体育館では女子バスケ部三年元キャプテン、春日美(み)琴(こと)が現役選手達と混じって練習をしていた。彼女は誰にでも気さくに話し掛けるタイプで、特に女子へはボディタッチが激しい様子。

 同じく体育館内で、男子バレー部三年元キャプテン、新原(しんばら)大雅(だいが)がスパイクの練習をしている。彼の跳躍力は目を見張る物があり、その高さから打ち出される球は受けるのも難しい。なので、後輩達のレシーブ練習に一役買っていた。

 そして、第二グラウンドでサッカー部三年元キャプテン、須恵(すえ)悠(ゆう)真(ま)が練習しており、ドリブルで三人抜き去って、ボールをセンタリングに上げていた。そんな悠真に練習を見に来ている女子達から黄色い歓声が上がっていた。



 ところ変わって職員室。ジョンソンが自分の机に向かって、先程の生徒達の経歴や情報が載った顔写真付きの資料を見ていた。

 そこにジョンソンの隣に座っていた女性教員が、


「スポーツ大会の男女混合マイルリレーのメンバーは決まったんですか?」


 彼が持っている資料に目を向けて尋ねる。


「・・・・・・そうですね、400m走は過酷なレースでもありますから、スピードだけでなく持久力もある生徒でなくては」


 真面目な表情を女性教員に向けるジョンソン。


「400m走って、そんなにキツイ競技なんですか?」

「ええ。・・・・・・レース後に倒れて呼吸困難に陥ったり、嘔吐するのも珍しくありません」


 そして、より一層真剣な顔で、


「陸上競技で最もきつい種目だと思っています」


 ジョンソンは彼女に続けた。



 その頃、佑と歩美が晴翔をスカウトしに行っていた。最初は佑だけで晴翔を説得していたのだが、散々陸上部を馬鹿にされているだけだった。


「陸上なんて走るだけで、大した事ないじゃないか」


 しかし、晴翔が陸上部への罵倒の途中、


「・・・・・・今の言葉、聞き捨てならないわね」


 怒気をはらんだ声で歩美が晴翔の前に現れる。


「誰だよ、アンタ?」

「私は二年の千早歩美。陸上部のキャプテンよ。七隈君、あなたを陸上部にスカウトに来たわ」


 そう言いながら、歩美は眼鏡を外した。更に美しさに磨きが掛かった歩美の顔を見た晴翔の脳天から足にかけて、一筋の稲妻が突き抜けた。


「あ・・・・・・貴女が、千早キャプテン? う、美しい・・・・・・」


 どうやら晴翔は歩美の素顔に一目惚れしたようだ。


「・・・・・・え?」

「千早先輩、一目惚れしました! 俺と付き合って下さい!」

「え・・・・・・えぇぇぇぇ‼」


 頭を下げながら右手を差し出す晴翔の突然の告白に驚きを隠せない歩美は、素っ頓狂な声を上げた。そして意外にもこの手の事に慣れていない歩美は、この話を終わらせたいが為に、何を思ったのか、


「わ、悪いけど、それは無理よ。私、大野君と付き合ってるから」


 と、顔を赤くしながら佑の腕にしがみつく。


「えぇっ⁉ ち、千早さんっ⁉」


 佑も歩美の咄嗟の嘘に突然巻き込まれて、声が思わず裏返る。


「こ、こんなひょろい奴と⁉」


 歩美に断られた晴翔は、先程まで馬鹿にしていた相手に劣っている事にショックを受けたが、諦めきれない様子で歩美に食い下がる。


「じゃ、じゃあ俺とコイツが陸上競技で勝負して、俺が勝ったら付き合って下さい‼」


 晴翔のその様子に、歩美は閃いた。


「そうね・・・・・・あと、私にも勝ったら考えてあげる」

「うおぉぉぉぉぉ‼ マジっスか‼」


 歩美の言葉を聞いて、やる気が溢れてくる晴翔。両の拳を握り締めて、拳を高く上げて歓喜している。しかし、そんな晴翔に歩美は冷静さを取り戻し、話を続けた。


「その代わり、私に負けたら、陸上部に入ってもらうわ」

「おぉぉぉぉぉ・・・・・・・・・へ?」

「どう? 真剣勝負よ」


 晴翔の無茶苦茶な条件を飲んだ上で、凛として堂々とした態度をとる歩美に、晴翔は思った。


(大和撫子だ・・・・・・)


 そして、晴翔と同時に佑も思った。


(千早さんの事は確かに気にはなるけど・・・・・・でもそんなんじゃない・・・・・・はず。ただ、こんな奴とは付き合って欲しくない‼)


