3F連絡通路にて、SAKURA。8月23日
腹に響くような爆発音と共に桜高全体が揺れたのは、
なんだ今の衝撃は……! まさかキュウタァの攻撃か?
一瞬考えるも、すぐに
奴らが襲来してきたとは考えにくい。もしキュウタァの仕業だとすれば、活動を再開した時点で警報が鳴るだろう。では、人間によるものか。しかし、
キュウタァでも、人でもない何か。
情報が少なすぎて何ひとつ分からない。しかし、この状況が
サクラのそばにいるべきか、状況把握を行うべきか。神代はどう動くべきか迷う。
クリニックに戻っていった想河のケータイとクリニックの両方に電話してみるも、どちらにも繋がらない。緊急メールを待つのもいいが、想河の安否も気になる。
そうこう
万が一に備えて保健室の明かりを消す。後ろ手でドアを閉め、神代は廊下を駆けだした。
部屋から出て最初に気がつくのは、夜なのに外が明るいということ。この明るさは昼の太陽のそれではない。夕暮れどき――夕日のような色と明るさだ。
保健室と職員室の間には、4階まで吹き抜けになった『中央ホール』がある。中央ホールはグラウンド側の壁が一面ガラス張りになっており、どうやらそこから光が差し込んできているらしかった。
夕焼け色の光はゆらゆらと揺れながら、ホールの真ん中に置かれた銅像を怪しく照らしている。床に反射した光は校内をぼんやりと映しだし、まるですべてが燃えているかのよう。進むにつれ、空気の温度と焦げ臭さが増していく。どこかが燃えている。誰が見てもそう判断できる光景が広がっていた。
神代は中央ホールへと急ぐ。光の入射方向からして、出火場所が見えるはずだ。
ホールから見えるのは『グラウンド』に『屋外プール』。そして、クリニックを併設した『体育館らしき建物』。故におのずと火元もそれらに絞られる。だが、
ホールに着いた神代は、目の前の景色を見て息をのむ。やはり、燃えていたのは体育館だった。
予想していたはずなのに、動揺を抑えることができない。
天に立ち昇る黒々とした煙。煙から時折降ってくる火の粉の雨。グラウンドに面した壁と天井は崩れて大穴となり、その穴からは炎がでろでろと舌を出している。どうやら中で何かが爆発したらしく、地面には大小様々な破片が燃えながら散らばっている。幸いにも、クリニックにはまだ火の手が回っていない。
クリニックが無事なら、想河も無事である可能性が
事故か、攻撃か。どちらか分からない今、事態は一刻を争う。火が燃え広がる前に、何としてでも想河と合流しなければ。
腹を決めてピストルの
目指すはクリニック。まず向かうのは、校舎3階――体育館に繋がる『連絡通路』だ。
校内のあちこちから銃声が聞こえる。爆発音が聞こえる。空気を吸うたびに火薬の臭いがする。物の焼ける臭いがする。
思い出すのは第四次世界大戦中のこと。終末戦争が開戦する前年まで、毎月必ず数回は訪れていた敵国による空襲。
――ビーッ! ビーッ! ビーッ! ビーッ!
警報が鳴り響き、分厚い防壁が下りてきた。階段を駆け上っていた神代は、すばやく下に滑り込み、なんとか3階に達する。ズウゥンっと重厚な音がして階段が封鎖された。
ここに来るまでの間、校内の至る場所で銃撃戦が行われているのが聞こえた。何者かが桜高を襲撃しているのは明白だが、その他のことが全く分からない。
数、正体、目的。サクラが無事なのかさえ今は不明だ。本当は今すぐにでもサクラのもとへ戻りたいのだが、階段は使用不能になってしまった。後悔したとて、もはや後戻りすることはできない。
神代は連絡通路を閉ざす扉の前に立つ。ドアノブを回してみるも、ロックがかかっていて扉は開かない。
備え付けのインターホンのボタンを押す。想河は出ない。もう一度押す。やはり出ない。
拳銃ではめ殺しの窓を撃ち、そこからの侵入を試みる。しかし、それもムダ。窓は防弾ガラスでできているらしく、ヒビが入るだけで弾は跳ね返されてしまう。体当たりしてみるも、扉はびくともしなかった。
扉を破壊できるほどの武器は持っていないし、天井裏から侵入しようにも物理的に不可能。これ以上は手の打ちようがない。しかし、だからと言って諦めるわけにもいかない。
唯一、この連絡通路だけがクリニックへと繋がっている。この扉を突破する以外に想河と合流できる手立てはない。こうなれば、できることはただひとつ。ケータイとインターホンで呼び続けるしかない。
