第63話 卵の夢


 子どもの頃、先史時代の卵のような形をした夢の途中で、産まれたばかりの微睡む女の子の眼をした私たちは眠かろうが眠くなかろうが早くベッドに入らねばならなかった。私たち兄弟は、日が沈むと眠って、いまだ太陽が昇らぬ午前三時と言った時間には眠りから覚めていた。私たちの自室の窓には、夏だろうと冬だろうと蔦が窓一面に這っていて、それはクルーラ=ロントという名前の食虫植物だった。クルーラ=ロントが捕虫する際に出す液はとても危険であり、人間の肌がそれに少しでも触れたら軽い火傷を負ったようになってしまう。私たちの住んでいる町は、とても治安が悪かったが、もしかしたら窓と言わず壁と言う壁に食虫植物をめぐらせ這わせたのは、泥棒が侵入するのを防ぐためであったからかもしれない。だが、もともと高い城壁に設えられた私たちの寝室に、泥棒など来るはずもなかった。その頃の私たち兄弟は、学校にも通わず、タチヤナという女の家庭教師に朝から夕方ごろまで、徹底的に勉強させられた。タチヤナは朝の9時に私たちの部屋の扉をトントンと叩く。まずは語学の勉強、その次は科学の勉強(私たちが住んでいる惑星がいまだ人間が住むには整っていない頃の先史地代の)、その後にお昼ご飯とおやつの時間があった。今日もタチヤナは黒く長いスカートの裾をサラサラと衣擦れの音をたててやってきた。私の弟のヒュペリオンは前日、窓に這う蔦で作った網籠の中に、川岸で集めた不思議な石をその中に何個も集めていた。ヒュペリオンはその石でチェスのような遊びを自分で開発し、私もそのやり方で応戦するのだった。扉を開けたタチヤナが私たちの遊びを見ると、近々私たちの父親に私たち用のチェス盤を買うように何かしら働きかけよう、と言った。そして、今日は学習室でのいつもの勉強ではなく、月に2回の街の図書館へ行く日よ、と私たちに伝えた。タチヤナはまだ若いのに脚が悪く、脚を引きずって歩くようなところがある。城の玄関には、父親がナイジェリアのお土産で買ってきた裸の青年が陰茎に鞘をつけている銅像がある。タチヤナは鞘に手をかけてもう既に息切れしていた。心なしか青年の銅像は笑顔が増したようだった。ヒュペリオンと私たちは、この街の、いまだ知らない枝のように無限に分岐する小路をよく理解してはいなかったが、図書館への道はよくわかっていた。目立つドーム状の建築物があり、揚げ菓子を売る店と、ペット用の雷魚を売る店を過ぎれば直ぐに図書館へついた。ヒュペリオンは途中、雷魚が泳いでいる水槽の中に指を入れてあの"ピリッ"とした感触を味わうのが好きで、よくタチヤナに寄り道をするなと怒られていた。私は白い雪のような粉砂糖をまぶした揚げドーナツが好きで、帰りにタチヤナが私たちに買ってくれると約束した。埃っぽく、昨日の夜のお祭り騒ぎの足跡が残る建物の裏道を進み(割れたワインの瓶で怪我をしないように)、私たちは図書館についた。

 図書館の内部は円筒形の造りの本棚に書籍が仕舞われてあり、中央のテーブルでタチヤナが煙草をふかせて休んでいる間、ヒュペリオンと私は走ることのない追いかけっ子を螺旋状の階段でやった。階が12階ともなると、下にいるヒュペリオンめがけて古くなった誰も読まない辞典などを投げたが、タチヤナにはこの遊びは怒られたことがない。競歩の息切れで足を止めると、わたしはkohaku(琥珀)からzen(禅)までの知的興味に限られた或る老人から寄贈された百科事典を階下へ放おった。ヒュペリオンはさらに速く追いかけてきた。なぜタチヤナが怒らないかと言うと、タチヤナは下半身がロボットであり、駆動するモーターの充電を「充電室」でやっているからだ。

 私たちは自分の関心のある本をそれぞれ借り、揚げドーナツを食べながら川岸の公園で休んだ。ベンチには犬ではなく、本当に珍しいのだが3匹の猫に首輪と紐をつけてお母さんと一緒に散歩している少女がいた。タチヤナの下半身のモーター音に反応して、中の一匹のブチ猫がスカートでじゃれた。内部に装着されたモーターでしきりに遊ぼうとするので、タチヤナは笑いながら困り果てた。

