王子が行き倒れる国の王子様
今日も喫茶店は静かだった。
ロリリア様がいないと閑古鳥すらないてくれない。
いつもならゆったりとしたBGMを流しておくんだけど、たまには、こうやって静かな店の中で、ただ自分が飲むためだけのコーヒーを入れてみたい。
「でもちょっと寂しいな……」
すこし棚をあけるだけでもいつもよりずっと響いて、なんだかうるさく感じる。
おだやかな静寂に包まれるんじゃなくて廃墟で枝を踏んじゃったみたいだ。
図書館でおおきな音を立ててしまった時の気まずさに似ている。
「この喫茶店に魔法でもかかってるのかな」
時間が止まったような、リンと澄んだ朝の空気に陽光がきらめいて、見惚れてしまいそうな美しさがある。
自分が音を立てると、その静けさを破って、邪魔した気持ちになる。
やっぱりこの喫茶店はどこか、おかしい。
いや、おかしいものならいっぱいあるんだけど。
「注文したらなんでも届く冷蔵庫だろ、魔法を読み取るメガネだろ、あかぎれが一瞬で治るクリームだろ」
指をおりおり数えてみると、道具が見つからなくて困ってる時のドラえもんよりずっと役立つ変なアイテムばっか。
でもこれは、一個一個がおかしいだけ。
この喫茶店の椅子から壁紙からテーブルからサイフォンから床まで。
「なんか変なんだよなぁ」
マスターの趣味か知らないけれども、地球の喫茶店みたいだけど地球の喫茶店じゃなくて、地球人の自分は場違いな感じがする。
「まだまだ修行しなきゃだ……」
自分が喫茶店の一部になれるまで、腕をあげたら違和感もないんだろう。
内装や家具のひとつくらいまで雰囲気にマッチして、むしろいないと落ち着かないところまで、馴染む。
熟練のバリスタやマスターは、そういう人たちなんだと思う。
さてそれにはどうすればいいのやら。
十年以上はかかりそうで、ぎりぎり未成年のぼくには目が回りそうなほど遠い。
「キャリアプラン……」
SNSの広告で見た言葉をつぶやいてみるけど、あんまりしっくりこない。
将来設計とか、ライフプランとか、子どもに言われてもね。
その子どもが、ロリリア様みたいなもっと年下に大人ぶっているのも、頭の中で文章にして考えてみても、なんだかおかしな雰囲気がする。
おままごとではないと、信じてる。
そのためには、僕も喫茶店の一員らしく馴染めるように、努力しないと。
チリン。
入店を知らせるドアベルが鳴った。
ロリリア様だ。
「いらっしゃい……ませ……?」
違う。
知らない人だ。
金の装飾がきらめく銀の鎧。
騎士だ。
歴史の教科書やテレビで見たのより、ずっと豪華で、ずっとファンタジー。
鎧をよく見れば、金色の装飾は豪華だけど、銀の鎧はマットなかがやきで、派手というより上品だ。
イギリスの別荘に住んでる貴族のおばあさんみたいな、それとない品の良さ。
その鎧を着た人が、お腹を抱えながら口を開く。
「は、はらが……へった……」
王子が行き倒れる国からやってきた、行き倒れの王子だった。
倒れてすぐ気絶しちゃったんだけど、これどうすればいいんだろ。
気絶した騎士とか重すぎて動かせるわけないでしょ。
§
ルバート王子がコーヒーを飲む。
堂々とした作法で、そこはさすが王子様。
この人が行き倒れるなんて信じられない。
「かたじけない。この私が世話になるとはな」
「よく行き倒れるって聞きましたけど」
「そんなにじゃない。まだ6回目だ」
「もう6回……」
普通は1回でもおおいんだよ。
よく生きてるなこの人。
「それで、ここはどんな店なのだ?」
「知らずに来たんですか?」
ロリリア様から聞いてないのかな。
いやまぁ、喫茶店がない世界だったら説明しにくいし、それで誤解されるかもだけど。
「うむ。妹にカギを渡された時は、急いでいて聞いていなかった」
「人の話は聞いてください」
「だって……宝の地図を手に入れちゃったから……」
「手に入れちゃったかぁ」
男子小学生と変わんないな……。
