この物語は、端的に言ってしまえば、戦争中の不幸がきっかけで不遇な立場に置かれた少年ジャクロと、おそらく傷痍軍人であると思われる車椅子の男”マスター”の絆の物語です。しかし文字の読めないジャクロには”マスター”が何のためにジャクロの相手をしているのかがわかりません。物語の全貌は数年後ジャクロが”マスター”からの手紙を読めるようになってから初めて明かされます。
ジャクロが住んでいる国はどうやら戦争に勝ったようです。しかし、戦争は勝者の側にも禍根を残します。
”マスター”がなぜ傷を負ったのかを知った時、読者は生き残った”マスター”の人生について思いを馳せることでしょう。
生きることは素晴らしいことです。死んでいい人間はいません。まして戦争のために命を落とすことなどばかげています。
しかし戦争に関わった人間は復員後どうやって生きていけばいいのでしょう?
”マスター”にとってのしあわせとは、いったい何だったのでしょうか。戦争に関わった人間がしあわせになるためには、戦後はどんな人生を送ればいいのでしょうか。
この物語はそういう繊細なところをつついてきます。
それにしても、初見では「あれ?」と思った細かなところも全貌が明らかになった時すべてのことが実は伏線だったことに気づかされる作者様の手腕には驚かされます……。
いまはどんなにつらくても
しあわせはかならずやってくる
そんな古い流行歌とは裏腹に、上向く様子の微塵もないジャクロ少年の暮らしぶりが序盤から描写される。
けれどジャクロ少年はこの歌が好きだ。そのことが彼を、そしてこの話を、物語り、導いているように思える。
愛嬌のあるロボットたちが登場するスチームパンク風の街を舞台に、ジャクロ少年は不思議な出会いとあたたかな時間を得る。そこから始まる一連の出来事を語る「少年時代」、とある人物から託された「手紙」、そして「十年後」と、構成の妙が生きる。
しあわせはかならずやってくる
そう。彼は、そして彼らは、そのために自ら歩き続けたのだから。