 帰り道、蛙の養殖場を通った。鞄みたいな馬鹿でかい蛙が何匹も水槽の中を泳いでいた。

 私たちは城である家に帰った。ピンク色の夕日が草と言わず城と言わずに染めた。夕飯をメイドの給仕で済ませ、夜眠る前に自家製の石でやるチェスをやろうとすると、扉を叩く者があった。メイドが私たちの方へ来て、「お父様がお呼びです」と言った。ヒュペリオンと私は目が点になった。もう5年くらい、私たちは父親と対面することがなかったからだ。父親は人身売買とクローンの製造で財を成した一廉の人物だったが、私たちは生まれた時からロボットの乳母に育てられ、父親は私たちを放おって夜ごと城の庭園でパーティーを開いていた。私たちは別に父親と会おうが会うまいがタチヤナのことが好きだった(信頼していた)ので、なぜ今更父親が私たちを呼ぶのかまったく謎だった。まず私が呼ばれた。メイドに連れて行かれて廊下を歩くと、窓の外からピンク色した残照のもとでカクテルやウォッカを飲んでいる仮面舞踏会風の人物たちが窓から見えた。その中にはなんとタチヤナまでが参加していた。

 窓から見える宴を見ていると、父が使っている扉の前についた。

 父は、赤いナイトガウンになぜか鍔の大きいテンガロンハットを被り、紫煙をくゆらせていた。

――――座り給え

 と父は言った。

――――お久しぶりです、父上

――――とにかく座り給え

椅子に座ると、テーブルには飲み物が添えてあった。ストローで飲むと、それはキンキンに冷えたアップルソーダだった。父は私と目を合わせると、何か備え付けられた赤いボタンのようなものを押した。すると、大きな蜥蜴が蠅を捕虫している映像や、私の弟のヒュペリオンが階下に古くなった本を投げつけている映像が薄闇のなかに映し出された。父は言った。

――――今日からお前の名はNo.7だ。わかったか?

――――はい

 と私は言った。

――――No.7よ。お前がいまから経験することを、すべて言葉にするんだ。喋り続けよ

 わかりました、と私は父に言えなかった。もうすでに言葉が詰まっていた。父はとにかく私に喋り続けよ、と言った。メイドが途中で来て嫌がる私に注射した。その後の記憶がない。次の日、勉強で疲れた夜に、メイドが来てヒュペリオンがしょっ引かれた。ヒュペリオンが寝間着から普段着に着替えているときに私は言った。

――――ヒュペリオン、とにかく目の前にあらわれる映像に対して、全部を言葉にするんだ

 ヒュペリオンは理由がわからないといった顔をしてメイドと父親の部屋に向かった。

 その翌日はまた街の図書館へ行く日だった。また螺旋階段で私たちは本を投げ合い、帰りにはタチヤナに揚げドーナツを買ってもらった。公園で食べていると、この間いた少女が私たちに話しかけてきた。

――――あなたたち、どこに住んでいるの?

ヒュペリオンが答えた。

雷魚を売っているペットショップの近くの城塞に、と言った。ところで君の名前はなに?

――――私の名前はリディア。よかったら今日の夜、あなたたち一緒に花火大会に行かない?

――――是非行きたい

と僕は答えた。

 ヒュペリオンとNo.7である僕は、側にいたタチヤナに相談して、夜の花火大会へリディアと遊ぶ許可をもらった。18時くらいにタチヤナが玄関を開け、いくらかお小遣いをヒュペリオン共々もらって、涼しい外に出た。公園につくとリディアはいた。赤いワンピースが闇の中で照り輝いていた。僕たちはそれから、この三人でいろいろな騒動に巻き込まれ、いろいろな計画を企てることになった。

 リディアはまだ18歳だが、公園の出店で僕ら三人分のビールを買ってきた。祭りの夜は人が多い。

 リディアはビールを飲みながら、三人で出来る何かをしたい、と言った。それは例えば演劇であったり、楽器を演奏したりすることだとリディアは言った。演劇をやろう、とヒュペリオンが言った。誰が台本を書く?とヒュペリオンが言うと、リディアが僕に向かってあなたが書きなさい、なんだか賢そうだから、と言った。

