第12話 怒涛の如く
蜂の巣をつついたような騒ぎとなっている指令室にデイヴィッドが入ってきた。そのままレーダーモニターを覗き込む。
「An-225 ムリーヤ?かつて世界最大の輸送機と言われていたあれか。翼幅はいくつだ?」
デイヴィットが落ち着いた声で問いを発する。
「88.4mです」
航空マニアらしき管制官の一人が答える。
「アルファ・ベータ間は100m。ということは、両方のテザーが破壊されることは無いということだな。あくまでも爆薬を積んでいなければの話だが…」
思考するデイヴィッドを皆が固唾を飲んで見守っている。
「インドネシア海軍に、いや、インドネシア大統領にスクランブル発進の依頼をかけろ」
「了解」
ヨーコがすぐさまオンラインを繋ぐ。
「片方だけテザーを切り離すか、いや、何の意味もない。やるなら両方の…」
返事を待つ間もデイヴィッドは考え続けた。
「大統領、海軍共に天候を理由にスクランブルが遅れると言っています」
ヨーコの声が指令室に響き渡り、辺りに深刻な空気が満ち始めていた。デイヴィットは宇宙エレベータ全施設との強制通信回線を開いた。
「全乗務員に告ぐ。所属不明のAn-225 ムリーヤが当施設に向けて航行中。アルファ第二エレベータ、ベータ第三エレベータは地上間のエレベータテザーを切り離せ」
迷いのない言葉がデイヴィットの口から発せられた。
「待て!デイヴィット、切り離すのは地上施設の方だ」
ところが、僅か一秒遅れるかどうか、そんな速さで返事が返ってきた。声の主はアルファ第一エレベータ常駐のアシュケナージ。トリプルAの一人だった。
「どういう事だ?」
デイヴィットが聞き返した。
「エレベータテザーを高度1万5千mまで引き上げる。An-225 ムリーヤはその高さまでは飛ぶことができないんだ。爆薬を満載していれば尚更だ」
デイヴィッドが航空機マニアの管制官を見ると、その管制官は頷いた。
「地上施設はアルファ・ベータのエレベータテザーを切り離せ。アルファ第二エレベータ、ベータ第三エレベータは同テザーの巻き上げ開始」
デイヴィッドの力強い指示が飛ぶ。担当要員の返事がスピーカーから返ってくると、指令室は安どの空気に包まれた。
「アシュケナージ、それにしてもマイナーな輸送機の事まで良く知っているな?」
デイヴィットの穏やかな声がアルファ第一エレベータに向けて発せられた。
「旧東側諸国の情報なら俺に任せておけ」
普段は抑揚のないアシュケナージであるが、その声にはいつになく力強さが感じられた。
「そうか、ありがとう。助かるよ」
デイヴィットが礼を言った。PROJECT BABEL開始以来、初めてのことに指令室はざわついた。
「テザー地上部切り離し終了。巻き上げ始まっています」
ヨーコの報告に、デイヴィッドはほっと息を吐いて椅子に座った。
「おっと忘れるところだった。地上施設降下だ。ここが地球全体を滅ぼすに足る核廃棄物の集積地だということは、ある程度の軍事力を保有する国家元首ならば皆が知るところだ。万が一にも攻撃してくる馬鹿はいないとは思うが、この際テロ行為の無意味さを見せつけてやろう」
施設全体に警報が鳴り渡り、やがて微かな振動が始まった。地上施設全体が地下に降下し始めたのだ。
「An-225 ムリーヤ、進路変更。遠ざかって行きます」
管制官の一人がレーダーを見ながら言った。室内に居た全員がふーっと息を吐いて椅子の背にもたれた。
「インドネシア空軍から入電、スクランブル発信の準備ができたとのことです」
片耳だけヘッドセットを付けたままヨーコが言った。
「様子を見ていたんだな。今更だが、頼むと伝えてくれ」
デイヴィットはあきれたように肩をすくめた。
しばしの緊張の後、デイヴィッドの提案により施設全ての従業員に臨時の休憩時間と飲み物の差し入れが施された。デイヴィッドがコーヒーの最初の一口を飲んだ直後のことだった。
「デイヴィット、航空機による宇宙エレベータ攻撃の第一報が世界中のニュースで一斉に流れ出しました」
ヨーコの緊張した声が室内に響く。
「なんだと?」
デイヴィッドは驚いてヨーコの方を見た。ヨーコは数台のモニター画面を次々に切り替えた。
「わが社の株が暴落しています」
シーンと静まり返った指令室にヨーコの声が響く。
「どういうことだ?いくら何でも早すぎるだろう?やはり出来レースなのか?」
デイヴィッドがその高い鼻に人差し指を置いて思案の表情をした。
「インド洋上空にてストラトラウンチを確認。当施設に向けて航行の模様。所属は不明」
広範囲レーダーをモニタしていた管制官が声を上げたのはその時だった。
「こちらからの問いかけに応答はありません」
管制官が続けて言う。
「ストラトラウンチだと!馬鹿な!宇宙エレベータの完成で存在意義を失い解体されたはずだ!」
デイヴィッドの手からコーヒーカップが離れ、床に落ちて粉々になった。
「解体されたのは企業体のみ、機体の廃棄は確認できていません。それにミサイルで衛星を軌道に乗せる能力の意味は無くなりましたが、衛星爆破能力については未だ有効だと思われます」
近くにいた管制官が答えた。先ほどAn-225 ムリーヤの翼幅を答えた航空マニアの男だった。デイヴィッドはがっくりと首を落とすと、ふらふらと歩みを進めて宇宙エレベータとの通信機器に近づいて行った。そして、強制通信回線を再度開いた。
「こちらはデイヴィッドだ。アルファ2号、ベータ3号各エレベータの乗務員は速やかに中間設備に向けて退避のこと。インド洋をストラトラウンチが航行中。当該施設へのミサイル攻撃が予想される」
言い終えると、デイヴィッドは機器に手をついたままがっくりと膝を折った。
「西と東が一緒になって我々の排除に動くというのか」
絶望的という思いが生み出した静寂の中、デイヴィッドのかすれた声が指令室にいる者達全員の耳に伝わった。
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