第13話 未来へ
大気圏外に向けてミサイルを発射できるストラトラウンチ。その出現に指令室が絶望の雰囲気に飲み込まれていたその時、アルファ第一エレベータからアローンの声が届いた。
「デイヴィット、聞け」
それは明らかに命令口調だった。
「アルファ第二とベータ第三エレベータをそれぞれ中間設備方向に引き上げさせてくれ」
アローンの声に悲観した様子は無かった。
「何だと?」
デイヴィッドが問い返す。
「ストラトラウンチのミサイルは低高度衛星までしか届かない。二つの施設のみ高度を上げれば攻撃は回避できるんだ。既に地上と切り離されているから何とか間に合うだろう。もしかしたらエレベータテザーが多少やられるかもしれないが、なに、その程度の被害なら軽いものだ。わかったら、すぐに指令を出してくれよ」
「その手があったか…、良し!」
デイヴィッドは改めて強制通信回線を開いた。
「アルファ中間設備は第二エレベータ、ベータ第二中間設備は第三エレベータ吊り上げテザーの巻き上げ開始。各第一エレベータも同じく吊り上げテザーを巻き上げよ。その他、上昇方向への施設移動に有効な手段があれば、各自思いつくまま実行せよ。報告は事後で良い。急げ!」
自ら考え動けと、デイヴィッドは全乗務員を叱咤したのだ。
「An-225 ムリーヤと逆の手順だったら危うかった」
デイヴィッドは冷汗をかいた。ミサイル発射ははっきりとした攻撃意思とみなされ、ミスや機器故障との理由付けが難しい。宇宙エレベータせん滅を考えた誰かは、航路選択や操縦ミスとの言い訳がし易い方法から試すことにしたのだろう。そのことが、我々に生き残りの選択肢を与えることになった。彼らは今頃苦虫をかみつぶしているに違いない。そこまで考えて、デイヴィッドは自らの運の良さに感謝した。それと共に、的確なアドヴァイスをしたアローンの頭脳に舌を巻いた。デイヴィッドはアルファ第一エレベータとの通信回線を開き、アローンに呼び掛けた。
「アローン、ストラトラウンチの性能まで良く知っていたものだな。それにエレベータ本体の高度を上げるなんて、私には到底思いつけそうにない発想だ。代わりにCEO(最高経営責任者)をやってほしい気分だ」
デイヴィッドは半分本気でそう思っていた。
「西側の情報なら任せてくれよ。エレベータ本体の上昇のことなら、デイヴィッド、君も宇宙に来れば思いつくようになるさ。全ての概念がひっくり返るからな。実際、降ろせと言い間違えるところだったんだぜ。何せアンカー方向に移動するんだからな」
アローンの口からでた西側の情報という言葉の直後、珍しくアシュケナージの笑い声がスピーカーから聞こえてきた。デイヴィットも苦笑するしかなかった。
「アローン、アシュケナージ。君たちに特別ボーナスを支払いたい。何が良いかな?もちろん地上に戻って来るのだって大歓迎だ」
「それなら保養施設の建設を急いでもらいたい。エレベータ内は狭すぎるから、くつろげる場所が必要なんだ」
「それだな。地上に戻ったって、今の俺達じゃあ歩くことすらできそうにない」
アローンの提案にアシュケナージが同意した。
「わかった。本当は三番目のガンマ建設に入りたいところだが、保養施設を優先しよう。皆がサマーベッドに寝転がって、オーロラを下に眺めながらコーヒーを楽しめるような素敵なものを造ろう」
デイヴィッドがモニター用カメラに向かってウインクした。
「デイヴィッド、せっかくだから君専用のサマーベッドも設置してくれよ。玉座のような立派なものをね」
アシュケナージが注文を追加した。
「僕のをかい?」
デイヴィッドは驚きの声を上げた。
「いつか来るんだろう?その時は盛大にお祝いするよ。宇宙への道を築いた君を王として迎えるのさ」
アローンが言った。
「わかった。必ず行くと約束するよ」
真直ぐカメラを見てデイヴィッドが言った。
「ここはコロニー(植民地)じゃない。フロンティア(開拓地)という言葉にぴったりな場所にしていこうぜ!なあ、皆!」
二人の会話はいつしか宇宙エレベータ全施設に流れていたらしく、アシュケナージの言葉に続く乗務員全員の掛け声が管制室にも聞こえてきた。
「ストラトラウンチがミサイル発射予定と思しき地点を通り過ぎていきます。施設の上昇を知って諦めたのかもしれません」
レーダーを監視していた管制官が言った。地上と宇宙の全員から喜びの声が上がり、デイヴィッドはこぶしを力強く握りしめた。
全ての対応が終わり、日暮れを迎えた時のことだった。
「デイヴィッド、ガボン共和国が宇宙エレベータ建設に着手するとの発表がなされました」
