第3話 鏡の中の街
その街に入って最初に思ったのは、眩しい。という感情だった。
建物が、壁が、屋根が。全て鏡で出来ている。
「鏡の都、か……確かに、そう呼ぶのに相応しいな」
華蟷螂はそう呟いた。
手を伸ばし、宿屋の壁に反射された自分の姿を見る。
白い髪にまだ幼さが残る顔立ち。そして瞳には復讐心で濁っている。
そして、隣にいる半透明の少年は映らない。
「ハナ、折角だし、色々見て回ろうよ。今日の宿は確保できたんだからさ」
「……ああ、そうだね」
少年の言葉に、彼女は頷く。
街は美しいし、人々も穏やかだ。でも……華蟷螂の心はどこか浮かなかった。
「おや、あんた旅の人かい?」
街を一通り歩き、とあるカフェに入った二人は飲み物を頼んだ。
華蟷螂が頼んだアイスのカフェラテも、プラスチックの容器が薄い鏡の膜で覆われていた。
「これじゃあ中身見えないよね」
「別に……」
席に座った彼女を見て声を掛けてきたのは、一人の老婆だった。
「旅人さんかい?」
「はい」
「そうかいそうかい……いやね?最近この都に変な噂が立っててねぇ……」
老婆はそう言って、声を潜める。
「この国はすべて鏡でできている。それは誰もが常に「自分」と向き合わされるからさ。だが……最近、人じゃない「なにか」がこの都に入り込んでいるというんだよ」
「……なに?」
老婆の言葉に華蟷螂は反応する。
「昔聞いた事があるんじゃ。ここには幽霊が入り込んでいるって噂さね」
その事件を知るものは皆死んでる。と老婆は言う。
「僕のことかな?」
へらへらと笑いながら、半透明の少年は言った。
しかし彼の言葉は老婆には届かなかった。
「いや、すまないね。私は幽霊が苦手なのさ」
そう言って、老婆は去っていった。
「……どう思う?」
華蟷螂は半透明の少年に聞く。
「さぁ?でも、面白そうだから僕はもう少しここに滞在したいと思うよ」
少年はそう言って笑った。
それから二人は街を回った。
そして、日が暮れる頃になって宿屋に戻る。
「あ、お帰りなさい!」
そんな二人に声を掛けて来たのは、一人の少年だった。
年齢は華蟷螂と同じくらいだろうか?
「あの、一人だと思うんですけど、二人分の部屋の宿を予約してて……間違いないですよね? もし間違っているなら、シングルの安い部屋が空いているんですけど」
少年はそう言う。
「あ……ああ、間違いないよ。確かに二人分予約してあったはず」
彼女は少年が差し出した鍵を受け取り、財布に入れた。
「そうですか!良かったぁ……それでは、これが部屋番号です!僕はこれで!」
そう言って、少年は去っていく。
「いい人そうだね」
「……そうか?」
少年の言葉に反応したのは華蟷螂ではない。
半透明の少年だった。
「うん。他の人は、皆僕ら旅人の事無視するからね……あ、ごめん……」
少年の言葉に彼女は手を振る。
「気にしなくて良いよ……いつもの事だし」
そう言って、彼女は背中を向けた。
「ねぇハナ、この宿のお風呂すごいよ! 貸切露天風呂だってさ! 見て! すごい景色!」
部屋に入った途端、半透明の少年はそうはしゃぐ。
華名は服を脱いでお風呂に入る。そして、部屋に張り巡らされた鏡に写った自分を見た。
「……っ」
彼女は自分の姿を見て、思わず目を背ける。
彼女の体には無数の切り傷や痣があったのだ。それは全て彼女が「復讐者」として戦い続けた証だった。
「ハナ……大丈夫?」
半透明の少年が心配そうに聞くが、彼女は首を横に振るだけだった。
「別に……もう慣れたから……」
そう言って、彼女は湯船に浸かるのだった。
「気持ちいい?」
「うん。この間行った街……皆が全裸になってる街、あそこの温泉もよかったけど、このお風呂もなかなかだね」
「ああ、あの変態たちの集まりの街ね……」
半透明の少年は思わず苦笑いをする。
「僕は人には見えないから入れないけどね」
そう言って笑う半透明の少年に彼女は何も返さない。
ただ黙って、湯に浸かっているだけだった。
「……ねぇハナ」
「ん?」
「君は……復讐をやめるつもりはないのかい?」
「……は?」
彼女はそう聞き返すが、彼は答えない。ただ黙って彼女を見ているだけだ。
