第2話

 式が終わると新入生たちは体育館を出てそのまま学生会館へと通された。そこでクラス分けの案内を確認し、講義棟の各教室へと移動する。


 ここでも注目も集めるのはやはり棗だった。棗に対しての印象は恐らくどの学生も似たようなものを抱いているに違いない。

 艶やかな黒髪はさらりと流れ、前髪は切れ長の双眸にかかるかかからないかの長さで揺れる。きりりとした輪郭にすっと通る鼻筋。

 とてつもなく整ったその容姿は否が応にも周囲の視線を引きつける。女子のそれだけではない。男子のそれも注がれ妬みという感情すら抱かせない圧倒的な威力。


 棗は自身の容姿の良さを理解しているが、それがどれほどの威力を発するかの認識までには至っていない。

 教室中のどの学生もちらりちらりと同じ方向を見やるものだから、その視線を追って後ろを振り返る。そこで棗自身が最後尾の座席であることを思い出し、はてと首を傾げる、そういう少年だ。


 教室に集まりだしてからまだあまり時間が経っていないが辺りは少しずつ周りの者と会話をし始めている。

 人見知りをするのだろうか、棗はまだ誰とも一言も会話をしていない。

 近寄りがたいと思われるのは仕方のないことだった。この容姿に人見知りという要素を付け加えて出来上がるのは周囲を寄せ付けない鉄壁の壁。


 だから棗の前に立った樹もまた彼にそういう印象を抱いていた。

 それでも話しかけないわけにはいかない。失敗するわけにはいかないのだ。きっと父に迷惑がかかってしまう、と樹は自分に言い聞かせている。

 教師が来てホームルームが始まると恐らくそのまま自己紹介の時間になるはずだ。その前に話しかけておきたかった。

「あの」

 少し掠れてしまった声に焦り、んん、と軽く咳払いをする。棗は少し驚いたような表情で樹を見つめていた。

「父が運転手として栗生様のお世話になっております。上條樹です」

 ぺこりと下げた頭を上げると棗は、ああ、と納得したように頷き立ち上がった。

「こちらこそいつも世話になっている」

 心地よいテノールの声で言って手を差し出そうとしたが割り込んだ身体に邪魔をされた。

 この一瞬で棗が普通に会話をしてくれることが周知の事実となったのだ。

 割り込んできたのは最初から近くで話しかける機会を伺っていた少女。

「運転手の息子と同じクラスだなんてあまりないことですわ。わたくしの運転手にも息子がいるのだけれど年齢が違うので話したこともありませんわ」

 さらりと自身の家庭も裕福であることを彼女が告げたのはアピールか、はたまた周りへの牽制か。そのどちらでもあるのかもしれない。庶民とは違うのよ、わたくしならば釣り合うわ、と。