夜間要員と交代する前に最後の情報確認をしていたヨーコが大きな声を上げた。
「ガボン共和国?我々の施設建設候補地の一つだったアフリカ西海岸の国だな。あの国にそのような力があるのか?」
一旦、ヨーコに質問しかけたデイヴィッドだったが、すぐさま腑に落ちたらしくこう言った。
「チャイナか」
ヨーコは何も口にしないものの、デイヴィッドの推理は当たっていると彼女の眼が語っていた。
「東、西とくれば、当然第三の勢力、彼らはそこまで掌握しているということか」
あごに手をやってデイヴィッドは呟いた。とても一日に起きたこととは思えないような出来事の連続に、普段は身ぎれいにしているデイヴィッドの下あごには無精ひげが覗いていた。
「既に市場が開いているヨーロッパでは、わが社の株が大暴落しています。これから開くアメリカでもおそらく…」
ヨーコの顔に暗い影が差していた。二度の攻撃が失敗したことを受けて持ち直していた株価が、昼間以上の下げ幅を示していた。宇宙エレベータ株式会社を苦々しく見ている巨大な力の存在を世界中の投資家が確信した証拠と言えた。
「これはきついな。ある意味、物理的攻撃以上に回復不可能なダメージを受けるかもしれない」
ヨーコの想像を超えてデイヴィッドは落胆していた。
「デイヴィッド、投げ売り状態の株を全て買い上げてくれ」
突如、スピーカーからアキラの声が聞こえてきた。
「アキラ!今の話を聞いていたのか?どうやって?マイクを入れたつもりはないんだが」
デイヴィッドが慌てて通信機に駆け寄った。
「今更何を言っているんだ。東のアシュケナージ、西のアローンときたら、もう一つあってしかるべきだろう。」
「…、日本!そうだな。その通りだ」
目立たないながらも三番目の地位を維持し続ける国を侮ってはいけない。デイヴィッドは目を見開いた。
「このプロジェクトが始まった時のことを思い出せ。君の発信力は凄まじい。自信を持て。世界中のジャーナリストと連絡を取ってくれ。見出しは『新たな宇宙エレベータ建設は無謀な賭け』だ。ガボン共和国は遠い。チャイナから遠すぎるんだ。中東、スエズ、それとも、喜望峰?彼らはいったいどこを通って物資を運ぶつもりなんだい?通り道は一筋縄でいかない場所ばかりだ。赤道ギニア、コンゴ共和国、カメルーン、周辺の国も黙っちゃいない。もちろん旧宗主国のフランス、そして、スペインやイギリスも目を光らせている。簡単に造れるわけがないんだ。計画の浅はかさを徹底的に叩け!」
「わかった。すぐに手配する」
アキラの提案にデイヴィッドは迷うことなく同調した。
「良し。では次だ。日本人向けのチャンネルを開け。株価買い支えを訴えるんだ。翻訳は俺とヨーコが引き受ける。彼らは、挑戦する者が大好きなんだ。きっと乗って来る。日本の外貨資産は10兆ドルを優に超える。驚くなかれ。これは政府の金でも大資本家の金でもない。巨大権力ですら手出しできない、街を歩く普通の人々が所有する資産の集合なんだ。この資産をわが社の株に向かわせる。デイヴィッド、今は藁でもつかみたい気分だろう。安心しろ。日本には、つかんだ藁から財を成すという昔話がある。運は君の味方だ。必ず成功する」
アキラは最後にジョークを言って話を締めくくった。デイヴィッドは俯いて考えるような仕草をした。翻訳は俺とヨーコで引き受けるという、アキラの言葉の中にある真実に気付いてうろたえたのだった。わずかな逡巡の後、デイヴィッドは一瞬だけヨーコの方を振り返ると彼女に軽くウインクをした。ヨーコは彼に視線を合わせたものの、顔色を変えることなく受け流した。正面に向き直ったデイヴィッドの表情は、自信に満ち溢れていた。
「トリプルA。彼らも伝説になりそうだな」
誰にも聞こえないような小さな声で呟くと、デイヴィットは頷き、そして、社内の全組織に向けて話し始めた。
「皆、今の話を聞いていたことと思う。私はこれからの人生を君達に捧げることを改めて約束する。全員が一丸となって困難を乗り越えてほしい。そうすれば、いずれ一切のしがらみが無くなるであろう。 宇宙エレベータは国家として独立できる。国名は言うまでもなくBABELだ」
デイヴィッドの声はアルファ、ベータ、そして地上施設全てに届き、全員の胸にこの言葉が染み渡った。
「BABELに崩壊はない。宇宙最初のフロンティアは我々自身が築くのだ」
PROJECT BABEL 完
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