両親を殺され、故郷の村の人々を虐殺したあの男を、きっと許すことはできないだろう。
でも……復讐しても、何も残らない。
何も戻ってこないのだ。
彼女はふと鏡を見た。そこに写る自分の姿を見て、思わず顔を背ける。
「君は悪くないよ」
そんな彼女の心を読み取ったかのように、半透明の少年が呟いた。
「なにも悪くない……」
優しく彼女にそう言ってくれたのは誰だったか……もう思い出せないけれど。きっとその言葉を言ってくれる人はいたのだろうと思う。
「ごめんね……こんな弱虫で……」
彼女はそう呟いて涙を流すのだった……そして、その涙は湯に落ちて消えていった。
「ごめんね、変なこと言っちゃって。そろそろ寝ようか」
夜中。寝間着姿の彼女はふと、目を覚ました。
「どうしたの?ハナ」
そんな彼女に声を掛けたのは半透明の少年だ。
「いや……今何か……」
そう言って、彼女は辺りを見渡す。しかし、特に変わった様子はなかった。
ただ、鏡に写った自分の姿だけが、どこかいつもと違って見える気がしたのだ。
「……気のせいかな」
そう呟き、彼女は再び眠りにつくのだった。
「ねぇ!起きてよ!」
翌朝、そんな声で目を覚ますと目の前に半透明の少年がいた。
「え……どうしたの?」
彼女が尋ねると、彼は言った。
「ほら!早く!起きて!」
少年は鏡を指差している。その方向を見ると、そこに映っていたのは……血まみれで横たわる自分の姿だった。
「……っ!!」
彼女は慌てて起き上がるが、体に激痛が走る。身体中に包帯を巻き付けていたものの、傷は完全に治っていないのだ。
しかしそんなことを気にしている場合ではなかった。彼女はすぐに服を着て外に出る準備をした。そしてそのまま部屋を飛び出すと、廊下を走る。するとそこには一人の少年がいた。
宿屋の少年だ。
彼は彼女に気がつくと言った。
「あ、あの!僕の部屋に血まみれの女の人が……!」
彼の話によると、朝起きると部屋中に血が飛び散っており、その中心に少女がいたらしい。そして彼女はそのまま消えてしまったと言うのだ。
「……わかった」
華蟷螂はそう言って宿屋の少年に部屋に案内させた。そして、鏡の前に立つ。
そこには……血まみれで倒れている少女の姿が鏡越しに映されていた。しかし、被害者と思われる人間の姿はない。
華蟷螂は鏡に手を当てた。すると、その指先が触れるのは冷たいガラスの感触ではない。思わず手を引っ込めそうになるほどの熱気だ。
そして、彼女は見たのだ。鏡に写った自分の姿が……燃えている姿を。
「……っ!」
彼女は慌てて手を引いた。しかし鏡から視線を外そうとしない。いや、外せなかったという方が正しいだろう。彼女の視線は鏡の中の自分にくぎづけだった。
そんな時だった、突然後ろから肩を叩かれる感覚を覚えたのは。
「……ハナ」
そこに立っていたのは半透明の少年だった。
「この街は変だ……早く……この街を出た方がいいよ……」
少年の言葉に、彼女は思わず頷く。そしてすぐに部屋へ戻ると荷物をまとめ始めた。
「あの!」
その時だった。誰かが声をかけてきたのは。そこには宿の女主人の姿があった。
「……なに?」
華蟷螂が尋ねるが、女主人は黙って彼女に何かを差し出した。それは鍵だった。
「この宿屋の裏にある倉庫の鍵です」
その言葉に思わず反応する。
「どうしてそれを?」
「実は、そこには、幽霊を可視化できる装置があるのです。もしかしたら、それが原因かと……皆は怯えてます。だから、調べてもらいたいのです。お願いします!」
女主人はそう言って頭を下げた。
「わかった。任せて」
彼女はそう言って鍵を受け取った。
「それじゃ行こうか」
「……うん」
その言葉に少年は頷いた。そして二人は宿屋の裏口から出て、倉庫へ向かった。
倉庫の中には埃を被った装置が置かれていた。どうやらこれが例の装置らしい。小型の、小さな箱だった。
「じゃあ起動させるね……よしっ」
そう言って電源を入れると、鏡が光り始める。そして……半透明の少年の姿が映し出される。
「本当に僕が見えるんだね。鏡越しじゃ見えなかったけど」