「うちの運転手には子どもがいないから考えたこともなかったな」

 言いながら割り込んできたのは別の少年。離れたところにいたはずなのだが話の内容を聞いて我こそはと出てきたようだ。

 同じフィールドだと言わんばかりに仲良くしようぜと言いながら名を名乗り、堂々と手を差し出して握手を求める。


 しかし、棗はまだ不自然に出していたままだった手を逆に引っ込めた。

「俺は上條と話をしているんだが」

 心地よいテノールとは打って変わって地を這うような低い声は、はっきりと拒絶の意思を伝えていた。

 え、という戸惑い。はっと息を飲む驚き。そんな居心地のよくない空気はこの四人だけでなく聞き耳を立てていた教室中に広がる。

 がやがやとしていたはずの周囲は樹が棗に話しかけた瞬間から静まり返っていた。


「あはっ」

 そんな空気を破ったのは場違いにも尻切れとんぼな笑い声。

 あははは、と続くはずだったものを、笑いかけたと同時に手で口を塞いだせいだ。

 誰だ、と彷徨える視線たちに応えるように、棗の席からは対角線上かつ一番離れた席である窓際最前列の学生が両手で口を塞いだまま振り向いた。

 フードを被り背を向けていたせいで今この瞬間に突然現れたような印象を与える。目深に被ったそれのせいで顔はほとんど見えない。


 入学式にも関わらずブレザーの下にパーカーを着ている。それが白色なのは式典を考えてのことだとすれば、なるほど真面目なのか不真面目なのか判断に苦しむところだ。

 ぱっと両手を口から離すと同時にニヤリと歪んだ口元を見せ、次の瞬間には靴を脱ぎ、それを掴むと立ち上がった。自分の椅子の上、それから机の上にと。

 そのままいくつかの机をまるで飛び石のように渡りながら棗の席まで文字通り一直線に走り、最後にふわりと棗の机に飛び乗った。

 途中フードが外れたことは気にしなかった。気にしなかったのは本人だけで、棗の机の上にしゃがむ少年の不思議な髪色にしっかりと注目は集まっている。


 露になった首筋は細く、白磁のような肌は実に滑らかだ。

 中でも一番驚いているのは間近で真正面から見ていた棗だ。ゆらりと視線が泳いだが、しかし口を開かなかった。

「おもしろい」

 ぽつりと柔らかいアルトの声色で小さく呟かれただけの少年の一言は、しかし透き通るようにふわりと全体に広がった。


 空気が痺れる。

 それをまったく気にせず、言った本人は樹の前にいた二人の少年少女にくるりと向き直った。

「はっきり言おう。君たちの価値は認められなかったということさ」

 一方の手の人差し指と中指にそれぞれ靴の踵を引っ掛けてぶら下げ、もう一方はしゃがんだ膝に肘をついてそこに頬杖をついている。

「価値を認められなかったのは君たちのご家族ではなく君たち自身だから安心するといいよ」

 ぷらりぷらりと少年は靴を揺らす。二人を故意に挑発するような言葉をぶつけたがあまり効果はなかった。

 残念ながらというべきか幸福にもと言うべきか、そんな些細な言葉では容姿への注目には勝てなかったのだ。


 陶器のようにきめ細かい肌は透き通るよう。にやりと毒気を含んだ笑みを浮かべる桜色の唇は優美な曲線を描く。

 太陽の光が注ぐ教室の中で瞳は赤みがかった藤色に輝いている。眼鏡に遮られてもなお、その目の強い印象は色褪せない。

 少年の容姿は見る者すべてを魅了する精巧に作られた美術品のようだった。


 反応がないことに、おやと首を傾げてつまらなさそうに棗の机に腰をおろしぷらぷらと両の足を振る。

 ややあって棗に振り向くと、棗は視線を合わせることもなく無言のまま静かに椅子に腰をおろした。苛立ちのオーラをまとっているようだ。

「上條くんとの会話を邪魔したのは僕ではなく彼らだよ。腹を立てるならその対象は彼らであるべきだ。ああそれともその彼らに暴言を吐いたことを怒っているのかい。気に障ったのなら謝るよ。でも暴言を吐かずとも先に彼らを拒絶したのは君だ。もしくは」