「保存食はちゃんと持ってきたんだけどなぁ」
「それでも行き倒れたんですか?」
「宝箱をあけたらテレポートされちゃって」
「罠をチェックしないで宝箱をあけるタイプ」
「たぶんだけどこれ、別の大陸に飛ばされたんだな」
「別の大陸」
「気候が前に飛ばされた大陸っぽくてなー」
「経験者」
「人に出会えればなんとかなると思うんだけど」
「陽キャのコミュ強」
ドン引きしてて、ふと気づいた。
この店に来る方法はひとつ、「どこかのカギ穴に、魔法のカギを使うこと」だ。
ちょっと文明から離れてたような人がどうやってカギ穴を見つけたんだろう。
「カギ穴なんてどこにあったんですか?」
「貴重品入れ」
「貴重品入れ」
「カギを回したら……光に包まれて、この店に……」
「扉以外に使ったらそうなるんだ……そんな機能あったんだ……」
ためつすがめつカギを眺める。
ファンタジー映画とかジブリの映画で見るような金のカギ。
そこらへんのアンティークショップで売ってそうな安物じゃなくて、何百年も前からずっと使われている本物っぽい風格がある。
「いやしかし、ウェイター殿が妹にこのカギを渡していなかったら俺は飢え死にしていただろう。重ね重ね礼を言う」
「いえ仕事なので」
仕事といえばさらにもうひとつ。
この店を出てからも文明からしばらく離れているだろうこの人に、なにか持たせておくべきだと思う。
そういうわけで完成したものがこちらになります。
「これは……ペーストにした肉かな?」
「保存食の一種でリエットといいます。おまけで黒パンもつけておきます」
「ふーむ?」
瓶詰めにしたリエットは、ペーストにした牛肉の中に酢漬けの野菜を混ぜてある。
ちょっと見ただけだと重たいソースのようにも見える。
ルバート王子はちょっと疑わしそうに瓶を見つめているから、もうひと押し。
「ちょっと食べてみますか?」
「ふーむ!」
いざ実食。
リエットの重たいペーストをスプーンですくって、普通の白いパンより長持ちする黒パンに塗る。
あとお肉にあうよう酸味が強くてスッキリとしたエチオピアの豆で淹れたブラックコーヒー。
「パテとは違うようだな。ペーストのようだがほろほろと崩れる」
ごろごろとした肉がよく刻まれた野菜や乾燥バジルのペーストから抜け出て、パンとよく絡んで口の中でほぐれていく。
しばらく咀嚼していくとぷるぷるとしたゼリーが舌に触れる。
「これは……牛脂かな?」
「はい、あふれた肉汁と煮汁を固めて混ぜ込んであります。こうすると長持ちするんですよ」
「ふんふん」
王子様と聞いていたからロリリア様のようにお上品かと思ったら、意外ともぐもぐとかきこんでいく。
あっという間にパンひとつを食べきって、それでも下品に見えないのはさすが王子様といったところ。
「ふーむ」
「いかがでしたか?」
「旅で一番困るのは補給がないことだが……これはいいな。腹を空かせるのが楽しみになるぞ」
かなり好感触。
ちょっと自慢気に胸を張っても許されるだろう。
ここでさらにもう一品。
「これは普通のリエットですが、今なら白ワインとバターを混ぜ込んだ自家製リエットがついてきます」
「ふーむ!」
「これがセットでお安くしておきます」
ルバート王子がニカッと笑みを見せる。
なんとも気持ちのいい笑みで、女性が見れば黄色い歓声をあげて男性が見れば楽しくなるだろう。
「なんと今は無一文だ!」
「遭難してたらそうでしょうね! 分かってたよこの一族はさぁ!」
いっつもいつも文無しだ!
ロリリア様に言わせれば「そもそも財布を持ち歩く王族がいるか? 小切手を渡して後で請求してもらえばいいだろう」とのこと。
「ツケにしてもらおうか。請求は実家宛てで頼む」
「あの、請求書とかそういう証明は持ってますか?」
「剣だけ掴んで冒険に出てきたんだぞ。持ってると思うか?」
こ、こいつら……。
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