第5話 死出の旅立ち

 その朝、いつになく大勢の刑務官が部屋に入ってきた。屈強な男達に囲まれてアイマスクを付けさせられると、その上から布袋らしき物が頭に被せられる。視覚的情報の一切が遮断されたが、抵抗するすべはなかった。指示されるままに歩いていると、着ていたシャツ越しにふと風を感じた。渡り廊下を通って離れた建物に向かっているのだろう。前方で重い扉が開く音がした。そのまま進むと今度は先ほどの扉が背後で閉まるのがわかった。角を曲がった回数が数えられなくなった頃、両脇を固めた男達が急に歩みを止めた。一瞬つんのめりそうになりながらも、彼らの動きをに合わせて止まる。その直後から、どんどんという耳障りな連続音が感情を揺り動かし始めた。工事でもしているのかと訝ったが、その音が自分の心音なのだと気が付いて苦笑する。

「言い残すことは無いか?」

正面からスピーカーを通して声が届いた。

「ありません」

冷汗が出て、背中にシャツが張り付くのがわかる。

「階段だ。転ぶなよ」

両脇を抱える刑務官の内一人が、静かに言った。

一段、二段、三段、…。過去の光景が走馬灯のように眼前を駆け巡り始めた。十段、、十一段、十二段、…。足を降ろすのが怖くなってその場に固まった。

「往生際が悪いぞ。進め」

横から囁かれた。

何も考えまいと決意し、暗闇の中ながらもアキラは目を瞑り、最後の一歩を踏み出した。


 暗闇が二つに割れたと思った途端、眩しいほどの光が目に飛び込んできた。

「ビー、ビー、ビー、…」

響き渡るブザー音。状況が呑み込めず、アキラはパニックに陥りそうになる。続いて身体を包む何かが振動した。睡眠状態からの回復を即すために宇宙服に備え付けられた機能だった。ようやく地上400kmに浮かぶロケットの中にいることを思い出す。

「分離まで残り10分。乗務員は速やかに準備に入ってください」

スピーカーからヨーコの指令が聞こえる。アシュケナージが乗る第一エレベータに続いて、中間設備切り離しの時間が迫っている。25,000km近い旅が間もなく始まろうとしていた。言うまでもなく大気圏から完全に離脱することになる。

「俺が乗るんだったな」

アキラはため息をついた。睡眠誘導剤の名残なのか、頭がふらついている。

「どうした、悪い夢でも見たのか?」

同じく仮眠を取っていたアローンがすぐ近くまでやってくると、アキラの肩に手を置いた。

「日本での事を思い出していたんだ」

アキラは答えた。

「お前もか。俺も同じだ」

言いながらアローンは手首をさすっている。電気椅子に身体を固定するための、拘束具の感触が残っているのかもしれない。過去の思い出ではあるものの、悪夢でしかないのはお互い様だった。

「じゃあ、行くよ。世話になったな」

アキラが立ち上がる。

「すまないな」

アローンはアキラを見上げて言った。

「地球から離れるのが悪いことなのかどうか、良い思い出のない場所から離れられるわけでもあるからな。それに、ここに居るという事は一番地球に落ちやすいということでもある。謝らなければならないのは俺の方かもしれない」

「それはまあ、そういう考え方もなくはないが…」

アローンは後ろめたいらしく、アキラから視線を外した。

 アローンの気持ちもわからなくはない。地上400kmのこの場所からなら、いざとなれば戻る道もあろう。だが、アシュケナージや自分のように数万km離れるとなると、命が途切れるまでそこに居続けるしかない。だがしかし、仮に俺達が地上に降りたとして、その先どうなる。そもそもが犯罪者として裁かれたこの身では、祖国に帰ることなどできるわけがない。ならばいっそ…。デイヴィッドが口にしたフロンティアという言葉がアキラの脳裏に浮かび、すぐに消え失せた。夢や幻想など、とっくに捨てた身だった。

「いずれにせよ、俺が提案した『じゃんけん』で決めたことだ。文句はないよ」

アキラは簡易ベッドの傍らから、一旦外していたヘルメットを取り上げて脇に抱えた。そして、アローンに向かって軽く手を挙げると歩き出した。一歩踏み出そうとした瞬間、アキラはこれまで味わったことのない身体感覚に気が付いた。

「浮いている?」

ここに来て初めて、アキラは身体の軽さに驚愕した。これまでも歩いていなかったわけではない。ただ、緊張感の中で意識できていなかったのだ。諦めという完全なリラックス状態に入ったことで、これまでアキラが纏ってきた極度の重圧と地上の重力、その両方から一度に解放されたことに、たった今気が付いたのだった。背中を電流が走るような快感が沸き起こったかと思うと、浜辺で波が引くようにゆっくり治まっていった。アキラはもう一度振り返った。

「テザーの最終調整、一人で大変だろうけど頼んだぞ」

最後の言葉をアローンに投げかける。

「ああ、お前達に弁当を届けるためには、やらなきゃならないからな」

アローンは親指を立てて笑った。

『奴の笑顔を見るのはこれが最後だな』

その時、アキラとアローンは互いに全く同じことを考えていた。中間設備分離まで残り3分を切っていた。

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