第3話

 荷物を手にした学生たちは保護者と別れ、地図を見て自身の属する寮の位置を確認する。三つの寮は二階にあった。

 食堂を出て右側、エントランスホール中央の階段を上って廊下を進みそれぞれの寮を目指す。

 樹が寮の扉の前に着くと、寮長である兄の環がそこに立っていた。次々と到着する入寮生たちに学生証の提示を求めている。

「上條樹」

 寮長は学生証を確認しながら副寮長に名前を告げてチェックしている。そしてそれを返すと扉横の小さな装置に手を当てるよう入寮生に指示した。

 寮の扉はオートロックで指紋認証によって開く仕組みだ。樹も登録を終えて、入寮生が全員集まるのを待つ間、副寮長は物珍しそうに樹と寮長を交互に見ていた。


 一人、また一人と入寮生が集まり全員揃ったところで寮長と副寮長が受付を終えて中に迎え入れる。

 横長に広がる玄関スペースがあり手前側にたくさん棚のある靴箱があった。そこに自分の名前を見つけて靴を入れる。

 足を中に踏み入れると部屋は奥へと長方形に伸びており、真ん中辺りの階段の上は天井まで吹き抜けになっている。

 一階にはリビングダイニングスペースが広がっていて両側と奥には二、三階が見え、そこら中から上級生と思われる学生たちが入寮生を見ていた。

「自己紹介は夕方の歓迎会でな」

 言って寮長は、上級生たちのことは無視していていいぞ、と付け加える。

 今年の東寮の入寮生は男女ともに二十人ずつの計四十人。

 その中で志希の短い金髪はよく目立っていた。もちろん棗は志希とは違う意味でよく目立つ。

 上級生の女子たちが色めき立っているのは気のせいではないだろうが、当の棗は不機嫌そうで愛想がいいとは言えない。

 一番背の高い千景が周りを見回しているのは、まだ誰の名前も分からない上級生も含めて可愛い女の子のチェックをしているのだろう。


 寮長は中を案内し、それを終えると女子は副寮長に、男子は寮長について来るよう言い、それぞれの部屋に連れて行く。寮の中でさらに女子部屋に続く扉と男子部屋に続く扉で分かれているようだ。


「一階には専門課程の学生の部屋がある。高等課程の部屋は二階と三階で君たちは三階だ。大浴場は二階にある」

 言ってそれらの場所を簡単に案内した寮長はさらに進んだ。廊下の両側には扉が並んでいる。

「左側が寝室、右側は学習室だ。君たちの部屋はここ」

 左側の一番奥から並ぶ部屋を示してそう言う。ドアには五人ずつ名前が書かれた札がかかっていた。向かい合った右側の部屋がそれぞれの学習室だ。

 歓迎会の時間などを説明した寮長は

「僕は一階の一番手前の部屋だ。何かあれば声をかけてくれ」

 とだけ付け足して質問がないことを確認すると戻っていった。


 一番奥の部屋の札に名前を見つけた五人が中に入ると、手前の左側にトイレが、右側に洗面所とシャワールームが付いていた。

 その奥には外側に頭を向けたベッドが左に三つ、右に二つ。一つひとつの両側に小さな机とクローゼットあり、それぞれのベッドにカーテンがついていた。

 よく部屋を見回すとクローゼットに付いた枠に名前のシートが入っている。


 樹は小さくため息をついた。右の手前の廊下側なのはいいとしてその奥、つまり隣のベッドが志希。向かい側は千景で、棗は一番遠い左の奥だ。悠里はその二人の真ん中。

 あまりに明るい髪色が目立つ志希は第一印象がよくなかったのだ。それが隣とは気が重い、と樹は感じていた。

 棗と千景はそれぞれがどことなく不機嫌な様子で、悠里に至ってはフードを被ったまま一言も発しない。

 樹にしてみれば、かなり居心地が悪い。

 棗に対しては、粗相のないように気を遣わなければならない。一番の優先事項はこれだった。しかし、だからといって他を全て無視するわけにはいかない。志希や千景のような不真面目なタイプには正直なところ、嫌悪感すら抱いてしまう。

 けれどもあまり態度に出して、関係がギクシャクしてしまってはよくない。当たり障りなく、ただのルームメイトとして接していくしかないと、諦めに似た気持ちで再度ため息をついた。


