第8話 最初の積荷

 カーゴが定位置に着くのを待ってアローンは扉を軽くノックした。内外どちらからでも開けられるように設計されているものの、乗っている人への合図無しでいきなり開く気にはなれずにいた。わずかな時間を経て、内側から扉が開く。

「よお、久しぶり!」

バタオネが人懐っこい笑顔でカーゴから降りてきた。アローンはほっとして息をついた。


 このところの作業は第一・第二エレベータ間を結ぶ物資運搬用テザーの受け入れと設置だった。積荷というよりは、長いロープが順次送られてくるのを想像すると理解しやすい。アローンの仕事は地上から上がってきたテザーの先端を中間設備と繋がっている吊り上げテザーに取り付けて、付属するローダーのスイッチを入れるだけ。その先端が中間設備に到着すると、今度はアキラが同様の作業をして第一エレベータに送り出す。第一エレベータに着いたらアシュケナージの仕事だ。回転体である第一エレベータの外周を回した後に、中間設備に向けてテザーを送り返す。中間設備では、今度は第二エレベータに戻す作業となる。アローンは二つの施設を経由して戻って来たテザー先端部を最後尾と接続した。このようにして第一・第二エレベータを循環する物資運搬用テザーの設置工事は無事完了の運びとなった。ここまではひたすら待つのが仕事のようなもので、全員が睡眠も充分に取れていた。問題はここからだ。G7各国から依頼を受けた物資が、次から次に到着するのをさばいていかなければならない。無理な勤務体制を避けるために、Aチームの三人は各施設の増員を進言した。デイヴィッドとしても、より利益が上がるようにするためには24時間稼働を目指すのが当然のこととなる。増員への要望はあっさりと認められた。そのような経緯により、最初に到着する物資の一群と共に、先ずはBチームの三人が宇宙エレベータ最初の乗員として送られて来たのだった。


 施設内を物珍しそうに見回しているバタオネの肩をアローンが軽く叩く。

「冷えただろう。お前はここが地元だから寒さには弱いんじゃないのか?よく耐えられたな」

アローンはバタオネにねぎらいの言葉をかけつつ問いを発した。

「地元?ああ、地上の事か。まあ同じインドネシア国内と言っても、俺の故郷はイリアンジャヤではなくフローレンス島だけどな。ずいぶん離れているが、アメリカ人のお前から見れば、地元と言っていいだろうよ」

話しながらバタオネは笑った。

「エベレストの何十倍もの標高を越えて来る中で、熱帯地方出身のお前が寒さに耐えられるとは思っていなかったよ」

「ああ、もちろん寒かったが、深く考えないようにしていたんだ。俺の祖先は日本軍と共に戦ってオランダからの独立を勝ち取ったんだが、彼らの口癖が『なるようになる』だったのさ」

バタオネは自慢げに微笑んだ。

「何よりこの暖房器のお陰で助かったよ。ヨーコは湯たんぽって呼んでたな」

バタオネはカーゴ内に戻ると、一緒に運ばれてきた円筒状の物資を撫でた。それは第一エレベータの更に先に設置するアンカーだった。


 第一エレベータが定位置に到着してすぐ、宇宙エレベータが僅かながらも地上に落下しつつあることがわかった。これは重力と遠心力のバランスが重力側に傾いていることを示している。急遽、会議が行われて、第一エレベータの先にアンカー(碇)を下ろす事が決まった。壁も地面も無い宇宙空間、しかも地球から見て上方向に当たる場所に対してアンカーを下ろすという表現が正しいかどうかはこの際置いておく。理屈としては以下となる。地球に落ちることも離れることもない静止高度である標高36,000kmを超える地点にある物体は重力より遠心力が勝り、地上から離れる方向への力を有する。そのため、地上から48,400kmという施設全体の中で地球から最も離れた場所となる第一エレベータの先に重量物を設置することで、設備全体の落下を抑えようという方策だった。

「これ、アンカーとして使うんだろう?何故こんなに暖かいんだろう?」

アローンもカーゴに乗り込むと、筒を眺めながらそう言った。

「何故だろうな。テザー接続が成功してしばらくしたら、日本やフランスから続々と運ばれて来るようになったんだ。Cチーム以下の皆は、今はこの筒の搬入に担ぎ出されて大忙しだよ。おかげでフォークリフトの運転は上手くなったけれどな」

