和久子の新しい制服
増田朋美
和久子の新しい制服
その日はなんだか寒い日で、秋から一気に冬になってしまったような日であった。それでも仕事をする人は仕事をして、学校へ行く子は学校へ行く。みんな嫌そうではあるけれど、仕事や学校へ通っているのだった。
その日、杉ちゃんたちが、いつもどおり製鉄所で着物を縫う作業をしたり、水穂さんと一緒に食事したりしていると、
「こんにちは。ちょっと相談に乗っていただきたいことがありまして。」
と、玄関先で聞こえてきたのは、山村千歳さんの声であった。
「こんにちは。」
まだまだ青い声の、山村和久子さんの声も聞こえる。
「あら、今日は何の相談できたんかいな。良いよ、上がれ。」
杉ちゃんがそう言うと、二人は、製鉄所(正確には、居場所を提供している支援施設なのであるが、施設名がそうなっている)の中に入ってきた。
「今日は一体どうされました?なにか困ったことでもありましたか?」
水穂さんが布団から起きて、そう言うと、
「皆さんに後押ししていただいて、和久子を別の学校に行かせることにしました。家からも遠いですし、ちょっと通うのは大変かもしれませんが、周りの先生も生徒さんも和久子のような子に理解を示していただきましたし、音楽教育にも力を入れてくださりますので、それは良かったと思います。」
と、千歳さんは言った。
「はあ、つまりどこの学校に行くことになっただよ?」
杉ちゃんが聞くと、
「はい、吉川学校という、小学部から高等部まである学校です。」
と、千歳さんは答えた。
「そうですか。最近話題になっている、心に問題がある生徒さんを通わせる学校ですね。」
水穂さんが、そう付け加える。
「それで今日はなんで相談に来た?そういうところに行くことができて、めでたしめでたしではなかったの?」
杉ちゃんがそうきくと、
「それが、そうも行かないんですよ。新しい学校の制服を着ることになったんですけど、和久子がそのデザインを嫌がりまして、着たがらないんです。それで私もどうしたら良いかわからなくなってしまって、相談に来ました。」
千歳さんは、困り果てた様子で、そういった。その程度で困っていては、和久子さんのような子供さんを育てるのは無理なのではないかと思われる顔をしていた。
「はあ、そうですか。確かに、彼女のような子供さんは、細かいところが気になって、そういうものを嫌う傾向がありますからね。」
水穂さんがそう言うと、
「ええ。そうなんです。前の学校では、ブレザーだったんですけど、今度の学校では、ダブルスーツを着なくちゃいけなくて。それが和久子は嫌だと言って、着ようとしないのです。」
と、千歳さんは言った。
「はあ、なるほどねえ。ボタンの位置でそんなに違うものかいな。まあ、それも障害の一つとして、受け入れてもらうしかないよな。前の学校の制服で登校させてもらえるように、校長さんか誰かに言うしか無いよな。そのうち、みんながダブルスーツを着ていれば、自然に変わってくるとかそういう姿勢の学校だったら良いけれど、下手をすれば、学校に反抗する生徒と言われる可能性もあるぞ。」
杉ちゃんがそういう通り、残念ながら、そういう学校が多いのもまた事実だった。日本の教育機関というのは、どうしても、ちょっと違う生徒というのが苦手になる。一般的な生徒さんとは違った事を言われたりした場合、じゃあどうしようかと対策をねってくれることはほぼなく、退学にしてしまうなどしてしまうことが多い。
「どうしてもダブルスーツを着なくちゃいけないんだったら、そうするしか無いが、少し和久子さんが馴染むのを待っていてくれと頼むことはできるんじゃないかな。そういう心に問題がある生徒さんを扱っているところだったらな。無理やり、和久子さんにダブルスーツを着せちゃうのも可哀想だし。」
杉ちゃんはそういうのであるが、水穂さんの考えは厳しかった。
「でも、結局のところ、和久子さんも将来ここで生きていかなくちゃならないわけでもあるわけですからね。和久子さんが、教育を受けられることも、ありがたいことだと思って、我慢してダブルスーツを着るように持っていくべきでしょう。そうすることで、社会に適応していくことにもなりますし。」
「うーんそうだねえ。だけどねえ、変えることができることと、できないこともある。僕みたいに、歩けないやつは、嫌でも車椅子無いと、移動できない。それとおんなじだと考えてくれれば良いと思うけど。別にそれを利用して悪事をしているとか、そういう事考えなければ大丈夫だと思うけど?時代も変わってきてるんだし。昔だったら、いけないことでも今は、そうでも無いこともあるよ。」