少年の言葉を聞いて、彼女は思わず頷く。すると少年は安心したように笑った。
街中を装置を持って歩く。
相変わらず半透明の少年の姿は鏡には映らなかったものの、人々は怯える様子もなかった。
「ねぇハナ……この街は一体何なんだろうね……」
「……わからない」
彼女はそう言って首を横に振るのだった。
二人は街を歩く途中、路地に入り込んでいた老人を発見した。彼の目は白濁しており、明らかに様子がおかしかったのだ。
慌てて駆け寄ると声をかけた。しかし老人は何も答えずただ虚空を見つめているだけだった。そして突然立ち上がるとそのまま路地の奥へと進んで行ってしまう。そんな老人の様子を見て思わず後を追おうとした時だった。
突然、路地裏の頭上からフードを被った人間が飛び降りてきたのだ。それも、数は四人ほど。
「何か用かな?」
相手はニヤリと笑いながら言った。
「悪いんだけどよ?この道を通るには通行料が必要なんだよ……そうだな、金貨100枚って所か」
フードを被った人間の一人がそう言うと、他の三人も笑い始める。
「なるほどね。つまり君たちはこの数日でかなりの人間に同じような事して回っているわけだ」
すると彼らは一斉に襲いかかってきたのだ。
しかし華蟷螂はそれをひらりと避けると、背中から大鎌を取り出した。そしてそのまま一振りするだけで四人全員を薙ぎ払ったのだ。
「な、何しやがんだこのクソアマ!」
「それはこっちのセリフだよ」
彼女はそう言って大鎌を構えたまま言った。
「……っ!お前らやっちまえ!!」
リーダー格と思われる男が叫ぶと同時に、他の仲間たちが一斉に襲いかかってくる。だが彼女は冷静だった。
まず最初に飛びかかってきた男の攻撃を避け、次にその後ろにいた男に向かって大鎌を振り下ろす。するとその男は地面に倒れ込み動かなくなったのだ。
「チッ!やるじゃねえか……おいお前ら!!全員で行くぞ!!」
リーダー格の男が叫ぶと、残りの三人も一斉に襲いかかってくる。だが華々は動じることなく次々と攻撃を躱していった。そして再び大鎌を振り下ろしたその時だった。
「警察だ!動くのをやめろ!」
どうやら乱闘が鏡に反射して、大通りにいた人間が警察を呼んだようだ。
「やべえ!逃げろ!」
リーダー格の男がそう言うと、彼らは一目散に逃げていく。しかし、彼女は見逃さなかった。
「ハナ!逃げて!」
半透明の少年の叫びを聞いて、彼女はすぐさまその場を離れようと走り出す。しかしその前にリーダー格の男が立ち塞がったのだ。彼はニヤリと笑うと懐から銃のようなものを取り出したのだ。
「邪魔だ」
そう言って突き刺そうとした時だった。突如華蟷螂の身体が突然燃え始めたのだ。
「え?」
思わず声が漏れる。するとそれに答えるかのように声が聞こえた。
「これはただの玩具じゃない。火炎放射器だ」
「な……なんだと……」
華蟷螂が驚いていると、更にもう一人の警官が現れ、そして言った。
「武器を捨てろ!」
男は銃を地面に投げ捨てると両手を上げた。その間にも火炎放射器の炎はどんどん大きくなっていった。
やがて炎が消えて無くなる頃には、男の姿は完全に消えていた。
「……ハナ!大丈夫!?」
半透明の少年が心配そうに駆け寄るが彼女は首を横に振るだけだった。
「いや……ちょっと火傷しただけだから平気だよ」
そう言って微笑む彼女だったが、その笑顔はとても痛々しかった。
「でも……」
「……大丈夫、行こう」
彼女はそう言って歩き始めたが、それでも心配そうに見つめてくる半透明の少年の視線を感じたのだった。そして、その日の夜の事だった。
宿屋で夕食を食べ終えた後、華鏡と少年は部屋で休んでいた時だ。突然部屋の扉がノックされたのだ。
「誰?」
彼女が扉を開けるとそこには宿の女主人が立っていた。彼女はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。そして恐る恐ると言った様子で口を開くとこう言ったのだ。
「あの……火傷されたとのことですが……もしよろしければこちらをお使いください」
そう言って差し出されたのは液体の入った小瓶だった。どうやら火傷に効く薬のようだ。
