魔王、人間と出会う。

水森めい

魔王、人間と出会う。

 人界の様子を少し見に行った帰りのことだ。

 魔界と人界の境目に、幼子が一人ぽつんと立っていたのを見つけた。

 恐らく捨て子だったのだろう。粗末な衣服以外は身につけておらず、言葉もまだ定かではなかった。髪も肌も汚れ、白く煤けて見える。

 人間の間では魔物は人間の子を食うと信じられているらしい。体のいい間引きだ。

 人間は壊れやすい生き物だ。子供なら尚更。遠くから眺める分には、変化に富む好ましい生き物ではあったが、触れるとなると話は変わる。

 だからその幼子を見た時も、特に関わるつもりはなかった。

 だが目が合ってしまった。指を吸いながら立っていた幼子は、恐れることなくこちらを見つめた。母に抱擁を求めるように、縋るように手を差し伸ばされて、思わずその手を取ってしまったのだ。

 本当に、ただの気紛れだった。



         *



「おかえりなさいませ、あるじ様。その人間は……?」


 屋敷へ帰還した途端、出迎えた赤い魔物から声がかかった。

 主人とその腕の中の幼子を赤い魔物は交互に見遣る。赤く燃える目には、戸惑いと嫌悪が浮かんでいた。

 赤い魔物の主人――アーテルはわずかな逡巡の後、幼子を床へと下ろしてから魔物に答える。


「……人界との境界で拾ったのだ。すまないが、汚れを落としてやってくれ」


「……はい、承知いたしました」


 なんとも不満そうな顔のまま、赤い魔物は幼子を引き取り、奥へと連れていく。周囲の魔物がギョッとしたように連れ立つ二人を見ている。

 その背中を見送り、息を吐いた。アーテルは自室へ戻るため、歩を進める。

 屋敷内はさまざまな魔物でひしめいていて、各々の仕事をこなしていた。管理は、赤い魔物――ルーフスがやってくれている。ここの維持管理だけでもなかなかの手間がかかるはずだ。だが、整えられていない箇所は見つからない。

 アーテルが最初に生み出した魔物のうちの一人がルーフスだ。まだ城とも言えない屋敷に住み込んで諸々の世話をしてくれている。親子とも言える立場だが、よくアーテルを主として仕えてくれていた。

 魔界における原初の存在で、格別に愛しい存在だ。


「いつもよくやってくれている」


 世話を頼んだルーフスの手を煩わせたのが少し心苦しい。だが、壊れやすい人間の、しかも子供を放置するわけにもいかない。

 彼は人間という存在を好ましく思っていない。彼が幼い頃、人間の下衆さを見せてしまった。幼子を無碍に扱うことはないだろうが、内心は不快かもしれない。後で、労を労う必要があろう。


「全く……我ながら愚かな事をしたものよ」


 自室に戻り、扉を閉めてから独り言ちる。

 執務机も兼ねている卓の上には、ルーフスが置いてくれたであろう果物が水差しと共に置いてある。

 水差しから水を杯に注いで飲み、果物を口に入れる。

 アーテルは空腹になることは殆どない。魔力で常時腹を満たしているような状態だ。それでも水や食物が用意してあるのは、こうして時折何か口にすることがわかっているからだ。疲れた時に果実等の甘味を欲することがある。

 今日は、疲れた。

 そもそも、外出した目的は幼子を保護するためなどではない。境界付近で、人間と魔物の諍いが起きたというので見に行ったのだ。

 着いた時には諍いは魔物の勝利で終わっており、血に興奮する魔物を宥めて屋敷に返した。その後改めて観た現場は酷いものだった。

 血気盛んな魔物の若者は、刃向かった人間を全て殺してしまったらしい。人間が何をしたかはわからないが、あちらの恐怖や忌避に磨きをかけてしまったようにも思う。

 人間は、角や翼があり紋様のある魔物たちを嫌う。嫌うだけならまだしも、異端として排除しようとするのだ。アーテルの近くに侍る魔物は兎も角、最近生み出された若者には人間に悪感情を持っているものも少なくなかった。

