第3話

「我が一番乗り!つまり、我こそ最強!!かなうものなし!ふはははは!」


 私の髪の毛を掴み、遊具のように頭を揺らす其れに動じずにはいられない。その足を掴み、地面に振り下ろす。


「ぐわおっ!?」


「な、なんなのだ貴様は!?」


 闇に慣れぬ瞳はその姿を未だ捉えきれなかった。だが、その影は我が妹を想起させる。まさか──


「ふん、無礼な人間め。ついでに無知ときた。普段の我なら即刻爆発四散させているところだが、今は復活記念で機嫌が良い。だから、特別に教えてやろう」


 紫色の炎が辺りを照らす。その灯りはその正体をゆらりと明かした。


「我は最強の邪神! ベルモンじゃ!!!」


「......」


 闇夜に浮かぶは我が妹とは似ても似つかぬなんともマヌケそうな顔。そして、微妙に焼けた肌、左右非対称の山羊角、乞食が纏っていそうなマント。見ているこちらが泣きたくなるような悲惨さだ。それなのに彼女ときたら、なんとも誇らしげだ。


「どうした?恐れて声も挙げられぬか?」


 ニヤニヤと頭の悪い笑みを浮かべる幼女。邪神とは何だ?何かの暗喩か?意味がわからない。


「何とか言ってみよ! 言え! 言わないと殺す!」


「何と頭の悪い言葉遣いだ.....!」


 結論、此奴は阿呆だ。口の悪い幼女だ。そして、これはタチの悪い冗談だ。森に夜遊びに来た悪童たちが野宿している私をからかいに来たのだろう。こんな手の込んだ手品まで仕込んで、ご苦労な事だ。まったくもってくだらない。


「うるさい!!!」


 全身を割るような轟音と振動が襲ってくる。私は堪えきれず、思わず尻もちを着いた。


「地震か!?」


 咄嗟に頭を守るように身を伏せ、身体を丸めて耐える。


「ぶっ、ふはははは!!! なんともマヌケな姿じゃ!!やはり人間はこうでなくては!! 我に恐れ、頭を垂れて平伏す。それが我に対する正しき姿よ」


 目を開けると、地面がへこんでいた。いや、のめり込んでいたという方が正しいだろう。まさに火山口のように地面が円形に窪んでしまったのだ。こんなこと、地震では起こりえない。では、どうしてこんなことが?まさか、で? ありえない。ここは魔法や勇者などというメルヘンチックな世界ではないのだ。そんなもの存在するはずがない!


「これは夢だ」


 そうだ。そうとしか考えられない。おそらく、これは私が失意の中で眠り込んでしまったが故に見ている頓珍漢な夢だ。


「さて、人間よ。お主はめざましくも我を現世に再誕させた。その功績を讃え、お主の望みを聞いてやろうではないか」


 そう、夢ならば何の不都合もない。目覚めれば全て終わりだ。だから、今一度だけこの夢に溺れてしまおう。どうせ、泡沫と消えてしまうのだから。


「私に剣の才能をくれ。誰よりも、父にも勝る剣の腕を与えて欲しい」


 それに夢に私の意思などない。夢の中の思考など花畑に舞う蝶々のようにとりとめのないものだ。脳が映像を作り上げて再生しているそれは目覚めたときには忘れてしまうほど儚い。


「ふは、誰がやると言った?バーーーカ!!!我はとしか言っておらぬぞ!? 澄ました顔して我を愚弄した割にはしっかりと俗物ではないか!!実に愉快じゃ!!!!!」


 一段と嬉しそうに跳ねる邪神。キャッキャッと地面を飛び跳ねては私の頬をつんつんと啄く。


「だが、そのような人間ほどかかえている欲は黒く、深い。それ故に、我の声を聞き届けたか。うんうん、やはり我は最強だし、運も良い」


「......」


「よし、気に入った。お主、名はなんという?」


「......」


「......」


「...ええい!答えぬか!!この阿呆が!」


「ぐほぉ!!」


 な、なんだ!? 痛いぞ!!とてつもなく痛い!!早く覚めろ!!この夢を早く終わらせてくれ!!


「先程から我に対するお主の態度。まさか貴様、我のことを信じておらぬな?」


 邪神はジトりと睨み、馬乗りになって私の頬をグ二グ二と引っ張る。じわじわと痛みが蓄積される。それなのにどうして私は一向に目覚めない!?


「仕方の無い奴じゃ。どうやら、現世では我らの存在は忘れられているらしい。道理で力が滾らぬと思っていた。これでは再び奴らに封じられるのも時間の問題じゃな」


 紫色の瞳が覗き込んでくる。瞳を、脳を、私が抱え込んでいたもの全てを、乱暴に包みを開けるように。


「先はやらぬといったが、取り消す。お主には


「何を?」


 身体の内側から何かが蠢く。それは私が忌み嫌うもの。包み隠したいもの。否定するもの。そして、密かに憧れを抱いていたもの。


じゃ。そして、其れはでもある」


「違う、違う!!!私はを望んでなどいない!!私は、私はただ──」


「無能が故に怯えるか、怯えるが故に無能か。どちらにせよ、お主はただ逃げているに過ぎない。それが知的であると、清廉潔白であると、そしてであるとな」


「止めろ!!黙れ!!!私に触れるな!!!!」


「お主は愚かで可愛いな。他人は性悪であると思っておるのに自身こそは性善であると信じて疑わぬ。その達観は自身の無力を正当化する甘えだというのに気づいてすらいない。お主もその俗物と対して変わらぬというのにな、ふはは」


 目の奥が熱を帯びる。心の臓が駆ける。心の奥に掛けていた鎖が、錠が、外されていく。


「蓋をして軟弱になるくらいならば、いっそ全てを晒け出してみせよ。その方がお主も楽になるだろう?」


「やめてくれぇぇぇぇぇ!!!!!」


 夢なら覚めてくれと何度願えば良いのだ。かつて抱いた忌むべき幻想と感情が生温い夜風とともに芽吹いた。ああ、もうこのまま、いっそ目覚めなくてもよいか。このまま、夢に死んでしまおう。


「我が与えたのはじゃ。お主が閉ざした感情を解き放つだけの鍵。だが、我が関与するものはあくまで邪慾のみ。まあ、そもそもそれ以外の感情など不要じゃがな。人間にとって、最も重要なものは。それさえあれば事足りぬことなどない」


「私はのだな」


 頬に伝う熱いものが心を渇かしていく。自己嫌悪と自己憐憫が互いに傷を舐めあって、涎を滴らせる。そうか、私も獣だったのか。


「天使ですら消しきれぬモノを人間であるお主が消し去ることなど到底無理な話よ。ところで気分はどうじゃ? 最高じゃろ?」


「最低だ。こんなにも己の事が嫌になったのは生まれて初めてだ」


「それを最高というのじゃ!!!!」


 心底嬉しそうに破顔する彼女から、を思い起こさせられた。










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