「あ、ありがとう……」
彼女は戸惑いながらもそれを受け取った。そして女主人はそれを渡すとすぐに立ち去ってしまったのだった。
「……ハナ」
半透明の少年が心配そうに言うが、特に気にした様子もなくその瓶の蓋を開けた。そして中身を自分の手にかけようとした時だった。突然部屋の扉が開き、誰かが入ってくる気配を感じたのだ。慌てて振り返るとそこに立っていたのは一人の少年だった。
宿の少年だ。
「ねえ。見たんでしょ? 自分が燃える、その様子を鏡で」
少年はそう言って微笑む。そして華蟷螂が持って行ったのと同じ機械のスイッチをオンにした。
「やっぱりいた。初めまして」
「僕のことが見えるんだ。どうも、初めまして、かな?えっと……」
「この街で起きていることは、幽霊の仕業だってことになってるけど」
「僕は関係ないよ。この街に来たばかりだし」
「でも、街の鏡は今を写すものじゃない。未来のことが分かるんだ。それが、ここの普通、だった。でも別に僕はこの街の事なんてどうでもいいんだけどね。ただ……この街を元に戻したいだけなんだ」
少年はそう言って微笑むと機械のスイッチをテーブルの上に置いた。
「この街の幽霊の仕業、ってやつを解決してほしい。これは旅人である君たちにしか頼めないんだ。もう、この街は今をそのまま写さない、異常なんだ」
「うん。そうみたいだね」
半透明の少年がそう言うと、少年は微笑んだまま懐から袋を取り出した。
「お金なら心配しなくていいよ。僕は……ずっと住んでいたこの街が好きだから。お父さんやお母さんは、もう慣れちゃっているけど」
「両親思いなんだね」
華蟷螂は少し寂しそうな顔をした。
そこには、両親を失った悲しみが宿っていたように見受けられた。
翌朝。少年の頼みを叶えるため街に繰り出した二人は、やはり街の鏡の多さに圧倒されていた。
「くらくらする……」
「僕もだよ。大丈夫? 少し休む?」
「ううん平気。「幽霊」ってやつを探さなきゃ」
そう言って歩き出した彼女だったが、すぐにふらついてしまった。
「ハナ!」
慌てて駆け寄る半透明の少年に彼女は言った。
「……ごめん。少し休む」
「うん。わかった」
そう言って半透明の少年は近くにあったベンチに彼女を座らせると、そのまま横に座ったのだった。
しばらくの沈黙の後、彼女は口を開いた。
「ねぇ……」
すると半透明の少年は笑顔で答えたのだ。
「カオル」
「……え?」
「僕の名前だよ。君にだけ、教えてあげる」
そう言って彼はニッコリと笑ったのだった。その笑顔はあまりにも無邪気で純粋無垢なものだったが、どこか儚くも見えたのだった。そんな彼の笑顔を見ていると心が温まるような気がしたが……同時に悲しくもなった。
「カオル……か」
「うん、そうだよ」
「……ありがとう」
彼女はそう言って微笑んだ。そして、そのまましばらく二人は無言のままだったが、やがて少女は口を開いたのだ。
「ねぇ……この街はおかしいよね?」
するとカオルもそれに答えるように口を開くのだった。それはまるで独り言のような呟きにも似ていたかもしれない。しかしそれでも彼女は黙って聞いていた。そして彼は言ったのだ。その言葉はあまりにも衝撃的で残酷なものだったが……それでも彼女は最後まで聞いたのだ。その一言一句を逃さず。
「ねぇハナ……君はさ、両親を殺した犯人を恨んでる?」
彼はそう言って微笑むと鏡を指さした。そこには親子で遊ぶ少年たちの姿が映っている。その光景を見て思わず顔を伏せてしまった少女に、彼は言ったのだ。
彼女は黙って頷いただけだったが、カオルは続けたのだ。それはまるで独り言のように淡々とした口調だったものの、その言葉一つ一つには重みがあったように感じられたのだ。
「僕はね……恨んでないよ」
彼はそう言って微笑んだのだ。その笑顔はあまりにも純粋無垢なもので、思わず見とれてしまうほどだったが、同時に悲しくもなった。そんな彼の笑顔を見ていると心が温まるような気がしたのだが……それと同時に胸が締め付けられるような痛みを覚えたのだった。そして彼女は思ったのだ。彼の事をもっと知りたいと、彼のことを理解したいと。
