第10話
下の階がどうにも騒がしい。あのロイナードの小僧が何かしでかしたか?急に訪れてきた時点で怪しいと思ってはいたが、どういうつもりだ?
とりあえず様子を見させるために、親兵長を呼び寄せる。
「寄越せ!たらふく稼いでいるんだろ!!俺は知ってるんだぞ!全部!全部!!!」
しかし、入ってきたのは目を血走らせながら、口から泡を吹き出す狂った男だった。
「止めろ!!! 言うことを聞かぬと褒美はないぞ!!」
「はぃっ!」
何が起きたのか、状況は何一つ理解できぬ。ただ、ひとつ。解ったことは私はあの小僧にまんまと食わされた、いや、喰われたということだけだ。
「上々。陽の目を拝む必要すらなかったな」
「貴様の仕業かああああ!!!ロイナード伯爵ぅぅぅ!!!」
「ꓒǝupǝz ʌoʇɹǝ ʇêʇǝ《平伏しなさい》ꓕn ǝs ןǝ ɔɥıoʇ ǝʇ ɾǝ snıs ןǝ ɯɐîʇɹǝ《我の可愛い仔犬よ》ꓩǝ ɹéɔoɯdǝusǝ ןǝs qous ɔɥıoʇs《良い子には褒美をあげよう》ꓪɐıuʇǝuɐuʇ' ɔèpǝ à ʇɐ ɔndıpıʇé《さあ、心の赴くままに》」
「ぅぅぅ......うーうーうー」
私に向かって、怒号を上げていたカール伯爵は段々と力なく項垂れ、瞳から輝きが失われていく。終いには口の端からだらしなく涎を滴らせ、その煌びやかな絨毯に染みを作っていく。
「呆気なさ過ぎる。まさか、この屋敷が数刻も掛からないうちに陥落するとは」
「以前、言ったであろう? ここは楽園じゃと。身を以てして、それを味わうことができたのではないか?」
横に目をやると、ベルモンが腕を組んで浮かんでいた。その姿は出会ったあの時と比べ、角は左右対称に整えられており、服は今時の幼児でも着ないようなゴテゴテでブリンブリンなワンピースへと変わっていた。
「頭だけでなく趣味も悪い、か」
「何か言ったか?」
「いや、その、いつの間にか姿が変わったな、と」
「ああ。力が戻って来ておる証拠じゃ。じゃが、まだまだ足りぬ。もっと、人の邪慾と、それに食料が必要じゃ」
「食料?」
「いずれ分かる。邪慾とは制限なきもの。我の力が大きくなれば、その概念もまた拡がっていく。人間の三大欲求と呼ばれるものも、行き過ぎれば邪慾と相違ない」
「食欲、睡眠欲、性欲。なるほど、な。確かに、これらを扱うことができれば、世界を支配することなど容易い」
「じゃがな、エルデンド。世の中、そう上手くはいくものではないのじゃ。その三大欲求の内、我が扱えそうにあるのは食欲だけなのじゃから」
「なんだと?」
「惰淫神ヴェスデゴス。名の通り、怠惰で淫欲にまみれた邪神じゃ。かつて、そ奴がこの世界の睡眠欲と性欲を支配していた。一見、それほどでもなさそうな邪神じゃが、その勢力は我らの中でもトップじゃった。支配帯域は全体の三割は優に越えておったな」
「ほぉ、それほどにまで人を誑かすのが上手いのか」
「悔しいが、それは我も認めざるを得ない。奴の人心掌握術は邪神の中でも随一。しかし、真に恐ろしいのはその方法。奴は人を堕とすのに話術を用いないのじゃ」
話術、か。確かに、ベルモンが邪慾を引き出すとき、彼女は何か呪文のようなものを呟いている。それ故にその対策を講じることは容易だ。彼女のその呟きを聞く前に倒すか、耳を塞げばいい。
「その方法とは具体的にどのようなものか分かるか?」
「ふっ、分からぬから恐ろしいのじゃよ」
あの天真爛漫な彼女がこんな、諦め混じりの笑みを零すだなんて。そう思うと同時に、その邪神に対する底知れぬ恐怖に背筋が凍る。できれば、出会いたくないものだ。いや、絶対に。
