冬原地 5

 最初に仕掛けたのは白毛の土蜘蛛。

 即座、ほぼ同時に大盾の冒険者が呼応した。


 両者とも向かう先は同じ。土蜘蛛が無防備な竜の彫像を捕食にかかる。持久戦となれば虫の生来の回復力は圧倒的だ。彫像エサを食えるか阻めるかがこの戦いの行方を左右する。


 短距離の瞬発力だけならアイラに分がある。盾を構えて割り込むが、その頭上を飛び越えて巨怪な腕が伸ばされる。

 白毛に覆われた猿の手が、白光の明滅する彫像を握り潰した。


 ガラスのように割れて破片が散らばった。いくつかは物理運動の途中で停止して元の彫像へと遡行しようとしている。土蜘蛛に捕まった破片は戻れない。大小の破片を鷲掴みする手が鶴の首のように引き戻され、結晶を土蜘蛛の口に放り込もうとする。

「彫像を食わせるな!」

 アイラが叫ぶ。


 まずは宝石細工の槍がその手首を引っ叩いた。返す刀でもう片方の腕もいなす。依然前のめりに迫り出す巨体までは止められない。

 手から零れ落ちた結晶片、その最も大きい一つを土蜘蛛の牙が捕らえた。呑み込まれる寸前のそれをポーターが撃ち落とす。

「拾って!」

 見た目より軽い破片をアイラが拾い上げて彫像の方へ投げ戻す。僅かにでも彫像の再起を早めたい。


 続けざまにポーターを庇いに走る。

「こっち来い!」

「はいっ!」

 合流し、二人分の小さくはない身体が鋼の大盾の裏側に押し込まれた。

 低い唸り声に似た詠唱。

『――遂に雪融けが訪れる』

 再起した竜の彫像が水流の尾を振り回した。鎌首を上げた身体は白光を放つがひびだらけだ。盾に受けた奔流の水勢も明確に弱まっている。


「見ての通りだ。このままじゃ土蜘蛛だけ回復して終わる」

「竜もどきの恨み買ってるのは何故なんですか」

「竜の言葉のせいだろうな。要は縄張り争いだ――私が骨身に刻んでるのが五月蝿いんだとよ」

 なるほど納得だとポーターが頷く。ポーターが到着したとき、倒れたアイラは捨て置かれていた。大人しくしてさえいれば見過ごされるほど静からしい。

 つまり、他に竜の言葉を扱うものがあれば。


「あの化け蜘蛛に攻撃の矛先を向けさせれば良いんでしょう?」

 選りすぐってきた荷物の一つをアイラに手渡した。これが形勢逆転の鍵だといって。

「刺せますか」

「へぇ、なら後ろに回りてえな」

 土蜘蛛の様子を伺う。


「100ft走何秒だ」

「三秒で町一番でしたよ」

「上等だ――デコイは頼んだ」

 アイラが懐から紙巻煙草に似た包紙を数本取り出して、端部を噛み千切った。血肉混じりの宝石屑。アイラの呼気に触れて赤熱する。それがポーターに押し付けられる。

「三秒!」

「ちょっと!?」

 アイラが飛び出し、遅れて別の方向へとポーターが走る。


 銃声が一発。土蜘蛛の気を引く。駆けながら片手での射撃。片手のまま器用に次弾を込めてもう一発。

 同時並行に、もう片方の手でデコイの種を放り捨ててゆく。

 三秒。

「来いっ――!」

 パチパチと音を立てながら弾けて、揺れ動く赤い煙がポーターの後ろにたなびいた。

 

