1F校長室にて、説明。3月同日

 約5年の士官学校生活において、ただの一度も入ったことのない部屋。数あるうちのそのひとつに『校長室』がある。いつだったか扉が開放されているときがあって、こっそり室内を覗いてみたことがあるが、堅苦しいという印象しかなかった。

『校長も気取ってないで、職員室いりゃいいのに』

 入学してまだ間もない、神代かみしろユタカ(15歳)の感想である。それから6年が過ぎた。学生を卒業した今になって、校長室を訪ねることになろうとは、今朝まで夢にも思わなかった。

 扉の前でえりただし、ノックして名を名乗る。

「ど~ぞ~」扉の向こうから気の抜けた宮守みやもりの声が聞こえた。

「失礼します」

 程よく冷えた部屋の右奥、木製の大きな机のわきに宮守はいた。パイプイスに座り、足を組みながらいつものように微笑んでいる。「やぁやぁ、待っていたよ」

 宮守の隣には男がひとり、机に設置されたマルチディスプレイの向こうからこちらを見据えている。年は五十代といったところで、右顔面には縦一線の大きな傷跡。彼の手元には銀色のつえが立てかけてある。記念章の数からして、相当なお偉いさんであるのは間違いない。

 イスから立ち上がった宮守が、能天気な声で言う。

「紹介しよう。こちらフガク ゲンゾウ中将。キミに会わせたかった人だ」

 フガク、どこかで聞いたことがある。

 次の瞬間、『フガク』の文字が『富嶽』と一瞬で脳内変換された。

 桜楯おうじゅん連合に所属していて、彼の名を知らない者はいない。富嶽ゲンゾウといえば、軍上層部にも中央議会にも顔が利く連合設立メンバーのひとりだ。そんな大物がどうして目の前に……。神代は急いで背筋を伸ばす。

「キミにはこれから最終面接を受けてもらう。質問はそのあとだ」

 面接って、なんだ? 戸惑いの目で宮守を見るも、ニコニコするだけで何も答えてくれない。仕方なく視線を正面に戻すと、富嶽の鋭い眼光に身体が硬直した。

「貴様は何故、兵学校に入った」

「……この国を、敵から護るためです」

「建て前はいらん。本音を言え」

「母を……、護るために」

「ならば問おう。貴様は今まで何を理由に飛んでいた。何を理由に戦場へおもむいていた」

「それは……、」

 答えに詰まる。なぜなら、そんなものなかったから。

 士官学校に入学した年、母の消滅を知らされた。だから、飛ぶ理由はおろか軍人になる理由すら入軍した当初からなかった。

「理由亡きまま軍に入り、戦場で散ることもできず、ゆえに貴様はここにいる。そうだな」

「……、」

「違うか?」

「……その通りです」

 逃げることも、進むことも放棄した結果、ここにいる。

 流れに身を任せ、選択しないという選択をして、今まで生きてきた。

 敵に主翼を破壊され、撃墜されたあの日。本当はあのまま、この世から消えることもできた。しかし、いざとなって怖気づき、こうして今、校長室ここに立っている。

「軍を辞める気はないのか?」

「ありません」

「何故だ」

「軍以外での生き方を知らないからです」

 軍人である理由も、生きている意味も分からない。だからこそ、現状を維持していたい。

 基地の外に出たところで、何かが見つかるとも思えない。死ぬのは怖いが、軍以外に生きていく道など知らない。

「帰る家も、家族も、みんな消えました。統合軍だけが、俺の居場所です。だから、除隊勧告があるまで辞めるつもりはありません」

「そうか」

 富嶽はその表情を微動だにせず、真っすぐ神代を捉える。

 緊張をはらんだ時間が、ゆっくり流れていく。

「良いだろう」止まりかけていた時間が、また流れだした。

 ぱちん、と手を打つ音がして、せばまっていた意識が広がる。「さぁ、面接はここまでだ。」いつの間にか視界から消えていた宮守が続ける。

「おめでとう、神代。キミは合格だよ」

「合格って、さっきから何なんですか?」

「そう焦りなさんなって。今からちゃんと説明してあげるからさ。

 ボクらはキミをずっと観察していたんだ。ここ、『桜高さくらこう』に連れて来てから、現在に至るまでずっとね。実を言うと、キミの前にも数十人、同じようにテストを受けてもらった。もちろん、合格したのはキミだけだがね」

「テストって、何の話です?」

 この先輩は、いきなり何を言いだすのだ。

 自分のペースで話を進める宮守に、神代はついていくことができない。

「あぁ、ごめんごめん。まずはそこからだったね。キミを桜高ここに呼び寄せたのは、テストを受けさせるためだ。久しぶりに会いたかったってのもウソじゃないんだけど、メインはテストだ。このテストは受けてみての通り、受験者に何の告知もしない。大半の人間はテストされていたとも知らずにこの場所を去る。ここまではオーケーかな?」

「え、ええ」

「んじゃ、次だ。このテストは、言うなれば“採用試験”さ。合格すれば桜高職員として採用される権利が手に入る。薄々気がついているとは思うけど、ここはただの廃校を利用した施設じゃない。特殊も特殊、国家機密レベルの施設だ。誰でも職員になれるってわけじゃない」

「でも、どうして俺が……?」

「条件を満たしていた、それだけさ」

 話を戻そう、そう言って宮守はこちらに歩いてくる。

「このテストでボクらが見ていたのは、“運命”とか“縁”といった曖昧あいまいなものだ。だから、正確にはテストなんて代物じゃない。例えるなら、そうだなぁ……道端の段ボールに入った捨てネコを、誰が拾うか、、電柱の裏から観察するみたいな?」

