エピローグ ハロウィンの夜はまだ続く

 今宵は愉快なハロウィンナイト。人々はモンスターの仮装をして町に繰り出し、練り歩く。

 愉し気な半音階の曲が鳴り響く都会の街中に、そのマンションは建っていた。


「やっと見つけたぞ」


 洒落た現代的な造りの六階建て大型マンション。四階の角部屋の前に、男は来ていた。

 浅黒い肌に無精髭。女好きのしそうな精悍な顔立ちをしているが、そこに浮かぶ下卑た表情の所為で、歪んだ印象を持つ。――まりあの実父、幹雄だった。

 手にした調査用紙を苛立ちのままにぐしゃりと握り潰して、彼は独り言つ。


「まりあの奴、こんな都会に住んでたのかよ。学生のくせに良いマンションじゃねえか。クソが」


 地面に唾を吐き捨て、娘の住む部屋の扉を八つ当たり混じりに拳で強く叩き付けた。

 ドンドンドンドン……反応は無し。次いで、思い出したようにインターホンを連打するも、やはり応答は無かった。周囲の部屋から人が出てくる気配もない。皆留守にしているのだろうか。

 幹雄はチッと舌打ちをする。


「居ねえみてえだな。ハロウィンパーティーか? 浮かれやがって、腹が立つぜ。こっちは、アイツの所為で最悪だってのによぉ」


 思い出すと、ずくんと脇腹が痛んだ。実の娘にあろうことか割れたガラス瓶を突き刺され、更には理不尽にも妻から別れを告げられた。

 それ以来、幹雄の人生は何をやってもいい事なしだった。刑務所に送られ、臭い飯を食わされ、出てきたところで金は無い、職は無い。挙句、元妻と元娘には接近禁止令などというものまで出されて、腹の立つことこの上無い。


(クソっ、被害者は俺の方だろうが! 首絞めたくらいなんだってんだよ、死んだ訳でもねーのに!)


 理不尽。理不尽。世の中は理不尽だらけだ。

 ずくん、ずくん。古傷が痛む。あれからもう九年も経っているというのに、未だに自分を悩ませるその疼痛が、幹雄の怒りと恨みを更に募らせていく。


(ツケを払わせねーと)


 金さえ出せば何でも調べてくれる悪徳探偵に依頼して、ようやく娘の現住所を掴むことに成功した。

 おかげで闇金の借金が一層膨れ上がる結果となったが、知ったことじゃない。それこそ、娘を脅して身体でも売らせればいいのだ。


(俺をコケにしたツケを、払わせてやる)


 幹雄は憤怒に震える唇を吊り上げ、空恐ろしい笑みを浮かべた。人間とはくも醜くなれるものかと、もしも高次の存在が見たら見放したくなるようないびつな笑みだった。

 どんな風に搾り取ってくれよう。想像すると、気分が良くなってくる。幹雄は舌なめずりをして、ドアに向かってまた独り言を放った。


「早く帰ってこいよぉ。思い知らせてやるぜぇ」

「――どうやって?」


 思いがけず、返事があった。幹雄はギョッとして、声のした方に勢いよく振り向く。


「誰だ!?」


 そこには、いつの間に現れたのだろう、奇抜な恰好をした青年が居た。半面ピエロマスク、半面素顔。紫のメッシュの入った緑色の癖毛。

 中央が凹んだ大きなシルクハットと、腰から後ろ側に燕尾じみたギザギザの生えた上衣。いずれも赤と青、真ん中から互い違い真っ二つにカラーリングが分かれ、そこに同じくギザギザの黄色い襟、黒いズボンに黄色い靴。

 更には、全ての尖頭に白い‪が付いた、何とも派手なピエロ然としたピエロの恰好をした青年だった。


「何だ、てめえ」


 コイツもハロウィンのコスプレかよ、浮かれやがって。幹雄はそんな風に思い、眉間に皺を寄せた。不機嫌を隠す気も無い彼の態度に、しかし奇妙な青年ピエロは全く物怖じした風もない。


「思い知らせるって、何をする気なのカナァ?」


 いっそ無邪気な子供のように、自身の顎に人差し指を添えて首をコテンと傾げて見せる。その挙動が余計に幹雄を苛つかせた。青年の容貌がやたらに整っているのも、癪に障る。


「てめえには関係ねーだろ! こっちの話だ!」

「関係ない……ネェ。そうとも言い切れないんだヨネェ。近くに居たからか、それとも、これこそカミサマの思し召しなのか、まりあチャンの記憶がボクにもちょっとダケ見れたんだヨネェ」