杉ちゃんは、水穂さんを見ながら千歳さんに言った。
「水穂さんの考えは確かに重要ではあるんだけど、相手は小学校の1年生、たったの6つだ。いわば、赤ん坊に毛の生えた幼児じゃないか。それに、おとなになるためにどうのなんて、まだ早すぎることでは無いのかな?それは、15とか、16くらいになって、少しずつ覚えていけば良いんじゃないの?」
「でも、早く社会に対応することを覚えたほうが、良いと思うんですが。」
水穂さんは、すぐいった。
「特に和久子さんに対する印象は明らかに普通のこどもさんとは違うわけですから。それをできるだけ、緩和するためにも、社会に適応するための技術は必要だと思いますけどね。」
「うーんそうだねえ。まあ、たしかに自立とか、そういう事は必要なのだろうが、でも、和久子さんには、できないこともあるし、できないことのほうが多くなっていくと思うんだよな。僕も歩けないから、わかるんだけど、できないことはいっぱいあるし。それよりもねえ、和久子さんにできるだけ明るく楽しく生きていくほうが、良いと思うんだよ。違うかな?」
杉ちゃんは、腕組みをしていった。
「だから、まあ校長さんに、和久子さんの持っている事情を話してみてさ。それで直談判してみたらどうだ?」
「ありがとうございます。」
と、千歳さんは言った。
「お二人が、こんなに和久子の事を心配してくださって、とても心強いです。それなら、というとおかしいんですが、一つお願いがあるんですが。」
「はあ、何だよ。」
杉ちゃんはぶっきらぼうに言った。
「和久子の学校に、一緒についてきてほしいんです。ごめんなさい、本当はいけないことだと思うんですけど、でも、一人で行くのは、本当に怖くて私もちゃんと校長先生を説得できるか自信がありません。誰か一緒に来てくださいますか?」
「はあ?」
杉ちゃんと水穂さんは、千歳さんの要求に、驚いて顔を見合わせた。
「悪いけど、僕は歩けないので。」
「僕も、体調が悪いのではいけませんよ。」
二人の答えは即答だった。
「それにさ、そういうところに行くんだったら、僕達みたいな歩けないやつに行ってもらうよりも、もっと口がうまいやつに行ってもらうと良いと思うぞ。説得を仕事しているやつとか、そういうやつ。」
「どこに頼めば良いんですか。」
杉ちゃんに言われて千歳さんはすぐに答えた。
「便利屋さんでもそういう事はしてくれないでしょ。」
「そうだねえ。」
確かに、便利屋など人を貸す商売も流行っているが、まさか教育機関を相手に文句を言いに行くのを手伝ってくれという依頼をされることは無いだろう。
「確かにそういう説得は、権威のある人でないとできないわな。例えば、衆議院議員さんみたいな人を捕まえてくるか?」
「そうですねえ。国会議員は、役に立ちませんよ。彼らほど自己中心的な人物はいないことは、よく知っていると思いますから。」
議員さんたちは、たしかに福祉の充実と言っておきながら、自分が関わると、逃げてしまう人が多いのもまた事実である。
「でも、千歳さんみたいに、一人では説得に行けないのも、また事実だよな。特に、大規模な私立学校とかだとそうなりやすいよね。他の学校で見てもらえって言えば良いもんね。うーんどうしよう。困ったなあ。」
杉ちゃんがでかい声でそう言うと、玄関先から、一人の男性の声がした。
「何に困っているんですか?」
杉ちゃんと水穂さんはまた顔を見合わせた。
「あれれ?誰か来る時間だったっけ?」
製鉄所には来客が耐えない。利用者の誰かの話を聞くためとか、あるいは水穂さんに施術をするために、いろんなセラピストや、援助者が来訪することもあるし、同業者が見学に来たり、新規利用を検討している人が見学させてもらうために来訪させてもらうことだってありえる。
「ああ、ちょっと今取り込み中だから、ちょっとそこで待ってくれ。」
杉ちゃんが言うと、水穂さんが寒いですから入らせてあげましょうと言った。杉ちゃんは、そうだったなと言い直して、
「良いよ、入れ。」
とでかい声でまたいうと、今度は靴を脱ぐ音が聞こえてきて、
「玄関のドアから時計まで9歩。」
という声が聞こえてくる。というところから判断すると来訪したのは、古川涼さんだった。
「時計から、ふすままで、13歩。」
そう言いながら、白い杖を持って、四畳半に入ってきた涼さんに、千歳さんも和久子さんもびっくりした顔をした。
「こんにちは、今日は、利用者の佐藤さんのお願いでこさせてもらいました。」
と、涼さんは言った。
「まだ二時だよ。今日のお話は、3時からだっただろ?一時間間違えてきたな。」
杉ちゃんがそう言うと、