 志希もまた気分は沈んでいた。志希はどこででもすぐに友達ができると自負していたのに、なぜかぎこちない空気を含むルームメイトに不安を感じているのだ。

 なぜこんなにもぎこちないのか。腕組みをして、首を傾げる。

 何かあったのか。

 と考えてみるも、思いつかない。特別に何かかがあったわけではない。教室では少し話したではないか、と。


 不機嫌さを隠さない栗生棗。

 それに対してそわそわしている様子の上条樹。

 ルームメイトに見向きもしない椎名千景。

 あれ以降ずっと顔を隠している穂積悠里。

 みんながみんな、人と関わる気がないような印象だ。


 結局五人はろくに挨拶もせず黙々と荷物の整理を進めるのだった。

 真っ先に心が折れた志希は荷物整理を途中で放り出して部屋を出た。三階にも男子部屋と女子部屋の間に共有スペースがあり、そこに行けば誰かいるかもしれない。

 そう思ったのも束の間、同じ入寮生たちはみんな荷物の整理中で誰もいなかった。先輩たちは歓迎会の準備のためか一階に集まっており三階には志希だけだ。

 志希は肩を落としてソファに沈み込んだ。

「荷物整理終わったん」

 突然、階段の方から声をかけられ志希はぴくりと肩を揺らした。

 鳶色の髪をツインテールにしている少女。大人っぽい顔立ちなのに背が低いことと、にこりと笑うと見える八重歯で幼い印象がある。

 七里理紅だ。ホームルームでの自己紹介で同じ西の訛りだったから覚えている。

「まだやけど」

 なんとなく久しぶりに同年代と言葉を交わしたなと思いながら志希は言った。もしかするとここで周りに打ち解けにくいのは訛りの違いもあるのかもしれない、と考える。

 ふと志希は理紅が持っているものを見た。

「ハンガー」

 そのものの名前をなんとなく口にする。ああこれ、と理紅はハンガーを少し上に持ち上げて

「足りへんかったから先輩に言ってもらってきてん」

 言って志希の前に立つ。

「天野志希くんやんな」

 どうやら理紅も志希を覚えていたらしい。

「うちは」

「七里理紅やろ」

 遮って名を呼び、慌てて「さん」と付け足す。目を丸くした理紅は

「理紅でいいわ」

 笑ってすぐにまた八重歯を見せた。

「訛りは大事やな」

志希は知らない間に緊張してかたくなっていたらしい心が緩やかにたわむのを感じた。

 少ない同士を見つけて意気投合し、しばらく談笑していると

「なに油売ってんの」

 女子部屋の方からボーイッシュな少女が出てきた。

「あ、真琴」

 理紅がひらひらとハンガーを持った手を振ると真琴と呼ばれた少女は呆れたようにため息をついた。しかしそこに嫌悪感はない。

「いいな」

 その打ち解けた様に志希は思わずぽつりとこぼした。

「なにが」

 理紅の言葉で志希は心の声が漏れたことに気がついた。

「なんかオレのルームメイト打ち解ける気せんわ」

 言って、はん、と自虐気味に嘲笑するとソファの背にもたれかかった。理紅と真琴は顔を見合わせると

「志希ってなっつんとかゆりゆりと同じ部屋やんね」

 真琴が横で、栗生棗くんがなっつんで穂積悠里くんがゆりゆり、と説明してくれた。

 ひく、と志希は口の端を引きつらせる。理紅は適当にニックネームをつける癖があるようだ。志希は短い名前だから助かったのだろう。

「別に喧嘩したわけじゃないんでしょ」

 真琴はまったく心配そうな気配もなく言った。

「いやいや、むしろ喧嘩なら歓迎や」

 と志希は言う。今の状態は互いが無関心だからこそ、喧嘩するなら上等ではないか、と。

「無関心って、いっきーはなっつんに関心ありまくりやったやん」

 上條樹がいっきーやな、と志希はすぐに理解する。

「そこだけはな、でも栗生の方は無関心やわ」

 結局、真琴も加わって話し込み、しばらくして少女らのルームメイトが現れた。

「ミイラ取りがミイラになっちゃって」

 呆れたように言うのは、ふんわり栗色の髪をした都築葵。悪い悪いと真琴は悪びれずに言った。

 葵は志希を見ると、ぱっと顔を輝かせて駆け寄った。

「本当に穂積くんとルームメイトだったわね」

 そういえば、と寮の部屋割りを確認する前からルームメイトだと宣言されていたことを思い出す。

「そうやな、五人とも穂積が言った通りやったわ」

 なんでやろ、と疑問を持ちつつも、葵の後ろからさらにやってきた二人に意識を移す。茶色がかったボブヘアーの少女は、

「お待たせ。わたしも整理終わったよ」

 と言いながらゆったりと歩いてきた。ふんわりと優しげな印象は、小動物を彷彿とさせる。

「あとはあなたのハンガーだけね」

