頭上の神様

mamalica

頭上の神様

 

 今日も、いつもと変わらない平穏な朝を迎えた。

 アイマスクを外し、部屋のカーテンを開ける。

 カラスが窓の外を横切り、斜め向かいのマンションの屋上に停まった。

 洗面して制服に着替え、リビングに行く。

 

 ここは札幌、今日は五月二十五日だ。

 今日から三週間は、夏服への移行期間だ。

 けれど朝は涼しいので、ブレザーは必需品だ。

 これを着初めてから、二ヶ月。

 すっかり体に馴染んだかな。


 写真家の父は、まだ寝ているようだ。

 専業主婦の母は、カウンターキッチンで朝食を作っている。

 バターとベーコンの香りが、うっすらと漂う。


「支度終わった? 早く食べちゃって。バスに遅れるわよ」

「うぁ~い」


 生返事をして、ダイニングテーブルの椅子に着く。

 飼い猫のミゾレが足元にすり寄り、ニャンと鳴く。

 去年の初冬に、このマンション横に捨てられていた白猫だ。

 見つけた父がダンボールごと家に運び入れ、家族の一員になったのだ。


 俺はジーッと、ミゾレを見る。

 ミゾレの頭上を見る。

 ミゾレの頭上には。白文字で『天』と書かれた物体がある。

 大きさは、ミゾレの頭と同じぐらい。

 ゴシック体で、厚さは三センチほど。

 それが風船の如く、頭の真上にポッカリと浮かんでいるのだ。

 文字は、頭を動かしても垂直のまま倒れない。

 首を斜めに傾ければコメカミの上に、下を向けば項の上あたりに。

 横になれば、顔の真上に移動する。


 キッチンに立つ母の頭上にも、白っぽい『天』が浮かんでいる。

 俺はポケットから鏡を出し、頭上を確認する。

 頭ほどの大きさの、灰色の『天』の文字が頭頂部から10センチ上に浮いている。

 厚さは15センチほどで、昨日と同じ色味だ。

 触ってみると、文字に指先がめり込む。

 何の感触もなく、立体映像に指を突っ込んだって感じだ。


「大丈夫?」

 母が味噌汁をテーブルに置いた。

 俺が『天』の色味を気にしていると思ったのだろう。

 でも、何てことは無い。

 クラスメイトたちも、大差ない色味だから。


 俺はテレビを点けた。

 昨日の国会中継が映っている。

 出席しているお偉方の頭上にも、『天』の文字が浮いている。

 色は、俺よりも濃い灰色が多い。

 中には、『地』の文字を頂くお偉方がチラホラいる。

 さすがに『地』は、白っぽい者ばかりだ。

 そりゃそうだ。

 『地』の文字色が黒なら、国会なんぞに出入り出来ないだろう。



 文字が頭上に浮く――。

 この奇妙な現象が起きたのは、俺の両親が大学生の頃だと聞く。

 何の前触れもなく――朝に目覚めると、頭上に文字が浮かんでいたそうだ。

 この日本を起点に、地球を反時計回りに、文字は出現していった

 日本、オーストラリア、北米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、ユーラシア。

 地球の生きとし生ける全て――人間、哺乳類、爬虫類、魚類、鳥類、果ては昆虫に至るまで、頭上に文字が浮かんだのだ。

 

 日本人がアメリカに行けば、国境を越えた時点で文字は変化する。

 『天』の文字が『H』に変わるのだ。

 渡り鳥などの動物も然り。

 そして死ぬと――文字はスーッと消えてしまうのだ。


 

 当然、世界中がパニックになった。

 医学者にも物理学者にも、説明できない現象だった。

 

 だが、宗教学者たちが共同会見を開いて断言した。

 様々な国の様々な文字を検討した結果、文字は『天国』と『地獄』を意味する単語の頭文字であると。

 英語圏での『H』は『Heaven(天国)』の頭文字。

 『地』に相当するのは『Infernot(地獄)』の『I』。

 すなわち、神は裁定したと。

 『天国』に行ける者と、『地獄』に墜ちる者を目視できるようにしたと。

 さらに善は『白』、悪は『黒』、中間を『灰色』で細かく分類したと。

 


