第7話 ダイブ

 アキラの高等技術によって地上施設に到達したテザーは、永続的な利用に耐えられるだけの強度を持ち合わせてはいなかった。本使用のテザーをただ一度引き上げるためだけに用意された軽量テザーだったのだ。そこにテザー本体重量プラス、合わせて1,000kgを超えるカーゴ及び積載物の運搬にも耐えられる資材運搬用テザーを接続し、アローンのいる第二エレベータに引き上げる。それが現在進んでいる工程だった。

 当初の軽量テザーと物資運搬用テザーでは直径が倍ほども違うため、第二エレベータ外壁にあるテザー受け口を調整する必要がある。その作業のために、アローンは宇宙遊泳をしなければならないのであった。調整後、簡易テザーは物資運搬用テザーと繋がったまま地上に送られて、最後尾が地上に到着した段階で切り離される。最後に物資運搬用テザーの先端と最後尾が繋がれて、晴れて地上と高度400kmを巡回する宇宙エレベータの第一期工事完成となるのであった。

 宇宙遊泳という大仕事を前にしてアローンの緊張は急激に高まった。

「こんな仕事だけは人間がやらなければならないとはな」

アローンは舌打ちをして悪態をついた。高度400km圏は過去の宇宙開発で生まれたデブリで溢れている。高速で移動するデブリに宇宙服を穿かれたら一巻の終りである。とはいえ、第一期工事の最後の山となるこの作業が上手くいけば、宇宙と地球間の物の行き来はこれまでに比べて格段に簡単且つ安全になり、費用は驚くほど安くなる。新たな宇宙開発時代の幕開けだ。そもそも自分はこの為に来たのだとアローンは腹を括った。ふと周囲を見回して、以前までと様変わりした室内の様子に彼は気が付いた。これまでは地上と第二エレベータを繋ぐ軽量テザー、そして、第一エレベータ、中間設備、第二エレベータを繋ぐ吊り上げ用テザーで室内が占められていた。第一エレベータと中間設備が予定空域に未到着である現在、テザーの一部が残るものの、既に数人が自由に動ける程度の空間が生まれている。周囲の空間が広々としていることに改めてアローンは感慨を覚えた。

「こういう部屋を日本ではワンルームマンションと呼ぶんだ」

二号エレベータ内を想定したバーチャル空間を指して、アキラが日本の特殊な住宅事情について教えてくれたのを思い出す。

「一つしか部屋が無いのにマンション(豪邸)かよ」

アシュケナージと共に笑ったのはつい数週間前のこと。あれはもちろん地上訓練時だった。奇妙な懐かしさと静かな興奮が相まった不思議な感情がアローンの胸を占めていた。第一エレベータ、中間設備、そして、第二エレベータを繋ぐ吊り上げ用テザーは、今も宇宙に向かって開けられた穴にシュルシュルという音を立てながら吸い込まれていく。残りは僅かだ。全て放出した段階で、施設の配置は完了する。

「歴史的瞬間って奴か。デイヴィッドがアナウンスしたくなるのもわかるな」

アローンはゲートに立つと自動扉の二段階スイッチを順に操作した。先に背後でスライド扉が閉まり、直後にブーンという音がして正面扉が開く。

 漆黒の闇と地上の青が溶け合う空間が眼前に広がり、アローンはその光景にしばし見とれていた。10秒間ほどそのまま立ち尽くしていたものの、完全な球となった液体が目の前を横切るのに気が付いて苦笑した。美しくきらめくその小さな水玉は、彼自身の涙だった。

「行くか」

一言だけ呟くと、アローンは軽く膝を曲げて躊躇することなくダイブした。彼が発した独り言は誰の耳に届くこともなく、ただ宇宙の闇に吸い込まれていった。

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