 黒髪美少女の結城梓に言われ、理紅は手に持つハンガーを上げた。てへぺろ、と言いながら。

「女は大人なんやな」

 少女らのやり取りを見た志希は妙に感心して言った。

「というか、あなたたちは」

 言葉を探す葵の横で、

「個性が強すぎるだけよ」

 ばっさりと梓が切って捨てた。




 黙々とそれぞれが荷物を整理する中、途中でしばらく部屋を出ていた志希はどこかすっきりした表情で戻ってきた。

 続いて、千景がふと何かを思い出したかのように部屋を出て行く。しばらくしてから整理していた荷物とは別の段ボールを抱えて帰ってきた。

 取り出したのはパソコン。音楽を聴くためのそれは、トランクとは別に郵送していたのだった。


 ベッドの上に置き、千景はその前に胡座をかいて座る。腕を組むと唸り、どうしたものかと考えた。

 ここは自室ではあるが共同部屋。しかし他に音楽を聴けるような空間はない。聴くとしたらこの部屋しかない。小さい音であれば問題ないはずだ、自室なのだから。

 そう結論を出した千景はベッド脇のサイドテーブルにそれを置くと小さめの音量で音楽をかけ始めた。


 それに樹が反応する。知らないバンドの曲で、音量は小さめではあるが耳障りに感じた。

 共同部屋だからそれぞれの生活に干渉しない方がいいとは思うが、だからこそ干渉されたくもない。

 音楽か、と樹は考える。微妙なラインだな、と。譲り合って全員が自由に音楽をかけていいことにしても、樹のように聴くものを持って来ていない場合もあるし、耳障りなものは耳障りだ。

 ちらりと棗の方を伺うと相変わらず不機嫌そう。音楽のせいもあるのだろうか。

 少しすると悠里は整理が終わったのか部屋を出て行った。しかし少しして戻ってくるとカーテンを閉めてしまった。


 樹もだいたいの整理が終わり時計を見ると、歓迎会までまだ時間がある。少し迷いつつも千景に近寄った。

「椎名くん、音楽なんだけど」

 なんだ、と千景は目つきの悪い顔で振り向く。

「ちょっとうるさいかなと」

 遠慮がちに言う樹に千景は

「小さくしてるだろ」

 何が問題なのだと。

「小さくても耳障りなんだ、ここは共同の寝室なんだから」

 と続けると志希がそこに加わった。

「オレは別にいいと思うで」

 好き嫌いはあるけど音楽くらい聴きたいやろ、と。

「だったらぼくも英語のニュースやクラシックを聴いていいのかな」

 樹の言葉に千景と志希は、う、と詰まる。耳障りだ。

「勉強は学習室があるだろ」

「勉強じゃなくて娯楽だよ」

 千景と樹はどちらも食い下がる。

「どんだけ真面目なんだよ」

「君たちはもう少し真面目になった方がいいんじゃない」

 たち、と言われながらも志希は口を挟めない。

「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけねんだよ」

 千景が樹に詰め寄った。

「ぼくじゃなかったらいいの」

 樹も引き下がらない。


 どん、とトランクを閉める音がして三人がそちらを向くと、苛立ちを露わにした棗が部屋を出て行った。無言のまま。

 おいおい、と二人を止めようとしていた志希は両手を前に出したまま固まっている。しばし沈黙が流れた。

「お前あんまり真面目にしてると栗生に嫌われるぜ」

 嫌味たらしく千景が言う。いやそれよりも、と続け

「栗生が周りに嫌われるかもな」

 言った。樹は意味が分からないという表情になる。

「関係ないだろう」

 ぼくの真面目さは、と。

「お前があいつに馬鹿真面目に挨拶したりするから、お前が栗生の家来だとか言われるんだ」

 興味がなさそうにしながらも千景は説明する。

「別にぼくは何を言われても」

「構わないってか」

 樹の言葉を遮る。それとも事実か、とも。

「おれだって別にお前が何と言われようが構わねえ」

 でもな、と言うとベッドに腰掛ける。

「栗生はお前を家来扱いしてる、むしろお前に家来としての価値すら認めないお高くとまったやつだ」

 樹は目を見開き、ごくりと喉を鳴らした。

「そう思う人がいてもおかしくないと思うぜ」

 おれはどうでもいいけどな、と再び言って音楽を止めると千景も部屋を出て行った。

 言葉を失った樹は俯きトボトボとベッドに戻って行く。

 志希はそのベッドと部屋の扉とを交互に見ては乾いたため息を吐き出す。

 前言撤回。

 上等なものか。喧嘩なんてするものじゃない。

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