 土蜘蛛がデコイに向かって飛ぶ。その後ろを冒険者が追いかけている。

 囮役を任せてまでアイラが大回りしてきたのは背後を取るためだ。その手には符文の刻まれた短槍が握られている。


 背後とて土蜘蛛にはアイラは察知されている。だから至近に近寄るために土蜘蛛を侮らせる。竜の言葉を唱えてはいけない。

「――――」

 打ち返した槍に射抜かれて潰れた横腹、焦げ付いた窪みの真芯、小さな傷口。白毛の庇護のない一点。強化無しに貫ける弱点に慎重に狙いをつけた。

 短槍の尖端が土蜘蛛の肉に滑り込む。


 即座に土蜘蛛がデコイも置き去りに跳んで逃げる。


 短槍を刺してから土蜘蛛が逃げるまで、アイラが他になにかする余地は無い。

 十分だ。あの短槍は突き立てることで起動する。

 刻まれた『害する息吹』の符文が、獣避けの効果を発揮する。肝心なのは効果よりも魔術の素性。征服された神秘、図式化された――竜の言葉。


 怒り狂う咆哮が耳をつんざいた。

 竜の彫像の激昂を合図に、土蜘蛛がアイラから距離を取る。これまではアイラを襲う兆候だった。

 だが既に、奔流の矛先は白毛の土蜘蛛へと向けられている。

 符文の刻まれた短槍が、土蜘蛛の腹にあって何より騒々しく竜の言葉をがなり立てる。


「巻き込まれんなよ!」

 縦横無尽に逃げる土蜘蛛を追って、水流の尾が立て続けに振り回される。水勢が弱まっても致死の性質に変わりはなく、触れるものすべてを容易く切り裂いてゆく。


 土蜘蛛は空中を飛び跳ねるように移動している。岩盤と天蓋とを往復する過程で幾度となく糸を引き直して、時に糸を脚に絡めて制動し、無理な機動で水流を躱す。

 その瞬間を見計らう。


 ぴんと張った糸がアイラに掴まれた。

 土蜘蛛が空中で不随意に引かれる。切って逃げようと突き出された鋏角の刃は鉛玉に弾かれた。猿の手が水流に呑まれ消える。

「こんのォオオオオオオオ!」

 普段の半分に足らない腕力を二倍の声量で叫んで補う。アイラの脚は杭のように岩盤に打ち込まれている。地盤に根を張り、豪腕を存分に奮って糸を手繰り寄せる。


 白毛の巨体が墜落。

 狙いを定めて、宝石細工の槍を振りかぶる。

『害する――』

 詠唱の途中、奔流がアイラへと向きを変えた。

「――ッと、私にも来るぞ!?」

「気を引くにも限度があります! 脱力!」

 攻撃は中断。水流の尾をやり過ごすが、掴んだ糸は断ち切られ、土蜘蛛に逃げられた。


 度重なる攻撃に晒されて土蜘蛛には、腕も脚も、完全なものは一本たりとも残っていない。最後に残ったのは執念じみた生存の意思。短くなった蛇のように身体を捩り、腹這いで出鱈目に狂奔する。


 暴走して這いずり回る白毛の巨体。轢かれそうになったポーターを間一髪のところでアイラが抱えて跳ぶ。


 水流の尾が渦を巻く。

『害する枝によって拭い去る――』

 渦の中心で木蝋の槍の矛先は土蜘蛛を追って不安定に揺れる。

「あんなやけっぱちで当たるわけがない!」

 見るからに薄弱。竜の彫像の込められる最後の力なのは明らかだ。それを外せばいよいよ餌に成り果ててしまう。

 今が正真正銘、最後の機会。


 土蜘蛛のすれ違いざま、背からたなびく糸の切れ端をアイラが掴まえる。


 土蜘蛛の方向転換に乗じて遠心力で速度を稼ぎ、ブランコから飛ぶ要領で高く跳躍した。

 放物線を描き、竜の彫像の頭上へと降下する。

(呼吸を止める――)