それから、何回ボタンを押したことだろうか。何回コールしたことだろうか。スピーカーからは同じ音しか返ってこず、呼んでも呼んでも想河は出なかった。
校内では今なお銃撃戦が続いている。いつまでもここに
どうするか迷った挙句、呼ぶのはこれで最後にすることにした。出なかったら諦める。諦めてサクラのもとへ戻るのだ。
ごくりとツバを飲み、神代は想河の応答を待つ。
『……』
どちらにも想河は出ない。クリニックに戻ると言っていた想河。何度呼んでも彼女は応答しなかった。最悪のケースが脳裏をよぎる。
でも、まだそうと決まったわけじゃない。負の思考を払いのけるように、神代は自分に言い聞かせる。
爆発によるインターホンの故障かもしれない。もしかしたら、着信音に気づいていないだけかもしれない。そうだ、きっとそうだ。この目で確かめるまでは、希望を捨ててはいけない。
必ず戻ります。胸の中で想河に誓い、扉に背を向ける。
鉛のように重い足を踏みだし、歩き始めたそのときだった。
『――尉クン?』
インターホンから聞こえてきた声に、神代はピタリと動きを止める。
『少……ン?』
この声は間違いなく想河の声だ。
『回線が切……うなの。私はだいじょ……だから、あなたは……逃げな……』
ノイズのせいでよく聞こえないが、想河は無事なようだった。
「大佐、大丈夫ですかっ!」神代はインターホンに駆け寄って叫ぶ。しかし、その声は想河に届いていないらしく、
『Sシ……ズが、ちは………アレル……ショックを起こして……』
「大佐、想河先生ッ!」
『あの……報は、罠だっ……。ワクチ……フトのせいで、敵が……たちに侵入……』
「何があったんです!?」
『……たちは、もう味方じゃ……』
「ここ開けてくださいっ!」
『Ⅻ番……そっちに向かって……わ。……なさい』
「先生ッ!」
一方通行の会話は、『逃げなさい』という言葉でプツンと終わってしまう。再度インターホンのボタンを押してみるも、チャイム音すら鳴らない。ケータイも依然として繋がらない。これでもう、想河と連絡を取ることは不可能となった。
一体、何が起きている? 神代は必死で考える。とりあえず、想河が無事なのは分かった。問題はその次だ。
想河は敵が侵入したと言っていた。それはどういう意味だ。残り1体となったキュウタァ――スフィア型は、第二次防衛海域で停止しているはずではないのか。
神代は先ほどの通話で聴き取れたことを整理してみる。
敵。侵入。Ⅻ番機。そっちに向かっている。逃げなさい。
初めに聞こえた『S』はきっと、『Sシリーズ』のことだろう。確か、ワクチンソフトのせいでとも言っていた。となると、考えられるのは、
“ワクチンソフトのせいで敵が桜高に侵入した。SシリーズⅫ番機がそっちに向かっている。逃げなさい”
作った文章に違和感を覚える。これには筋が通っていない。Ⅻ番機から逃げる理由が欠けている。
ソフトのせいで敵が侵入した。どこに?
Ⅻ番機から逃げる。何故?
ワクチンソフトは『紅い螺旋』に対抗するため、Sシリーズにインストールされた。そして、敵はそこから侵入したらしい。だから、Ⅻ番機から逃げなければならない。
神代はふと、オペレーター三人娘のひとり、
“
ことの始まりは体育館の爆発だった。爆発によってできた大穴から何か――侵入者が出てきたと考えられなくもない。
キュウタァでも人間でもない侵入者。
否、キュウタァでもあり人間でもある侵入者。
次の瞬間、すべてが繋がった。
紅い螺旋を出現させたのは、木馬型キュウタァだった。螺旋、つまり木馬型は、ワクチンソフトに
サクラを介して複合型スパコン“ほまれ”に侵入しようとしたのは、ただの目くらまし。彼女の身体に螺旋が入った時点で、敵は桜高に侵入していた。
螺旋の飛翔体は、言わば設計図の鋳型。サクラの免疫により設計図へと翻訳され、想河らの手によってワクチンソフト――木馬型に再構築されたのだ。
――グシャンッ!
突如、金属がひしゃげる大きな音が響いた。
神代は目の前の、通路をふさぐ扉を見る。
扉は、大きく
――グシャ、グシャ、グシャンッ!
頑丈な扉がどんどん潰されていく。
防弾ガラスが割れ、壁に亀裂が走った。体育館と書かれたプレートが落ち、扉を固定するボルトが悲鳴を上げる。
逃げなさい。想河の声が頭の中で響いた。
クリニックへの
神代は扉から離れて拳銃を構える。逃げなさい。脳内で想河の言葉がまた響く。
――パンッ!