「カオルはどうしてそう思うの?」
そう尋ねると、彼は少し考えてから答えたのだ。それはとても意外な言葉だった。
「だってさ……僕はもう死んでしまっているんだから」
「え……」
あまりにも衝撃的な発言に言葉を失うが、彼は続けたのだ。そして……彼女は思わず涙を流してしまったのだ。その涙の意味は自分でも分からなかったが、それでも涙が止まらなかったのだ。そんな彼女を見てカオルは言ったのだ。
「泣かないで」
と。しかしそれでも彼女は泣き止むことが出来なかったのだ。そんな時、突然後ろから声を掛けられたのだ。振り返るとそこには警官の姿があったのだ。
「君、大丈夫かい?」
「はい……大丈夫です……」
そう答えたものの、彼女はまだ泣いていた。そんな彼女を見て警官は言ったのだ。
「何かあったのかい?話なら聞くよ」
「……いえ……その……なんでもなくて……」
そんなやり取りをしている時だった。突然カオルが口を開いたのだ。
「ねえ、おじさん。この街ってさ、おかしいと思わない?」
突然の質問だったが、彼の言葉は警官には届かないようで彼は不思議そうに首を傾げただけだった。
しかしカオルはそれを気にする様子もなく言葉を続けたのだ。
「この街は異常なんだよ。みんな気付いてると思うけどね」
それでも少女は黙っていたのだ。黙って聞いていただけなのだが、それでも彼女は最後まで聞いたのだ。その一言一句を逃さず。そして、全てを聞き終わった時だ。彼女は思わず口を開いてしまったのだ。
「……カオル」
「何?ハナ?」
「どうして私にこんな話を……?」
すると彼は微笑んだ。それはとても儚くて、それでいて悲しい笑顔だったのをはっきりと覚えている。
彼女は何も言えなかった。ただ黙って彼の話を聞いていることしか出来なかったんだ。でも、それでも彼は話してくれたんだ。自分の気持ちを……
「ねぇ、ハナ」
突然名前を呼ばれてハッとして顔を上げてしまったが、その時には既にカオルの姿はなかった。まるで最初から存在していなかったかのように消えてしまったのだ。
彼女は慌てて周囲を見渡したが、どこにもいない。
「カオル?」
しかし返事はなかった。そして次の瞬間だった。彼女の前に現れた人物を見て思わず息を飲むことになるのだった。何故ならそこに立っていたのは……半透明の少年だったのだから。彼は言ったのだ。
「僕はさ……もう死んでるんだよ」
その言葉を聞いた瞬間だった。一人の女性らしき人影が現れたのは。
それは鏡に映らず、真っ正面に半透明の少年へと駆け出した。
「カオル!」
彼女は思わず叫んだが……その声は届かない。
ぐさり、と、鈍い音が響き渡り……少年の胸を刃物が貫いた。
そして……彼は膝から崩れ落ちたのだ。
「カオル!!」
彼女は慌てて駆け寄り声を掛けるのだが、その身体は既に半透明ではなくなっていた。
彼はゆっくりと顔を上げると……微笑んで見せたのだ。それは、とても優しく慈愛に満ちた微笑みだった。そんな彼の表情を見て、彼女は言葉を失ってしまう。
そして彼は言ったのだ。
「僕の分まで……生きてね」
その一言を聞いた時、彼女の瞳からは大粒の涙が流れ落ちたのだった。そして嗚咽混じりになりながらも必死に言葉を紡ごうとするが上手く喋る事が出来ないようだ。それでも彼女は必死に口を動かした。しかしやはり言葉にならないのだ。
そんな少女を見てカオルは微笑んだまま静かに首を横に振った。
「もし僕がこんなんじゃなかったら、まだ生きていることができたのかな?」
その問いに対して少女は答えられなかった。しかしカオルは言ったのだ。
「ありがとう」
と、ただ一言だけ。そしてそのまま彼は消えてしまったのだった。
その後、彼女は泣き続けたのだが……それでも彼女の心の中には一つの決意が芽生え始めていたのだった。
彼女は手に持っていた装置の電源を入れた。
「カオル……」
半透明の少年と、女性の姿が浮き彫りになる。
「助けてください!」
彼女は叫ぶ。
「お願いします!」
するとわらわらと人が集まってきた。
「幽霊が出たぞ!」「皆逃げろ!!」
そんな声が聞こえたが、彼女は気にしない。