 歩美も思った。


(うわ~~~~、私何言ってんだろ! ごめん大野君! でも・・・・・・陸上初心者の七隈君に私が負けるはずが・・・・・・いや、でも陸上勝負を持ち掛けるぐらいだし、もしかしたら。・・・・・・うん、最悪リクも参加させよう。それなら確実に勝機はある)

「そうかーーー‼ 七隈晴翔‼ 走ってくれるかーーーー‼」


 突然、勢いよく三人の背後から声を掛けるジョンソン。


「ジョ、ジョンソン先生っ⁉ いつからそこに⁉」


 驚いて、ジョンソンの方を向く三人。特に歩美が一番驚いていた。


「そうか、そうか~、YOU達付き合ってたか~! 佑~、晴翔~、歩美の為に頑張れよ~?」


 ニヤニヤした顔で佑と晴翔の背中を叩くジョンソン。


「いつからいたの⁉ ってか何でここに⁉」


 歩美はジョンソンに敬語をつけ忘れるぐらいには動揺しており、そのままの勢いで彼の目的を尋ねた。


「ミーも晴翔にメンバーとしての通告をしようと思ってルームに入ったんだがな。そしたら、先にYOU達が面白い事になってたから、そのままYOU達の後ろで、ついついスタンドリスニングしちゃってたんだよね!」


 ジョンソンは適当な英語を交えてふざけた話し方で、親指を立てて歩美にウィンクをした。


「っ~~~~~~~‼」


 先程の会話や佑の腕にしがみついていたのも全て見られていたと聞いて、歩美の顔は再び真っ赤に染まった。


「時間も勿体ない、これから歩美をかけた真剣勝負をしようじゃないか~!」


 ジョンソンがその場の三人を第一グラウンドのトラックに移動するように促し、それぞれグラウンドに向かった



 ジョンソンと歩美と佑、晴翔の四人はトラックに集合し、ウォーミングアップを始めていた。そこにはひなもジャージ姿で来ており、ジョンソンと晴翔もジャージ姿で、佑はパワーベストとパワーリストを着けたジャージ姿。そして、歩美はスポーツブラとスパッツの女子ユニフォーム姿に着替えていた。


「うっ・・・・・・勝負を仕掛けるだけあって、七隈君やるわね」


 歩美は柔軟体操をしながら、晴翔の様子を観察していた。晴翔はスタートダッシュの練習をしており、瞬発力が非常に高い事が分かった。

 それに焦りを感じた歩美は、スマホを取り出して弟の陸久にメールを送る。


《今すぐトラックに来て。400m走をするから、一緒に走ってほしいんだけど》


 歩美からのメールを受け取った陸久は、その時いつものように自主練習をしており、学園の外周を走っていた。陸久はメールを受け取った後、渋々な様子でグランドに移動するが、何やらおかしな事になっている事を察した。

 陸久は今回様子見をすると決め込んで、彼は第一グラウンド内が一望出来る斜面の途中にあるベンチに座り、姉の歩美に返信する。


《い や だ ‼ 俺は見学させてもらう》

「リクの奴~~~‼」


 トラックからだいぶ離れたベンチに座り、こちらを見ている陸久に気付いた歩美は、彼からのメールを確認した後、向こうの陸久を睨みつける。


「お前、そんなもん着けて走ってんのかよ⁉ ほんとに陸上部マネージャーかよ」


 一方の晴翔はウォーミングアップが終わったのか、佑に絡んでいた。理由は彼が着けていた負荷道具についてだった。佑の負荷道具についてはジョンソンも思う事があったようで、


「佑、これから一緒にウォーミングアップで走ろう。さぁ、それも脱いだ脱いだ」


 と、佑に負荷道具を外すように指示した後、一緒にランニングをするように誘った。ジョンソンに言われるまま、佑はパワーベストとリストを外し、彼に続いて走り始めた。


「佑、ああいった物を使うなら、しっかりとフォームが身に付いてからだ。でないと、余計な筋肉が付くばかりか、フォームに変な癖が付いて取返しのつかない事になってしまう」


 ジョンソンは歩美にするような軽いノリではなく、真剣な声色で佑にアドバイスを送っていた。普段自分が知っているジョンソンの雰囲気ではない事に気付いた佑は、彼のアドバイスを真面目に聞きながら走る。



 それから少しして、佑もウォーミングアップが終わり、スタート位置に移動した。


「陸久の奴はどうだった?」


 戻ってきたジョンソンが歩美に尋ねると、彼女は顔を横に振りながら親指でベンチの方を指す。ベンチで柔軟体操をしながらこちらを見つめる陸久に、ジョンソンは笑顔で手招きするが、陸久は180度開脚姿勢のまま両手を高く上げ、バツの形を作る。


(佑と晴翔の事もあるし、陸久にもコーチとして手本を見せてやらんとな)