バタオネは愛おしそうに筒を撫でながら言った。

「わざわざそんな遠くから取り寄せたのか?アンカーだから重ければ良いってわけじゃないんだな?」

アローンは驚いて首を傾げた。

 アンカーに使うこの灰色をした筒状物体は、幅40cm高さ130cm、重さは約500kg強だという。このカーゴに乗せられる荷物は1,000kgに満たないので、1回に一つずつの運搬となる。大量輸送できないのはせっかく宇宙にいる身としてはもどかしいが、こればかりは仕方がない。

「考えても仕方がないからさっさと第一エレベータに送ってしまおうぜ。あっちのカーゴに移動するから手伝ってくれ。先に来た荷物は俺一人で移動したから大変だったんだ。無重力に近いとはいえ、そもそも運びやすい形じゃないからな」

アローンはバタオネに声をかけた。

「あれ?そう言えば、ボビーとバースはどうしたんだ?先に行ったのか?」

筒を真ん中にしてアローンの反対側に着くとバタオネが尋ねた。

「話しは後だ。そら行くぞ」

二人は筒から固定ベルトを外し、カーゴから外に出した。宇宙に来たばかりのバタオネは無重力に近いこの場所での物資移動に戸惑った。重さそのものはそれほどではないものの、金属製の筒を壁にぶつけてどちらかを壊してしまっては大問題となるからだ。ここは地球ではないのだ。ちょっとした失敗が命取りとなる。二人は改めて筒を持ち上げると、ゆっくり慎重に第一エレベータ向けカーゴに進んで行った。

「しかし、今回のアンカー設置工事で宇宙への荷物の運搬がかなり遅れるよな。費用が嵩むはずだけど、運営は大丈夫なのか?」

筒を移動しながらアローンはバタオネに訊ねた。

「予算が潤沢だから大丈夫みたいだぜ。そもそも2、3回は失敗すると思っていたのをテザー接続までお前達が一発で成功させちまっただろう。それだけで相当な余裕ができたようだ。それにこの筒を運搬することで利益が生まれるとデイヴィッドは言っていた。なんでも一つ運ぶだけで5万ドルになるんだそうだ」

「5万ドル!何故、アンカーを運ぶことが儲けになるんだ?」

バタオネの言う意味が全く理解できず、アローンは首を傾げた。バタオネもまた無言のまま首を横に振った。

 そうこうしている内に、二人は目的のカーゴに到着した。予め扉が開かれた状態のカーゴにアンカーを入れると、動かないようにベルトで固定する。

「ふー、無重力とはいえ一苦労だな」

バタオネは額の汗を拭おうとして腕を上げたが、ヘルメットに遮られていることを悟るとにやりと笑った。

「ここでの生活に慣れるまでには時間がかかるぞ」

アローンが先輩風を吹かせて忠告する。

「ふー。これでやっと二つ目のアンカーだ。一体全体どれだけのアンカーを第一エレベータに送らなきゃならないんだろうな?」

アローンが不満を漏らした。

「待てよ。これが三つ目のはずだろう?何故二つ目なんだ?」

バタオネは不思議そうな顔をしてアローンを見た。

「それは後で説明するよ。それよりも次は飯だな」

アローンの指図で二人は地上からのカーゴに戻り、積んであった宇宙食のセットを取り出すと、再び第一エレベータ向けカーゴに運び込んだ。そして全ての準備が整うと、アローンは通信回線を開いた。

「アキラ、アシュケナージ。バタオネとアンカーが到着した。これよりエレベータを始動する。積荷はアンカー一つと宇宙食だ」

「…了解」

「…了解」

アローンの呼びかけに、やや間が開いて二人の返事が返ってきた。アローンは安全装置を外すとエレベータ始動スイッチを入れた。ブーンと微かな音がしてゆっくりとテザーが動き出す。カーゴが宇宙を進み始めた。漆黒の闇にカーゴが溶け込んで行くのを感慨深げに見ていたアローンだったが、ゲートを閉めるとバタオネの方を振り返って言った。

「実は、ここに到着した時点でボビーは既に事切れていた。それだけじゃない。バースは錯乱状態だったんだ。だから二人とも地上に帰すことになったのさ。おかしくなっているとはいえバースは生きているから、暖房用として一緒に筒を一つ降ろしたんだ」

バタオネの顔に浮かんでいた笑みは、瞬時に凍り付いた。

「Bチームはお前一人になったということだ」

アローンの寂しげな声に反応したかのように、第二エレベータの鉄壁が微かに震えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る