番外編 ずっと、一生のたからもの

 ファータ・フィオーレの斜め向かい。

 カフェ・ラ・トルティーナのバルコニー席で、ニナ・ミネルヴィーノ公爵令嬢とリオネッラ・コルテーゼ伯爵令嬢、ローザ・ファネッリ侯爵令嬢が仲良くおしゃべりに興じていた。

 ニナが婚約者であったこの国の第三王子、レアンドロ・バルトリッチから解放されてしばらく。ニナはようやく、誰の目も気にせずに街中を歩けるようになっていた。

 レアンドロの婚約者だった頃は、彼に言われるまま学校と家とを往復するだけで、寄り道をするような友達もおらず、休日にお茶会を開くことも許されず、ただじっと孤独な日々を過ごしていた。

 それが、一転。

 レオンツィオ・アルバーニ公爵子息と出会ってから、ニナの人生は大きく変わった。レアンドロの理不尽な命令、それから自身のために娘の心を省みない父親への反抗を試み、たくさんのひとたちの助けもあって、ニナは六年ぶりの自由を手にしたのだ。

 リオネッラとローザを筆頭に、幾人もの友人も出来て。学園にも笑顔で通うようになり、流行りのアクセサリーを友人たちと揃えたりもして。それはそれは、充実した毎日を送れるようになった。

 紅茶を一口飲み、ほうっ、と息を漏らすニナの前には、ビターチョコレートのカップケーキが置かれている。ローザはそんなニナを見ながら、ふふ、と笑った。

「ニナ、表情がすごく柔らかくなったわよね」

 リオネッラもカップを手に、こくりと頷く。

「ファータ・フィオーレでお会いしたときは、緊張していましたものね。それに顔色もよくありませんでした」

「あの頃のことはもう、お恥ずかしい限りです……でも皆さんのお陰で今、こうして一緒にお喋りが出来るようになったことがとても嬉しいんです」

「主にレオンツィオのお陰、よね」

 からかうような口調でローザが言うと、ニナは頬を赤らめて視線を動かした。

 レオンツィオと仲の良い彼女たちは、レオンツィオとニナが互いを想い会う関係であることに、少しばかり驚いていた。何せレオンツィオと言えば、女性よりも女心がわかる男、と言われるような人物である。男性の友人より女性の友人の方が断然多いのは、彼を異性よりは同志として見ているためだ。またそれはレオンツィオも同様で、彼曰く「アタシってきれいなもの可愛いものが好きでしょう? お菓子とかお花とか、お洋服とか。そういう話、男って余りしないのよねぇ。でも相手に合わせるよりか、好きな話をしたいじゃない? だからアタシには女性の友人の方が多いのよ」――なのだそう。

「でもわたくしたちも、レオンツィオには感謝しませんと。楽しくお喋りすることが出来て嬉しいのは、ニナだけではありませんもの」

「それもそうね。……それでそのレオンツィオは今日、実家の方でお兄さんのお手伝い?」

「そうみたいです。ここに来る前にファータ・フィオーレにいらしてて、『逃げ切れなかったわ、ごめんなさいニナ!』って……」

 ニナがレオンツィオの口調を真似て言うと、二人は顔を見合わせて笑う。ニナの手を握って言ったであろうレオンツィオの姿が浮かんでいた。

「アルバーニ家はレオンツィオのお兄さんが跡を継ぐことになってるけど、たまにこうやって手伝わされてるのよね。――そういえばニナって、兄弟はいないのよね? だったらやっぱり、ニナが爵位を継ぐのかしら」

「……そうですね。今後お母様が再婚してわたしに弟か妹が出来たらまた変わってくるかもしれませんが」

 ニナの父親――バジーリオはその後、妻であるデボラに離婚を言い渡された。

 王家での事情聴取が終わる頃、デボラはこれまであった全ての事実を執事長やメイド、そしてニナ自身から聞き、もはや同情の余地はないと判断した。信じて娘と家を任せた夫に裏切られ、娘は心を酷く傷つけられて。これ以上同じ屋根の下で暮らすことなど出来ませんと、きっぱり言い切った。バジーリオは当然すがり付いていたが、デボラの心は変えられず、最終的に王家から派遣された護衛たちによって公爵家より連れ出されて行ったのだった。

 その後のことをニナは詳しく知らされていないのだが、恐らく万が一のことがないように別の国へ送られたか、この国にいたとしても一生王家の監視下に置かれることだろう。デボラ・ミネルヴィーノ公爵は、今や王家になくてはならないほどの存在である。そういう意味ではすでに王家との繋がりはあったのだが、欲張りなバジーリオはさらに強固な繋がりを求めてしまったのだ。その欲が全てを失う結果になるとも考えずに。

