第11話
家を脱出した私たちは近くの厩から馬を奪い、鞍を掛けず、口輪と手綱だけで馬を操り、一晩かけて全速力でカール領から離れた。
「はぁ、はぁ」
陽が昇る頃には馬も疲労困憊となり、仕方ないので川の近くで休憩を取ることにした。
「さあ、説明するのじゃ、エルデンド。せっかく上手くいっておったのにいきなり血相変えて逃げるとはどういうことじゃ?」
「お前は、感じなかったのか?」
「何をじゃ?」
「お前自身が話したはずだ。この国、いやこの世界では宗教や教会の存在が一般的ではないと」
「そうじゃ。じゃから、我らの楽園じゃと何度も言って─「なら、おかしいとは思わなかったのか?数年前にたった一人の人間が突発的に教会や宗教という概念を思いついたとでも? それなら既に先人が思いついてるはずだ。そんな都合のいい話があるか?」
「.....ふ」
ベルモンも数秒ほど沈黙したあと、呆れたように首を振って笑みを零した。
「数年前じゃと?その情報、我は初耳だが?しかも、どうしてそれを前提知識のように話すのか。我は呆れてものも言えんわ。さすが、頭の良い奴は一味違うのう?」
解っている。ただの八つ当たりだ。失敗に対する羞恥が慚愧を拒み、行き場のない負の感情を彼女にぶつけているだけだ。なんて子どもじみた感情なのだ。恥の上塗りだ。それすらも考えられぬほど、思慮が浅いのか?それほど、私は足りない人間だったのか?
「まあ、そうクヨクヨするでない。何も得られなかったというわけでもないじゃろ?我もこうして力を得ることができたわけじゃ」
「なんだ、心も読めるようになったのか?」
「ふん、そんな表情をしておれば馬でも分かるわ。のう、ルクセライン」
ベルモンが馬にそう問いかけると「ブルフィン」と彼(?)は返事をした。
「...いい名だな」
「思ってもおらぬ事を。まあ、よい。そんなことよりお主、鞍も無しでよくここまで馬に乗れたものじゃな」
「家の都合だ。戦争時、自身の馬を失ったときのための最終手段として嫌になるほど身体に叩き込まれたからな。自然とそう動いてしまっただけだ」
川面を覗く。映るは、鼻のひしゃげた木偶人形。見苦しくて、人差し指で掻き消した。
「なあ、ベルモン。邪神とやらはどれだけいるのだ?行く先々でこうも鉢合わせるのは異常と言わざるを得ない」
「はぁ、イマイチ要領が掴めぬのだが。もう少し詳しく説明するのじゃ。自己完結するのはお主の悪い癖じゃぞ。さっきもそれでいじけたのじゃろう?」
「ぐっ...だが、自戒を説く邪神とはまたおかしなものだな。お前はそういうとこ──「論点をずらすでない。ほら、一から説明せい」
ダメだ。この会話の主導権は抗いようもなく彼女にある。言われた通り、反省して大人しく話すか。
「最初に違和感を覚えたのは奴が残虐伯の話をし始めたときだ。奴は自分なら上手くやれると思い、考えたのが教会だと言った」
「ふむ。それのどこがおかしい」
「違法な人売は効率が悪い。その種となる人の調達が困難だからだ。たとえ、そのシステムを作ったとしたも残虐伯のように破綻する。だが、彼の考えはこの世で考えうる最も合理的な方法にだったに違いない。私も、お前と出会うまではそう思っていた」
「ほう?なにやら含みのある言い方じゃのぉ」
「以前、お前は飲み込みが早いと私に言ったな?」
「そう!お主は飲み込みが早い!!我の言ったことをすんなり理解できる。面と向かって言うのは恥ずかしいが、お主は優秀じゃよ」
「違う。違うのだ、ベルモン。私はお前が言うほど賢くはない」
「む、もう自虐はやめよ。見ている方も見苦しくなる」