少女は鏡に向かって叫び続けたのだ。
「カオルを返してください!!」
と……
しかし誰も彼女の言葉に耳を貸さなかった。それどころか彼女の事を怖がったり、気味悪がる人ばかりだったのである。それでも彼女は諦めなかった。必死に訴え続けたのだった。そして遂にその時が来たのである。一人の少女が彼女に声をかけたのだ。それは綺麗な女性だった。長い髪を靡かせながら彼女は言うのだ。
「ねぇあなた、カオルって人の事が好きなの?」
その問いに少女は小さく頷いた。すると女性は優しく微笑むとこう言ったのだ。
「私は医者よ。彼が何者であれ、私は彼を助けるわ。だから安心して」
その言葉に彼女は思わず涙ぐんでしまうが、それでも必死に堪えて言ったのだ。
「お願いします!」
と。そして女性は救急車のようなものを呼び、病院へと向かったのだった。
その日の夜の事だった。彼女は女医からカオルの容態について説明を受けていたのである。彼は今治療室で眠っているらしいのだが……しかしいつ目覚めるかは分からないそうだ。そんな絶望的な状況だったが、それでも少女は諦めずに待ち続ける事にしたのだ。そうする事しか出来なかったのだから仕方がないだろう。
そんな時だった。一人の少年が話しかけてきたのだ。宿屋の少年だ。
「ごめんなさい!ごめんなさい! ごめんなさい!」
彼はひたすら謝っていたのだ。泣きながらずっと謝り続けている彼の姿に、少女は思わず戸惑ってしまったが……
「僕のせいで、こんなことに……」
と言って泣き崩れる姿を見て、彼女もまた泣きそうになってしまった。しかしそれでも彼女はグッと堪えて言ったのだ。
「謝らなくていいよ」
と。その言葉に少年は驚いたような表情を浮かべたのだが……それでも彼女は言葉を続けたのだ。
「幽霊、って本当にいたんだね。カオルは、幽霊だったの」
その言葉に少年は黙って頷いた。そして……彼女は言ったのだ。
「でも、もう大丈夫なんだよね? カオルはもう消えたりなんかしないんだよね?」と。すると少年は答えたのだ。
「うん!大丈夫だよ!」
その笑顔を見て彼女もまた微笑んだのである。そして二人はそのまま別れたのだった。
その時だった。
ビー!
とアラームが鳴る。
カオルの治療室からだ。
彼女は急いで駆け寄ると、そこには大勢の人々が集まっていたのだ。その中心にいた女医が少女を見ると安堵の表情を浮かべた。しかしすぐに真剣な表情に戻り言った。
「幽霊を治療したのは初めてだからね。どうなるか分からないわ」
その言葉に少女は不安になったが、それでも信じる事にしたのだ。
「お願いします!」
と彼女は言ったのだが……やはり不安は拭えなかった。そんな時だ。彼女の肩にそっと手が置かれたのは。女医だった。
「大丈夫よ」
と彼女は優しく微笑んでくれたのだ。
その言葉を聞いた時、少女は思わず泣きそうになったが何とか堪える事ができたのだった。
それから数時間が経過した頃だろうか?突然カオルの目が開いたのだ。彼はキョロキョロと辺りを見渡すと……華蟷螂の姿を見つけたようでニッコリと笑って見せたのである。それを見た途端、少女は嬉しさのあまり泣き出してしまったのだ。そんな少女を見てカオルもまた涙を流したのだが、それでも彼は必死に笑顔を作って見せたのだ。そんな彼を見て彼女もまた涙を拭い笑顔を見せたのだが……しかしそこで異変が起きたのである。
またもアラーム音が鳴り、彼に繋がっている心電図が異常値を示したのである。それはまさに危険信号だった。
「このままじゃ危険よ!」
女医はそう叫ぶとカオルを連れて行こうとしたのだが、彼は言った。
「心配しないで。大丈夫だよ」
「何を言っているのよ!」
「だってもう僕は……死んでいるんだから。それに、ハナが悲しむ顔は見たくないんだ」
彼はそう言って微笑んだのだ。その笑顔はとても悲しそうで切なくて……見ているだけで胸が締め付けられるような気持ちになったのだが……それでも少女は必死に涙を堪えて言ったのである。
「カオルは生きてよ!お願いだから!」
と。しかしカオルは静かに首を振るだけだった。そして最後にこう言ったのだ。
「ありがとう」