「親子二代で女公爵って、ある意味ロマンよね。私の家は兄がいるから、ちょっとそういうの憧れちゃうわ」

「あら、そうなるとレオンツィオは、ニナの家に婿入りということになりますの?」

 ビターチョコレートのカップケーキが、ニナの手からぽろりと落ちた。お皿の上に再び舞い戻ったカップケーキを見たローザたちは、すぐにニナの顔を見て吹き出しそうになるのをぐっと堪えた。りんごのような、あるいはトマトのような。否それよりももっと赤いのではないか。そう思ってしまうくらいに顔を赤くしたニナは、それこそ頭から湯気でも出そうな様子で頬を押さえ、眉を情けなく下げていた。

「ああああの、そんな、わたし、えっと、れ、レオンツィオのことは、あの、お、お慕い、してますけれどっ、あの、あの、」

 ぶふっ、と吹き出してしまったローザは首を振り、隠せない笑みを浮かべたままで言った。

「い、いいのよ、ニナ、そんなに恥ずかしがらなくたって。あなたたちが想い合っているのは、よー……く、知ってるんだから。あの現場に私たちもいたこと、忘れちゃったのかしら? レオンツィオがあなたに告白したの、しっかり聞いてたわよ」

「ごめんなさい、ニナ、からかっているわけじゃありませんの。わたくしたち、あなたとレオンツィオは一緒になるものだと当たり前のように思ってしまっていて……」

 幾分か天然気質なのか、リオネッラのフォローはニナの顔を益々赤くさせただけである。しばらくポカポカと顔を熱くしていたニナであったが、紅茶を一口飲んでなんとか落ち着きを取り戻した。

「その、わたし……レオンツィオとのそういうお話になると、どうしてもドキドキしてしまって……落ち着かない心持ちになってしまうんです」

「それは仕方がないわ、恋だもの。……でも、これから先もっと恋人らしいことだってするのに、大丈夫?」

「それは、その……が、頑張ります!」

「あら、何を頑張るの?」

 突然聞こえた、聞き覚えのありすぎる声に。ニナは淑女らしからぬ動きで、ぴょんっ、と椅子から飛び上がった。

「れ、れおっ、れおんっ、」

「やだ、そんなに動揺することないじゃない。もしかしてアタシの噂話してたわね? そうでしょう!」

 にんまりと笑ったレオンツィオが、ニナたちの顔を順番に見渡す。ローザは呆れた顔で、リオネッラはくすくすと笑って、ニナは顔を真っ赤にしてあたふたと慌てた様子でレオンツィオを見た。

「ま、仕方ないわよね。アタシほどの男になると、噂話も絶えないもの。それでそれで? いかにアタシが好い男かって話?」

「はいはい、レオンツィオはいい男よ。ねぇニナ」

 ニナは赤い顔のまま、こくこくこく、と何度も頷いて見せた。レオンツィオは満足げににっこりと笑って、指先でニナの頬に触れる。

「せっかくならアタシに直接伝えてくれたらいいのに。ねぇ、アタシの可愛いハニー?」

 今度こそニナの頭は沸騰してしまいそうなほど熱を持ち、ふらりとその身体が傾く。それをしっかりと受け止めるまでの流れが、この頃の二人の流れである。ローザとリオネッラはすっかり慣れて何も言わないが、学園で同様のことをした場合の周囲の反応は言うまでもない。

 見ての通り、二人はアッツアツの灼熱である。互いを見つめる瞳は恋をしている以外のものには見えず、それでいて誰が見ても「お似合い」だった。亜麻色の、ふわふわとした髪に美しいアメジストの瞳。愛らしい顔つきのニナに、やはり美しい金色の髪色に、優しげなライムグリーンの瞳を持った、見た目だけは好青年のレオンツィオ。二人が並んだ光景はまるでひとつの絵のようで、それでいて柔らかな空気の流れる雰囲気に思わず笑みを浮かべてしまうものがほとんどだ。