「仕方ねぇ~なぁ~! 俺も走るか~!」


 そう言って、ジャージをいそいそと脱ぎ始めた。彼のジャージの下からは、半袖半ズボンタイプの上下タイツを着けた姿が現れた。ピッタリとボディーラインを強調するタイツ姿の彼に、歩美は思わず、


「なによ、そのユニフォームは!」


 と驚き、視線を逸らす。


「これはスプリンターの正装だ!」


 ジョンソンは腰に手を当て、腰をグルグル回しながら答える。

 晴翔がその姿を見て、


「先生、イカすじゃないか!」


 とジョンソンに言うと、ジョンソンは嬉しそうに笑った。その光景に苦笑いを浮かべる佑。


「ハハハ・・・・・・」


 それから佑と晴翔もジャージを脱ぐ。佑は陸上ユニフォーム姿、晴翔は半袖の体操着姿になった。


「皆さん、準備が出来たら位置について下さい」


 ストップウォッチを持ったひなに促され、ジョンソンを含めて四人がスタート位置につく。一番内側の2レーンにジョンソン、3レーンに佑。4レーンに歩美、一番外側の5レーンに晴翔が並ぶ。

 歩美と佑がスタートブロックの位置を調整する。スタートラインから二足分下がった位置に前足のブロック、三足分下がった位置に後ろ足のブロックを合わせる。


「佑、いいか、歩美は400m走のセンスがある。専門種目にしているだけあって、自分の個性が分かっている。彼女のペースについて行くんだ」


 ジョンソンはブロック調整を行う佑にアドバイスを送る。


「ジョンソン先生・・・・・・分かりました」


 しかし、佑の視線の先には歩美ではなく、晴翔を見つめて闘志を向けていた。晴翔はスタートブロックに両足を掛け、両手をいっぱいに広げてロケットスタートの体勢をとっている。

 いつの間にか陸久以外にギャラリーが増えており、澪がプールサイドから、美月と美琴、詩がグラウンドの端から四人のレースを見ていた。


「位置について・・・・・・用意・・・・・・」


 ひながピストルを空に向ける。四人が彼女の声に合わせて地につけた片膝を上げる。



『パン!』



 ひなが引き金を引いた。軽快な発砲音と同時に晴翔がもの凄いロケットスタートを決める。晴翔にやや遅れて他の三人も一斉に走り出し、400m走の戦いが始まった。


(何てスタートの速さなの⁉ ウォーミングアップの時より速い!)


 彼のロケットスタートは隣レーンの歩美を引き離していった。


(まるで100m走のスタートみたいだ。あのペースで走り切れるのか・・・・・・?)


 晴翔のスタートに焦りを感じたが、佑はジョンソンのアドバイス通りに歩美のペースに合わせて走る事を心掛ける。


「晴翔―! ペースが速いぞ~。もっとリラ~ックス、リラ~ックス」


 ジョンソンは前方の晴翔にアドバイスを送る。


(このまま突き放してやるぜ! そしてこのまま、千早先輩に・・・・・・フゥーヤー‼)


 しかし晴翔の脳内には歩美の事一色で、ジョンソンの声など聞こえていない。

 前半のコーナーを通過する時には晴翔が独走している状況で、歩美と佑とジョンソンは一定の距離を保ちながら並走している。



 バックストレートに入る。ここでジョンソンが少しスピードを上げ、佑に追いつく。


「・・・・・・っ⁉」

(アイツ・・・・・・一気に追いつきやがった)


 ベンチから見ていた陸久がジョンソンのスピードアップに目がいった。


「そうだ、佑! まずはペースを掴むんだ。歩美! 晴翔にペースを乱されるなよ~」


 ジョンソンが佑の横に並ぶ。その際に佑と歩美に指示を出す。


(ジョンソン先生! いつの間に追いついて・・・・・・)


 自分の後ろから突然真横に来たジョンソンに、佑は彼の底知れぬ何かを感じると同時に、これからも彼の指示にしっかり従っていこうと思った。


「わーってるわよ! ベラベラ喋りながら走らないでよ‼」


 ジョンソンの指示を聞いた歩美はわかっていると言わんばかりに、チラッと後ろを振り返りながら言い返す。その際、思ってもいない光景が彼女の目に入る。


(えっ⁉ 大野君・・・・・・差が縮まってる。アイツ・・・・・・大野君にどんなアドバイスしたっていうの? このままじゃ・・・・・・・・・)