「そう暗い顔をするな。今はこの領地の事に専念しようではないか。ほら見てみろ、領主の間抜け顔。くはは!あのままじゃと脱水症状になってしまうぞ!」
「ああ、笑えるな」
少しだけ肩の力を抜こう。未だ見えぬ敵に怯えていたところでどうしようもない。今は、とにかく情報を集めなければ。
「さて、全て吐き出してもらおうか。やってくれ、ベルモン」
「少しは楽しまぬか、忙しない奴め。...おい、お主が懇意にしている宗教について話せ」
ベルモンがカール伯爵に問いかけると、少し体を揺らしてから彼は口を開いた。
「最初は、ただの資金洗浄や節税の為に私が作り出したものだ。此処は隣国との境目、奴隷や薬物、武器、機密情報の密売で膨大な利益を得ることができる」
「やはりな。度々、都の方に回ってくる麻薬や奴隷たちは貴様だけで手回ししていたのか?」
「どうなのだ?」
「私だけではない。北のオザック侯爵、南のビスコ伯爵も私と同じような事をして利益を得ている。私が特別だったのは教会を設立したことだ」
西南北の貴族が汚職に手を染めている。驚きはしない。明らかに一つの家が行っている量ではなかったからだ。そして、王や宰相がこの事実を知らぬということも考え難い。つまり、これは国公認の汚職だ。
「なぜ、教会が特別なのだ?」
「街にいる孤児は、物乞いからやがて野盗となり、殺人を犯す。どの領地でもそれは頭を悩ます問題であった。存在するだけで治安を悪化させ、金にもならぬ害虫。私は隣国から得た情報を基にその利用方法を思いついた。隣国のある貴族は孤児を集めて、優秀な者は貴族へ売り、そうでない者は解体し、臓器を売っていたらしい。しかし、その行いが民にバレてしまい、処刑された」
「その話は有名だ。残虐伯ロベール、一時期この国でも話題の中心だった」
「私ならもっと上手くやれる。そう思った。ロベールは徒に孤児を集めていたから目立っていたのだ。民は領主の行いに対して思いの外敏感だということを考慮していなかった」
「回りくどいのぉ、もっと簡潔に言わんか」
「阿呆。教会はヤギ小屋だったということだ。ヤギとは孤児、つまり教会を隠れ蓑にして人身売買を行っていたのだろう」
この国で奴隷と認められるのは犯罪者だけだ。窃盗などの軽い犯罪は三回、殺人などの重い犯罪、不法入国者は一回で奴隷焼印を押され、王都での競売に賭けられる。それ以外の人身売買は重罪だ。
「人身売買ではない。教会はやがて訪れる新たな親たちが来るまで保護しているだけだ」
「つまらん言葉の綾だな。ベルモン、何処かに教会に関する書類があるはずだ」
「うむ。おい、教会についての書類をここに全て晒せ」
「......もう無理だ。我慢できぬ。早く、早くしたい」
「何をブツブツ言っておる!!!早くせぬか!」
なにやらカール伯爵の様子がおかしい。私は不用意に近づこうとするベルモンの腕を掴み、制止する。
「なんじゃ!?」
「嫌な予感がする。ここを離れるぞ」
私は思い切り背を向けて、駆ける。ベルモンがとある邪神についての話を始めたところからそんな気がしていた。いや、もっと以前、先日ベルモンから話を聞いた時からでも理解できたはずだ。教会、神、この国に馴染みのない概念を一介の伯爵が思いつくか?
「...くすっ」
あの気味の悪い笑い声が、どこからともなく聞こえた気がした。
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