 今回もその嫌悪が争いの火種になった可能性が高い。その結果、両者の禍根を深めただかになったろう。共存とは行かないまでも、無関係でいたいものだ。

 思考の海に沈んでいると不意に、扉が叩かれた。


「主様。人間の子をお連れしました」


「うむ」


 かけられた声に鷹揚に返事をすると、扉が開く。そこには風呂にでも入れられたのだろう、小綺麗にされた人間の幼子がキョロキョロと周囲を見回しながら立っていた。

 黒髪に黒目。人間の多くはこんな見た目をしている。

 アーテル自身も漆黒の髪と目をしているが、人間のものとはまた違う。射干玉ぬばたまの輝きを持つアーテルに対し、人間の黒髪は夜の黒だ。その違いは魔力の多寡によるものなのかもしれない。

 まじまじと見つめるアーテルの目と、幼子の目が合う。団栗のような目は逆にアーテルを見つめると、おぼつかない足取りでアーテルに近づく。やがて卓の前に辿り着くと、果実とアーテルを交互に見た。

 その腹は、盛大に音を鳴らしている。

 向かってくる幼子に卓上の果実を一つ差し出てみた。途端、視線は果実に釘付けになる。


「食べたいのか?」


 幼子は首を強く縦に振った。アーテルが果実を一つ差し出してやると、幼子はそのまま齧り付く。


「行儀の悪い……」


 ルーフスが眉を顰めるが、幼子である故の行動だとわかってはいるのだろう。咎めるようなことはしなかった。

 次々と差し出される果実を口に入れ続けた幼子は、卓上のものを全て平らげてしまった。


「腹は満たされたか」


 問いかけに、こっくりと頷く。そして満面の笑みを浮かべた。

 絆されたのではないが、くるくるるとよく動く表情を観察してみたくなる。己の気紛れに従うのも偶には良いのかもしれない。

 かくして幼子は、屋敷に唯一の人間として住まうことになったのだ。



         *



「リリム。主様の膝に乗るのはやめなさい!」


「やーあ! ここがいい!」


「またやってるのか、リリム」


 リリムと呼ばれた少女が足をバタつかせて我儘を言っている。それをルーフスが叱り飛ばし、他の魔物が朗らかに笑う。

 この光景が、ここ数年の日常となった。

 アーテルの屋敷へ来た幼子は、リリムと名付けられ育てられることとなった。

 人界に戻すことも検討されたが、ただでさえ魔物への恐怖が高まっている中、魔物と一緒にいたというだけで幼子も殺されかねない。

 一度保護した者が殺されるのも後味が悪い為、留まることとなったのだ。

 子供ゆえの無邪気さのので、リリムは恐れなど知らず魔物たちに懐いた。人間嫌いの者達も子供は無碍にできず、次第に受け入れられていった。

 リリムの一番のお気に入りはアーテルの膝だ。隙をついてはアーテルの膝によじ登り、ルーフスに捕まっている。

 アーテルには妻も娘もいないが、娘に戯れつかれているようで気分は悪くなかった。


「ルーフス。構わぬ」


「主様はリリムに甘すぎます」


 そう叱られるのもまた日常だ。

 リリムは満足そうな表情でアーテルの膝に収まっている。その頭を撫でながら、魔物達の報告書に目を通す。

 人界に、王らしきものが現れたらしい。

 人間達も以前よりは組織だった行動をするようになり、遭遇すると厄介だと。既に魔物が十数にん、行方が知れなくなっている。

 王らしき者は魔物を目の敵にしており、魔物の集まる場所を躍起になって探していると報告書の最後にまとめられていた。

 人界との溝がまた深まる予感がする。

 純粋な強さでは、恐らく魔物の方が上だ。