「いいか、ベルモン。私は植え付けられていたのだ。そして、誘い込まれた。あのカール伯爵の所へな」
「むむむ?」
「私たちは喰らおうとしていた。だが、実際は奴の舌の上で踊っていただけに過ぎなかったのだ。そして、今も恐らく逃がされている。ああ、あの気味の悪い笑みが頭にこびり付いて離れない!!」
「ッ! どりゃあ!!!」
ベルモンは飛び蹴りを放つ。私はそれを見事にくらい、川へ転落する。
冷たいという感覚が水によるものなのか、それとも恐怖によるものなのか──
「しっかりせぬか!!痴れ者!!!」
水面から伸びる腕が、大きな力で私を引き揚げる。それがベルモンのものだと気づいたのは、彼女の顔を確認してからであった。滴る雫に太陽光が乱反射して、視界に輝きを齎す。そこに映る彼女の顔もまた一層───。
「お主の言い草で大方、予想が着いたわ」
ベルモンは鼻を鳴らして、胸を張る。
「これもまたヴァインの─「いや、奴ではない」
「ふぇ?」
「あのわざとらしい笑い声。あれは私の元婚約者、フェルモ・エクステン以外に考えられない」
「誰じゃあ......」
「だからこそ、お前に聞きたかった。邪神とやらは後どれほどいるのだ?十人も二十人もいるようなものなのか?」
私の問いに、ベルモンの指が四本立った。
「我を含めて四柱じゃな。加えて、一柱は人前に出てこぬ。ふむぅ、つまりその元婚約者とやらがヴェスデゴスになるのか?」
「お前の情報と私の経験に齟齬がなければ間違いない。私がカール領の情報を聞いたのも彼女からだ」
そう。あれは、ちょうど数年前のことだ。珍しく、会話が弾むお茶会だった。そこで彼女は話題としてカール伯爵のことを挙げた。今思えば、不自然だ。それに情報が早すぎる。いや、エクステン家は宰相及び王族との関係が深い。整合性は取れているか。なんにせよ、そこで私は教会という言葉と神という言葉を耳にした。
まだ何かあるはずだ。もし、私が邪神だとしたらこれだけで終えはしない。もっと、もっと深層に、根幹に刻み込むはずだ。
「ぐっ!」
彼女のことを思い出そうとすると、頭に断続的な痛みが走る。忘れている。忘れさせられている。そして、思い出すなとも。
ふと、ベルモンの方に目をやると、彼女は何か呟きながら呆けていた。
「ありえぬ......とんでもない.....るすぎる」
「とにかく、危機的状況は以前にも増して─「最高すぎるじゃろ!!!お主!!!!」
突然、視界が塞がれたと思うと地面に組み伏せられた。とてつもない力で押さえつけられており、とても動かせそうにない。
「ヴァインだけでなくヴェスデゴスもお主に目を付けていたと? ああ、やはり我の目にも狂いはなかった!!絶対に渡さぬ!!!主は我の物じゃ!!!それ以外認めん!!!絶対に!!!!」
紫の瞳が、小麦色の身体が、私を飲み込もうとする。私はそれに心地良さを覚える─わけもなく、とてつもない不快感が押し寄せてくる。
「止めろ!!!」
私は彼女の瞳に唾を吐きかけ、目潰しをする。
「ぎゃっ!」
彼女は怯み、また押さえつけていた力も緩む。その間隙を縫い、私は彼女の両脚を掴み、身を起こす。
「お主何をっ!?」
「うおおおお!!!」
そのまま、腰に固定し、思い切り回転する。そして、遠心力による加速を最大限まで引き出す。
「おわおわおわおわおわ!!!!」
「頭を冷やせ、この阿呆が!」
そして、川へと放り投げる。
「おわああああああ!!!」
陽は昇っていくが、彼女は落ちていく。凄まじい着水音とともに、私は夜明けの風を感じていた。
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