「はぁ?」


 見知らぬ奇妙な男から突如娘の名前が飛び出して、幹雄は片眉を上げた。


「子供を虐める悪い大人、ボク大嫌いなんだヨネェ。ネェ? オトウサン?」

「何だ、てめえアイツの彼氏か? 知るかよ。こっちが被害者だっつーの。アイツも、アイツの母親も、俺をコケにしやがって。ぜってぇ許さねえ!!」


 幹雄が吼える。目の前の青年が何者かなど、彼にとっては些末なことだった。それよりも、とにかく腹の虫が治まらない。自分には怒りを主張する権利があるのだ。

 すると、黙して幹雄を見つめていた青年ピエロが、ふと不思議な言葉を口走った。


「油断しない方がいいヨォ。ハロウィンの夜はまだ終わってない」

「は?」


 ピリッとした感触が、刹那幹雄の肌を撫でた。喉の辺り。首の中央、やや上。一瞬、静電気でも起きたのかと思った。けれど、すぐにおかしなことに気付く。


「!? か……ッひゅ……!?」


 声が出せない。慌てて喉元を押さえると、鋭い痛みが走った。指先を見る。少量の紅い血液。


(何だコレ!? 何が起きた!?)


 困惑する彼に答えたのは、酷く冷静な声だった。


「声帯を裂いた。大きい声は出せないヨ」

「っ……ッ――~~!?」


 青年ピエロの言に驚愕を示す間に、幹雄の目前に銀色の光が閃く。直後、ゴトリと何か固いものが地面に落ちる音が聞こえた。思わずそちらを見遣ると、そこには、信じ難い光景が広がっていた。

 ――腕だ。人間の腕が落ちている。

 それが自分のものだとすぐには理解が及ばずに、一頻り戦慄した後、幹雄はハッとしてようやく己の右腕を確認した。


 声の無い絶叫が、喉に空いた穴から漏れ出した。


「サテ、どんな風に刻まれたい? 安心してェ、簡単には逝かせないヨォ。あのが受けた痛みの分だけ、じっくり、じわじわと、嬲り殺してあげるカラ」


 何処から取り出したのやら、ファンタジーアニメでよく見るような意匠の短剣を携えて、青年ピエロが微笑わらう。それは悍ましい程に美しい、魔性めいた笑みだった。

 じわり、幹雄のズボンの股間から、湯気を放つ液体が溢れ出した。ツンと鼻を刺激するアンモニア臭。

 ひゅー、ひゅー、隙間風のような哀れな喘鳴は、誰の耳にも届かない。


 ピエロ青年は高らかに謳う。


「Happy Halloween☆」


 今宵は愉快なハロウィンナイト。



   ◆◇◆



 紅い満月が登るそらの下、ぽっかりと地面に空いた大穴の横で、シフォンは途方に暮れていた。

 クラウンからの応答が無い。突如足元が崩れてクラウンが穴の中に姿を消してから、どのくらいの時が経ったろう。大きな声で呼び掛けても、反応は無し。どころか、自身の声の反響すらも無い。


(どれだけ深いんだ、この穴)


 苦労して見つけた縄を垂らしてみても、誰かが掴む気配も無かった。


「おーい、クラウン~! どうなってるんだよ、もー! 戻って来ないなら、置いてっちゃうよ!?」


 苛立ち紛れに叫んだ、その時。


「それは困るナァ」


 あっさりと、呑気な返事が来た。


「!? クラウン!?」


 振り返る。何故か背後に、探していたその人の姿があった。シフォンが仰天する。


「何で後ろから!? 穴の横でも掘って出たの!?」

「何か、行きと座標が違ったみたいだネェ」

「座標? ていうか、遅いよ! もう置いて行こうかと思ってたところだったよ!」

「ごめんネェ、シフォンくん。心配したァ?」

「心配なんか、してないけど!」


 下手なツンデレ娘みたいな台詞になってしまい、シフォンはハッとして軽く咳払いをした。


「ていうか、何してたのさ。居るんだったら、返事してよ」

「ウン、ちょっと、露払いにネェ」

「は? なんだって?」


 ここでシフォンは、クラウンの服に一部紅の液体が付着していることに気が付き、息を呑んだ。


「……怪我したの?」

「ウウン。何でもないヨォ。それじゃあ、行こうかァ」


 まったりと躱され、シフォンはスッキリしない気持ちで溜息を吐く。


「全くきみは、まともに相手をしているとこっちが疲れるよ」


 文句を言いつつも、シフォンは彼が戻ってきたことに内心ホッとしているようだった。

 クラウンには血液が流れていない。――その事実を、小さな相棒が思い出すのはいつのことか。

 夜空に浮かぶ真っ赤な満月だけが、真実を知っていた。




  【完】

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まりあと不気味なおばけの国~Maria in spooky wonderland~ 夜薙 実寿 @87g1_mikoto

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