 祭りの喧騒の中に我々は突っ込んだ。火吹き芸人や、傴僂同士の漫才、剣を飲む男、ハットから肌を出す手品師などがそれぞれの芸を披露していた。その他に奴隷市が人を賑わせていた。きっと私たちの父親が経営しているクローンを使ったものだろう。その呆けた顔は父親に似ているし、(私たち兄弟は金髪だったが)なによりヒュペリオンと僕に酷く似ていたが、奴隷は檻の中で鎖に繋がれていた。リディアは何かを恐れたのか、ヒュペリオンと僕にわっと泣きついた。「奴隷なんて大嫌い。気味悪い」とリディアは言った。その夜、ビールでほろ苦く酔った私たちは、リディアにそそのかされて家出することに決めた。リディアが彼女の家の地下室に住めばいい、と言ったのだ。


 私はいまこの文章を監獄の中で記憶を頼りに書いている。ピンク色の残照が、犯罪者を収容する強制労働のキャンプを埃っぽい砂ともども照らしていた。最後の光が山陰に隠れると、闇の中からぼんやりと、父親に見せられたあの幻燈機、ファンタスマゴリアのようにあの日々が映像となって浮かび上がる。私は父親を殺した。ある時期、私とヒュペリオンは父親のクローンだと言う事実を思春期の終わりに知り、父親は私たちを実験用のラットのように使いはじめていることを知った。リディアと計画した家出は、すぐにタチヤナに見つかってしまった。父親は私のことをNo.7と呼んだが、私や父親やヒュペリオンのクローンが私たちを含め全部で7人いることを表している。あとの4人は奴隷市で売り捌かれたかもしれない。

 リディアと私たちは、本来ならばもうすでに眠りに就く時間を超えて、私たちの父親が主宰している城塞の最上階で夜な夜な行われている仮面舞踏会に紛れ込んだ。リディアの両親がよく仮面舞踏会に参加していたので、リディアが盗んできた仮面をヒュペリオンと僕はそれぞれつけた。タチヤナらしき人もいたが、私たちは仮面を被っていたのでカクテルを三人で飲んでいても屋上でその存在はまったくバレることはなかった。そして、花火があがった。オレンジ色や、青や、緑色が大輪を咲かせた。ステージでは奴隷の女が乳房を露わにしてストリップのようなことをしていた。


 ここまで書いて、私は独房の中の薄いランプの光芒に包まれ、配給された煙草を吸った。今日、新しい犯罪者が隣の独房に収監された。生っ白い顔で、禿げていて小太りの男が。昼間の、建材用のアラバスターを砂漠のなか監視員の監視のもと運ぶ強制労働に疲れた私は、夜、ベッドで横になっていた。すると、壁からコツコツという、骨を叩いているような音がした。それは人為的であり、一定の感覚のリズムがあった。私はそれを解読する手がかりをある日見つけた。私が例えば3回、壁をコツコツと叩くと、同じリズムで隣の壁が3回叩かれるのだ。昼間、強制労働のキャンプで隣の独房の生っ白い男に「なにを俺に伝えた?」と聞くと、「俺はヒュペリオンだ」とその男が言った。私は、約十年に渡る強制労働で、弟の存在やその名でさえ忘れかけていた。リディアはどうなった?と聞くと、ヒュペリオンと結婚して、妊娠して女の子を一人産んだあとすぐに亡くなったという。私は言葉を失った.......。

 リディアが死んだことを知ったが、私は何を知ったというのか......。

 その夜、私は悪夢を見た。ここにそれを記そうと思う。

 私は、山で、一人で木苺を採っていた。籠の中には既に沢山の木苺が入っている。監視員がいて、手の先がブルブルと震えている。大きな樫の木の根元の下生えにある木苺を採ろうとすると、右手の人差し指にチクッという痛みがあった。ポツンと小さい血の玉が盛り上がった。下生えには、誰が設置したか解らない有刺鉄線があった。私の指先からはどんどん血が流れる。血の流れは止まらない。突然、これらがすべて、父親が流していた幻燈機の映像だとわかる。殺したはずの父親は、私に向かって高笑いをしている。まだ映像は流れる。それは、私たちが住んでいた街を、強烈なピンク色の曙光が全てを焼き尽くす映像だった。


 私はその瞬間に目を覚ました。


 

 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

習作 @ogaprofane77

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る