 だが搦手で来られるとわからない。こちらは組織だった行動はできないのだ。皆、アーテルへの忠誠心だけでまとまっていると言っても過言ではない。


「……何か、対策をしなくてはならないか」


「どうしたの?」


 考え込んでいるアーテルを心配したのか、リリムがこちらを見上げてくる。

 撫でていた手も、いつの間にか止めてしまっていたらしい。不満そうな表情もそこには混じっていた。

 思わず苦笑してリリムの頭を柔らかに叩くと、膝から彼女を下ろした。


「其方は心配しなくとも良い。さあ、ロセウスとでも遊んで来るといい」


「オレですか?」


 突然指名された魔物は、橙の目を瞬かせた。最近ルーフスの下でよく仕事をこなしてくれている若者だ。良い体格の割に穏やかな性格をしていて、リリムを任せても問題はないだろう。

 リリムは頷くと、ロセウスの元へ駆けていく。ロセウスは仕方なさそうにリリムと連れ立って出て行った。

 

「ルーフス。人間が攻めてくるかもしれぬ。出来得る限りの対策をするぞ」


「御意に」


 二人は屋敷の防衛対策について、詰め始めた。



         *



 遠くへ行くなよと言われたけれど、好奇心は抑えきれない。ロセウスを早々に撒いて、リリムは屋敷の外に飛び出していた。

 少し歩けば魔界と人界の境目があるという。そこで自分は拾われたらしいが、記憶には全くない。

 気がついたら魔物達と過ごしていた。

 自分が人間であることは、知っている。皆がそう言うし、何より皆にある角や紋様がない。髪もくすんだ黒だ。

 皆の鮮やかな髪色や、美しい角や紋様が羨ましかった。同時に、自分と同じ人間という者はどんな見た目なんだろう、と気にもなる。

 だから時折、人界の境目の近くまで遊びに行って、人界あちらに思いを馳せるのだ。

 その日も暫く想像を膨らませるだけで帰るつもりだったが、見慣れぬ者を見つけてしまった。

 一人の人間だ。

 物珍しさから凝視してしまったが、人間は怖いと脅されていたのを思い出す。

 慌てて木の影に隠れるも、向こうは既にリリムの姿を捉えていたらしい。戸惑ったような声が聞こえてきた。


「……君、ここで一人で何を? 大丈夫か?」


 こちらへ向ける声音は思ったよりも優しい。そっと覗いてみると、リリムと同じ黒髪が目に入った。

 アーテル程ではないが、優しげな風貌をした青年だ。旅の汚れで薄汚れてはいるが、身形みなりも悪くない。

 人間は怖いとは言うけれども、見た目には寄らないのだろうか。そう勘繰ってしまう。

 リリムが怯えているのを察したのか、青年は困ったように眉を下げた。


「ええと、僕は怖くないよ。子供には何もしない。

 君はこの辺に住んでるのかい?」


 穏やかな口調だ。

 この人間は、怖くないのかもしれない。恐る恐る顔を出すと、彼は笑顔でこちらを見ていた。


「この辺に住んでいるなら……魔物達が集まっている場所を知らないかい?」


 そう問われて、リリムは嬉しくなった。

 きっと、魔物と仲良くしたくてここまで来たんだ。

 人間も、仲良くしたい人間はいるんだ。自分と同じようにきっと皆受け入れてくれる。

 そう考えて、嬉しくなったのだ。

 木の影から飛び出すと、青年の手を取る。柔和な外見に似合わず、存外にゴツゴツと荒れた手をしていた。何の胼胝たこだろう。

 少し気になったが、大したことではないだろう。


「こっち!」


 リリムは、小走りで彼の手を引いていく。

 彼をアーテルに会わせたくなった。きっときっと、仲良くできるはずだ。



         *

 


 青年は、勇者――だと名乗った。



         *


 