とだけ言い残し、そのまま目を閉じたのだった。そしてもう二度と目を覚ます事はなかったのである。
それから数日後。
少女は共同墓地にいた。
「カオル……」
彼女はそう呟くと、手に持っていた花束をそっと置いた。そして手を合わせると静かに目を閉じたのだった。すると突然背後から声を掛けられたのだ。
それは聞き覚えのある声だったのだが……振り返るとそこには一人の少年が立っていたのだ。彼は言った。
「ハナ」
と。
少女は驚きながらもその名前を呼んだのである。
「カオル?」
すると少年は微笑んで見せたのだ。その笑顔はとても優しくて温かかったのだが、同時にどこか悲しそうでもあったのだ。そんな彼の姿を見て少女もまた涙を流してしまったのだが、それでも彼女は必死に笑顔を作ろうとしたのだ。
「ハナ、泣かないで」
と少年は言うが、それでも少女は泣き止まなかったのである。
「行こう。僕らの旅は、まだ終わってない」
そう言って彼は手を差し伸べてきた。少女はその手を取ると静かに頷いたのだった。
「うん、そうだね」
こうして少女と少年は再び旅立ったのである。
しかしそれは決して終わりではなく、始まりでもあった……
カオルが亡くなり、二人がこの街から出て行ってから数日が経過した頃の事である。
突然女医は見知らぬ男性に声をかけられた。その男性は白衣を身に纏い、眼鏡をかけていたため最初は医師かと思ったが、どうやら違うようだとすぐに分かったのだ。なぜなら彼の瞳には生気が宿っておらず、まるで人形のように無表情だったのだから。
「私に何か用かしら?」
警戒しつつ尋ねる女医だったが、男性は何も言わずにただじっと彼女を見つめていただけだったのだ。その瞳からは何の感情も読み取れず……何を考えているのか全く分からなかったため、彼女は思わず後退りしてしまったのである。しかしそれでもなお男性は一歩ずつ近づいてきているのだ。その異様な光景に恐怖を感じた女医は急いでその場から離れようとしたのだが……しかしそれは叶わなかったのだ。何故なら突然背後から何者かによって押さえつけられてしまったからである。一体誰が?と思い振り返ろうとした瞬間だった。
「村の生き残りに会ったのだろう?」
驚いた女医は慌てて離れようとしたが、しかししっかりと掴まれているため離れる事ができなかったのだ。それどころか更に強く抱きしめられてしまったのである。突然の事に動揺を隠しきれなかった女医だったが、それでも必死に抵抗しようとした……次の瞬間、彼女は下腹部に違和感を感じたのだ。恐る恐る視線を落とすとそこには注射器のようなものが刺さっていたのだ。そしてそのまま中の液体を流し込まれたのである。途端に激しい痛みに襲われ、彼女は悲鳴を上げたのだが……しかしその声はすぐにかき消されてしまったのだった。何故なら突然口を塞がれてしまったからである。
「静かにしていろ」
耳元で囁かれた言葉に恐怖を感じた女医だったが、抵抗しようにも身体に力が入らなかったためどうする事もできなかったのだ。そうこうしている内に意識が遠のいていくのを感じた女医は必死に抗おうとしたものの無駄に終わったようだ。やがて完全に意識を失った女医はその場に倒れ込んでしまった。
「俺を探しているのか……まあいい、もう会う事はないだろうがな」
そう言いながら男は女医を担ぐとその場を後にしたのだった。
「この街の鏡は鬱陶しい」
男は拳で鏡を割ると、そう呟きながら歩みを進めた。
「しかし……あの少年には感謝せねばなるまい」
男はそう呟くと、静かに笑ったのだった。その笑みはとても不気味で恐ろしいものだったが、それでも彼は笑っていたのだ。
「あの村を、毒まで使って滅ぼした甲斐があったと言うものだ」
彼はそう呟くと再び歩き始めたのだった。
彼が目指す先は、別の街だったのだが……
しかしそれはまた別の機会に話すとしようと思う。今はただ、彼の行く末を見守る事にしようではないか。それが一番良い選択なのだからな。
華蟷螂 そらみん @iamyuki_t
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