「だったら待たせてもらいます。すみません、バスが、少ししか走っていないので、間違えてしまいました。」
と、涼さんは冷静に言った。まあ確かに、バスは一時間に数本しか走っていないので、そうなっても仕方ないのだった。
「それより、杉ちゃんの話を聞きました。玄関先で丸聞こえだったものですから。何を困っていらっしゃるんですか?」
涼さんは目が見えないこともあり、人の話を聞くのに顔を見ない。どんな反応をするのかを考えずにすぐに口にしてしまうのが癖であった。ときにそれは長所でも短所でもあるだろう。
「ああ、実はねえ。ここにいる山村千歳さんの娘さんである、山村和久子さんが、新しい学校へ転校したいと言うそうだが、学校の制服が嫌で着たがらないと言うんだ。それで校長さんに相談に行きたいそうなんだが、誰か一緒に着いてきてくれと言うんだよ。僕達では、ちょっと、無理な話なので、誰かに言ってもらいたいんだけど。」
杉ちゃんが、閉口しながらそう言うと、涼さんはすぐに言った。
「わかりました。そういうことなら、僕が一緒に行きます。」
「おい、ちょっと待て。」
杉ちゃんがすぐに言った。
「なんですか?誰かが行かなければ困るでしょう。そういう役でしたら、喜んで引き受けますよ。そういう学生さんの悩んでいることに、カウンセラーが手を出すのはよくある話ですよ。」
「そうなんだけどねえ。」
杉ちゃんは困った顔で言った。もし、涼さんが、千歳さんたちが困っているのを見ることができたらどんなに良いだろうと思った。そういう顔をしているのを見ることができたら、涼さんだってさっきの発言は撤回すると思うのだが。
「こういう話は、これでいいで済ませては行けない問題です。ちゃんと、誰かが手を出して、要求を押し通すようにしなければだめですよ。もし、親御さんにそれができないのであれば、誰かが手伝って良いはずでしょ。それなら僕が手伝いますよ。学校のせいで、色々可哀想な問題を抱えてしまっている生徒さんをたくさん見てきましたので、そういう説得は得意ですよ。」
「うーんそうだなあ。」
杉ちゃんも杉ちゃんで、涼さんが盲人でなければという言い方はできなかった。
「得意だと言っているんだったら、それで良いのではないですか?やってみたらいかがでしょう。」
水穂さんがそういった。多分、水穂さんもそれはできないと思っているような顔つきであったが、涼さんにはそれが見えなかった。
「一度、やってみても良いと思います。和久子さんのことを社会が見捨ててはいないと思わせないために。」
「はあ、なるほどね。」
杉ちゃんはすぐに言った。
「じゃあ、そうしようか。涼さんと一緒に行ってもらうことにしようや。まあ、校長さんも、どれくらい包容力があるかどうか疑問だが、まあ、話くらいは聞いてくれると思うので。」
そこから話は決まり、翌日に千歳さんは和久子さん、そして涼さんと一緒に、吉川学校に行くことになった。千歳さんとしても、早く和久子さんを新しい学校に行かせて、学問をさせたいという思いがあった。
翌日。千歳さんと和久子さんは、富士駅に行った。涼さんは、電車で富士駅に来るという。二人が改札階で待っていると、駅員に連れられて涼さんがやってきた。やっぱり階段から切符売り場まで24歩という数え方をする。幸い駅には点字ブロックが設置されていたので、改札を通り抜けるのは難しくなかった。千歳さんは、涼さんの手を繋いで、自分の車に彼を乗せた。和久子さんはそれを真剣な顔つきで見ている。
千歳さんの運転で、二人は、吉川学校と書かれている建物の前に到着した。学校と言っても、小学校から高校までたった50人しか生徒はいないのだった。でも、何かしら、心に問題を抱えている生徒さんばかりなのだろうと涼さんは言った。事実、車を駐車場に停めて、学校の正面玄関に行っても、生徒が運動場で楽しそうに遊んでいるという音が聞こえてこないといった。
千歳さんたちは受付に行った。そして、ちょっと相談をしたいと言った。受付係は和久子さんがまだ別の学校の制服を着ているのを見て、当校の生徒さんではありませんねという。その機械的な態度に、千歳さんは困ってしまったが、涼さんが、校長先生に面会をお願いしたいというと、受付はわかりましたといった。
「どうぞ。」
と言って、受付は、和久子さんたちを校長室へ通した。校長先生と言っても、まだ若い、50代くらいの人であった。なんでも、先代の校長先生から引き継がれたばかりだという。隣には、教頭先生、いや、今の言葉で言ったら副校長というべきなのだろうかと思われる女性がいて、この女性は、校長よりも年上のようだった。