 ぺらぺらと語った彼はそこで言葉を区切り、ずい、と棗を覗き込んだ。

「上條くんの丁寧な挨拶が気に入らなかったのかな」

 そう尋ねられた棗がぴくりと肩を震わすと同時に、樹はびくりと姿勢を正した。棗は青ざめた樹の顔を見ないようにしながらしばし言葉を探すように視線を泳がせ、

「机に座るな」

 不機嫌とも戸惑いとも違う呆れたような声で呟いた。

「おや、これは失敬」

 からりと笑うとまったく反省の色のない言葉で謝罪し靴を履いて机を降りると、でもまあ、と言葉を続けた。

「なかなか楽しそうなルームメイトだね」

 再び戸惑いと驚きが彼らを包み込む。ホームルームの後に入寮式があり、ルームメイトはそこで発表されるのでまだ分からないはずなのだ。

「誰が」

 何の話だと訝しみながら棗が尋ねる。

「君と上條くんと僕」

 と悠里が言うと、

「オレはどこなん」

「発表まだだろ」

 志希と千景が同時に詰め寄った。二人は驚いてしばし互いを見合う。志希は視線を外すと悠里を見た。

「おや、まだだっけ」

 すっとぼけた悠里の言葉に二人は同時にため息をつく。天然なのか馬鹿なのか。

「ところで君たちは」

 と名前を尋ねる悠里に

「天野志希」

「おれは椎名千景」

 言って二人は悠里の名前を聞くつもりだったが、その前に悠里は再びからりと笑い

「君たちも同じ部屋だね」

 言って、ふと廊下の方を一瞥すると、

「…あくまで僕の勘だよ」

 と告げた次の瞬間、ふらりと一瞬体が揺らいだ。片手で少し顔を抑えつつ、再びフードを被るとふらふらと席に戻っていく。

 その後ろ姿を、志希と千景は不思議そうに見ていた。


 やってきた教師が、学生たちに席に着くよう案内する。教卓につきながら、出欠の準備をしつつ学生たちを見渡したところ、少し違和感を持った。

 学生たちの視線が教師ではなく黒板の方に集まっているのだ。その視線の先を追うと、黒板に貼られた座席表。揃いも揃って、少し不思議そうな面持ちで見ている。

 出席番号順に決められた席が記されているただの座席表。それは学生たちが先ほど教室に入って来て最初に確認したもののはずだ。


 学生たちが見ていたのは自分の席ではなく四人の名前と、それから窓際最前列の名前だった。

 栗生棗、上條樹、天野志希、椎名千景、そして穂積悠里。自己紹介すら行われていない時点で、この五人の名前だけは知らない者はいなくなっていた。



 自己紹介が終わると連絡事項が伝えられてホームルームはつつがなく終了し、新入生たちは校舎を出て帝祥荘へと向かった。

 噴水のある分岐点まで戻ると右に伸びる道を進んだ。そして辿り着いたのは正門を通った時から見えていた大きく横たわる壮大な屋敷。

 案内板を確認し、一人また一人とその屋敷に吸い込まれて行く。その屋敷が学生たちが普段生活をする寮や食堂などが設けられている帝祥荘だった。


 扉を抜けると広いエントランスホールになっていて、前方の真ん中にある階段を上がったところから左右に伸びている二階の廊下が高い天井の中程の高さに見えている。

 中央階段の上、右に伸びる廊下の先、エントランスホールから見て右側の二階はオープンカフェのようなスペースだ。

 その下、新入生たちが吸い込まれていく扉は全学生が一度に入れるほどの大きな食堂に続いている。すぐ隣には購買もある。


 樹は立ち止まるとホームルームでもらった地図を確認しながらぐるりと辺りを見回した。

 中央階段を上がらずにエントランスホールを奥に進むと左右に伸びる廊下があり、そこからは横に伸びる大きな図書館に通じている。一階と二階の部分は屋敷の端から端まで図書館が居座っているのだ。

 後ろから途切れず入ってくる新入生たちに押されるように樹は進む。

 食堂へと続く扉の脇に並ぶ立て看板の前で自身の寮を確認し、見つけた人から食堂に入り各寮用に分けられた席に着いていく。

 各教室でのホームルームの間、体育館で説明や連絡事項を聞いていた保護者たちがすでに奥の方に集まっていた。


 棗、樹、志希、千景、そして悠里は確かに同じ東寮の同じ部屋だった。

 樹の近くで声が聞こえた。短い髪の少年が棗に声をかけている。

 少年の父親は有名人で、先ほど入学式で挨拶していた統括隊隊長だ。棗もまた父親が絵術関連の商品を扱う大きな会社の経営者で有名だった。その上、この少年たちも雑誌などの絵術関連の刊行物に掲載されたことがあり、知っている人は知っているという程度には有名だ。

 しかし棗は、ああ、と短く返事をするだけだった。少年はそれが気に障ったのか、きっと睨みつけると一番離れた席に着いた。


 樹はそんな棗たちの様子を見ていた。棗はまだ苛立っているのかもしれない。先ほど悠里が言った言葉が気になっていた。

 樹の丁寧な挨拶が気に入らないのかと問うたことだ。

 しかし丁寧な挨拶の何がいけないのか。粗相がなかったのなら大丈夫だろうにと納得ができない気持ちでいる。


 全員が席に着き入寮式が始まる。入寮許可宣言や各寮の寮長が挨拶をした。

 樹たち東寮の寮長は上條環、樹の兄だ。専門課程の新二年生、つまり最高学年になった。

 他にも西寮と北寮があり、北寮だけが女子寮になっていた。全ての寮が、この帝祥壮に入っている。


 入寮生代表の挨拶は先ほどの統括隊隊長の息子、氷室彰だった。その挨拶が終わると寮生活の説明が行われ短時間で式は終了した。

 入寮生と保護者はそのまま解散し、奥にまとめて置かれている荷物をそれぞれの部屋に運ぶ。

「栗生様」

 小さく遠慮がちに声をかけられた棗は、不機嫌そうに振り向いた。そこには樹とその母がいた。

「主人がいつもお世話になっております」

 恭しくお辞儀をする母に倣って樹も礼をする。棗は一瞬ひどく驚いた表情になり、すぐに俯いた顔には影がかかった。

「こちらこそ世話になっています」

 失礼しますと言って会釈しその場を離れる。二人の付き人が倣って母子に会釈し棗の後を追った。

 ほっと和らいだ表情になった樹たちも荷物を取りにその場を離れる。


「おい見たかよ」

 彼らがいなくなったその場でこそこそと会話をする者たち。

「家来が主人に挨拶していたぞ」

 嫌みたらしく言う言葉を耳に挟んだ千景は不機嫌そうに舌打ちした。

 その前で大きなトランクを運ぼうとしている黒髪美少女が目に入る。

「手伝おうか」

 にこにこと爽やかな笑顔で言う千景を少女はしばし無言で見つめる。ん、と首を傾げる千景から視線を外すと、少女は取手を握ってその大きな格調あるトランクを立てると、

「結構よ」

 美しい顔に無表情を貼り付けてきっぱりと言い放ち、ころころと音をさせながら千景の前から去って行った。千景はぽかんとしたまましばらくその後ろ姿を見送る。

 そこに、とん、と後ろから小さな衝撃が加わった。

「あ、ご、ごめんなさい」

 小動物を思わせる小さな少女。

「大丈夫か」

 再び爽やかスマイルで言うと少女はほっとしたように、

「はい」

 言ってぺこりと頭を下げると、先の黒髪美少女とは違う普通のころころトランクを運びだす。

 確かに手伝う必要はないな、と思いながら再び少女の後ろ姿を見送る。

 しかし少女は進む方向とは違うところを見ながら歩いているようだった。なるほど、それで千景にぶつかったのだ。

 納得してその視線を追うと、千景は思い切り眉をひそめる。

 そこには二人の付き人と何やら話している棗の姿があった。

「あんにゃろう」

 やはりどこにいても女性陣の視線を集める棗に苛立ちを抑えることは難しい。

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ゆらゆら、心模様。 美潮 若菜 @mishiowakana

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