第7話

「起きぬか!!そのように怠けておったら彼奴に喰われてしまうぞ!!」


 腹の上で囀る何かのおかげで最悪の目覚めとなった。


「もう少し、もう少し」


 私は呪文のようにそう呟いて再び眼を閉じる。


「お主、もしや我慢強いのではなくて怠惰なだけなのかぁ?」


 結局、叩き起こされた。私は未だに掠れる眼を擦り、朝食を摂る。


「相変わらず石のように硬いパンだな」


「それは付け合せのスープに浸して食うものじゃ。もしやお主、相当なボンボンじゃったな?柔いパンなど相当な貴族しか食えぬぞ?」


「そういうものなのか」


 言われた通り、パンをスープに浸してから口に運ぶ。ふむ、確かにこれなら食べられなくもない。


「恵まれていたのか、私は」


 そのような考えなどなかった。私にはと思っていたから。だが、どうやら私は


「いや、お主は恵まれてなどおらぬ。いくら高貴な身分であったとしてもこの世界でお主が満たされることは決してない。それはお主か求めるものが形あるものではないからじゃ」


 あの夜と同じ、紫色の瞳が私をじぃと見つめる。


「だが、我ならその疼きを癒せる。お主の望みを叶える唯一の方法は我の朋になる他ないのじゃ」


 一瞬、彼女のその誘惑に気を取られそうになるが、かき消すようにその鼻を指で弾く。


「ぎゃっ!」


「その話なら断ったはずだ。それに良い人間を紹介してやろうとも言った」


「ぐむむ、お主の無礼な振舞いは今に始まったことではないから目を瞑ってやろう。特別じゃぞ!それに、そ奴が人間である可能性は極めて低い!咎人形なら願い下げじゃ!!」


「そういうことは実際に見てから判断するべきだと思うがな」


「とにかく!!我はお主が良いのじゃ!!それにお主だって我の下にいた方が絶対いいぞ!!!だって、次またヴァインに出会ってしまったら最後、今度こそお主は奴の手中に囚われてしまうからな!お主もそれは不本意であろう?」


「!」


「お?なんじゃ?いきなり目を見開きおって?何か気になることでもあったか?」


とは、先日私たちが逃げ果せた女のことで間違いないか?」


「うむ。名は妬怒神ヴァイン、憤怒と嫉妬の化身じゃ。あ奴ほど厄介な邪神は居らぬぞ。なんといってもその執着心じゃ。狙った獲物は死んでも離さぬ。もちろん死んでいるのは獲物の方じゃがな」


「サターリア、我が妹ながら妙な子どもだとは思っていたがまさか邪神だったとはな。しかし、奴の目的は何なのだ?私を殺したいのであればとっとと殺せばいいものを」


「いや、あれはじゃな」


?」


「あ奴は殺されたいのじゃよ、お主に」


「は?どうして?」


「奴自身の憤怒と嫉妬をぶつけることもあるが、それ以上に奴は他人からその感情を向けられることを好む。特に、その激情から意中の人間に殺されることが至上の喜びだと垂れておった。そうして、を消えゆくまで愛でるのだとな」


「悪趣味だ。やはり邪神の考えることなど理解できん。たったそれだけのことで両親を殺し、十年もの間、私に付きまとっていた...」


「十年!? お主、あ奴と十年も過ごしたというのか!?」


 あぁ、憎い。貴様が憎いぞ、サターリア。貴様の酔狂のためだけに、私の母は、父は──


「ッ!いかん!その感情を抑えろエルデンド!お主の憎悪が奴に場所を知らせる指針となる!!!とにかく、落ち着けぇ!」


「むがっ!?」


 いきなり硬いパンを口いっぱいに放り込まれ、視界が動転する。


「はぁ、はぁ、おそらくバレてしもうた。ここはもうダメじゃ。ここより遠くに拠点を移すぞ」


「いきなり何をするんだ貴様は! 私を殺す気か!」


「えぇい、話を聞け痴れ者! ヴァインは10年もの歳月をかけてじっくり侵食しておった!! お主の奴に向ける感情が、全て憎悪となるようにな!!おかげでお主はすっかり奴の虜じゃ!!今も奴のことを殺したくてたまらんのじゃろう? それこそ、奴の思う壷じゃ!!!奴もお主に殺されたくてたまらんのじゃろうからな!!!」


「なら!私はどうすればいいというのだ!?奴から解き放たれるには奴を殺すしかないだろう!」


。あ奴に対して無関心になれ。それが


「随分と簡単に言ってくれるな。貴様には分からぬだろう!!この私の怒りが、憎しみが、悔しさが!!たとえ、忘れようにも忘れられぬこの感情が!!!」


「ならば、我が忘れさせてやる!!!その憤怒も嫉妬も塗りつぶすほどの邪慾でお主を欲望の淵と沈めてやる!!!!!」


 何を言うか。それではまるで貴様は──


「そうだ。貴様も邪神だったな...」


 この一時、何故かその事実を忘れていた。依然、彼女には言いようもない不快感があるが、それは嫌悪というよりは何かむず痒いものである。それが妹とベルモンのだった。


「一つだけ、問う」


「なんじゃ!」


「貴様は何故、私に拘る?手垢付きの私よりも他の人間を探す方が手間が掛からないだろうに。どうしてもその理由が分からない」


 その問いに彼女は呆れたように項垂れて、大きな溜息を吐いた。


「なんというか、お主は本当に話を聞かぬ奴じゃな。もう説明するのも面倒じゃ。手前で勝手に考えておけ」


「はぁ」


「ま、まあ端的に言えばお主が嫌いな奴は我も嫌いなんじゃよ。だから、。そ、それだけじゃ」


 結局、言うのか。しかもなぜ照れる。今の発言にそんな要素があったか?......しかし、なんとも邪神らしい理由だ。


「ふっ」


 こんな感情豊かに他人と接したのは母親との会話以来か。そして、私がこんな感情を晒け出したのも何時ぶりだろうか。


「な、何が可笑しい!」


「いや、と思っただけだ」


「どういう意味じゃ!!」


「喚く暇があったら支度をしろ。ここを出なければ不味いのだろう?」


「だから話を聞けぇ!!!」


 私は案外、正しく生きられるような人間ではなかったのかもしれないな。

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