「あの、校長先生。先日、編入をお願いした、山村和久子でございます。今回、こちらの制服を着てこなかったことは、本当に申し訳ありません。いずれは、こちらの制服を、あ、あの、着させる、ようにさせますから、入学を、許可して、もらえませんか?」
千歳さんは緊張しすぎている様子で、一生懸命言った。
「しかし、吉川学校も伝統校です。指定の制服を着用しないというわけには参りませんね。」
と、頭の固そうな女性が、そういった。千歳さんはでも、この子は障害があってとか説明すべきなのだろうが、それができなかった。なんでそれができないのだろうか。権威のある女性には千歳さんもことごとく弱くて、何も言えなくなってしまうのだった。
「いいえ、でも、和久子さんは学校の制服を着用できなくても、きっと一生懸命学習すると思いますよ。」
涼さんが和久子さんたちを眺めずに、そういった。涼さんには見ることができないので、目はどこを見ているのかわからないような目立ったが、口調だけはちゃんとしていて、それが逆にお年寄りには生意気に見えるのだった。
「制服をきちんと着用しなくても、授業にしっかり参加できて、よい結果を出せるのなら、それで良いのではありませんか。大事なのは、制服を着ることより、授業に真面目に出たり、しっかり学習できることですよね?その意思は和久子さんも十分持っていると思います。彼女が制服を着るようになるには、時間が必要かもしれませんが、彼女もいずれ、制服を着る必要性を学ぶときが来ると思います。だから、それまで待ってやっていただけないでしょうか?」
涼さんがそう言うと、校長先生は、
「和久子さんは、病院などで診断を受けていますか?」
と聞いた。
「ええ。まだ具体的に病名がついてはおりませんが、もし彼女が問題を起こすようであれば、発達障害などの検査をしても良いと思っています。」
涼さんがそう言うと、校長先生は、
「わかりました。和久子さんのような生徒さんが、」
と言いかけたが、年を取った、教頭先生はそういう考えではなかったらしい。
「でも、校長先生。誰か一人制服を着用しないということになれば、また、他の生徒の親御さんからも苦情が出てしまいますし。」
「それこそ、教育という場所にふさわしい状況なのではないでしょうか?」
涼さんは、教頭先生に言った。
「学校というのは、結局の所、みな違うんだと言うことを学ぶ場でもあるわけですから、障害があって制服を着用しない子がいたとしても、それを受容させる教育をするのには、和久子さんの事例は役に立つのではないかと思います。結局、逆立ちをしてもできない事は人には誰でもありますからね。それがあるということを教えることも、教育の一環でしょう。」
校長先生は、まだ年若いということもあって、涼さんの話を聞いてくれているようであったが、教頭先生は、なんだか嫌そうな顔をしていた。こういう人に、学校の問題を指摘されるのは嫌だと言うことがよく分かる顔だった。
「仮に和久子さんが、制服を着用しないで学校に行ったとして、それは理由があるのだとわかって、他の生徒さんが受け入れてくれることができたら、ものすごい優れた教育を施しているということで、学校の評価も変わってくると思いますよ。今の時代、学校は何をするところなのかよくわからない人が多いでしょう。それを変えていくためにも、和久子さんを仲間に入れてあげることは、他の生徒さんにも、大事だと思うんです。」
涼さんがそう言うと校長先生は、そうですねといった。
「お話はよくわかりました。確かに、制服というと、管理教育的なこともあると思いますので、時代に合わないとも思っていましたし、それでは和久子さんの編入を許可しましょう。」
「しかし校長。先代から培ってきた、伝統ある教育が、これで途絶えてしまうことになります。」
教頭先生はそういったのであるが、校長先生は、
「いえ、そんな事を行っていたら、彼女を受け入れてくれるところがなくなってしまいますよ。」
と、静かに言うのだった。
「本当ですか。ありがとうございます!どうぞよろしくおねがいします!」
千歳さんは、嬉しくなって校長先生に頭を下げる。涼さんは頭を下げることはしなかった。校長先生がにこやかに三人を見てくれたことを気がついてくれたら、嬉しいのに。
校長先生に改めてお礼を行って、和久子さんたちは帰ることになった。帰り際に、涼さんが、
「校長室から、玄関まで14歩。」
と数えているのに、千歳さんは、本当にありがたいと思った。
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