「はぁ?」

 いきなり分からなくなった。

 運命? 捨てネコ? 結局、何が言いたいのだ。

「はっはっは」首をかしげる神代を見、宮守は軽快に笑う。「ワザと分かりにくく言っているものでね。分からないのならそれでいい。いや、理解してくれないほうが双方にとって都合がいいだろう」

「喋りすぎだ」笑う宮守を富嶽がギロリとにらんだ。宮守は「いやぁ、ボクって後輩思いな先輩なもんで」と何故か恥ずかしそうにはにかむ。

「とにかく、だ。とにかくキミはテストに合格した。ほんと、ボクが推薦しただけのことはあるよ。

 これから先の決定権はキミにある。以降の説明を聞くか、聞かないか。これからの話を聞いてしまったら、もう後戻りすることはできない。くだされる辞令を受け取らない限り、さっき学食で食べた牛丼が最後の晩餐になる。どうするかね、神代少尉」

「どうって……」

「キミが知りたいであろうこと、疑問に思ってるであろうこと、吉野よしのサクラとは何なのか。ボクらには、そのすべてに回答する用意がある。

 瞬時に判断してほしい。ちなみに、今ここで断った場合、キミは統合軍から除隊となる。飛べない飛行士を養えるほど、軍の予算はないのでね」

「ひとつ、訊いてもいいですか」

「ひとつだけだよ」

「これは命令ですか?」

「命令じゃないよ。さあ、どうする?」

 選択肢などあってないようなもの。いつもこれだ。いつもこちらに選択の余地はない。先輩が選択肢を提示してきた時点で、こちらの答えはすでにいる。

 学生時代からずっとそうだ。しかし、そうと分かっていても、最後は先輩のペースに乗せられてしまう。

「……聞きます」

「そうこなくっちゃね。では、早速コレを読みたまえ」

 目の前に立つ宮守に、ファイルを手渡される。中を見ると、それはとある少女についてのレポートだった。

 数ページめくったところに少女の写真がある。栗色の長い髪に、瞳。赤いランドセルを背負っていて、文書によると年は12歳。カメラに笑顔を向ける少女の名は、吉野サクラ。

 レポートは文章のほとんどが黒塗りになっている。かろうじて読み取れるのは、氏名、性別、生年月日。そして――、

「……死亡?」

 神代は思わず目を見開いた。

 6年前、母が消滅したのと同じ年に、当時12歳だったサクラは

「正確に言えば、死亡さ。“死”をどう定義するかにもよるけれど、それが脳死だとするのなら、今でも吉野サクラは生きている。敵と共生することによってね」

「敵と、共生……?」

「つまり、吉野サクラはヒトじゃない。そうゆうことさ」

「……、」

 話の内容に神代は言葉を失う。サクラが、人間じゃない……?

 冷風が吹きだす、ゴォォォという音だけが耳に響いている。冷えた汗がつーっと背中を流れていく。

 文章として、言葉としては理解できる。ただ、それが意味を伴って頭に入ってこない。知っているはずなのに、まるで異国の言語を聞いているかのような気味悪さを覚える。

「桜高には無数のカメラが設置してある。すべては吉野サクラを監視するためだ」

「……、」

「キミは吉野サクラのお目付け役に大抜擢されたってわけ。この短時間で、ここまで親密度を上げた人間はキミ以外にいないからね」

「ここは……、ここは何なんですか」

「見ての通りただの学校さ。正式には『国立桜連おうれん高等学校』。通称、桜高。吉野サクラを運用するためだけに開かれた高校さ。

 そうそう。今のうちに伝えとくけど、ここでのボクは“教頭先生”ってことになっている。もちろん富嶽中将は“校長先生”だ。桜高ここでは“雰囲気”というか“設定”が重要なんだよ。だから、吉野サクラの前で階級呼びはしないように。よろしいかな?」

 サクラのためだけの高校で、宮守たちは自らを“先生”だと名乗り、彼女を監視している。まるで本当の学校であるかのように振る舞っている。微笑みの裏に隠された宮守のたくらみは、予想をはるかに越えていた。

「あ、あなたたちは一体……、ここで何を」

「それはね――」


 ――ピリリリリリッ!


 そのとき、富嶽の机にあった固定電話がけたたましい音を立てた。

 ふたつある電話のうち、赤黒いほうの受話器を、宮守がすかさず手に取る。「ボクだ」

「――そいつは穏やかじゃないね。分かった。すぐに全員を招集、戦闘準備に入れ」

 直後、緊急事態を告げるアラートが、宮守と富嶽のポケットの中――携帯電話から聞こえてきた。

 受話器を置き、宮守はあきれ顔で富嶽に報告する。

「某国所属の艦隊が、先刻、敵を引き連れて我が国の防衛海域に侵入したそうです」

「ほう」

「規定によりSSツーエス艦は海域から離脱したとのこと。あいつら、とうとう動いてきましたね。自分らも余裕ないでしょーに」

「あちらの上層部は、未だに第四次大戦を引きずっているのだ。無理もない」

「んじゃ、ボクは指揮所のほうに上がりますんで。神代は……」

「こいつも連れていけ。見せたほうが早い」

 いっそう鋭くなった富嶽の眼光が、神代に向けられた。

「我々が桜高ここで行っていること。それはただの“ママゴト”に過ぎん。ただし、この国の、いな、人類の存亡をけたママゴトだ。

 とくと目に焼き付けてくるがいい。この国の現実を――」



 ――貴様の知らぬ戦場を。

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