 人々は納得した。

 お偉方の頭上を見て、納得せざるを得なかった。

 お偉方で多いパターンは、『天の黒』と『地の灰色』。

 お偉方のパニックは加速した。

 お偉方は国会を在宅ワークにしようと言い出したが、支持率ダダ下がりで失敗。

 選挙で、『天の黒』や『地』の落選が相次いだ。

 

 

 目視で人の善悪が判断できる。

 そんな世の中で、俺は生まれ――成長して凡庸な日々を送っている。

 人々のパニックも、今は収まっている。

 頭上文字が、当たり前の存在となったからだ。


 チャンネルを変えると、『朝アニメ』が映った。

 昔は『朝ドラ』だったらしいが、今はアニメだ。

 役者たちはドラマに出ることを嫌い、吹き替え業が大盛況だ。

 頭上文字には、CG処理が効かないのだ。

 だから、昔の映画やドラマの再放送も多い。


 別のチャンネルでは、情報番組を流していた。

 司会者たちの頭上にも、文字が浮かんでいる。

 プロ野球選手たちにも、観客にも。

 警官に連行される振り込め詐欺犯の頭上には、濃い灰色の『地』が浮かぶ。


「凶悪犯罪は減ったけど、詐欺は相変わらずね」と、母が溜息を吐く。

 頭上を見れば、良からぬ者だと想像できるから、自衛もしやすい。

 けれど、電話越しの詐欺事件は減る気配はなさそうだ。

 

 

 でも、父は「俺たちが学生の頃よりは住みやすい」と言う。

 悪が、大手を振って歩けなくなったから。

 それに『灰色』は許容範囲、と人々は黙認している。

 そうでなきゃ、生活は出来ない。

 人々の多くは中庸であり、それを排除したら経済は破綻する。

 

 全財産を寄付して『地の黒』から『天の濃い灰色』に変化したお偉方もいた。

 悪人でも、善行を積めば天国に行けるのだ。

 神様は、ちゃんと俺たちを見ていらっしゃる。

 ありがたいことだ。


 

 俺はブレザーに袖を通し、スクールバッグを肩にかけ、マンションを出た。

 道路を挟んだ一軒家に住む幼なじみが、自動ドア前のベンチに座っている。

 また、彼女を待たせてしまった……。


「おはよう。知佳ちゃん」

「おはよう」

 制服姿も愛らしい彼女は、ニッコリと微笑み返してくれる。

 目が大きく、ショートボブが良く似合う。

 頭上には、『天』の白文字が神々しく浮いている。

 それがピンク色を帯びているように見えるのは、目の錯覚だろうか。

 

 俺たちは。並んでバス停に向かった。

 街路樹の枝の内側から、スズメの鳴く声が聞こえる。

 モンシロチョウが、空き地の草花の上を舞う。

 そいつらの頭上にも、『天』の白文字が浮かんでいるに違いない。

 人間よりも単純で、悪意がないから天国行きが約束されているのだろう。

 でも人間が天国に行くには、自らを律して心正しく生きるしかない。

 それが、オレたち現代人の進むべき道なのだ。

 

 俺の横を、タクシーが通り過ぎた。

 屋根から、運転手と客の頭上文字が少しハミ出ている。

 俺の周りは、今日も平和だ。

 


 神様、仏様、閻魔様。

 これからも良き人となるよう努力しますから、知佳ちゃんと末永くお付き合いさせてください。

 でも、寝た時に『文字』が顔面のすぐ真上に来るのは何とかならないでしょうか。

 読書にゲーム、何より知佳ちゃんの写真を見る邪魔になります。

 瞼を閉じても、『文字』が薄明るいので眠りづらいです。

 アイマスクを外して寝たいです。

 それさえ修正していただけたら嬉しいです。

 お願いいたします。


 ナムアミアーメンナンマイダ~。



  ―― 終わり ――

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