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい」


 血溜まりの中、泣き咽びながら謝罪を繰り返す声がする。その声が少し耳障りだった。

 彼女が悪くないことはわかっている。だが、燃え盛る憎悪はどうにもならない。

 目の前には、何十にんもの死体が転がっていた。全員が無惨な姿を晒している。

 リリムが案内してきた人間は、魔物を討伐に来た勇者だと高らかに宣言した後、剣を振るって魔物を殺し始めた。

 戦える者は生き残った。

 だが、戦えない者はほとんどが殺された。

 正に、魔物にとっては晴天の霹靂であった。

 勇者はすぐに呪文紙スクロールでどこかへ飛び去っていき、殺戮の跡のみを残していった。

 屋敷は、捨てるしかない。襲撃されたからには、場所を変えて体制を整えなければならなかった。遺体だけを集め、共に連れていくこととした。彼らを野に晒しておきたくはなかった。

 その日から、魔物は数が限りなく減るまで、殺され続けることとなってしまった。

 それを、繰り返さぬよう。

 魔界にもその日、王――魔王とも言うべきものが立った。


 

         *



 殺戮から、十数年が経過した。

 魔物の数も減り、その分だけ人界との溝も増えていく。

 リリムは自宅の窓辺に座り、嘆息した。

 己が招いた悲劇だ。何十年と経とうと、忘れられるはずもない。むしろ軛となってさえいる。

 悲劇の後、リリムは比較的近くにある人間の村へと置いて行かれた。残った魔物たち――ルーフスやロセウス、身近に接していた者たちはともかく、他の魔物たちは人間に対する憎悪でリリムを殺しかねなかったのだ。

 リリムが置いて行かれた村は幸い、魔物との諍いがあまりない村だった。魔物が倒されたと湧いている今なら混乱に乗じて魔物との繋がりは疑われないと踏んだらしい。

 そうして村に何とか受け入れてもらえて、今では婿も取った。そうしないと、村の中では立場が作れなかったからだ。

 だが婿を取ったとて、幸せと思える日はなかった。罪滅ぼしもきちんとした謝罪もできないままだ。泥濘の中で生かているようだった。最も謝罪ができたところで許されはしなかっただろうが。

 あの時、皆と共に死ぬことが出来ていたらと願わなかった日はなかった。

 物思いに耽っていると、村の入り口のほうが騒がしい。


「なんか、騒がしいな……」


 普段は静かな村だ。皆が騒ぐのは収穫祭の時くらいだが、それを思わせる騒ぎだ。

 気になって外へ出ると、丁度夫が慌ててこちらへ走ってくるのが見えた。

 興奮気味に息を切らしている。妻に珍しいものを見せたくて仕方がないのだろうか。


「どうしたの?」


「旅人が、凄いものを持ってきたんだ! リリムもおいで!」


 言葉に従って夫について行ってみると、村の入り口にはフード付きのマントを被った旅人らしき集団がいた。荷車をいくつも引いて、大きいものをたくさん載せている。あれは、何だろうか。

 夫に改めて聞くと、どうやらすごい技術のものを持っていたらしい。魔法を使わずとも生活が便利になるような。

 先程まで実際に使われていたが、火起こしせずとも使える竈門かまどや、食物を冷やして腐らせにくくするもの。他にも色々とあったそうだ。

 どうやら旅の一団はそれらを『機械』と呼んでいるらしい。

 ぼんやりと説明を聞いていると、旅人の一人がこちらを見ているのに気付いた。皆目深にフードをかぶっているため確認できるのは口元くらいだが、こちらを見て、笑った気がした。


「……アーテル?」


 思わず懐かしい名前が口をついて出る。

 その笑顔は幼い頃によく見た彼のものによく似ていたのだ。

 彼らが置いて行った機械を見る。彼が再び与えてくれた、機会なのだろうか。償いの機会。


「ねえ、あなた」


「なんだい?」


「私、これについて勉強するわ。使う方も、直す方も」


 そうしたら、いつか。何年後、何十年後になるかわからないが、彼にまた会えるかもしれない。そうしたら、彼が与えてくれたものをこう使ったのだと語り合いたかった。

 

 それからその村は時間をかけて、機械の街として栄えることとなる。

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