 レアンドロの件もあって、二人は学園公認の関係であった。

「レオンツィオ、お兄さんの手伝いは終わったの?」

 気を取り直して、ローザが問う。レオンツィオはニナに座るように促しつつ、ローザに顔を向けて頷いた。

「一応ね。最近忙しいと思ったら、……聞いてくれる? お兄様ったら、レアンドロ元殿下の後始末をさせられていたのよ」

「ど、どういうことですか?」

「レアンドロ元殿下って、確か罪人の送られる鉱山で働かされているのではないのですか?」

「それがねぇ……」

 学園で王族の権威をひけらかしていたレアンドロは、その行為を咎められ王族としての権利を失った。

 婚約者への理不尽な命令、学園での無意味な権力の行使。さらに男爵令嬢との不貞行為に、クラスメイトや在学生への暴力。そしてなにより、その行為を認めても尚反省するどころか「王族であるから許される」と言う子どものような言い訳。国王、レアンドロにとっての父親のもとへ連れて行かれてからも彼は、反省のそぶりなど一度も見せなかった。母親である王妃が涙ながらに更生を訴えても聞かず、結局鉱山での労働を課せられたのだ。

 だが彼は、鉱山でもその態度を変えなかった。他の罪人たちが渋々と言った様子でも働いているにも関わらず、レアンドロは働こうとはしなかった。そのくせ食事だけはしっかり取り、果ては他の労働者の食料まで奪おうとする始末。当然、労働者たちが彼の行為に納得するはずなどなく。

「私刑にあったんですって」

 はぁ、とため息をつくレオンツィオに、ニナたちは何とも言えない表情を浮かべた。レアンドロはろくでもない男で、私刑されたのも仕方がないと言えばそうだが、それを喜べるような心は彼女たちにはなかった。

「で、結局あいつはどうしたって更生不可能、労働に従事して反省することも出来ない。最終的に王族専用の牢獄に永久幽閉されることになったワケ。ま、それは自業自得だし今さら思うこともないけど……問題は、よ。王妃様がレアンドロ元殿下の更生を信じて、彼に与える仕事の準備をしていたのよ。書類仕事だったり、領地の管理だったり、他にもたくさん。もうわかったわよね? その仕事が王家に親しい公爵家以下に配分されたってこと」

 ニナがあ、と小さく声を漏らす。

「そういえばお母様、ここしばらくお城から戻られていません。お父様のことがあってから、しばらくは家にいるようにすると言っていたのだけれど」

「ニナのお母様は各公爵家の中でも、特に王家への貢献度が高いものね。そういえば私の両親も最近慌ただしい気がしていたわ」

 ローザが納得した様子で頷くと、リオネッラは紅茶を一口飲みぽつりと呟いた。

「というか王妃様、何を思ってそんな量の仕事を、レアンドロ元殿下に回すつもりでいたのでしょう……?」

 レアンドロの所業を聞いた上で、本当に更生出来るものと思っていたのだろうか。更生した上で、仕事をこなせるほどの能力を身につけるとでも思ったのかもしれない。四人はなんとも言えない曖昧な表情を浮かべて、それから誰ともなくため息をついた。

「あ、でも悪い話ばかりでもないのよ。アンドレーア殿下の結婚準備が急がれているらしいわ。これはアタシの予想だけど、王妃様のことはどこかの領地にでも送るんじゃないかしら。隠居、って名目で」

 王妃こそ、第三王子レアンドロの暴走の原因ではあるのだが。罰を与えず、隠居という形で王家から距離を置かせる方法を選んだのは現国王か、二人の息子か。どちらにせよ身内に甘いのは間違いない。

「アンドレーア殿下が国王になったら、もう少し王家の体勢も変わるといいんだけどね」

 ローザの言葉に頷かずにはいられないレオンツィオたちである。

「――あ、そういえばレオンツィオ。さっき少し話してたんだけど、レオンツィオは将来的にどうするつもり?」

 ニナの肩がぴくりと跳ねた。慌ててローザを見れば彼女は、楽しげに笑って目配せをする。

「どうするって……将来の夢ってこと? そうねぇ……アタシ実は、店を持つのが夢なのよね。ファータ・フィオーレみたいな可愛くて素敵な店を」

 両手を合わせてうっとりと宙を見つめて語るレオンツィオに、ニナの胸はぎゅう、と締め付けられた。

 レオンツィオがそんな夢を持っているなんて知らなかった。どうしてか当然のように、彼と共に暮らす未来を夢見てしまった。自分は公爵家を継ぐ身で、レオンツィオは店を持ちたくて……膝に置いた手に、力が入る。

「可愛い服や装飾品を置いて、お花もたくさん飾って。そうね、お菓子もあった方がいいかしら。あぁでも、女性向けのものばかりでなく、男性向けの装飾品も置くのよ。ネクタイとか、剣に飾るタッセルとか……アタシは騎士っぽい格好したりして、ニナには可愛らしいけど実用的なドレスを着せて、アタシたち自身がマネキンになるの! ねぇ、素敵だと思わない?」

