第9話

「これはこれは、遠い所から御足労頂いて大変恐縮でございます。ご存知だとは承知の上ですが、私、クナヨタ・カールと申します」


 半日後、私は伯爵邸に招待されることとなり、その玄関先で対面した。第一印象は物腰の低い質素な男。笑顔や振舞いに取り繕ったような不自然さはなく、腹の中になにか抱えているとは想像し難い。一目見たところ、人柄に疑う余地は無い。


「突然の訪問、お詫び申し上げるとともに、わざわざ伯爵自身にお迎え頂いたこと、感謝申し上げます。私はエルデンド・ローグナイ、ローグナイ家の長男でございます」


「えぇ、存じておりますとも。貴殿のお父上、ダクルソ騎士長の名を知らぬ者はこの国におりませぬからな。数年前、御病気で亡くなられたと聞いた時は本当に無念でした」


「えぇ、ありがとうございます」


 その言葉に含みは見られない。彼女の反応もない。話を続けるか。


「それで─「えぇ、ええ。申し上げなくとも、結構です。貴方が此処へ訪れた理由など分かりきったことですから」


 私が口を開くと、それを遮るように頷いてみせる。まさか、既にバレてしまっているのか?私が既に貴族ではなくなっていると!


「先代も現当主も、頭の固い人でしたからね。話が分かりそうな貴方の方から来てくださるとは此方としてはありがたい限りです」


 よかった。その報せはまだ届いていないようだ。まだ私がローグナイ家長男だという前提で話が進んでいる。


「ぜひ、カール伯爵からその素晴らしい領内統治をご教授して頂きたいと思いまして、と学園の方に届け出て参りました」


「そんな、恐縮ですよ。私はただ、人としてをしているだけですから。しかし、その心掛けは見上げたものです。よろしいですよ。私としても同志が増えることは歓迎です。栄えある未来の伯爵にその知見を施しましょう」


 カール伯爵はパンと手を鳴らすと、踵を返した。


「さて、本日はもう陽が落ちますし、ゆっくりとお休みになってください。部屋はそこの給仕に。明日は街を周りましょうか。九つ時に門でお待ちしております」


「ご案内致します」


「よろしく頼む。ではカール伯爵、今後ともよろしくお願いします」


「えぇ、こちらこそ」



 給仕に案内された部屋は何の変哲もない客室だった。羊毛が詰まった椅子に腰を掛けて、一息吐く。


「お前から見てどうだった?」


《一目見て解ったわ。アレはじゃよ。じゃ。邪慾神の我が言うのじゃから間違いない。やはり此処に神なんて代物がいる訳なかったのじゃ。もし、本当に奴らがおったらとっくに我に気づいて何らかの対処をしておるはずじゃ》


だな。もう動いてもいいと思うが、お前次第だぞベルモン」


 首飾りから彼女が飛び出してくる。そして、机に用意されていた菓子を掴み、そのままベッドへと飛び込んだ。


「何をするつもりじゃ? まさか、本当に我の協力を?」


「義理は果たすと言っただろう? 以前からこの領地については胡散臭いと睨んでいた。慈善、人の為、正しい事、ふっ、笑わせるな。。全ては己の利益のためだろうに。隠し通せるものか、薄っぺらな偽善者め」


、か。お主もなかなか悪い奴じゃのぉ」


 そうでなければ、この国では生きられない。情とは弱さだ。それを晒せば獣たちは容赦なく食いついてくる。どの家でも親からそう教えられるはずだ。


「彼処も、私を新たな同業者としてしか見ていない。私が既に貴族ではないと知ったら、容赦なく切り捨てるだろう。その前に、先手を打ちたい」


「それで、我にどうしろと?」


「この領内にいる全ての人間を欲に溺れさせろ。その間に私はこの屋敷の全権を握り、この領地を乗っ取る。


「く、くく、ふは、ふはははは!!!」


 ベルモンは笑いを抑えようと丸まっていたが、堪えきれず飛び跳ねながら大爆笑する。


「最高じゃ!!! 我の力を介さずしてこの欲望か!!! いや、これ我の力じゃろ!!!さすが我!!!!彼奴の感情を上書きじゃ!」


 そうだ。騒げ。そうして、獲物を誘き寄せろ。


「あの、どうされましたか? なんだか子どもの声が......」


 近くに待機していた給仕の女がノックもせずに部屋へ侵入してくる。


「𝔇𝔦𝔱𝔢𝔰-𝔪𝔬𝔦 𝔠𝔢 𝔮𝔲𝔢 𝔳𝔬𝔲𝔰 𝔳𝔬𝔲𝔩𝔢𝔷《望みを言え》𝔇𝔦𝔰-𝔪𝔬𝔦 𝔠𝔢 𝔮𝔲𝔢 𝔱𝔲 𝔳𝔢𝔲𝔵, 𝔢𝔱 𝔧𝔢 𝔱𝔢 𝔩𝔢 𝔡𝔬𝔫𝔫𝔢𝔯𝔞𝔦《さすれば、望む物を与えてやろう》𝔄𝔳𝔢𝔠 𝔲𝔫 𝔭𝔯𝔦𝔵 𝔯𝔞𝔦𝔰𝔬𝔫𝔫𝔞𝔟𝔩𝔢《その魂を持ってして》」


 いつの間にか、ベルモンはふわりと移動し、彼女の耳元でそう囁いた。


「はひぃ、宝石にぃ、おぼぉぼ」


 数秒も経たないうちに、彼女も馬車の行者のように正気を失ってしまった。


「じゃが、いいのか? 今の我の力ではこ奴らを制御することまではできぬ。引き出したが最後、死ぬまでこの状態じゃぞ」


「お前はそうやって他者に望む幻覚を見せ、その対価に力を得る。間違いないな?」


「ああ、確かにそうじゃ。今はその理解で間違いない」


「それで、唆した人間を操れるようにはなるのか?」


「うーむ。お主の求めておる精密さの具合によるな。単純な思考操作くらいなら可能じゃが、完璧に人格を作り替えるような芸当はできぬ」


「その力が使えるようになるまであと何人必要だ?」


「まあ、五十人ほどで事足りるが。どうするつもりじゃ?」


「なんだ、案外少ないな。これなら思ったほど難しくなさそうだ。一晩で終わらせるぞ」


「じゃから!!我の話を聞け!!!それに一晩は我をじゃ!!!我の力を持ってすれば、今から始めたとしても夜明けまでぐっすり眠れるわ!!」


「この戦はだ。もたついて外部に私たちの情報が漏れればこの国どころか。踏ん張れ、ここで勝てば得る物は大きいぞ」


「何が戦じゃ、酔いしれおって。ふん、言われなくともそのつもりじゃ。ここ一帯の生物、その全てを我の支配下においてやろうではないか!」


「よし、その意気だ。行くぞ、ベルモン」



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