 脱力。万物に平等な慣性と重力とに身を任せ、鋼の大盾と宝石細工の槍を抱いて、落ち着き払って、…。


 一転、全身の力を解放する。

『――害する枝!』

 鳴動する。輝線を迸らせる宝石細工の槍に全身全霊最大の膂力を乗せ、振り抜いた。

 爆発的な焦熱が水流の渦、つがえた槍をも消し飛ばす。竜の彫像が粉々に砕け散り、閃光の中、全ての欠片が一瞬のうちに蒸発した。


 役目を終えた宝石細工の槍が燃え尽きる。

「アイラさん!」

 降下するアイラに纏わりつく彫像の残滓ともいえない残り香。その匂いに惹かれて死力を振り絞った土蜘蛛が飛び込んでくる。


 空中、大盾を支軸に跳躍。

 巨体の衝突に鋼の大盾が弾かれる。

 直撃を免れたアイラは土蜘蛛の背に飛び乗ってしがみついていた。白毛を掻き分けて手を伸ばす。

 土蜘蛛の脳天、白毛に埋没した長剣、その柄を、再び握り締める。


『害する枝――』

 猛烈な虚脱感。

『――にィ、よって――』

 腹の底から肺の血の一滴まで絞り出して、叫ぶ。

『ブッ飛ばすッッッッ!!!!』

 握り締めた長剣を伝って注ぎ込まれるのは莫大な殺傷力。荒れ狂うエネルギーが極限まで圧縮、煮え滾る。

 解放の瞬間、土蜘蛛の頭胸が一気に膨張した。張り裂けた殻を閃光が突き破り、爆炎が内側から焼き尽くす。


 ――土蜘蛛は、花火のように弾けた。

 

 アイラが降り立つ。

 着地したアイラには、もはや一分の活力も残っていなかった。満足気に笑い、それを最後にぐらりと崩れるのをポーターが抱き留める。


「お疲れさまでした」

「ははッ、そうだな」

 白毛の土蜘蛛、及び竜の彫像の討伐は、ここに完了した。

 拳を突き合わせる。


 …。


 土蜘蛛の唯一の残骸、側面の潰れた腹部が、岩盤に落ちて不気味に揺れた。


 衣擦れのような擦過音、それが幾重にも重なって耳障りな異音を膨らませる。

 胴が張り裂け、堰を切って溢れるように、が一面に拡がった。


「――――!?」


 咄嗟に動けたのはポーターだけだった。迷いなく引き金を引く。銃声が一つ、仔蜘蛛一匹を撃ち抜いたがまるで効いていない。

 おびただしい仔蜘蛛の群れ、無数の仔蜘蛛の集合体。数千数万の一匹を潰したところで焼け石に水だ。


 仔蜘蛛の洪水が嵩を増す――


『止まれ』

 地の底から、厳かな声が響いた。


『止まれよ、卑小なものども』

 それは、命令だった。


 充満する古竜の息吹。朗々たる歌のような唸り声。一片が即ち魔術である竜の言葉。

 アイラたちは根源的な畏怖に呑まれて、金縛りにあったように、指先一つ動かせない。それは幸いだった。


 止まれなかった仔蜘蛛の群れが、全て同体積の氷雪の山に変わった。

 冬の竜があれば冬となる。


『不遜にも言葉を知る定命。眠りを妨げるな。何を騒ぎ立てているのか』

 答えを待たず地の底の声が続ける。

『ブッ飛ばすと言ったな。喧嘩なら買おうぞ』

 古竜の言葉に今度こそ死を覚悟した――二人にかかる重圧が不意に消え失せ、冗談を言っているのだとわかった。


 今回の顛末。

『そうか、晶石柱をか。礼を言おうぞ』

 全ては冬の竜には些末な話、預かり知るところではない――そう思われたが、晶石柱が守られたと知るや、関心を示した。超越者の礼などかえって不気味だ。

 竜の恩寵と言われる宝石にも、普通竜自身は頓着しない。冬原地が栄えるのも清澄な宝石を採っているからだ。

 晶石柱だけが特別な理由は、窺い知れない。


『くれてやろう』

 見えない古竜の尾が薙ぎ払ったようだった。

 晶石柱の一部が砕かれて、人間大の破片が二人の前に落ちる。特別なものを自ら砕く感性も、やはり常人の理解の及ぶところにない。


 冬の竜の言葉はアイラが翻訳して聞かせていた。各地を訪ねるポーターでも竜の言葉を覚える機会など無かった。アイラとて流暢に話せはしない。殆ど冬の竜の一人語りだった。


 唸り声に懐古の色が乗る。

『ああ、虫か。最後の巨人の遺した呪い。春の竜の慈悲も懐かしい……』

 アイラは竜の言葉を聞くことができたが、冬の竜の言う全てを知らない。

『春の竜の斃れてから、十六世の歳月とは』

 巨人を滅ぼした伝説。竜に弑する戦争。神話と同じ棚に仕舞われた話を、古竜が歌う。


『我らは待っている。歩みを止めてくれるな』

 一介の人の身に余る途方も無い話だ。絶大な未知に触れている。それが心を躍らせる。

 冒険者の象徴たる単眼のゴーグルを握り締める。

 未知に挑む全ての者の意志を、アイラが代表して応えた。

『――ああ』

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冬原地 霜路 @froststeps

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