「……え?」

「お菓子も一緒に食べて選ぶのよ。最初の方はマダム・アリーダの助けが必要になるわ、きっと」

「あらレオンツィオ、ニナは公爵家を継ぐみたいだけど」

「えぇ、もちろんわかってるわ。アタシの家はお兄様が継ぐんだし、アタシがお婿に行けば問題ないじゃない。公爵家のお仕事もあるから、お店を出すのはちょっと時間がかかるかもしれないけど……夢を語るのは自由よねぇ」

 ぱちりと、ニナは大きく瞬きをして。驚いたような表情で、レオンツィオを見上げた。レオンツィオはそんなニナの表情に疑問符を浮かべてやはり大きく瞬きをし、それからはっとして口元を押さえた。

「大変、アタシったら……ニナ、ここで待っててちょうだい、三十分くらい! ローザ、リオネッラ、よろしく頼むわよ!」

 そう言うとレオンツィオは慌てて店を飛び出して行った。ローザとリオネッラは顔を見合わせて、同時にニナを見やる。ニナはまだ驚いた顔のまま固まっており、ローザはニナの目の前で手をひらひらと振った。

「どうしたのよ、ニナ」

「レオンツィオも、一体どちらへ行かれたのでしょう」

 ニナはようやくはっと我に返り、レオンツィオの言葉を頭の中で繰り返した。

 当たり前のように、それが当然であるかのように彼の口から語られた、その内容。直前までの苦しい想いは、一瞬にして消えてしまった。

「あ、あの、今、レオンツィオ……の、将来の夢に、わ、わたしが、いましたか?」

「? いたけど、どうかした?」

「え、え、あの、あの、」

 なぜニナがこんなにも混乱しているのかわからない、といった表情を浮かべるローザである。リオネッラも同様であったが、柔らかく微笑みニナの肩にそっと触れた。

「ニナ。きっと、あなたが思っているよりずっと、レオンツィオはあなたのことを強く想っていますわ」

「! リオネッラ……」

「わたくしたちは彼とそれなりの時間を過ごしていますが、ニナに接するレオンツィオは初めて見る姿なんです。彼、友人はたくさんいますけれど、そこから恋愛に発展したことは今までなかったと思うので」

「そうそう、男女関係なく親しい人は多いけど、あんな好きで堪らないって目で見てるのはニナのことだけ。もしニナがレオンツィオの気持ちに不安を抱いているなら、それは杞憂よ。もし彼の言葉や行動に嘘があったら、私たちが黙っていないわ。ニナは私たちにとっても、大切な友達なんだから」

 ローザの手が、ニナの手をぎゅっと握りしめる。心が暖かくなる感覚に、ニナの瞳は揺れた。

 一人ぼっちだった過去の自分の姿が過り、唇をきゅっと噛む。こんなにも優しい、暖かな世界があることを知らなかった自分の腕を引いて、言ってやりたかった。

 一歩踏み出せば、こんなにも幸せな世界が広がっているのだと。

「ローザ、リオネッラ……ありがとう。わたし、これからもきっと迷うことや戸惑うことがあると思うのです。そのときはまた、助けてくれますか?」

「それは愚問というものよ、ニナ。これからもいつだって頼ってちょうだい」

「レオンツィオに困らされたときも、相談に乗りますわ」

 女性たちが、友情を深めていた直後。

 ニナたちがいるバルコニーの店内が、にわかに騒がしくなった。不穏な雰囲気ではなく、ざわざわと皆が噂をしているようなそんな様子で、三人の令嬢は店内へ視線を向けた。

「どうしたのかしら」

「えぇ、少し様子を見に……」

 ニナが立ち上がるのと同時に、彼女の視界は真っ赤なもので埋め尽くされた。芳しいそれが薔薇の花であると気付くのにかかった時間は数秒。その向こうにいる人物が、ニナにとって最愛の人であると気づいたのはーー彼が声を発してからだった。

「――アタシったら、色んな順序を飛ばしてしまっていたわ」

「れ、レオンツィオ?」

 薔薇の花束が、ゆっくりと下ろされる。その後ろにいたレオンツィオはニナを見つめると穏やかに笑って、それから膝をついた。花束をニナに差し出しながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「ニナ。あなたはアタシの、一生のたからものよ。可愛いもの、美しいものが大好きなアタシだけど、あなたに対する想いはそのどれとも違うと言い切れるわ。堪らなく愛しいの。触れたくて仕方なくなるの。あなたの姿を見ると、抱きしめて愛を囁きたくなるわ。あなたに名前を呼ばれるのが好きよ。あなたの笑顔が好きよ。これからもずっと、アタシとあなたがしわくちゃになっても、あなたと一緒にいたい。――ニナ、愛しいひと。アタシと、結婚してくださる?」