電球の割れるような音がして、扉が無に収束した。
通路の向こうから、炎の香りを乗せた熱い風が吹いてくる。その風を背中で受けるようにして、ヒトの形をした何かが立っていた。夕日色に染まった肌と長い髪を除き、ほぼすべてが黒い。着ているセーラー服もスカートも、履いている靴までもが黒一色だ。
それは少女。両目から上――顔の3分の1を覆い隠すゴーグル型のディスプレイを装着した少女。
ディスプレイは電光掲示板のようになっていて、“
着ているブラックセーラー服は所々が破れ、肌にはキュウタァ特有の紅い幾何学模様が浮かび上がっていた。
「来るな! それ以上近づいたら撃つぞ!」一歩いっぽ向かってくる少女に対し、神代は警告する。
「止まれっ!」少女の歩みは止まらない。
威嚇射撃をしてみるも効果はなく、逆に少女の腕が超兵器に変わった。
「くそっ!」神代は少女の身体スレスレに弾丸を放つ。
被弾した長い髪が後ろになびき、
「止まれっ!」スカートが破れ、またひとつ薬莢が地面に転がる。
「止まれっ!」服が焦げ、また薬莢が落ちる。
「止まってくれっ!」少女は口を
――バキッ!
弾丸がゴーグル型ディスプレイを捉えた。
硬い音がしてディスプレイ全体に亀裂が入り、エラーの表示が消える。少女はブチブチとコードを引きちぎり、壊れたゴーグルを無造作に脱ぎ捨てる。
「サクラ……」
その顔を見た神代は、絞り出すように少女の名を呼んだ。
SAKURAシリーズ。キュウタァを利用して造られた兵器。サクラと同等の力を持ち、サクラの“兵器的人格”のみを植え付けられた殲滅兵器たち。
髪の長さと瞳の色が違うだけで、他はサクラと瓜ふたつ。いや、同じなのだろう。
ただの兵器なのか、それともサクラのクローンなのか。今まで考えないようにしてきた。でも、本当は考えるまでもなく分かっていた。ただ、その答えを信じたくなかっただけなのだ。
少女の歩みが止まる。冷たい表情をした
神代の人差し指は
目の前にいるのは紛れもなくサクラなのだ。兵器的人格しかなくても、彼女であることに変わりはないのだ。この国のために生まれ、この国のために散っていく。例えクローンだとしても、そう簡単に撃つことなどできない。
構えたピストルは今も少女の眉間を狙い続けている。撃つか、撃たぬか。戦場で迷うことは命取りだ。しかし、頭では分かっていても心が身体にストップをかけていた。
時が満ちて、廊下に炸裂音が響く。
――ドリュウゥゥゥゥウウウ!
対戦車ライフルに似た銃声。弾丸の回転音と加速音が轟いた。
撃ったのは神代ではない。そして、目の前の少女でもない。
刹那、肉の
二度目の銃声。今度は少女の右わき腹が粉砕する。
弾丸が放たれるたび、銃声は徐々に神代へと近づいてきている。
三度目の銃声。太ももがえぐり取られた。
四度目の銃声。右頬が引き裂かれる。
深緑色のセーラー服と歩みの勢いでなびく栗色の短い髪が見え、神代の横を何者かが通り過ぎた。
最後の銃声。少女の胸が、背中の
紅い瞳が濁り、肌に浮かび上がっていた幾何学模様がすうっと消えていく。超兵器の銃口はだらりと下がり、右目からは一筋の涙がこぼれ落ちる。
少女が着ていたブラックセーラー服と壊れた
「――この子で最後。」
神代の前方で、少女の抜け殻を見つめるサクラがぽつり呟いた。
彼女は兵器となっていた腕を元に戻し、神代にふり向く。
「センセーが無事で、ほんとによかった」
濃紺の、瑠璃色に近いきれいな瞳が揺れている。
彼女の瞳からは、涙が
ほろほろと流れては、ぽたりと落ちる。ぽたり、またぽたりと。
「あれ、どうして……」サクラは泣きながら笑う。
「どうして涙がでるの。いつもと同じなのに、どうして……。なんで、涙、止まらないの……?」
思わず神代の足が動いた。
気がついたときにはもう、サクラを抱きしめていた。
「センセー?」
神代はサクラを強く抱きしめる。彼女がバラバラになってしまわないよう強く、強く。
「何もできなくてごめん」
「……、」
「ありがとう、サクラ」
「…………、」
「もう頑張らなくていい。戦わなくていいんだ」
「………………、」
「今度は、俺が頑張るから」
「……あたし、」
すがりつくようにサクラは神代の服をつかむ。
そして、神代の胸に顔をうずめて肩を震わせ始めた。
「……っ、……っ……、」
連絡通路の窓から見える体育館はまだ燃えている。校内はしんと静まり返り、銃撃戦の音は聞こえてこない。
神代は目を閉じて、ふぅーっと短く息を吐く。
ここを出よう。どこか遠くの、のどかで誰もいない場所へ行こう。サクラが安らかに過ごせる場所ならどこでもいい。ただ、桜高からうんと遠くへ行くのだ。
世界のことなんてどうでもいい。サクラが笑えない世界なら、いっそのこと滅んでしまえばいいのだ。そのときは喜んで世界と共に消滅しよう。彼女の犠牲によって保たれる世界で、これ以上生きていたくはない。
ゆっくりと目を開ける。
世界を敵に回す覚悟はできた。
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