 歩美は負けてられないと、キッと真剣な顔つきに変わる。そしてこのまま後半コーナーに差し掛かる。ここで、歩美がスピードを上げる。残り200m。

 歩美の動きを察知したジョンソンは口角を上げてニヤリと笑いながら、


「歩美め・・・・・・先に勝負を仕掛けてきたか。佑! 歩美に勝ちたかったら勝負はラスト100mからだ! 今はまだペースを保て!」


 そう言ってスピードを上げ、佑を抜き歩美を追いかける。

 歩美の方は、前半のスピードからかなり落ちてきている晴翔にどんどん追いついていく。


(く・・・・・・! 脚がっ・・・・・・身体が前に進んでいない? ・・・・・・この感覚は何だ⁉)


 晴翔は自分が経験した事のない、もどかしい感覚に困惑していた。


「晴翔~! 腕だ、腕振りを大きく! 脚のピッチが落ちてるぞ~。もう限界か~? フゥワッフゥ~~!」

(限界だと・・・・・・? 俺は、負けるワケにはいかねぇんだ。特に・・・・・・⁉)


 その瞬間、晴翔の鼻孔をふわっと良い匂いがくすぐり横切る。綺麗な黒髪をなびかせながら、歩美が晴翔を抜き去っていく。


(千早先輩・・・・・・凛としていて・・・・・・)

 

 晴翔の目には歩美の後ろ姿がキラキラと輝いて映る。

 後半コーナーを半分越えたところで、ジョンソンはベンチにいる陸久の方に視線を向ける。


(陸久・・・・・・よく見てろよ‼)


 ジョンソンは一気にスピードを上げる。これにはマネージャーのひなや、ギャラリーの美月達も驚愕する。


「コーチ・・・・・・す、すごい・・・・・・」

「えー⁉ あの先生ヤバくない⁉」「メチャクチャ速いじゃん!」


 当然、ひな達と同様に陸久も驚き、思わず立ち上がる。彼にゾクゾクと鳥肌が立つ感覚があった。


「何だ・・・・・・アイツ・・・・・・今100m走をスタートしたようなスピードだ・・・・・・」


 ジョンソンがあっという間にコーナーを終えて直線に入る300m地点のところで、歩美を一気に抜き去り、そのままぐんぐん差を広げる。

 ラストの直線はジョンソンが独走で、そのままゴール。タイムは・・・・・・・・・49秒9。


「・・・・・・・・・・・・‼」


 ジョンソンの圧倒的な走りに気が緩んだ歩美の後方から、晴翔と佑が激しく競(せ)り合いながら迫る。


(こんな草食野郎に負けてたまるか‼)

(絶対に・・・・・・勝つんだ‼)

(今は呆けている場合じゃない!)


 歩美を先頭に、三人がラスト直線100mを駆け抜けていく。

 歩美が颯爽とゴールラインを通り抜けた。先にゴールした歩美に遅れて、佑と晴翔が続いてほぼ同時にゴールする。

 ゴールした途端、そのまま倒れ込む佑と晴翔。歩美はそのままスピードを徐々に緩めながら、息を落ち着かせる。

 順位は二位・歩美、タイム55秒7。三位・佑、タイム56秒2。四位・晴翔、タイム56秒3だった。辛くも歩美防衛戦に勝利出来た結果となった。



 ひなが歩美にタオルと眼鏡を渡す。汗を拭って眼鏡を掛けた歩美は、激しく息(いき)急(せ)き切(き)って寝転ぶ佑と晴翔に、


「私、自分より足の遅い男は嫌いなの」


 とクールに言い放つ。歩美の言葉を受けた晴翔は悔しそうに、佑はどこかホッと安堵するような表情を浮かべていた。するとその言葉を聞いていたジョンソンが、キザなキメ顔をしながら自分を親指で指差した。そんな彼に歩美はハッとして顔を赤くしながら、


「んなワケないでしょー‼」


 と、ツッコミを入れる。


「HAHAHA! ジョーク、ジョーク! ・・・・・・・・・だが」


 ジョンソンは歩美のツッコミに笑う。そしてキメ顔のまま、ベンチにいる陸久を指さす。


(陸久・・・・・・今度はお前も俺達と走ろう)


 ジョンソンに指をさされた陸久は、彼の想いが伝わったのか身を震わせる。


(アイツ・・・・・・手を抜いて50秒切りやがったのかよ・・・・・・面白いじゃん。つか・・・・・・)

「・・・・・・・・・あの顔うぜぇ」


 陸久はニヤリと笑みを浮かべて一人呟く。


「コーチ、千早君に指さしてどうかしたんですか?」

「ん? ソーリー、ソーリー。ところでどうだ・・・・・・」


 ひなに声を掛けられたジョンソンが彼女と佑と晴翔、そして歩美に向き直し口を開いた。

 雲一つ無い空の下、爽やかな初夏の香りが吹き抜けた。



『お前達で、1マイルの風を巻き起こしてみないか?』

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