 ニナのアメジストの瞳が、大きく見開かれる。

 リオネッラとローザも目を丸くして、口元を押さえていた。薔薇の花束を抱えた客人を気にした人たちの視線も、今はレオンツィオとニナに注がれている。

 レオンツィオのライムグリーンの瞳は優しく、けれどその奥に情熱を携えてニナを見つめていた。

 

……思えば。


 ニナもまた、このような感情を持ったのは初めてだった。少し前まで、元婚約者に束縛されていたのだから当然である。

 恋を知らなかった。愛し、愛されるという感覚を知らなかった。

 けれど、レオンツィオと出会って。彼と、ローザたちといくつもの言葉を交わすうちに。

 この人と共にいたい。もっと時間を共有したい。レオンツィオというひとりのひとを、もっともっと知りたい。

 好きな食べ物は、好きな色は。一番お気に入りの本は、音楽は……彼の好きなものを知りたいと思った。そしてその好きなものを、自分もまた好きになりたいと。もちろん、人には好みがある。全てのものを等しく好きになれるとは思っていない。

 それでも。

 それでも彼の好きなものなら、愛したものなら理解したいと思うのだ。

 そして……そして。

 彼もまた、そうであってくれたらいいと。レオンツィオも自分のことを知ってくれたらと、そんなふうに望むようになって。欲張りだ、傲慢だと言う気持ちもあったけれど、その想いは日々膨らんでいくばかりで。

『あなたはあの青年を、愛しているのね』

 母――デボラに告げられた言葉は、すとん、と、ニナの心に納まって。

 

 ニナの瞳から、ぽろぽろと涙が溢れてくる。悲しいのではない、苦しいのではない。ただ少し、切なさはあるのかもしれない。

「レオンツィオ」

 涙を零しながらニナは、それはそれは嬉しそうに笑って、差し出された花束にそっと手を触れた。

「わたしも、わたしにとってもレオンツィオはたからものです。わたしの名前をもっと呼んでほしいです。触れてほしいです。あなたの声も、笑顔も、全部がすごく、すごく……愛しいです」

 レオンツィオの瞳が、大きく揺れた。

「どうかこの先も、……わたしが歳をとって……レオンツィオにとっての可愛いもの、じゃなくなっても。一緒に、いてください」

 プロポーズの、了承に。

 レオンツィオははっと息を飲んで、勢い良く立ち上がって。その勢いのまま、ニナの身体を花束ごと強く抱きしめた。

「ニナが可愛くなくなるなんてこと、それこそ一生ないわ! 大好きよ、ニナ! 今アタシ、最高に幸せよ!」

 そのままひょいとニナを抱き上げてくるくる回るレオンツィオに、ニナは一瞬だけ驚いた顔を浮かべたがすぐに笑顔になった。

 リオネッラにローザ、それから見物人たちが一斉に拍手を贈る。ピュゥ、と口笛を鳴らすものも居て、そのカフェは盛大に盛り上がった。

「ニナを泣かせたら承知しないわよ、レオンツィオ!」

「まぁローザ、幸せの涙は数えないであげてくださいまし」

「わかってるわ、リオネッラ。ふたりとも、お幸せに」

 友人たちの言葉に、ニナの瞳からまた涙が溢れ出す。だけれど表情はとても幸せそうに笑っていた。レオンツィオに身を委ね、自らも彼の背に腕を伸ばし、ぎゅっとしがみつく。顔を上げてレオンツィオを見れば、彼もまた幸せそうに微笑んでいた。

「さぁ、そうと決まれば! 改めてお義母様にご挨拶にいかないとね! 今後のお話もしたいし!」

「あ……! わ、わたしも、レオンツィオのご家族に、ご挨拶をしに行かないと……!」

「ちょっと、アナタたちっ! お向かいが騒がしいと思ったら、どーーーーしてウチでプロポーズしないのよ! ウェディングプランは任せてもらうわよ、いいわね!?」

 ファータ・フィオーレのオーナー、マダム・アリーダまで現れた、レオンツィオのプロポーズの現場は一層騒がしく。

 一人ぼっちの時間が長かったニナにとっては、それもまた嬉しいことの一つであって。

 

 彼女の笑顔が絶えることは、これから先も、なく。

 レオンツィオと共に、少しばかり騒がしい人生を歩んで行くのであった。

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オネェ系公爵子息はたからものを見つけた @arikawa_ysm

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